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美人局で身ぐるみ剝がされた歌手。容疑者にはもってこいな気がしますが、エレンハイム嬢は街を出たという話を信じているようです。それに、なぜ一年前の復讐を今するのかも分かりません。身ぐるみひとつの夜逃げですが、一年もすれば、逃げた先の街での暮らしも最低ながら出来上がってきているころです。その暮らしを捨ててまでして殺すほどの価値がフローレンス・アンシュターにあるでしょうか? もし、逃げた先の暮らしが悲惨なものであれば、どうか? その場合はまず旅行費用を捻出できませんから、ボトル・シティにやってくることができるか怪しいです。
それよりもなによりも、スマッツ・カーター氏は元妻に慰謝料の形で多額の借金があります。これは殺人罪で捕まるよりもタチの悪いことです。殺人罪で捕まったら、牢屋に閉じ込められるだけですが、妻からの借金ならちょっと想像ができない凄まじい環境の仕事場にぶち込まれます。そのリスクを冒してまで、ボトル・シティへ帰ってくるかどうか。どうも、わたしはスマッツ・カーター氏が犯人の説に飛びつけないようです。
結局、今日の成果は職場といきつけの店で大量殺戮、美人局の被害者二号は夜逃げ、一号は再訪する価値があるように思えます。
「でも、もう一度、ハンカチを顔にのせて、仰向けになっていて、もう死体のふりして眠るのはいいですよ、と思ったら、死んでいるっていうのが推理小説でよくあるんですけど」
結論から言うと、マストロパオロス氏は死んでいませんでした。あれだけあった絨毯の在庫がきれいさっぱりなくなっていて、ちょうど仕事が終わったところだとわたしたちを出迎え、それまで絨毯に隠れていた小さな事務所へわたしたちを迎え入れてくれました。
「全部販売委託しただけなんだ。半分以上は一か月以内に戻ってくる」
シャツの上にセーターを着たマストロパオロス氏は道で拾ったものに手をくわえて、新品同様にしたという椅子に腰かけました。
「お客用の椅子はもちろん買ったものだよ」
それでもお尻のクッションの具合からすると、マストロパオロス氏は綿を入れなおしているようでした。この水浸しの、いつ水没するか分からない最低な世界のなかで、少しでも快適に過ごす努力と希望を捨てない、強い意志をお尻のクッションから感じます。
マストロパオロス氏はフローレンス・アンシュターの美人局被害者で唯一事情をきける人です(他の方は警察の記録にありません。切り抜かれていました。記録係の警官は大儲けをしたことでしょう)。そして、今日、うろついた限り、フローレンス・アンシュターには従弟がいて、その従弟とフランク・アンシュターは仲が良い、という情報がいま手元にあります。共犯で従弟がどうこうした話はありませんが、一応、これについてきいてみます。というより、きいてみるようエレンハイム嬢に目でお願いします。
「いや、僕のときは彼女と彼女の夫しかいなかったよ。警察署でも確認した。従弟とかではなかったと思う」
「もうひとりの被害者は奥さんに詰められて、街を逃げた」
「まあ、そういうこともあるだろうね。僕もバレたときは妻にさんざん殴られたけど、もうしないからと這いつくばったら許してくれたよ。絨毯商の杵柄ってやつでね。ほら、お客を前に絨毯を床に広げて見せるだろう? あれは地面を這いつくばって許しを請う姿勢に近い。だから、ね?」
「ええと、それは男としての意地みたいな問題では?」
「僕にも男の意地はある。男たるもの、どんなときも女性を立てるべきだ。ね?」
「あー」
「僕はこの考え方のおかげで、五人の女性と同時にお付き合いできている。もちろん、妻を除いた数で五人だよ」
推理小説を読んでいなくても、この人が本当にいつか殺されてしまいそうな気がしてきます。




