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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと色彩の女神
40/111

40

 車は工場地区へと走っていきます。大きな入り江に地獄がありました。ギャヴィストン一家の〈連合州コンフェデレート・ステーツ〉にジェファーソン弁護士の蒸気船とビリオネア・ジョーの捕鯨船が突っ込んでいて、そこから絶えまない銃声がきこえてきます。

「考えてみたのですがね」とカルバハル弁護士はモーターボートに転がされたエレンハイム嬢を見ながら言いました。「この少女は念のため生かすのは分かりますが、あなたまで生かすのはいくらジェファーソン弁護士の要望でも理解できません。だから、ロングストリート弁護士とショートアヴェニュー弁護士にあなたをここで殺させることにしました。悪しからず」

 嫌です。呪って化けて出てやります。

 ロングストリート弁護士が銃をわたしの頭に向けると、葉巻をくわえた小粋な口が破裂しました。ジーノが撃ちながら、こちらにやってきます。さらにロレンゾの投げナイフがショートアヴェニュー弁護士の首に深々と刺さり、倒れて大きな体をジタバタさせました。カルバハル弁護士はモーターボートを始動させて、水の上を跳ねるように逃げ、ジーノはそれを撃とうとしますが、わたしは、

「駄目だ! エレンハイム嬢がいる!」

 と、自分でもびっくりするくらいの大声で叫びました。

 ロレンゾはすでに近くにあった小さな漁船を盗む算段をつけていて、わたしたちに乗るよう促します。しかし、この船は蟹取り籠でいっぱいの鈍足船でモーターボートに追いつけそうにありません。

「カルバハルが陸にいるってきいたから、ちょっとやつの事務所から金を分捕るつもりだった。それでつけてたら、あんたとあのお嬢さんが連れてかれるところに出くわして、追いかけたんだ」

 ロレンゾが針路を水の上の地獄へとあわせるために舵輪をまわします。

「そうしたら、あんたは殺されそうになってて、水の上じゃあ面白いパーティの真っ最中だ。復讐ついでにお嬢ちゃんも救っちまおう!」

 島も船も燃え上がっています。

 その毒々しい赤い炎が黒い水面に映って、禍々しさが二倍です。またまたさらわれたエレンハイム嬢ですが、さらわれた女の子を助けにいくのは男子の本懐ということでしょうか? わたしはフェリー兄弟に丸投げしたい気分でしたが、ジーノはわたしの家から持ってきたのか六連発水中銃を持たせました。これは水上でも使えないことはありませんが、威力は落ちます。でも、ないよりはマシでしょうか。

 ロレンゾは〈ステーツ〉の岸辺をまわります。木の枝から垂れるカーテンのようなコケが燃え上がり、それがジェファーソン弁護士の蒸気船に燃え移っていました。蒸気船と桟橋で頻繁に銃火が交わされ、人がバタバタ倒れていきます。

 やっとのことでまだ燃えていない桟橋を見つけて、そこに船をつけると、さっそくジーノがひとり撃ち殺しました。灰色の髭の弁護士です。大きなショットガンを手から落として、コケが絡んだ茂みのなかに背中から倒れています。そこらじゅうが死体だらけでした。頭の吹っ飛んだ黒人が木彫りのブランコの板の上に力なく座り、両ひざから下をなくしたピートかジムがめらめら燃えていて、弁護士ガンマンは棍棒で頭を叩き割られ、手の位置と握っていたものから判断して、死の直前まで、法令をぎっちり覚え込んだ脳みそをかき集めようとしていたようです。

 屋敷のほうではまだ銃撃戦の真っ最中でとてもではありませんが、そこを突っ切ることはできません。そこで死体から機関銃を二丁拾い上げたジーノが屋敷の表で暴れるから、そのあいだにわたしとロレンゾが裏手から入り、エレンハイム嬢を探すことになりました。汚れた音楽堂と撃ち殺されたワニがひっくり返った小道をゆき、ジーノの高笑いと銃声をききながら、屋敷の裏手に行くと、厨房に通じるドアがあり、そこには以前精肉市場で見かけたふたりの黒人の老殺し屋の死体がどちらも正面から頭を斧で叩き割られて死んでいました。すぐにギャヴィストンの怒れる斧男が厨房で待ち伏せしていると知れたので、ロレンゾがドアのすぐ横の板壁を手持ちのナイフで最も細く鋭く長いもので刺しました。手ごたえがあったらしく、ロレンゾがナイフを抜くと、延髄から血を吹きながら斧男が倒れてきました。

 厨房には様々な鳥が梁からぶら下がっていて、コンロの鍋には魚チャウダーが沸騰していました。コンロのなかには弁護士ガンマンがひとり頭を突っ込んで燃えています。

 夕暮れどきの薄暗い食堂を死体に躓かないように抜けて、それに鹿の剥製の角の上に落ちた死体を見ないようにして大広間へ。十数体の死体。まだ生きているのが二体。ロレンゾが言うには、いびきのような息をしているので、あと三十秒の命ということです。

 わたしたちの考えでは蒸気船は炎上していて、カルバハル弁護士のボートはずいぶん離れたところにありました。弁護士ガンマンも黒人ギャングもこの屋敷を目指しています。カルバハル弁護士はエレンハイム嬢を引っぱって、ここにいるほうに賭けてみたのですが、それがどう出るかは分かりません。

 それと大広間ですが、玄関には近づかないよう気をつけます。ジーノの撃った弾が何発も飛んでくるからです。ちらりと見た限り、ジーノは二丁の機関銃を有効活用していて、木や噴水に隠れたギャングたちを次々と薙ぎ倒しています。

 正面の階段で二階へ。蜘蛛の巣を張った家具や汚れたシーツ、そして、またしても死体。

 ホレイショ・ギャヴィストンの書斎がある部屋から声がします。

「裏切ったのか! カルバハル! この――」

 十数丁の銃が一度に弾丸を放ち、ロブ・ロイ・ジェファーソンは戸口から飛んできて、ゴムのボールみたいに弾んで倒れました。

 弁護士の顧問弁護士という複雑な立場について、カルバハル弁護士にも思うところがあったようです。

 ビリオネア・ジョーの低い声がします。

「これで次はお前だな、ギャヴィストン。車椅子のじいさんを殺すのは忍びないが、お前とお前の先祖がおれたち黒人にしてきたことを考えれば、それも仕方がないってもんだ。だろ?」

「殺すなら殺すがいい。だが、ギャヴィストンは決してあきらめない」

 どうもビリオネア・ジョーの手下はナイフでゆっくりホレイショ・ギャヴィストンを切り刻むつもりだったようです。すぐに銃で撃ち殺していれば、ビリオネア・ジョーは抗争唯一の勝者として君臨できたことでしょう。ホレイショ・ギャヴィストンの車椅子には毛布がかかっていたので分からなかったのでしょうが、重機関銃が隠してありました。下半身不随でも手元の引き金を引けば、銃は発射されます。検死医たちは脛を弾丸で断ち切られ、倒れてから顔、首、胴を蜂の巣にされたビリオネア・ジョーと手下たち、それにカルバハル弁護士の死体を見るハメになったわけです。

 わたしとロレンゾはふたりがかりで廊下のソファを縦に持ち上げて、部屋に飛び込みました。けたたましい機関銃の発射音と弾丸が刺さってふるえるソファ。綿が飛び散って、木組が裂けました。そのまま、ホレイショ・ギャヴィストンにぶつかると、車椅子のストッパーが割れて飛び散り、機関銃の反動そのままにホレイショ・ギャヴィストンの車椅子は後ろへ走り、ベランダを壊して、落ちていきました。パキッとホレイショ・ギャヴィストンの頭が卵の殻のように割れる音。

 エレンハイム嬢は何か薬を打たれているのか、気絶したままでした。彼女が助かったのは、カルバハル弁護士が撃たれたとき、そばにあるソファの上に倒れたからでした。そのため、機関銃の高さより上で気を失っていられたわけです。

「おれは彼女を運ぼう。船も調達してくる。あんたはジーノと合流してくれ」

 ジーノはちょうど弾を使い切ったところでした。エレンハイム嬢を救出したこと、ジェファーソン弁護士、ビリオネア・ジョー、ホレイショ・ギャヴィストンの三人が死んだことを教えました。

「復讐達成だな」

 復讐。わたしは以前、あの三人がロレンゾを使い、それを裏切って殺そうとしたのだと思っていましたが、それは噂に便乗してついた嘘に過ぎず、死体だらけの並木道を歩きながら、復讐についての『とっておきばっちりの真実』を教えようと言ってくれていますが、わたしはあまり興味はありません。はやくかえって、熱いシャワーを浴びたいものです。

 ジーノが『とっておきばっちりの真実』を口にしようとした瞬間でした。

 銃弾がジーノをシダの茂みへ吹っ飛ばしました。

「逃亡禁止法は知っているよな?」

 細い葉巻をくゆらせ、弾の切れた銃をホルスターにしまい、左手に握った銃身の長い銃をゆっくり持ち上げて、わたしを狙います。

「逃げろ、潜水士」

 ルシオ警部は笑いました。目が笑っていないのにそれ以外の部品全てが大笑いの形態をとる顔というものは恐怖そのものです。撃鉄が上がる硬質な音がします。逃げても逃げなくても結果は大して変わりません。面と向かって撃たれるか、背中から撃たれるかの違いがあるだけです。

 もう一度、少し遠くで撃鉄が上がる音がしたとき、警部は素早く反応し、右足を軸にして振り返りました。しかし、間に合いませんでした。フランク・アンシュターの放った弾は警部の顔に命中し、警部はコマみたいにくるくるまわって、背中から倒れました。

 とっさに地面を転がると、弾がまわりで飛び跳ねます。このまま、安全圏まで転がっていけるかと思いますが、何かにぶつかり動きが止まりました。ルシオ警部です。左目があるはずの場所には大きな穴が貫通していて、その穴の向こうで弾を込めながら、ヒヒヒと笑って歩いてくるフランク・アンシュターが見えました。ルシオ警部の顔に開いた穴へ水中銃の銃身を突っ込み、引き金を引きます。ぎゃあ、と声がして、フランク・アンシュターが倒れました。左目に銛型の弾丸が刺さっています。空気中での発射で貫通力が落ちていたので、フランク・アンシュターはまだ生きていました。

 フローレンスの従弟が言っていた、第三の男の名前を吐かせるか、あるいはここで見せた思わぬ残虐性から実はフランク・アンシュターこそが全ての黒幕ではないかとも思い始めているところです。ルシオ警部が善良な潜水士を暗殺者と勘違いしたまま、犯罪者皆殺し症候群を発症させなければ、フランクから真相をきき出すこともできたでしょう。暴力に偏り過ぎているとはいえ、ルシオ警部は犯罪者と会話する専門家です。

 長々と相手の罪を告白させる話術はわたしにはありません。なので、死んだと思っていたジーノが左肩の貫通銃創をネクタイで縛りながら、立ち上がったときは彼を筆頭会話代行人に任じることに何の反対もありませんでした。

 わたしは倒れて泣きわめいているフランク・アンシュターを顎で指しました。ジーノは少し痛そうな顔をしながら、うんとうなずき、彼のそばへと歩いていきました。

 そして、わたしが刺した小さな銛を足で踏みつけ、その切っ先は脳に達し、フランク・アンシュターは電気でも流されたみたいにひくついてから死んでしまいました。ジーノはそれでもまだ気が済まなかったらしく、自分の銃で六発、顔に撃ち込みます。

 こうして事件は迷宮入りとなったわけです。

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