ヘラクレスの兄とヴィルヘルムの弟と【後編】
私生児トーマス改め、王の庶子トーマス・フォン・ベッケンバウアー(仮)。
七歳の時に、のちに大統領になるアーリンゲの手により、遅まきながら王の庶子としての教育が開始されることになる。
【ああ、そういうこと……まあコンラート二世の落胤なんて、ヴィルヘルムは興味ないだろうからな】
トーマスは自分を見つけたオスカー・フォン・アーリンゲにより、アディフィン王国でも屈指の名将軍と名高い、ヘラクレス・フォン・アーリンゲに引き合わせられた――もっともヘラクレスはアディフィン王国屈指の名将軍と称され、アディフィン王国軍を指揮したこともあるが、アディフィン王国の将軍として戦ったことはない。
彼はアディフィン王国出身のリリエンタール直属の将軍なので。
だがリリエンタールがアディフィン王室に縁ある人物のため「アディフィン軍の名将」とされている。
【だが、放置しておけないだろう】
ヘラクレスはリリエンタールに付き従い、アディフィン王国にやってきて――そして王の落胤という、割と良くある事態に遭遇した。
弟がやってくると聞いたオスカー・アーリンゲは「この機会は逃さない!」と弟に連絡を取り、二人は王の庶子……手続きはまだ済んでいないので、私生児なのだが、とにかくトーマスを伴いこれからについて話し合う。
【それはそうだ。確かに兄貴がいう通り、雰囲気があるな。うん、これは兄貴以外にも気付く人がいただろうな】
二人はトーマスが分かるように、庶民の言葉を使いながら話をしてくれる――あの場面はマルガレータが悪かったわけではない。あの場面では上流階級の言葉を使わないければ、マルガレータが理解できないので、あの言語を使わないわけにはいかないのだ。
【斜め四十五度氏ですら見出されるんだから。あの人、顔全然違うだろう】
【そうだなあ……っても、あっちは本物の王族の血を引いてるからな。そりゃあ、公式にはなんも引いてないけど、皇帝があんなに喜んでたらなあ】
言葉は分かっても、当時のトーマスには分からない会話――これを後々理解したあと、この時の二人が「そういう会話が出るのも分かる」という気持ちになるが。
【双頭の鷲にお目通り……というか、新人の王さまのしでかし、どうしましょう……って感じで頼む】
【新人なあ。三十年ちかく王さまやってて新人とか、とことん王さまに向かないお人だ。オデッサは、産まれた時から皇帝だったそうだが】
【完璧の極致たる双頭の鷲と比べるなよ、恐れ多いどころじゃない。それでトーマス本人の希望を聞いたんだが、聖職者にはなりたくないらしいから、最終的にアディフィン王国軍の名誉連隊長の地位に就いてもらって、その年金で好きに生きてもらおうかと。その為の泊付けとして、お前の部下を経るようにしてくれないか。ほら、お前の部下にしないと、未来の軍務大臣が認めてくれない可能性もあるだろ】
【未来の軍務大臣……ああ、そうだな】
ヘラクレスは”ちらり”とトーマスを見て――王の庶子を部下とか……――地主貴族の数多くいる息子の一人には、手に余るよなあ……と思うも、
【わたしの部下ね。……出遅れが痛すぎるもんな】
王の庶子としてやって行くには、教育を始めるのが遅すぎたので、庶民の言葉が分かる自分の部下にして、上流階級の言語を一通り学ばせてから「何らかの道」を選ばせるのが、遠回りのように見えて一番の近道だろうと、受け入れることにした。
ちなみに二人が話している未来の軍務大臣とは、リトミシュル辺境伯ヴィルヘルムのことである。彼と国王の不仲についての説明は割愛するが――ただ実力さえあれば、ヴィルヘルムは認めることをアーリンゲの二人は分かっているが、実力を発揮し証明する人物が必要になり、それに関してヘラクレス以上の適任はいない。
教育に関してだが、ほぼあり得ないことだが、何らかの事故で行方不明になっていた王の嫡子が見つかったというのなら、この年齢からでも必死に学ばせるだろうが、王の庶子なので、そこまで必死に環境を整えてもらえない。だが一定の品格は必要……という、なんともあやふやなもの。
責任を負う立場の人間が、最初から責任放棄しているせいで、私生児トーマスの立場やら未来の全てがあやふやになってしまっている。
【ああ。だがトーマスは賢いから、すぐに覚えると思う。礼儀と言語の目処が付いたら、双頭の鷲にお目通りさせてやって欲しい】
【分かった。だが一応、オデッサにはすぐにお伝えするよ。幸い、いまいらっしゃってるから……いやあ、王族のトップって大変だよな。親戚の子の一生の保護だけではなく、義兄の愛人の子の教育まで、丸投げされることになるなんて】
弟の言った”親戚の子の一生”と聞いたとき、咄嗟に分からなかったオスカー・アーリンゲだったが、
――ああ、あの皇子さまか。そういえば……なんとかスキー公爵とその仲間たちに囲まれて、狭い世界で生きてるって……そういえば、邦領君主の娘と結婚させるとかなんとか、聞いたような……
ストラレブスキーは思い出せなかったが、大まかなことは思い出せた。オスカー・アーリンゲにとってストラレブスキー公爵は、その程度の人物だった。
【かといって公爵夫人にどうこうできる問題でもないからな。王位や血筋、称号など男だけで決めてきた世の中だから、階級社会男性のトップに指示を仰ぐしかない】
【それは分かるし、当然だろうな。とりあえず、わたしと兄貴と一緒に、上流階級の言い回し勉強しようトーマス。覚えるのは面倒だけど、これさえ覚えておけば……役に立つのか?】
【地主貴族の倅で役人の俺は知らないが、お前は役に立ってるんじゃないのか? ヘラクレス】
【いや別に。兵士は普通言語だし、アディフィン将校だって砕けきった会話でいける。オデッサとはそもそも会話なんてないし。あったとしても、普通言語だな。殿下も普通に話して下さるから】
【…………要らない? いや知ってて使わないとの、知らないで使えないのは違うからな】
そんな話をし――
【それがコンラートのか】
ヘラクレスがリリエンタールに伝えたところ、翌日には会う運びとなった。アーリンゲとトーマスは、アディフィン王都にある、通称・治外法権城に呼ばれる。
――弟よ、何故?
――オデッサの御心は分からない。これ常識な
ヘラクレスはトーマスには一切喋るなと言い聞かせ、アーリンゲは貸し服屋で失礼にならない程度にサイズが合わない正装を調達して、リリエンタールの前に連れてきた。
リリエンタールに初めて会った時のことを、フュルヒデゴットこと当時のトーマスは、恐怖とともに覚えている【二人とも喋るなって仰ったけど、口を開けるわけがない。呼吸するのがやっとだった。そして瞬きしたら、そのまま目を閉じたかった】と――
リリエンタールは無表情のまま、私生児トーマスを一瞥し、
【マイヤー子爵フュルヒデゴット・カール・トーマス・フォン・ベッケンバウアー、シシリアーナ領少尉】
そう言って、下がるよう指示を出した。
もちろんフュルヒデゴットは下がる指示が出たことすら分からなかったが、ヘラクレスに首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられて退室。
【よし、全部片付いた。今日からトーマスは、フュルヒデゴット・カール・トーマス・フォン・ベッケンバウアー。名乗る時はマイヤー子爵フュルヒデゴットだ】
【し、ししゃく?】
【そうそう。俺は爵位についてそこまで詳しくないが、領地はなしだろう】
【なしだろうな。領地の管理とかできないだろうから……たまに、出来ないヤツにも下さったりするんだけどね】
遠い目をしたヘラクレスの語りに、七歳のフュルヒデゴットも察することができた――この人、領地をもらったんだ、と。
リリエンタールが「これはベッケンバウアー一族だ」と言ったので、トーマス改めフュルヒデゴットは一族の一員となった。
【フュルヒデゴットっていう名前は、ベッケンバウアー一族の男児に多い名前。一族の伝統名の一つだな】
【…………?】
その頃のフュルヒデゴットは、よく分からなかったが――成長して理解し、他の一族の者が何一つ自分に対して文句を言わないところに、リリエンタールの権力をひしひしと感じ、もっと知るようになってから「そりゃ、文句なんて言えないよな」と。
【王族としての新たな洗礼名がカール。そしてシシリアーナ枢機卿領の少尉に任官された】
【一瞬で王の庶子としての身分を得られたし、資産もいただけた。あとは将来のために、勉強するだけだ】
つい先日、別の王宮で髭面の老人と、目つきの鋭いもっとも偉い老女が長々と話していても、とくに決まらなかった自分の「すべて」がこんなにも簡単に決まるのだと、フュルヒデゴットはかなり驚いていた。
【ちなみに、なんでお前はアディフィンに来てるんだ? ヘラクレス】
【アディフィンのアントンを捕まえるために】
【……え、お前捕まえるとか、苦手なんだろ?】
【オデッサが”殺す気持ちでいけ。死んだらそれまでの男だ”と……いや、死にはしないと思うけど】
【ま、まあ……いや、まあ……】
【捕まえてそのまま教皇領に運ぶんだけど、その途中でついでに地中海で騒いでいる海賊と少しやり合う予定】
【じゃあ、連れていってもらってもいいか?】
【もちろん。おそらくわたしがシシリアーナ枢機卿領近くに向かうから、フュルヒデゴットをそちらの少尉に任じられたのだろう】
【アディフィンのアントン、やっちまったらどうするんだ?】
【大丈夫だろ。幼年学校の頃はわたしより、ずっと成績よかったし。ヴィルヘルムの弟だし】
【あと、俺もついていくな】
【仕事は?】
【辞めた。いやこれから辞めるんだけど、辞めるのは確実】
【なんで?】
【いやあ、そろそろ議員になろうかな……と思ってたところで。一応、お前に話してから立候補するつもりだったんだ。こればかりは、手紙じゃなくて直接話さないとと思ってた】
【わたしは特に関係ないだろ】
【お前、有権者層に対して抜群の知名度誇ってるから】
【わたしの名前も少し使う……と?】
【いいか?】
【それはいいけど、議員になるのなら、選挙対策で残らなければいけないのでは?】
【急いでるわけじゃないし、なにより自分が深く関わった人の人生を左右する出来事だ。スタートを切るところまでは、付き添いたい】
フュルヒデゴットは後にこの兄弟の会話を思い出し【製造元の国王より、ずっと責任を持ってくれた】と、その都度、感謝しているし感謝を述べるが、二人は「気にすんな。これは大人の最低限の責任だ」と――立派な大人発言に、いつか自分もそうなりたいとフュルヒデゴットは心から思った。
そして父親みたいには、絶対にならないとも。
そんな彼――フュルヒデゴット・カール・トーマス・フォン・ベッケンバウアーは、アディフィン王国を旅立ち、シシリアーナ領へと向かう。
【ベッケンバウアーの息子なあ。…………才能は無き者だと思って頑張れよ】
【アントン! そういうこと、言うんじゃありません!】
アディフィン王国を発つ前に合流した、アントン・ルートヴィヒ・カール・オスカー・フォン・バルツァーとその取り巻きたちと共に、シシリアーナ枢機卿領へと向かい、その途中で初めての海を見て、海賊討伐も経験した。
【船で戦うわけじゃないんだな】
荒事は得意じゃない方のアーリンゲが、海賊が拠点にしている小島周辺を船で取り囲み船を砲撃で沈めてから陸戦の指示を出す弟を見て、そう言っているのをフュルヒデゴットは聞いた。
ちなみにフュルヒデゴットも船で戦うと思っていた。
【隠れ家も焼いたから、これでよし】
海賊は縛り首……とされているが【こんなんの処刑に、時間かけるなんて無駄。縛り首用の革紐とか、用意してないし。柱立てるの面倒くさい】――戦場慣れしている方のアーリンゲは、刑罰もなにもなく殲滅させた。
【相変わらず、先輩が通った後には何も残りませんね】
【こんな小さい隠れ家、どうやって残すんだよ】
【さすが双頭の鷲の絶対的先鋒】
【先鋒しか務まらないだけだけどな】
【またまた、ご謙遜を】
アーリンゲが海賊を殲滅させた後、フュルヒデゴットは無事にシシリアーナ枢機卿領にたどり着いた。
[シシリアーナ枢機卿領を預かっているものです]
司祭と数名の兵士に出迎えられる。
そこで”アディフィンのアントン”も加わり、様々な話し合いが持たれ――フュルヒデゴットの教育を担当する者や、教育方針が定められた。
それらを決めているとき、彼らはフュルヒデゴットを話し合いに参加させ、意見を尊重した。
【お前の人生を、お前抜きで話し合ってどうする】
アントンに言われたとき、そして周りの大人たちが、当たり前のように肯いたとき、フュルヒデゴットは嬉しさに襲われた。
知らないところで決まった自分の人生――出自から、修道院を出て自由になる道はないと言われて育った少年にとって、人生を選べる可能性が出てきたこと、それ以上に、親身になってくれる大人たちが周りいてくれることに、喜びが隠しきれなかった。
そしてフュルヒデゴットの希望を聞きながら、大人たちが教育方針を決め、アントンとヘラクレスは教皇領へ――ヘラクレスは教皇領に出向いたあとそのまま、大陸を離れて新大陸へと向かう。
【次に会う時を楽しみにしているぞ、フュルヒデゴット】
そんな言葉を残して去っていった。シシリアーナ枢機卿領にしばらくの間、役人を辞めたアーリンゲが滞在し、軽くこの辺りの文化を教えてくれた。
【たしかに異国では、馴染みがないか】
生活そのものに苦労はなかったが、フュルヒデゴットの教育係が少し困った――アディフィン王国出身ではない教師や軍人にとって”フュルヒデゴット”は、非常に言い辛かった。
オスカーやヘラクレスやアントンは、何処の国でも通りが良いのだが、フュルヒデゴットは馴染みがなさ過ぎた。
母国語の名前であるアーリンゲや、同じくアディフィン語を母国語としているリリエンタール領を任されている司祭にとっては普通の名前なのだが――結局、この辺りの人が発音しやすく、たまたま身の回りにいなかったので【フリオ】という仮の名で呼ばれることになった。
【それで言ったら、ベッケンバウアーも発音し辛いよな】
【でしょうね】
そんなわけで、フリオと名乗るときは【ペレス】という苗字を使うことにし、
【伝えておくからな】
【ありがとうございます、フォン・アーリンゲ】
半年ほど滞在したオスカー・アーリンゲも帰国した。
それから三年ほど、リリエンタールの枢機卿領で勉学に励んだ。勉学の一環として、様々な都市へ旅行し、フュルヒデゴットはファッションに目覚めることになる。
【洋服関係の仕事がしたいな】
そんなことを思いながら、勉強の成果を披露すべく、アディフィン王国へ向かう……はずだったのだが【いまだに】理由は不明だが、アバローブ大陸からやってきたクレマンティーヌに掠われ、リリエンタールの元へと連れていかれることになった。
最後に――フュルヒデゴットは祖父母に母親、親族に会うことは一度もなかった。
*****終わり*****
[なにがあったのでしょう? 司祭さま]←一応フュルヒデゴットの護衛だった人
[さあ。これも主の思し召しでしょう]←クレマンティーヌが狂犬なのを知っている司祭
彼らは仕事を投げたわけではない。彼らでは阻止しようとしても、勝ち目がない……というか殺されてしまうこと、また殺されたとしてもリリエンタールが【クレマンティーヌだからな】で不問にしてしまうことを理解しているので――
[フリオ、殺されたりはしないですよね]←護衛だった人
[まあ、恐らく。きっと……シシリアーナ枢機卿が殺害を命じていない限りは……]←クレマンティーヌが通りすがりの人を殺すのを知っている司祭




