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次はいきつけの店です。〈ディニーズ〉というバーで、これも新港湾地区にあります。黒人たちの捕鯨船が帰ってくる汽笛が包み込むような低音で響いてくる場所にあって、客層は黒人と白人が半分半分。魚のフライを主に出していますが、奮発すればポークチョップも食べられます。
ところで客層が黒人と白人が半分半分と言いましたが、正確に言うと、黒人ギャングと白人ギャングが半分半分です。あの警察資料も意地が悪いです。ギャングのたまり場ならそうと書いてくれればいいのに。それともそんなことも知らないほど、ボトル・シティ市警は無能なのでしょうか?
いえ、そうじゃありません。店がそういう記録を残さないよう賄賂を払っているのでしょう。罪深いことです。
エレンハイム嬢がフランク・アンシュターのことは知っているかと黒人の店主にたずねました。太い腕にブルドッグの入れ墨をした人間にものをたずねるときはできるだけざっくばらんに、ご機嫌な粗野といった調子で話しかけ、クリップで止めて丸めた札束をちょっと見せるのがコツです。自分をボクと称する女の子が話しかける場合、第一印象が大切です。
「お前、馬鹿にしてるのか?」
「いま、ボクが言ったことのどこかに馬鹿にしてるような言葉があった?」
「そら、その話し方だ。自分がお偉い博士か何かみたいな話し方だ」
「ヘンリー。ボクの話し方に博士っぽいところはあったかな?」
わたしは首をふりました。話し方について、わたしに意見を求めるのは明らかに間違いであり、それは博士らしくない愚と言えます。しかし、そういう細かい事情をこの店主に教えることはできません。口頭での説明を求められるのは火を見るよりも明らかです。蟹に食べられたほうがマシというものです。
エレンハイム嬢が話せば話すほど、事態はよろしくない方向へと転がっていきます。ここにいるのはみなギャング。ビリオネア・ジョーの手下と、たぶんジェファーソン弁護士かギャヴィストン一家と折り合いの悪い中小白人ギャング団。いってみれば、人を半殺しにする口実を探して一日の半分を過ごしているような人たちです。沈黙にも価値があることをエレンハイム嬢が理解していてくれればいいのですが。
店主がカウンターの下のショットガンのことを思い出し始めたところで、ひとりの客が店にやってきました。
「わたしはアレッサンドロ・カルバハル。ジェファーソン氏の顧問弁護士です」
弁護士に顧問弁護士という珍妙なポジションのことはこの際、置いておきましょう。ビリオネア・ジョーの手下とその同盟相手の白人ギャングがいることも置いておきましょう。白い髭をたくわえた小柄な老紳士がわたしとエレンハイム嬢をこのトラブルから引っこ抜いてくれるなら、彼の後ろにいる葉巻とパイプをくゆらせる弁護士らしいふたりの紳士のことも置いておきましょう。
カルバハル弁護士は後ろのふたりをジェファーソン弁護士の弁護団と呼びました。まだ世界が水没する前、大金持ちたちは弁護士を何人か束ねて、弁護団と呼び、法的弱者をひねりつぶしていたという伝説はきいたことがありましたが、その弁護団の現物を見るのは初めてです。なかなかの壮観です。カルバハル弁護士は葉巻をくわえている小柄な老人をロングストリート弁護士、パイプをくゆらせている長身の老人をショートアヴェニュー弁護士と紹介しました。どちらも知的な目をしていて、灰色の顎髭をたくわえ、高級ですが主張を抑制させた紳士らしい趣味の仕立ての服をまとって、ちょこんと山高帽をかぶっています。どちらも眼鏡をかけているのは弁護士の職業病で、夜遅くまで法令集を読み続けた結果でしょう。
「そのふたりに対して、きみがカウンターの下に隠したショットガンをちらりとでも見せると、七つの罪状がきみを待っている。行動に移す前にそのことを知っていてもらいたい」
店主の腕のブルドッグが少し、しぼんだ気がします。
「とっとと出ていきな」
いまや法的弱者になったブルドッグ氏はなんとかそう言いましたが、負け惜しみの感が否めません。法律はやはり力なのです。こんな水没世界の無秩序でも例外ではありません。
「ありがとう」
わたしは口にしました。きちんとお礼をしました。ヘンリー・ギフトレスはしゃべるのは嫌いですが、義理を欠かしたりしません。
「構いませんよ。ジェファーソン氏はあなたがフローレンス・アンシュター殺害事件に巻き込まれることをよしとは思っていません。できるだけはやく解決されるべきと思っています。ところで、わたしたちには利害の一致があります。わたしたち弁護団がそれを証明いたしましょう」
平均年齢四十代以上の灰色髭の紳士たちがそばに止まっていた黒塗りの自動車から次々と出てきました。彼らがフロックコートのなかからショットガンと機関銃を取り出して、店に入っていくのを見たエレンハイム嬢が唖然として口を開けています。カルバハル弁護士はけたたましい銃声に負けない大声で、彼ら全員が弁護士資格を持っていて、水没前にロースクールで卒業証明書を取っていることを保証しました。ふたりの女給を含む、店のなかにいた全員が蜂の巣にされると、店主がブルドッグの入れ墨を入れた腕で這いつくばって歩道で力尽きました。
「何かききたいことがあったのでしょう? どうぞ」
「えーと。フランク・アンシュターについてききたいんだ――」
エレンハイム嬢は割と修羅場を潜り抜けてきたので、立ち直りがはやいですが、わたしは違います。こんな頭のおかしい出来事を目のあたりにして、冷静でいられるわけがありません。無口で表情に乏しいから顔に出ないだけであって、中身はパニックです。
銃身の長いリヴォルヴァーの二連射の音が通りの端から端まで響き渡り、店主の肩から上がきれいに吹き飛んでいました。
その場を後にしながら、エレンハイム嬢の話したところでは、フランク・アンシュターはあの店ではカモを物色することはしなかったそうです。足がつかないよう、あちこちの酒場にフローレンス・アンシュターを派遣していたと。ただ、フローレンス・アンシュターには従弟がいて、フランク・アンシュターはその従弟と仲が良く、姿を見せていたとのことです。名前は知りません。若い、ブロンドの男としか。それ以上は分かりませんでした。店主は何をきいても、救急車を呼んでくれ!の一点張りになってしまい、そこでカルバハル弁護士が頭に二発撃ち込んだのです。
それにしても、わたしの(と彼らが勝手に思っている)隠密裏に溺死させる手法は抗争に持ち込まずに相手を倒したいときに使うものでしょうが、先ほど見せてくれた大量虐殺は明らかに抗争を念頭に置いています。ジェファーソン弁護士の宗旨替えにはジーノの焚きつけがある気がします。ジーノはロレンゾがあの三人に使い捨てにされかけたことについて復讐を考えていたようですし、あの三つの組織が一度に倒れれば、彼のようなギャングスターにも勢力を伸ばすチャンスがあるというわけです。
これは悪くありません。三組織が一度に倒れれば、わたしとしては助かりますし、ジーノがギャングのボスになれば、もっと豪華な住居に住みたくなることでしょう。ジーノはきっと引っ越すはずです。




