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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと色彩の女神
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 新港湾地区と旧市街の境界あたりでギャヴィストン一家に捕まりました。錆びた蒸留装置を乗せた貨物ボートから兄弟みたいによく似たふたりの男が出てきたのですが、どちらも顎が刃物みたいに見えるまで痩せていて、くぼんだ頬に無精髭、血の跡とは思いたくない黒ずんだ汚れだらけのオーバーオールにスローチハットをかぶり、ガンベルトを腰に巻いています。

「よーし、乗りな、グレイマン」

 訂正するのも面倒になってきました……訂正したことはありませんが。密造蒸留酒の広口瓶が入った箱に座らせられて、狂ったようなモーターは商業地区の水没区域を東へとボートをまわしていきます。ふたりから自己紹介を受けていないのですが、それは別に重要ではありません。ピートかジムです。ギャヴィストン一族の命名に対する創造力の欠如は極めつけで男はみんなピートかジムと名づけられ、女の子はメアリーとジェニーのみ。そうきいています。その少ないファーストネームのローテーションでどうやって大所帯の一族が個体判別するのでしょうか? 興味はありますが、別に自分で確かめたいとは思いません。又聞きでけっこうです。

 そのうち、要塞が沈んだ区域に入ると、大きな緑の島が見えてきます。この四六時中、雨の降る街で育つ限界ギリギリの樹木からは顎髭みたいな緑の苔が垂れています。それがカーテンのようになっていて、なかにどんな建物があるのかは分かりません。どうも、東からの風が強いのか、ギャヴィストンの島は街に寄っています。

 数えきれないほどの逮捕状が出され、わたしの年齢よりも長い懲役刑を食らったことのある人がごまんと住んでいるクライム・アイランドをギャヴィストンたちは〈連合州コンフェデレート・ステーツ〉と呼んでいます。

 ギャヴィストン一族は軽犯罪を重犯罪化させる才能に恵まれています。他人が仕掛けたロブスター漁の仕掛け籠をなかの獲物ごと盗む悪い漁師はいますが、ギャヴィストンがこれをやるときは、まず自分たちで引き上げるのが面倒なので、持ち主が引き上げてロブスターを手に入れてから盗みを働きます。大人しく渡しても漁師は膝を撃たれます。これで窃盗が武装強盗と暴行傷害です。

 それに走行中のボートから腐った魚を通行人に投げつける子どものいたずらがギャヴィストンの子どもたちにかかると、走行銃撃ドライブ・バイ・シューティングになります。ギャヴィストン一族では男の子は六歳になると、四五口径リヴォルヴァーをプレゼントされ、八歳になるまでにそれで誰かを撃ちます。撃たれるのは同じ一族の従兄弟かもしれませんし、自分の親かもしれませんが、たいていは市から派遣された役人です。

 そんなギャヴィストン一族の本拠地に連れていかれるのは、覚悟はしていてもしきれません。心臓はバクバクして胸を内側から殴り続けています。とっとと潜水用マスクをかぶって、この苦しさを水深三十メートルで思う存分叫びたいです。

 密造酒ボートが島の南にある腐りかけた松材の桟橋に縄をかけると、二度銃声がして、わたしの目の前を霰弾の嵐が飛び過ぎていきました。それからしばらくして「合言葉を言え!」という声がきこえてきます。まず撃ち殺してから合言葉をきくという、合言葉界の革命的出来事の生き証人になるのは専門外の潜水士にはもったいないことです。その名誉は別の方に譲りたい気分です。結局、合言葉が確認されることはなく、二、三の罵声(『死にてえのか!てめえ!』『てめえが死ね! このサナダ虫野郎!』)のやり取りがあってから、古いグレイの軍帽をかぶった新しいギャヴィストンがふたり、苔のカーテンを分けてあらわれました。片方は少年で、片方は髭だらけの老人です。少年が二連式のショットガン、老人がカウボーイ・ライフルを持っていて、どちらも明らかにそれを人に撃ってみたい様子でした。そして、撃つなら最後(死ぬ)までやりたいと思っているようです。

「おい、ピート。グレイマンを連れてきたぞ。親父はどこだ?」

「めちゃ屋敷にいるぜ、ピート」

「ピート、ボートをしっかりもやっておけ」

「ピート、さっきので弾がなくなった」

「噛み煙草もってねえか、ピート?」

「んなことやってねえで、こいつを親父に会わせろよ、ピート」

 ここにいる四人のギャヴィストンはみなピートという名前なのですが、四人はどのピートのことか分かって会話しているようです。いちいち、どこそこ出身のピート、誰それの息子のピートと説明せず、言葉を節約する姿勢は素晴らしいです。が、それならば最初からネイサンとかエルマーとかクレシェンツォとかヴャチェスラヴとか他と異なる名前をつければいいのにとも思いはしますが。

連合州コンフェデレート・ステーツ〉は州を自称するだけあって、外で見るよりもずっと広く、その屋敷までの道――という名の雑草の切れ目を四名のピートの案内で歩いていると、その路傍には大変人文学的興味をそそられるものが並んでいます。チコリ・コーヒーの焚火を囲んだギャヴィストン五名、赤と白の縞の幌がかかった貨物馬車一台、トチノキから吊るされた袋相手にサーベルを叩きつける子どもたち、前屈して開いた自分の股のあいだから並べた壜や缶を撃つ悪い大人たち。苔まみれになった大きな噴水がひとつ、道の真ん中にあり、この農園主が貴族みたいな暮らしをしていたときの名残となっています。

 こうしたディテールは外からは絶対に見られません。つまり、ここでわたしが殺されて木からぶらさげられたディテールとなっても、外からは絶対に分からないことを意味します。わたしもルディ・フランコの準生命保険に入ることを真剣に考えるべきかもしれません。

 この島には親、子、孫、大叔父、娘、母親、従兄弟、息子であり孫、孫でありひ孫、などが五十人近く住んでいて、全員が機嫌が悪く、全員が銃を持っていて、全員がよそものを嫌っていました。スローチハット以外の帽子をかぶると「気取りやがって」と文句を言われ、トランペットとコルネットの音の区別について「どちらも蟹に食われた天使に背く音楽だ」と耳を塞ぎ、近親相姦に関する限りなくアウトなジョークを六歳の娘の目の前で平気で言い散らかします。そのくせ、しつけの限度を越えた凄まじい気まぐれ折檻で子どもたちのなかの憎悪の粘土をこねまくり、未来の武装強盗犯を作り上げていくので救いがありません。

 ジェファーソン弁護士の蒸気船ではとんでもないことに巻き込まれたと思い、精肉市場ではビリオネア・ジョーが部下をひとり、イチゴジャムにしてしまうのを見たときは、これ以上、ひどいことを見ることはないだろうと思っていましたが、目の前の古い蔦だらけの屋敷を前にするともっとひどいことが起こりそうな気がしてなりません。

 とっとと入れと背中を押されました。豪邸とはつくる以上に維持するのが大変なようです。なかは大きな玄関広間で吹き抜けの二階へ階段が続いていますが、この広間にある全てのガラスが割れていました。黄色い油紙を糊でつけた窓、柱時計のヒビだらけの蓋、ひっくり返った水槽、砕け散ったランタン。木はどれも触れれば軋みますし、布は全てすり切れていて、そして、そこで出会う人間全員がギャヴィストンです。人間というよりは歩く電気爆薬壜のような危険の塊は老若男女問わず、わたしを見ると露骨に舌打ちをします。

 ああ、こちらも好きで来たわけではないのです。不可抗力なのです。世界を創造し、世界の運航を握るより高次な存在――たぶん蟹に食われた天使よりも上の存在がわたしの一日の締めくくりとして、この罪の島を選んだのです。だから、わたしは神を信じないのです。

 白い壊れたピアノがある部屋に連れてこられ、壊れたピアノに何か死に直結する逸話があったかどうか思い出そうとしていると、窓が開いて、テラスから車椅子に乗った老人が大男に押されて来ました。豊かな白髪とよく手入れされた髭をたくわえていて、古風で念入りにブラシをかけた軍服を着ていて、膝の上には何かの旗らしいものが毛布のようにかけてあります。老人はホレイショ・ギャヴィストンと名乗りました。ピートでもジムでもない、特別なギャヴィストンです。ギャヴィストン家の当主であり、外の世界ではダディとあだ名される老人です。

 意外なことにホレイショ・ギャヴィストンは紳士でした。これまで見たギャヴィストンがひどすぎるので、相対的によく見えるのかと思っていますが、彼は自分たち一族の罪深さについてきちんと自覚しています。

「我々は罪に塗れている。死後、その贖いを求められ、地獄に落ちるだろう。だが、〈ステート〉を守るためなら、いくらでも罪は犯すつもりだ。わたしはギャヴィストン家が政府に蜂起したときのことを覚えている。わたしは十歳だった。役人たちが我々一族を解体しようとしたとき、男も女も武器を取った。あのときの一族はみな、もっと洗練されていて、女たちの弾くチェロやハープをききながら、文学について気の置けない会話をしていた。罪深い飲酒や浅はかな投資の話をしたりしなかった。紳士と淑女だった。我々は黒人たちを管理した。彼らは自由を享受するにはあまりにも知性に欠けていた。誰かが善導しなければ、全員そろって破滅するくらいに。だから、我々が保護してやった。政府はその保護を打ち消そうとし、ギャヴィストン家の財産を狙って、役人を騎兵隊付きで送ってきた。ギャヴィストン家は弾圧を前にひるんだりせず、最初の一発を撃った。国を二分する戦争が始まり、終わったとき、我々は全てを奪われた。農園と奴隷。奴隷たちに自由を与えた結果はあの愚かなボクサー崩れを見れば分かる。図に乗った、増長した黒人ども。それを守る白人はもっと罪深い。地獄の業火も生ぬるい」

 これまでの経験からすると、ホレイショ・〈ダディ〉・ギャヴィストンが善良な潜水士に命じるのはジェファーソン弁護士の殺害でしょう。海の藻屑にしてやれとでもいわれる気がしますが、何としても断りたいところです。

「黒人どもの粛清は我々でやる。我々がやらないといけない。あの増長したジェファーソンについてはきみに任せたいと思っている」

 やはり来ました。わたしは首をふりました。横に。銃を持ち、怒りを燻ぶらせ、法への不信で体がはち切れそうになっているピートかジムに任せればいいのです。

「ありがとう。受けてくれると思っていた」

 世界のどこかにはうなずくと『いいえ』、首をふると『はい』になる国があるときいたことがありますが――。

「食事していくかね? ジェニーがつくるアライグマのシチューは絶品だ」

 わたしは首をふります。

「それは残念だ」

 やっぱりそうです。ホレイショ・ギャヴィストンはわたしのノーを華麗に無視したのです。

「それと」

 まだ何かあるようです。

「きみの家には少女がひとりいるはずだ。もし、よかったら、会ってみたい」

 わたしは肩をすくめました。エレンハイム嬢がここで出てくるとは思いませんでした。考えてみると、ジェファーソン弁護士もミリオネア・チャーリーと三十人のチンピラたちにエレンハイム嬢を狙わせたわけですが、ギャヴィストン一家も興味があるのでしょうか。しかし、会ってみたいという願いは叶いそうにありません。そんなお願いをするためにお話をすることはとても負担です。それに彼女がこうやって犯罪者たちの興味を引いているということは何か秘密があるということですが、秘密を打ち明けられることほど苦手なものはありません。知らなくてもいいことを知ったばかりに水死体になった人びとは大勢います。

 その後、わたしはカウボーイ・ライフルを担ったピートかジムに連れていかれ、ブレッキンリッジの旧市街側出口で降ろされました。パワー・オブ・ストッピング教会の鋭い輪郭が星空を裂き、ブレッキンリッジの料理屋からもつれてグチャグチャになった会話がきこえてきます。ここに戻る途中、ふたりのピートは海賊行為を二回、無差別射撃を三回、やろうとして、ギリギリでやめるということがありました。本当に心臓に悪いことばかりする一家です。

 しかし、わたしはギャヴィストンとの会談でもっとひどいことが起きると思っていたのですが、それほどではありませんでした。得をしたわけではなく、100の害が30の害で済んだ程度の話ですが、それでも得をした気になってしまうものです。

 善良な潜水士の幸福はいつだってつつましいのです。

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