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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと色彩の女神
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 ボトル・シティは船乗りや水兵、無頼漢には事欠かない街でしたから、入れ墨屋が多いのですが、そのほとんどが観光地区に集中しています。潰れた遊園地のそばに龍や拳銃などの図案をベタベタくっつけた入れ墨パーラーが並んでいて、ちょっとした行列ができています。横入りできるような雰囲気ではなかったですが、時間もないので、怒号が上がるなか、店へ無理やり入りました。そこでは入れ墨職人の老人が、つるつるに頭が禿げた、サーカスの力持ち男みたいな男の太い腕にいまにもちぎれそうな蛇の絵を巻きつかせているところでした。

「順番を待てないのかよ?」

「この入れ墨についてボクらに教えてくれたら、すぐに消えるさ」

 職人はちらりと紙を見て、

「わしじゃねえ」

「そんなちょっと見ただけで分かるの?」

「そんな簡単な図柄で、金はとれん。チープ・ベンダーのところにいけ」

「チープ・ベンダー?」

「この通りの墨屋で客がひとりもいないのがある。そこだ」

 チープ・ベンダーの図案はどれもセピア色で、もう入れ墨はしていません。では、どうやって生計を立てているかというと、奥の部屋をサイコロ賭博と密造酒の店にしていました。その場所代でそれなりに暮らせるようです。

「墨はいれないぞ。まあ、おでこに地獄って入れていいならやるけど」

「これ。あなたのだよね」

 チープ・ベンダーはラジオから流れる騒音みたいなジャズをききながら、キューピッドの紙を取った。

「形が歪んでるな」

「その人、入れ墨をした後、かなり太ってる」

「ああ、分かった。サム・ウェストブルックだ。おれの最初の客だからすぐに名前が出た。お前ら、運がいいな。じゃあ、とっとと失せな」

「待ってくれ。そのサム・ウェストブルックとはどこに行けば、会える?」

「知るかよ。ケーサツにきけよ」

 確かに警察に調べてもらうのが一番かもしれません。あの変態男優はハードコア・ポルノ出演以外にも何かの前科がある気がします。スキッドモア・ストリートを横断して、旧市街の警察署に行くと、刑事たちはわたしがこれから四十八時間、生きていられるかどうかの賭けをしていました。くたばる1に対して、生き残るが34。ちょっと目を離したら、オッズは1対36になっていました。

「賭けとして成立しない」ルシオ警部は細い葉巻をくわえて、机に座り、両手の親指をガンベルトとお腹のあいだに突っ込んでいます。「それで何のようだ?」

 わたしの筆頭会話代行人が言います。「サム・ウェストブルック、って男の詳しい情報が知りたい」

「そいつは何をやった? あるいはやったと疑っている?」

「ハードコア・ポルノに出演していた。幼い女の子の人形をバラバラにする」

「クズめ。そうだ。これに署名してくれ」

 警部はたくさんの名前がびっしり書かれたリストをわたしたちに見せました。

「これはなに?」

「逃亡禁止法復活のための署名運動をしている」

「留置場の人たちにはひとり何回署名させたの?」

「ほんの七回だ」

「よく協力したもんだ」

「みな秩序ある社会の構築を目指している」

 よく見ると、血の跡がついています。クリップボードにめりこんでいる白いもの、これは、まさか歯でしょうか?

 わたしとエレンハイム嬢は署名はしました。フェリー兄弟は仕事があるからと別行動になりましたが、確かに彼らの生業を考えると警察署にはいきません。

「署名は一度だけか。まあ、いいだろう。サム・ウェストブルックという変態については記録係に調べさせよう。ただ、水没直後のものは並びが完全にバラバラだから、かなり時間がかかる。お前らはそいつがフローレンス・アンシュターを殺したと思ってるのか?」

「それは分からないけど、重要参考人ってとこかな」

「重要参考人、か。だが、そいつは幼い女の子と裸で映っていた。人形とはいえ、小さな女の子をナイフでバラバラにした。住所が分かったら、そいつと会うんだろ?」

「そのつもり」

「よし」と、警部は葉巻を灰皿に押しつけます。「その変態野郎がアンシュター殺しの犯人だろうがなかろうが、関係ない。見つけたら、おれのところに連れてこい」

 セサール・ルシオ警部との話し合いは精神を削ります。ボール紙から飛び出す書類の柱を避けながら、刑事部屋から抜け出ようとすると、辛子色の煙が濃い、手作り煙草を吸う警官たちが世間話をしています。ビリオネア・ジョーの手下がギャヴィストン一家のチンピラを三人撃ち殺して、見せしめに電柱に打ちつけたそうです。ギャヴィストンのピートとジムはロブ・ロイ・ジェファーソンの手下の弁護士がやっている事務所に十二ポンド砲をぶち込み、ふたり死亡、ひとりが体じゅうの血液の半分を失う重傷から奇跡のカムバック。

「もうじき、抗争も行くべきところに行くな」

「警部はたとえひとりでも乗り込むって言ってる」

「巻き添えは嫌だなあ」

「クズどもが殺し合って、共倒れになれば、こっちの仕事は上がったりだ」

 刑事たちの目はそのクズどもにわたしをカウントしているようです。一刻もはやく自身に課せられた殺人容疑を引っぺがし、誰の用にもならない水のなかの砂地に埋めてしまわないといけません。

 ところが、警察署の前で厄介なことになりました。大きな黒塗りの自動車があらわれて、そのなかからロブ・ロイ・ジェファーソンの弁護士兼ガンマンたちがあらわれたのです。アレッサンドロ・カルバハル弁護士が乗るように促し、彼の直属の部下である背の低いロングストリート弁護士と長身のショートアヴェニュー弁護士が近寄りますが、エレンハイム嬢は素直に従うフリをして、足ヒレでロングストリート弁護士を蹴飛ばして、体勢を崩させてネクタイを引っぱり、そのまま、ショートアヴェニュー弁護士にぶつけました。エレンハイム嬢の格闘術に対して、非常に好印象が持てますが、それもここまででした。警察署の前にいた買収済みの警官が彼女の首を後ろから銃のストックで殴って気絶させると、カルバハル弁護士もわたしに銃をつきつけて、車に押し込みました。車のドアはしめられ、ロングストリート弁護士とショートアヴェニュー弁護士が左右のステップに乗って、自動車の外につかまります。

「ジェファーソン氏はしびれをきらしたのですよ」カルバハル弁護士が言いました。「あなたを処分することに決めました。ただ、その前に、ビリオネア・ジョーとギャヴィストンを片づけます。あなたにはそれを見届けてもらおうというわけですよ。それとあなたの膝の上で気を失っているお嬢さんですが、彼女がかくまっていたお友達の居場所。カール・グスタフ劇場でしょう? ニシキゴイを他の肉食魚からかくまえる、水没した建物。そして、人間の友人が訪れることができる空気の部屋がある。実は有罪判決を受けた連中を隠す場所として水中の部屋を考えたことがあって、空気のたまった部屋について、調べたことがあります。それで割り出したのです。もっとはやく気づいてれば。まったく、耄碌しましたよ」

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