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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと色彩の女神
33/111

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 さて、最後は美人局の被害者二号です。住所は工場地区。ペンバートン通りに住むスマッツ・カーターという三流どころの歌手のようです。旧市街を経由するバスがありますので、それに乗り、四角い顔の乗客が、自分がいかにして半魚人になった義理の弟をぶちのめして一族の名誉を守ったかをえんえんとわめき続けるのをききながら、工場地区のジョンストン通りでバスを降りました。あの義理の弟をぶちのめした男性はそのまま終点まで行くつもりらしく、他の乗客のうんざりした顔を見ると心が痛みました。

 数字に蛍光材を仕込んである腕時計の短針が三を指しています。廃工場の煙突の、高く暗い影に不景気が染みついているようです。時間旅行装置の実用化を考えている発明家の作業場から浴びると生物としての組成が変わってしまいそうな青い光が漏れています。このあたりには体の半分が紫色の結晶と化して足を引きずって歩く不機嫌な人びとが住んでいて、科学の進歩に犠牲が必要なのは分かるが、他のやつではダメだったのかと言いたげにこちらを睨んできます。

 そこから南に通りを下り、道の真ん中に開いた水深五メートルの穴を避け、水深十七メートルの穴では渡し板の上を歩き、「この売女ばいた!」という叫び声の後に鳴った銃声と、銃声の後のギエーッ!という断末魔の叫び、それに粉々に砕けた水晶らしきものが二階の窓から流れ落ちるさらさらという音をきき、ここにいる人たちは弁護士よりも温厚な人たちなんだなと思いながら、ペンバートン通りの角を東に曲がります。

 傾いたアパートがよりかかりあった狭い道を抜けた先に映画館が一軒あって、その隣に一軒家があります。ペンバートン通り三十四番地。そこが美人局の被害者二号、スマッツ・カーターの家です。ドアをノックしたら、蝶番が外れて、戸が倒れて、屋根が抜けたスッカラカンの居間が見えてきました。家具の類はなく、スレート瓦の割れたのが床に敷かれ、壁の反対側には錆びて歪んだ自転車の山ができています。三流どころの歌手は高所得には程遠い職業ですが、懐かしの歌のレパートリーが八曲くらいあれば、酒場をめぐって最低限の衣食住は確保できます。

 そのとき、まるで家はわたしたちを待っていたかのように、全ての壁が内側に、次々と倒れて、屋根が抜けた廃屋はあらためてゴミの山が積もる空き地になりました。この能力を生かして宅地開発業者に就職できるかもしれません。

「わ! びっくりした!」

 見ると、作業用の前掛けをつけた映写技師らしい男性が映画館のドアから姿をちょっと見せています。

「カーターさんに用がある人なんてここしばらく誰もいなかったもので。すいません」

 話しかけてきていますね。さあ、ほら、会話してください。

「ここはスマッツ・カーターさんの家、だよね?」

「ええ、一年くらい前まではそうでした」

「というと?」

「カーターさんは浮気のことで奥さんに慰謝料を支払うことになって、家具とか一切合財を売って、逃げてしまったんです」

「それって美人局?」

「さあ、そこまでは知りませんが……」

「えーと。ここに誰か来たりしませんでした? たとえば、女の人とか」

「いいえ。誰も来てませんね。おふたりはカーターさんのお知り合いですか?」

「まあ、知り合いというか、なんというか。ある弁護士に雇われていて、カーターさんが美人局の被害者として払い戻し金があるかもしれないんで、本人からそのことをききたいんだけど」

 こういうふうにさらっと嘘をつけることはすごいことです。いえ、皮肉ではなく。

「うーん。おれも、あまり付き合いがあったわけじゃあなかったですから。一応、うちの映画はトーキーでしたし。それにそんなお金が入っても、すぐに元奥さんにとられちゃうんじゃないですか?」

「そうか。ありがとう。お邪魔しました」

 一応、カーター氏の奥方は「もし、あのろくでなしが帰ってきたら」と連絡先を映写技師に渡していましたので、わたしたちも写させてもらいました。

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