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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと遍歴の騎士
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 要塞から騎士の化け物たちがあらわれて、一週間もしないうちに、エレンハイム嬢の睨んだ通り、市が賞金を設定しました。額は一体につき、たったの二十ドルです。そんな額で騎士たちと槍試合をするなら、蟹に食べられたほうがマシです。

 ところで、あの化け物たちにはいくつかの種類がいます。クロスボウをつかうもの、戦斧をつかうもの、鎧馬にまたがって騎士槍で突っついてくるもの。倒すにあたっての難易度に違いがあるのに一律二十ドルとするあたりに市の調査不足、というか、そもそも真面目に調査するつもりがない、熱意の欠如が見受けられます。

 もちろん、我らがエレンハイム嬢はまだ動く気はありません。市がこの騎士団をドルの力で根絶やしにすることを本気で考え、経費の増大を会計係に納得させ、運航会社から金を集めるまで、こんな低価格で狩りをするつもりはないようです。

 しかし、何もしないでいるのではなく、あの騎士たちの弱点を調べるべく、赤いお肉を採取してきました。エレンハイム嬢は少々常識に心配なところがある方ですが、さすがにあの不気味なお肉をわたしの家に持ち込むことはしませんでした。そのかわりに近くの納屋を借りて、そこに様々な薬品やおまじないに使う呪術具、金属を持ち込み、そして、海水を入れたガラス壜をいくつも用意しました。わたしも行ってみましたが、ガラス壜にはあのお肉たちが意志を持っているみたいに脹らんだりしぼんだりしていて、エレンハイム嬢はそのお肉をまな板の上に出して、薬品を注射したり、呪術具をかざしたりしています。大した投資です。ロレンゾとミカ嬢も遊びに来ていて、ミカ嬢は薬品をいくつかつまみ飲みしてはへらへら笑っています。ロレンゾは殺人術の専門家としての助言を与えているのですが、それはナイフを目に見えないくらい細かいノコギリのように研ぐ技術があるので、そのノコギリ刃に薬品が浸透するようにすれば、殺傷能力が飛躍的に向上すると物騒なことを言っています。ところで、この恐怖の実験で殺されたお肉たちですが、お肉は死ぬと紫色に縮こまります。これをそのままゴミ箱に放り込むのはまずい気がします。もし、このお肉が完全に死んでいなくて、まだ意志があって、その意志が食べ物や飲み水に潜んで、それを摂取した人間がどろどろに溶けて、お肉の仲間入り――なんてことがないとは限りません。お肉を完全に滅亡させるには焼却処分が妥当な気がします。ちょうどこの納屋の隅には焼却炉があります。刻印を読むと、ハインツ兄弟商店が1883年に製造したと読めます。ざっと見たところ、頑丈で、扉も分厚いのが取りつけてあったので燃えているものがこっそり外に逃げることは難しそうです。いい焼却炉と言えるでしょう。必要と方法は揃いました。後は推薦ですが、これには言葉が必要です。誰かがお肉の廃棄方法について意見しないといけません。エレンハイム嬢とロレンゾはあてになりません。彼らはお肉をいじめるのに必死で、その処分について思考を割く余裕がないようです。ミカ嬢も無理です。こちらは余裕があり過ぎて、物事について真剣に考えられる状態にはありません。カプタロウは人の言葉を話せるように進化するまで、あと三千万年くらい必要そうです。

 結局、わたしが言わなければいけないのですが、そこで気がつきました。なぜ、言葉に出して説得の必要があるのでしょうか。わたしのポケットにはマッチがあります。なら、わたしが自分で燃やせばいいのです。わたしは石炭を燃やして、準備をすると、紫に縮んだかつてのお肉がバケツに溜めてあったので、それを焼却炉に流し込みました。ぼわっ、と炎がたくさんの酸素を食べる音がして、お肉が燃えます。いえ、燃えすぎなくらいです。予想以上に燃えます。さっきまで水に浸かっていて、まだ完全に乾いていないのに、まるでガソリンのように燃え、水はしゅうしゅうと白い煙になって出ていきます。これなら石炭なしでも燃えそうです。

 ふむ。これはいいかもしれません。ボトル・シティは慢性の燃料不足に悩んでいます。このお肉はなかなかの燃えっぷりです。それも長く燃えます。紫色に縮こまるまでの加工が必要ですが、お肉が赤くて動く段階でも燃やすことはできます。ただ、その場合、ぴぎゃーっ!という大きな音を立てます。その音はなんとも罪悪感をもたらす音ですが、そこはハインツ兄弟商会が音漏れのしないよう、もっと分厚い焼却炉を作ればいいだけです。それにこの燃料用お肉はお肉の騎士団との戦いで得られるものになりますし、そうなれば、お肉は全て死んで紫に縮こまっていることでしょう。あと、解決すべきは不気味さです。

 陸に上げても不気味ですが、水のなかで見るともっと不気味です。それにこの赤いお肉の粒々がいくつかが融合して、大柄な騎士鎧の肩から赤い大きな触手が生えていたことがあります。しかし、自然状態で不気味ですが、商品化すると不気味さがなくなるというものが、これまでまったく存在しなかったわけではありません。ナマズを考えてください。ぬるぬるして不気味な顔の魚ですが、フライになったら、カリッとしていて、キツネ色、身はさっぱり白くて、ビネガーなんかかけて食べたら、とても美味です。このお肉だって紙に包んでひとついくらで売れば、そう気にならないのではないでしょうか。

 わたしはエレンハイム嬢とロレンゾに、このことを見せ、商業的成功の可能性について議論させました(ミカ嬢は参加していません。彼女はどんな商業的成功にも参加できないほどの酩酊状態にありました)。発言をするのはエレンハイム嬢とロレンゾです。ただ、ロレンゾは忘れられがちですが、彼は本来無口です。そのため、燃料会社設立についてはエレンハイム嬢の独壇場です。エレンハイム嬢は彼女が思っている以上に市がケチであり、賞金を高くしそうにないので、現時点でできるお金儲けに関心を示しました。ただ、水中における協力者があとひとり欲しいところでした。協力者にミカ嬢は入りません。薬物耽溺者を計算に入れてはいけません。そこで、ジーノを潜水士として育てる案が出ましたが、ロレンゾが首をふりました。

「ジーノは泳げない」

 泳げない? わたしとエレンハイム嬢はあっけにとられました。この世界で、泳げない人間がまだ生きていたとは。確かに泳げない人間はかつてたくさんいましたが、水没によってほとんどが溺れ死にし、残り少ない人類はみな泳げるものと思っていました。

「でも、呼吸装置をつけて潜るんだから、カナヅチでも問題はないよ」

 エレンハイム嬢の言う通りです。ですが、ロレンゾはそれでも無理だというのです。水のなかでパニックになって、マスクを外して溺れ死ぬのが関の山だと。

 苦手なものを無理やりさせられる苦しみについてはよく分かっているつもりです。そういうことでしたら、ジーノを潜水士にすることはあきらめましょう。ここ最近、わたしは苦手な会話を無理やりさせられていて、もう十年分の会話をしてしまった気がしますが、自分がひどい目に遭ったから、他人もひどい目に遭えばいいなどと心の狭いことはいいません。

 ロレンゾはこのことをジーノは気にしているからきかなかったことにしてくれと言いました。店子の秘密を握った大家がどれだけ悪辣なものになるか知らないあたり、ロレンゾは純粋な心の持ち主のようです。では、わたしに何ができるでしょう? ジーノが弱いのは泳ぎばかりではありません。お酒にも弱いのです。泳ぎが苦手なのはひとりで溺死するだけですが、お酒の苦手は他人にも害を及ぼします。事実わたしは、泥酔したジーノに撃ち殺されそうになったのですから。ロレンゾ曰く、あそこまでいくには相当飲まないといけないと言うのですが。

 さて、アパートに戻り、燃料販売で所得を増やすことが善良な潜水士の生活にどんな豊かさをもたらすのかを考えながら、ソーセージを焼き、温めた蟹スタウトを飲み、自分の部屋で小説を書き、不本意ながら共有スペースとなった居間にて、沈黙が人類にもたらすアドヴァンテージについて考え、そして、寝ようとするわけですが、そこで我が家にまだ空き部屋があることを思い出しました。なんだか、嫌な予感がします。ここ最近、我が家の人口が爆発的に増えました。前年比四百パーセントです。これが百貨店の売上なら喜ぶべきところですが、実際は市の犯罪発生率のように、極めて憂慮すべきことです。

 しかし、神さまも、そろそろわたしをいじめることに飽きるころです。マスクを外して、歯を磨き、青と白のパジャマに着替えて、布団に潜り込み、明日、要塞地区をエレンハイム嬢たちと潜り、お肉をハンティングすることで、いずれはボビー・ハケットもこの街から旅立つのだけど、それは世界の善の総量増加に貢献する偉大なことなのだと思いつつ、うつらうつらしました。夢のなかでボビー・ハケットがわたしをステージに呼んで、わたしの手を握り、『きみのおかげでツアーが続けられそうだ。なにかリクエストはあるかい?』ときくので、すっかり感激したわたしは『ラブ・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・コーナー』をお願いしたのですが、ワン・ツー・スリーで演奏が始まるそのとき、ノックの音で目が覚めました。

 わたしはマスクをつけながら、追撃紋の騎士の手紙筒はどんな闖入者を連れてくるのかワクワクしていました(もちろんこれは皮肉です)。そろそろ本物の騎士がやってくるかもしれないな、と思いつつ、居間に出て、くぷーくぷー眠っているエレンハイム嬢と泥酔していびきをかいているジーノのどちらを叩き起こそうか考えていると、ドアの向こうから大音声がきこえてきました。

「ここを開けられい! 我輩は遍歴の騎士ジグ・ジッキンゲン!」

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