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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスとペンドラゴンの財宝
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 全員の予定を合わせるのに三日かかりましたが、わたしの部屋に住む居候が勢ぞろいしました。エレンハイム嬢、ジーノとロレンゾ、ジッキンゲン卿と盾持ちのカムイ、タチアナ女史の革命的人力潜水艦〈ヴ・ナロードナ号〉。ちょっとした潜水部隊となったヘンリー・ギフトレスと愉快な仲間たちは人食いザメや大王イカにも一目置かれる存在になりました。

 それにわたしの家に住んでいるわけではないフィリックスと、地下研究所でゴキゲンなクスリを探したいという理由でなぜかついてきたミカ嬢が加わって、大学地区から潜水開始です。目指すのは消防署の跡地です。大学地区のあちこちでは海水に多少の耐性があるウグイが群れていて、することのない兵士みたいにじっとしています。魚の群れを見つけると、突っ込まなければいけないことを刷り込まれているらしいカムイが見事なデタラメクロールで群れを散らすたびに、ウグイの群れの人間に対する嫌悪の念がたまっていきます。幸い牙のない魚なのでいいのですが、牙がある魚の場合、マスクに空気を送り込んでくれるホースをガブリとやられたら、それで終わりです。ただ、カムイは一切の潜水具なしで何時間でも潜っていられます。人類の不思議にどうやってそんなことができるのかきいてみたのですが、目いっぱい息を吸い込んでから潜るという、不思議がますます深まるこたえが待っているだけでした。わたしとしては「実は半魚人なんだ」くらいの穏当な返しを期待していたのですが。

 カムイの保護者はジッキンゲン卿です。彼とカムイのあいだには封建制度的盾持ち契約があるのです。タチアナ女史は革命を志すものとして、こうした人間が人間を所有する前時代的な社会契約にはひと言物申したいらしいのですが、じゃあ、封建制度を断ち切って、革命がカムイの面倒を見てくれるのかと言われれば、タチアナ女史は『目的は手段を合理化する』と言って、ジッキンゲン卿とカムイの封建制度を見逃すことにするのでした。

 崩れた家並みにそって、緑あざやかなアマモが生えているあたりでは綿くずのようなゴミがくるくる渦を巻いているので、ちょっと見てみると、そこでは体長十五センチ以下の魚限定のヌマエビ・パーティが繰り広げられていました。人間のパーティがシュリンプ・カクテルを必要とするように小魚のパーティにもエビが必要なのです。参加魚はメバルの幼魚やウミタナゴ、たてがみみたいなトゲを生やしたハオコゼ、ハンサムなギンユゴイでヌマエビ側には何の通達もなく、パーティを強行したようです。

「やめて! 赤ちゃんが! 赤ちゃんだけは助けてあげて!」

 と、通信装置に声がきこえてきました。ウミタナゴに食べられる寸前の、卵を抱えたヌマエビにジーノが勝手な声をあてたようです。ジーノはその腹話術がたいそう気に入ったらしく、消防署の途上で見かけた捕食シーン全てに声をあて、人間として食物連鎖の頂点に立つことの原罪を刻み込もうとしてきます。ジーノは〈ヴ・ナロードナ号〉の後部銃座に乗っていて、半円型のガラスドームのなかで、撃ち殺してもいい人間を探して、きょろきょろしています。ロレンゾはタチアナ女史に、くれぐれもジーノに酒の類を持ち込ませないでくれと念押ししました。後部銃座の武器は三十口径の水陸両用機関銃で、もしジーノが泥酔して敵味方の区別がつかなくなったら、我々はバラバラにされて、体長十五センチ以下の魚パーティに供されることになります。だから、ジーノが透明な酒瓶を取り出して、んぐんぐ飲み始めたのを見て、血の気が引きました。すぐにロレンゾの通信が入ります。

「(スーッ、ゴボゴボ)タチアナ! ジーノに酒を持ち込ませないでくれと言っただろう!」

「同志ロレンゾ、わたしは同志ジーノに酒を持ち込ませなかったぞ。いま、同志が飲んでいるのは艦に備えつけられているウォッカだ」

「こいつぁ、あれだな。純粋に酔っぱらうためだけの酒だな。嫌いじゃないぜ」

「出陣の前に景気づけもよかろう」

「フィリックス兄さま、見てよ。アル中って大変だね」

 フィリックスは燕尾服姿のまま、足をばたつかせることもなく、すーっ、とエレンハイム嬢の横についています。

「なぜ、ウォッカが潜水艦に常備されているんだろうね? ルゥ、きみは分かるかい?」

「きっと潜水艦が壊れて、万策尽きたときに飲むんじゃないかな。現実逃避の一手段ってやつ。でも、ボクの現実にはいつも兄さまがいる。ボクはスーツが壊れて、海底に沈んでも、そんなつまらない逃避はしないからね、兄さま」

「わたしはお前を海底で死なせはしないさ」

「兄さま――」

「ルゥ――」

 ……わたしは何を見せられているのでしょう? まあ、平和なようで何よりです。

 パン! シュパ!

 銃声と弾が水を切り裂く音がしました。だから、あれだけ、ジーノに飲ませるなと。

 タチアナ女史とジーノを軍法会議にかけるべきだと思ったのですが――。

「おれじゃないぞ」と、ジーノ。

 パン! シュパ!

 またもや銃声、水を裂く。

「あそこだ!」

 ジーノを入れたガラスドームが八時の方向を向き、〈B2ステーキソース 濃厚でワイルド〉の看板に十発ほど連射しました。ジーノが狙ったのはBの下の穴で狙撃者に命中したのでしょう。血がじわじわと広がっていきます。

 マン・ガンが研究所の外へ侵略を開始しました。考えうる限り最悪です。ボトル・シティの住人のなかで相手が持っている銃だけを狙って攻撃できるだけの技量を持った人間がどれだけいるでしょうか? ここで食い止めないと街は二度とボビー・ハケットが演奏をできなくなるほどの損害を被ることでしょう。

 最初のライフル・マンが倒されると、周囲の瓦礫や地面の裂け目からごわごわした潜水服と潜水ヘルメットをかぶったマン・ガンたちが沸き出してきて、総攻撃を仕掛けてきました。水中リヴォルヴァーでどうにかできるレベルを超えているので、ここは武闘派メンバーに任せて、そっと岩場に隠れます。〈ヴ・ナロードナ号〉は浮いたり沈んだりしながら機銃弾をばらまいていて、潜水マン・ガンたちは半分に切った魚雷から爆薬を抜き、代わりにハンドルをつけた水中スクーターでしつこく追撃しています。ここからではフィリックスとエレンハイム嬢の姿が見えませんが、タコの足がマン・ガンを締め潰すバキバキバキ!という音はきこえてきます。

 わたしは岩です、わたしは岩です、と自分に暗示をかけて、この危機を乗り越えたいところですが、そうはいかないようでした。誰かがわたしを蹴って、ひっくり返しました。ヘルメット潜水服のマン・ガンです。構えた水中銃の銛の先がわたしのマスクのすぐ前にあります。

 カムイが左からどついてくれていなかったら、どうなっていたことやら。カムイの拳は分厚い真鍮でつくったヘルメットを半分の大きさにへこませました。ヘルメットのなかの頭蓋骨がどうなったかは考えたくもありません。

「ヘンリー! 大丈夫!?」

 わたしはうなずきました。傍にある大きな石を手にすると、銃と癒着したマン・ガンの手を叩き潰そうとしました。

 水中銃はマン・ガンの手を離れています。

 それにこのマン・ガンはもうお亡くなりのようです。

 それは、つまり――彼らはマン・ガンではなく、生身の人間ということです。

 これは研究所のマン・ガン以上に厄介です。人間の水中殺し屋軍団がなぜ、わたしたちを? ジーノがさんざん撃ち殺したファラオ・ウェイトレスの逆襲でしょうか?

 もし、そばで地面が裂けて、わたしを吸い込んだりしなかったら、この問題について、もっと多角的な検討ができたはずですが、人生、そううまくはいきません。

 わたしは気を失い、気づいたときにはペンドラゴン研究所の暗い廊下にいました。

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