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さて、困った問題がひとつ。
ニシキゴイを連れて、街を歩くと嫌でも注目されます。
わたしには辛い状況です。ニシキゴイにはエレンハイム嬢にとりつくのはどうかとそれとなく目で打診しましたが(ええ、そうですよ。陸において、わたしは魚にだって話しかけられないのです)、ニシキゴイはわたしに嫌がらせをすることの面白さに目覚めたのか、少しでも多くの人間がわたしに注目するよう、くるくるとわたしの頭の上を泳ぎます。すると、「おい、兄ちゃん。その魚、どうしたんだ?」と訪ねてきますので、わたしは必死の肩すくめでわたしも知らないし、困っているのだと教えようとします。こういうときこそ、エレンハイム嬢がわたしの代理人として、この謎の主従関係について説明すべきだと思うのですが、手を貸してくれません。わたしの前で誰かにわたしのことを話すことをわたしが嫌がっていると勘違いしているようです。今はそんなことはどうってことありません。わたしが危険な三つのギャングから殺し屋扱いされていることから、育ての親であるアンドレアス伯父に対する信用がほぼゼロになったこと、何でも話してください。声をかけられるより、ずっとマシですから。
もう、お昼ご飯を食べる時間ですが、旧市街には戻れず、ブレッキンリッジにすら到着していません。この浮遊する魚を連れて、店に入るのはあまり気が進みませんが、空腹のときに誰かに話しかけられることはひどく悲しいので、仕方なく、『清涼ソーダ 五セント』のプリントがあるキャンバス地のテントで食事をすることにしました。乱暴に蹴飛ばした痕がいくつも残るカウンターがひとつ、倒産したレストランから持ち込んだらしい不揃いのスツールが四つ、不機嫌そうなウェイトレスがひとり、さらに不機嫌そうな夫らしいコックがひとり(こういうコックは本物のハンバーグを焼くときでさえ、形を整えたりしません)。メニューは七セントの代用コーヒーと十セントのパンケーキ、十五セントのアザラシ・ハンバーガー(五セントの清涼ソーダはどこに行ったのでしょう?)。経営者夫婦は多様なビジネスモデルを展開していて、カウンターの端に、鉄パイプと廃材でつくった小さな棚を置いて、平らな缶入りの鎮痛剤や配管用錆び落とし、不細工な魔物らしき人形を売っていました。エレンハイム嬢曰く、これはクマなのだそうです。このぬいぐるみの作者はきっとクマに妻子を惨殺されたのでしょう。その怨念が製作活動に反映されています。もし、妻子はおろか、遠い親戚のおばさんもクマに殺されたことがなくて、この作品であれば、何かの新しい芸術かもしれません。見たものを見たまま作るのに飽きた芸術家たちがひねくれたガラクタをつくる運動はボトル・シティでも流行っていて、ヤカンをつくってイルカと呼び、イルカをつくってヤカンと呼びます。わたしは彼らが幼いころ頭を打って、物を認識する力が著しく損なわれたのではないかと思うのですが、珍しいものが好きなパトロンたちがこうしたガラクタを真の芸術と呼び、やたらチヤホヤするので、一定数の人間がこれで食っていけるのも事実です。ただ、トラバサミをチョコレートケーキだと言って、五歳の少年に渡そうとした男はリンチにかけられましたが。
雨が屋根に当たる音がして、透明なビニールの窓を水が滑り落ちています。三つしかないスツールの左端に座り、エレンハイム嬢には目でチラチラと右端に座るよう合図します。こういうことをすると、彼女はわたしの隣に座るのですが、蟹に食われた天使もたまにはわたしの味方をする気になったのか、エレンハイム嬢は素直に端のスツールに座りました。スツールひとつ分の距離、これがプライバシーというものです。誰かがすぐ隣に座っていてはわたしの安らぎが得られません。食事はただ料理とのみ、向かい合えばよいのであって、食卓の団欒など狂気の沙汰です。この手のテント食堂のいいところはみんな会話せずに食べて、さっさと出ていくところです。こんなふうに席が三つしかない店ならば、なおさらです。回転率というものがあります。新しい注文もせず、べらべら無駄に口を開き、貴重なスツールのひとつを占領する人間はもはや客ではなく、疫病神です。
メニュー板を指差して、コインを置き、アザラシ・ハンバーガーと代用コーヒーを注文して、ぼうっとしていると、あろうことか、わたしの隣に誰か座りました。いったい、誰だろうと思っていたら、なんとわたしの家に闖入してきた双子の片割れ、ロレンゾが座っていました。職業が暗殺者だから、誰か殺した帰りでしょうか? 蟹に食われた天使はやっぱり意地悪です。これなら、まだエレンハイム嬢が隣に座っていたほうがマシでした。わたしと彼のあいだで交わされたコミュニケーションは喉に突きつけられたナイフだけなのです。相変わらず顔をマスクで隠していて、黒いちょっと癖のある髪を後ろで結んでいます。プロの暗殺者。兄はギャング。そんな人物がわたしの家を占領していて、しかもわたしの隣に座っている。五秒に一回、じろじろとこちらを見てくるのです。なぜ、エレンハイム嬢のほうを見ないのでしょう。喧嘩ならば、あちらのほうが強いのです。あちらをもっとじろじろ見るべきです。事態は悪くなっていきます。五秒に一回が三秒に一回になり、そして、じっとこちらを見つめ続けています。昨日は分かりませんでしたが、ロレンゾは体のあちこちに革ベルトでナイフを身につけていていました。手が髪をいじっているときでも、ぶらんと下げているときでも、ブーツの紐を結びなおしているときでも、コンマ一秒でナイフを手にできるようにしているわけです。いま、わたしの目の前には熱々のアザラシ・ハンバーガーがあります。これをあげることで何とか勘弁してもらえないものでしょうか? そのとき、彼の目線が上を向きました。釣られて上を向くと、ニシキゴイがふわふわ浮いています。そのうち、ニシキゴイがロレンゾのほうへと泳いでいき、彼の上をくるくるまわり始めました。
「……いいのか?」
彼はわたしにたずねます。わたしはうなずきました。別に駄目ではありません。もっとかわいがってもらえるところで泳ぐべきです。何より、駄目と言ったら、なぜ駄目なのかを口頭で説明しないといけません。
「礼を言う」
それからロレンゾは頼んだパンケーキを二枚食べると、ニシキゴイをつれて出ていきました。無口で冷酷な男が小さな動物にだけ心を許すことのギャップについて、あれこれきいたことはありますが、実地で見ることになるとは思いませんでした。
「いいんですか?」
エレンハイム嬢がたずねてきたので、わたしはまたうなずきました。これでロレンゾはわたしを殺そうと思ったとき、このことを思い出し、一回は思いとどまってくれることでしょう。最上は出ていってくれることですが、それはなさそうです。無口については一家言あるわたしに言わせていただくと、ロレンゾは依存型無口です。誰に依存しているかというと、兄のジーノです。性格は真逆ですが、相互補完みたいなことになって、ロレンゾは口では言わないけれど、兄にべったり――なはずです。まあ、これが当たろうが当たるまいがどうでもいいのです。わたしにはいろいろ片づけなければいけないことがあるのです。三つのギャング、ニシキゴイの少女、アザラシ・ハンバーガー。とりあえず、一番簡単に片づけられる問題を片づけると、わたしたちは家に帰ることにしました。これから午後のサルベージに行く気がしません。それはエレンハイム嬢も同じようです。




