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つまり、こういうことです。
ボトル・シティにはオオクチバス病という病気があって、フェーズ1)生魚を異常に食べたくなる。フェーズ2)少し鱗が生える。こびりついた鱗と区別がつかない。フェーズ3)気づいたらオオクチバスになって飛び跳ねている。これと似たものでニシキゴイ病というかなり特殊な突然変異の体質改造病があったということです。キモノというものは便利なものでゆったりとしたなかの体が人魚と化しているのを隠してくれます。
ミカ嬢はニシキゴイ病になり、人魚のごとき体になっていたのですが、何と言っても例のない病気です。フェーズ1)人魚になる。フェーズ2)空気中を泳ぐニシキゴイを眷属としてはべらせることができる。フェーズ3)自分も空中をふわふわ浮くことができる。フェーズ4以降の症状は不明です。巨大なニシキゴイ柄のリヴァイアサンとして全世界を水没させ、神として君臨するのかもしれません。
黒い髪の切れた瞳をした東洋の美少女にわたしがしてあげられることはないと思います。彼女自体が見せ物として大金を稼ぐことができますが、それよりも空中を泳ぐニシキゴイを生み出せるというのが、大変な富を約束しています。水没を経験して以降、人間意識の深いところに水に対する恐怖と嫌悪が埋め込まれました。その水を泳いでいるニシキゴイですら高額で取引されているのに、水ではなく、ご主人と同じ空気のなかを泳ぐニシキゴイともなれば、宮殿を十個作ってもポケットにおつりが残ります。
「どうすればいいのか、知恵を借りたいんだ」
わたしに? 善良な潜水士で、サルベージ以外のことにはまったくの門外漢のわたしに?
「きみは連中と交渉ができる」
ああ! 連中と交渉? 一方的にあいつを水に引きずり込めと言われ、脅されて追い出されることは交渉のうちに入るのでしょうか。わたしの家に居候をしているエレンハイム嬢がこんな誤解をしているということは、もう街じゅうの人間がわたしを殺し屋だと思ってしまっている、あるいは少なくともツーカーの立場と思っているということでしょうか。
わたしは悲し気に首をふろうとしましたが、エレンハイム嬢はなかばすがるような目をして、わたしを見つめます。わたしも誰かをすがるように見つめようとしましたが、誰もいません。ミカ嬢にすがることはできません。なぜなら、彼女は――、
「ニシキゴイ、レインボ~。ン、ンンン、ンレインボ~ン。キャハハ」
ある種の薬物を少々服用し過ぎているからです。茶色い小さな薬瓶で、蓋がスポイトと一体化しているものが、常に彼女の手に握られていて、ちょこちょこ薬を吸い上げては、それを口のなかに一滴、二滴と垂らしています。それでご機嫌なわけです。ひょっとすると、彼女のニシキゴイ病はある種の薬物の過剰摂取が原因なのではないかとすら思います。通常、過剰摂取した人間は白目を剥いて、口から泡を吹いて天に召されるものですが、ミカ嬢の場合、ニシキゴイ病に罹患したわけです。きっと通常の物差しでは測れぬ、並々ならぬ過剰摂取があったのでしょう。
「ルゥもやればいいのに~」
「やらないよ。そんなの」
「あ、そっちの人はぁ?」
やりませんが、やらないとずっと話しかけるというのならやります。
「そっちの人もやらないよ」
たまにはエレンハイム嬢も役に立つべきです。友達の薬瓶をちょっと押しやった後、エレンハイム嬢はわたしに耳打ちしてきました。
「この通りです。ミカはわたしの友達ですけど、中毒なんです。こんな状態でギャングに捕まったら、すぐにオーバードーズするくらいの薬物をもらって、死んでしまいます。だから、ギャングに見つけられるわけにはいきません」
そうでしょうが、それなら、まず、すべきは……
わたしはマスクをして、潜るようにエレンハイム嬢に仕草で示しました。
「まず、薬をやめさせるべきです」
「それができたら、苦労はしません」
「体に悪影響が出ているんじゃないですか?」
「それがもっと健康になっています。ニシキゴイにしか分からない化学変化があるんだと思います。無理なお願いは重々承知ですけど、でも、いまの彼女に薬をやめさせることはあなたに陸地で人との会話を強要するくらいに難しいんです」
「そうきくと、なんだか同情心が湧いてきます――いやいや、無理です」
わたしはミカ嬢のお願いを断るために浮上し、ホールでくるくるまわりながら、笑っているミカ嬢のもとに向かおうとしましたが、しかし、オーバードーズのニシキゴイ病患者にどうやって話しかければいいのでしょう? つい、さっきまで水のなかにいたときはできると思いましたが、いま、こうして陸に上がれば、そんな思い上がりはあっという間に消えてしまいます。しかも、いま、後ろからエレンハイム嬢のすがるような視線を感じています。やっぱりわたしもすがる相手を見つけて、精神的な安寧を手に入れたいと強く思うようになり、しかし、そんな頼りになる人はいないし、だいたいすがっても向こうから目を合わされたら、逃げたくなるのにどうして人にすがるなんてことをするのか。余計、悪化します。どうも今のわたしは錯乱しているようです。殺人犯の弁護を担当する人たちが言うところの心神耗弱状態にあります。つまり、いまのわたしは何か頼まれても、それをたとえ引き受けたとしても心神耗弱状態にあったのですから、その決定や契約に対して、何ら責任は負わないわけです。
これはなかなかいい考えです。ヘンリー・ギフトレス。法律相談所でも開きましょうか。
そんなふうに思っていると、目が合いました。ニシキゴイと。
「カプタロウが気に入ったの? じゃあ、あげるよ~」
どうもミカ嬢はわたしがそのニシキゴイに興味を持ったと思ったのか、手付金として、わたしにゆずってくれました。わたしは首をふりましたが、すでにミカ嬢はいびきをかいて眠っていました。エレンハイム嬢には潜った後で交友関係の見直しを忠告しましょう。




