23
エレンハイム嬢がわたしを連れてきたのはカール・グスタフ劇場です。大昔は奴隷の競売所だったのをワインレッドの緞帳でもって市民の教養と文化の場に生まれ変わらせたわけですが、こうして水没によって、無事、苔と魚の棲み処となりました。チケット売り場にはカサゴが、シガー・バーにはギンユゴイが、と棲み分けがされています。プログラムによれば、水没の日にはカルロ・グアラッティの『チットゥリドゥ・ティスティカーナ』が上演されることになっていたようです。もちろん、どんな話なのか、まったく知りません。ただ、付属の写真を見る限り、カルロ・グアラッティは小麦粉をかけた真っ白なカツラをかぶる時代の人物らしいので、幸運にも水没を知らずに死ねたようです。
ぶち模様の淡水ザメがあくびをする横をわたしはエレンハイム嬢の案内で奥へと進んでいきます。劇場は異なるふたつの地盤の上に立っていて、水没時、それぞれの地盤は別々の沈み方をしました。片方が深く沈み過ぎたので、断層ができて、建物はふたつに割れています。目の前の廊下もきれいに切断されて、劇場の北半分の屋根が目の高さにありました。
「こっちです」
エレンハイム嬢はナイフを抜くと、そばの壁へ何度か切りつけ、崩れ落ちる苔の向こうに地下へのドアがあらわれました。これは知りませんでした。何度か、サルベージでここに潜ったことがありますが、地盤が落ちた側の劇場には入る手段がなく、あきらめていたのです。わたしちは螺旋階段を潜り、古い乾電池そっくりの四基の汽罐があるボイラー室へ。ボイラーのすぐそばの壁がまたきれいに切り落とされて、劇場の最上階にある支配人室につながっていました。容易なことには動じない大きなナマズがわたしたちの出現に動じて、大急ぎで外の廊下へ逃げていきました。支配人室は水草の百貨店となっていましたが、ナマズが急に動いたせいで、ちぎれた水草とちぎれた水草に隠れていた透明な小エビたちが見えない渦のなかに巻き上げられます。砂も巻き上げられましたが、すぐに下に落ちていき、視界は確保されています。どうも、ここでは表層とは違う、密度のある砂を底に敷いているようです。何かの鉱脈にぶつかったのかもしれません。
沈んだ側の建物はまた割れて、斜めに下っています。その急勾配の坂をまた潜っていくと、ホールの入り口につきました。そのドアをまたナイフでこじ開けると、なかに入るよう促されます。そこは空っぽの岩肌の大部屋で見上げると、水面がゆらゆらと青い光を揺らしています。
「空気があるんですか?」
「はい。上がってください」
言われるまま、上がり、水面から顔を出したとき、わたしが見たのは空中を浮かぶ何十匹というニシキゴイでした。ボックス席から平土間席、金で縁取った緞帳の陰、落ちたシャンデリアの複雑な鋳鉄のなかには小さなコイたちがいる。東洋にいるコイは珍しい模様で、そのニシキゴイというコイは非常に高値で取引されるときいたことがあります。ニシキゴイの値段はキロ当たりではなく、一匹一匹の模様で決めるので、一匹が一万ドルになることもあるということで、漁師たちはまた天変地異が起きて、自分たちの漁場にニシキゴイが繁殖しないかと夢に見ているのです。そのニシキゴイたちが空気のなかを浮いている――これは異常ですが、お金になる異常です。
「これが、あなたが言った、見せたかったものですか?」
なるほど、ギャングたちがエレンハイム嬢を捕らえたがるわけです。彼女には百万ドルの価値があります。
「それもありますけど……ミカ! ボクだ! ルゥだよ!」
ルゥなの? と、言いながら、泥の模様をかぶった緞帳の陰からキモノをまとった少女があらわれました。
ひぇっ、人がいます。いないと思って、普通に話したのに人がいます。このまま潜って、彼女の視線をかわしたいですが、エレンハイム嬢に首にしっかり腕をまわされて、潜れません。逃げられません。苦しいです。頭がくらくらします。




