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昔、ボトル・シティにはひとつの大きな犯罪組織がありました。
そのボスはエグバート・エインズリーという名で〈提督〉というあだ名を持っていたそうです。
政治家と判事と警察署長は彼のもので、賭博と売春で大きな利益を上げていて、ボトル・シティの上流社会にも顔がきく、古き良き時代の、本物のボスだったとのことです。
〈提督〉がボスだったとき、ロブ・ロイ・ジェファーソンは彼に使われる弁護士のひとりで、ギャヴィストン一家は〈提督〉に密造酒を買ってもらっていて、ビリオネア・ジョーはただのジョー、小僧っ子で〈提督〉の屋敷のメッセンジャー・ボーイに過ぎませんでした(〈提督〉は電話を嫌っていました。受話器から発せられる電波が痴呆症を促進すると信じていたのです)。
1913年5月5日、〈提督〉の用心棒を勤めていた警官たちをジェファーソン弁護士が買収して家に帰らせ、ただのジョーは屋敷の裏口のドアの鍵を外し、リヴォルヴァーとショットガンで武装したピートとジムたちが押し入って、庭に面するテラスで株価新聞を読んでいた〈提督〉を蜂の巣にしてしまいます。
こうして〈提督〉が支配するひとつの組織は三つの犯罪組織に分かれたわけですが、〈提督〉にはたくさんの子どもがいました。正妻以外にもたくさんのお妾さんがいたのです。五十人以上の私生児たちのうち、父親の仇を討とうとする気概のあるのはふたりだけ。女殺し屋で自分で高利貸しもやっていたアニエッタ・フェリーの双子、ジーノとロレンゾだけでした。
〈提督〉の仇は戦艦ではなく運搬船がとったわけです。
こうして、ジーノとロレンゾはボトル・シティ暗黒街に大きな地位を獲得しました。
わたしも人並みにギャングのボスというものは知っているつもりです。ボスと呼ばれる人種は政治的だろうが学業的だろうが犯罪的だろうが、大きな屋敷に住むものです。こんな小さなアパートメントではありません。そういえば大学地区にいい物件があります。マスク職人の店に行ったときに見つけたのですが、大きな車庫もありますし、二階を取り巻く鋳鉄製のバルコニーもいい感じですし、何より正面玄関の神殿風の柱廊が大変よろしいです。まさにギャングのボスの家です。わたしはその物件案内書をさりげなくふたりの目に入るように置きましたが、いつまで経っても引っ越す様子を見せません。それどころか「家はこのくらいがちょうどいい」とか言い出しています。
ギャング映画はいくつか見たことがあります。映画のなかで主人公のギャングが敵のギャングにマシンガンで襲われるシーンがあると、そこには必ず巻き添えを食う民間人がいるのです。バーテンダーだったり郵便局員だったりします。いまのところ潜水士が巻き込まれる映画は見たことはありませんが、もし、善良な潜水士が巻き添えを食う事件があれば、映画製作者は今度の映画では潜水士を巻き添えにしてやろうと言い出すかもしれません。事件が映画を真似るのではありません。映画が事件を真似るのです。
しかし、今回の事件ではふたりにいろいろお世話になっているので、出ていけとは言えません。お世話になっていなくても言えません。エレンハイム嬢は今回助けてもらった恩がわたしにありますが、ジーノとロレンゾにもあるので、わたしの筆頭会話代行人として、出ていけと発言することはできないでしょう。
つまり、わたしの苦労は続くということです。
彼らに比べるとミカ嬢は立派です。アンドレアス伯父が遺した騎士の追撃紋の円筒を持ってきて、ここに住まわせろなんていわず、自分で寝床を見つけて、愉快に暮らしています。麻薬に耽溺する悪い習慣はありますが、その自立の精神は見習ってもらいたいものです。
さて、あの殺人事件騒動から二週間が経過したころ、わたしはサルベージに励んでおりました。場所はエディ・カールソンの店から十分ほど東へ行ったところです。今回は獲物が指定されています。馬鹿な金持ちが高級車を暴走させて、世界は自分を中心にまわっていると思っていたのですが、どうも商業地区の南にある岸辺にてスリップして、本当に世界が彼を中心にぐるぐるまわって、海に突っ込んでしまいました。金持ちは何とか逃げ出して、化け物やサメにかじられることなく、陸地に這い上がれましたが、高級車は完全に水没してしまいました。
その車のボンネットについたエンブレムを折って、持ってきてほしいというのが、今回の指定サルベージです。そのエンブレムは棹立ちした馬の形をしていて、それを持っていくだけで三百ドルというのですから、お金持ちはお金の使い方を分かっていません。もちろん、報酬が多額なのはいいことですが。
商業地区の南は低い建物が続く水域でギリギリ屋上だけ陸に上がっているのもあれば、しっかり沈んだものもあります。個人商店や安い建売が藻に包まれ、油みたいにぬらぬらした丸っこい魚が缶詰売り場のカウンターで重たげに鰓を動かしています。金持ちの車はどれだけの速度を出していたのか、道から離れた水のなかに沈んでいました。エンブレムの馬の胴体がちょっと曲がっていましたが、ちゃんとあります。これは保険絡みの依頼なので、エンブレムについては別に曲がっていなくても問題はありません。これが外れていたら、付近の底を洗うように調べないといけませんので運がよかったです。
そのとき、ぶおん、という音が響きました。それは東の、ふたつの通りが交差して、坂道へ下っていくほうからきこえました。その先は要塞地区です。六百年以上前に作られた騎士たちの要塞があり、低地のせいでその地区は完全に水没しています。
ぶおおん。
また、きこえます。重い笛の音のようです。
どうも嫌な感じです。ちぎれた藻のただよう水のなかで笛の音を響かせるものがただの人間なわけはありません。何がいるのか好奇心がありますが、潜水士がまず最初に捨てるべき感情はまさにその好奇心です。見る必要もないものを見に行って死んだ潜水士は大勢いるのです。
しかし、好奇心を発揮せずとも、トラブルはやってくるときはやってきます。大きな角笛ホルンを先頭に、鎧の騎士たちがぞろぞろあらわれたときはわたしは必死に逃げました。足ヒレで水を思いきり、後ろへ蹴って、まるで魚雷みたいに逃げました。やはり簡単過ぎる仕事は疑ってかかるべきなのです。
水のなかで動く騎士の亡者。その騎士の中身が幽霊で、鎧だけが怨念で動いているのなら――いいということはありませんが、まだ我慢できます。しかし、あの騎士たちのなかにあるのは怨念ではなく、小さな赤くて丸っこい肉の溶け合った集合体でした。その赤い粒々のお肉が鎧の隙間や兜の顔の部分から漏れだしているのが、もう気持ち悪くてしょうがありません。つい、このあいだ、嫌な生物実験の成果を見たばかりです。これで生物学や化学に対する印象を悪くするなというのが無理です。
これはエレンハイム嬢向けの仕事です。その夜、エレンハイム嬢にたずねましたが、まだ、あの粒々お肉騎士団の賞金が設定されていないので彼らのために指一本動かすつもりはないとのことでした。ただ、わたしが言った通りの化け物たちなら、賞金がかけられ、どんどん吊り上がるので、しばらくは放っておくつもりとのことでした。これでは、しばらくはあのあたりで潜れそうにありません。
いっそ、わたしも賞金稼ぎに鞍替えしましょうか。
これは冗談ではなく、本気で考えていることです。
というのも、要塞地区のそばを通る旅客船が運航停止になっているからです。ボビー・ハケットは南部の街へ演奏に行く予定なのが、丸くてぷにぷにしたお肉の集合体が悪さをするせいで旅立てないのです。
言っておきますが、わたしは彼をずっとここに縛りつけようなんて心の狭いことはいいません。このろくでもない世界を輝きの福音で救う偉大な旅をわたしは魂まで捧げて応援します。そして、わたしの潜水士としての技量で要塞問題に挑むのは魂を捧げるよりずっと簡単です。わたしの魂とはそれほどすごいもので、その魂を捧げる対象であるボビー・ハケットはもっとすごいのです。




