ヘラクレスの兄とヴィルヘルムの弟と【前編】
フュルヒテゴットが国王の庶子と判明するまでの経緯
イヴのドレスの総監督を任されているフリオこと、フュルヒテゴット・カール・トーマス・フォン・ベッケンバウアー。
彼はアディフィン国王コンラート二世の庶子である。
普通庶子は、父親の姓を名乗ることはない……というより、名乗らせることはない。では彼のベッケンバウアーは別の家の姓なのか?
答えは「父親の生家の姓」で間違いない。
では何故、庶子であるフュルヒテゴットが父の姓を名乗っているのか?
答えはただ一つ「王妃マルガレータが提案し、双頭の鷲が許可した」
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フュルヒテゴットの母親はアディフィン王宮に出仕していたメイドで、国王に手を出され、妊娠がわかったところで退職して、故郷へと戻ってフュルヒテゴットを出産した。
彼女は父親の名を明かすこともなく(明かしたら、殺されると思った/本人談)そして実家は外聞が悪いということで、出産した娘を後妻として嫁がせ、孫と認めていない|私生児を、幾ばくかの金とともに修道院に預けた。
そこで私生児はトーマスと名付けられ、修道士に囲まれて成長した。
祖父母や母親、親戚が私生児トーマスを訪ねてくることは、当たり前だがなかった。
私生児トーマスが産まれて八年後、その地方に役人の視察団がやってきた。その視察団の一人が、
【…………え? 君、あれ? あのーもしかして、お母さんアディフィン王宮に勤めてた?】
【は?】
私生児トーマスと国王コンラート二世が、何とも言えない雰囲気で似ていることに気付き――調査の結果、私生児トーマスが国王の婚外子だということが判明した。
【国王の愛妾の子たちと、雰囲気そっくりなんだよ。国王の血だけを引くと、こう……なあ……】
気付いた役人はその時は言葉を濁したが、のちのち私生児トーマスに【国王の血を引くと貴族っぽくなるんだよなあ。でも国王の血だけだと貴族なのは分かるんだが、王族らしさはないんだよなあ】と――
それについては私生児トーマスも同意だった。
王妃の子どもたちは、後に問題児となるマリーチェでも王族の雰囲気は隠すことはできない。それは、間違いなく、
【嘆かわしい】
王妃マルガレータの血と教育によるものだと、私生児トーマスも確信している。
視察中に王の落胤に気付いた役人は、王都に電報で指示を送り私生児トーマスに関する調査を終え、教会の許可を取り彼を連れて王宮へと向かう手筈を整えた――この間、わずか一週間。
私生児トーマスは古着屋で揃えてもらった、ちょっと良い服を着て、その場につれてこられた。
その頃の私生児トーマスは、地方の役人とは違って、王都の役人、いわゆるエリートって人は、はそういうことができるんだろうな……程度にしか思わなかったが、王都のエリート役人でもこの短期間に、ここまでの準備を整えるのは不可能である。
これが出来たのは、彼を見つけた役人がオスカー・アントン・フォン・アーリンゲ――後のアディフィン王国大統領だったからこそ。
この頃すでに彼は「王族の唯一良心的な伝手一族」として、誰からも一目置かれていた。
そんな双頭の鷲の側近に直接連絡することができるフォン・アーリンゲが、王の落胤を見つけてしまったので、手を拱き時間稼ぎなどしたら【じゃあ、弟に連絡して、双頭の鷲の指示を仰ぎます】と言われてしまう可能性があり――実際、あまりに時間がかかるようならフォン・アーリンゲはそうするつもりだったが、相手がアーリンゲということで、王家と大貴族と大臣たちが、急ぎ対処するために場を作った。
【王の私生児など、みっともない】
マルガレータは夫の浮気の浮気に対して、怒りを覚えたことはない。だが浮気後の後始末の悪さに怒りを覚える。
【それは……】
王の妃となるべく育てられたマルガレータにとって、夫である国王の浮気そのものはどうでもよいこと。
自分との間に跡継ぎもいれば、自分の弟たちもいるので、アディフィン王国の跡取り問題は解決している。マルガレータは王妃としての最大の責務は果たしている。
夫であるコンラートの愛人や庶子に関して、マルガレータは本来であれば一切関知しない――マルガレータの両親がそうだったからだ。
ゲオルグは自分の公妾から愛人まで、全て自分で対処しており、妻子に迷惑を掛けることはなかった――彼の死後、跡を継いだリリエンタールだけは、後始末を担当することになったが、生きている間、親族の誰にも迷惑はかけなかった。
そもそも、愛人を持つ理由からしてまったく違った。
ゲオルグは大の女好きで、さらにさまざまな女性と接することで、刺激を受けることを好んだ――ゲオルグの愛人のほぼ全てが職業婦人だったのは、知的好奇心を満たすという側面が強かった。
ゲオルグの周囲にいる王女たちは一律の教育を施されているので、会話の範囲が狭く、差違と言えば芸術方面のみ。
ゲオルグも王女というのは、そういう教育で良いと思っているので、文句はなかったし、それ以上は求めなかった。
それ以外の部分は、下級貴族や教育が施されている庶民に求め、楽しませてもらった対価として、生活に不自由のない金を与えた。
陽気な女好きだが、王族には王族の教育をという、王族らしいシビアな線引きが見事な男でもあった。
対するコンラートは劣等感を拗らせ、王の孤独さを紛らわすために愛人を持っていた。
ただマルガレータ他、当時の王位選定に関わったアディフィン大貴族からすると「お前が王になると立候補して、根回しして王になったのに?」でしかない。
誰もコンラートに王になれとは言っていない。当時存命だったマルガレータの父であるゲオルグも、コンラートを指名したわけではない。
アディフィン王国側で、国王として即位できそうな古くから続く名門貴族の当主が集まり、誰が王になるかを話し合い「国王になりたいヤツがなれば良い」ということで、王になりたい人物が立候補して、それ以外の当主たちが投票を行い、三分の二の得票が集まるまで繰り返した。
その結果がコンラート。自ら立候補し、投票して欲しいと働きかけておきながら、孤独だとか劣等感だとか言い出して、愛人に癒やしを求められても……といった所だが――もっとも劣等感そのものは、アディフィン王国貴族のみならず、大陸全ての王侯貴族は知っているところでもある。
ただ成人しており、自らの意志で王に即位しながら、後になってぐちぐち言う姿勢がマルガレータは理解できなかった。
なにより、王を辞めたいのであれば、即座に退位すればよい。コンラートよりも血筋の正しい跡取りはいるのだから。なんなら現アディフィン王族で、もっとも血筋が劣るのが国王なのだから――それがコンラートの劣等感をもっとも刺激するところだが、アディフィン王国でもっとも高貴な血筋であるマルガレータにとって、知ったことではない。
マルガレータは生涯自らの血筋に劣等感を感じたことがないし、感じようもない産まれなのでこればかりは仕方のないことだった。
なんにせよ劣等感と孤独を埋めるべく、コンラートは愛人を持っている。一人は長く続く愛人――もとはコンラートの婚約者だった女性で、コンラートが即位するために別れたものの「これぞ王女にして王妃」というマルガレータに疲れ、癒やしを求めて婚約者を愛人にした。
ちなみにコンラートの元婚約者は名門の出ではあるが、コンラートの実家ベッケンバウアー家から見ても下――劣等感を癒やすためには、自分よりも地位の低い女性を手元に置くのが、もっとも手早く短絡的で確実。
その長く続く愛人との間に三人の庶子がおり、他の愛人との間に一人の庶子がいる。
計四人の庶子にかかる費用は、全てベッケンバウアー家が出さねばならず――王の庶子には、王の庶子に相応しい教育があるため、ベッケンバウアー家ではこれ以上の庶子を抱えることはできなかった。
相応の地位を与えられないのであれば、修道院へと戻せばよいのでは?……とはならない。
王の私生児と判明した以上、修道士人生は絶たれた。枢機卿にしなければ「王の血」の面子が立たない。
唯でさえ王になったばかりのベッケンバウアーの血なのだから、価値を高めるためにも枢機卿は必須。
だが「王妃の血筋により王になった」ベッケンバウアーの血を「王族の血」と教会に認めてもらうためには、莫大な費用が必要となる。
王の血の面子と、正統な王族の血筋は別物。王の庶子として俗世で暮らさせたほうが、安上がりなのは火を見るより明らか――
【資産がないのであれば、ベッケンバウアーをくれてやるしかあるまい】
授ける爵位がないと漏らした夫に「お前の実家を渡せ」マルガレータは告げた。
【それは!】
マルガレータの実家には遠く及ばないが、世間的には大名門のベッケンバウアー家を庶子が継ぐなどあり得ない。
それはこの場にいた私生児トーマス以外の者、全てが思ったが、かといって口を開けない。
なにせどのように扱えば、問題が収拾できるのか? 具体案が出せないからだ。
【後始末ができぬというから、提案してやったものを】
【……】
【庶子も養えぬ程度の男が、愛人を持つなど言語道断】
マルガレータの言葉は厳しい――説明する必要もないが、マルガレータは私生児トーマスのことを、可哀想などと思っているわけではない。彼女の思考としては「王の血を引く者は、それ相応の教育と地位と名誉を与えるのが筋」であり、生まれついての王族であるマルガレータにとって、それは譲れないことだった。
【王妃のお父上ほどの男は、なかなかおりませぬ】
そう告げたのは王選定のときに、一応立候補した大貴族の一人。
【邦領程度ならば、十どころか三十でも簡単に買えるような資産の持ち主と比較なさらないで下さいませ】
ゲオルグは親からもらった財産は、長男以外の兄弟たちと同額だったが、そこから増やしに増やし、またその才能を買われ鉄道事業を任され、その利権に付随するあれこれにより私財を膨らませ他の兄弟どころか、財産の九割強を継ぐ長男よりも資産を増やし、それらの一部を大好きな女遊びに使用した。
もちろん女遊びの費用は、自らの子にかかる費用まで含まれている。
ゲオルグはその時代の王侯らしい王侯だったため、庶子にも不自由のない生活をおくらせた。
この時代、庶子というだけで不自由ではあるが、血筋や金のない庶民よりは遙かにまし――
ただゲオルグは、この時代の王侯そのものなので、男児と女児に対する扱いはかなり差があった。
男児に対しては領地なしの爵位を授け、爵位に見合った年金を与えたが、女児には爵位を授けることはなかった。
だが庶子女児には、生活に不自由させない貴族男性との婚姻を組んだ。
庶子なので扱いが……と思われるかもしれないが、そこは金だけはある新興貴族や、上を目指したいが門地がなく、このままではこれ以上の地位は望めない新進気鋭の軍人――の四代目あたり。
要するに金や権力で、立ちゆかない男爵や子爵の令嬢を娶り子をなして、その子が同じく貧乏であったり、親族に家督を奪われた伯爵や侯爵の令嬢を娶って跡取りを産ませ、さらにその跡取りが極貧やら身売り寸前の公爵令嬢を入手して子を産ませ――その子の結婚相手として、ゲオルグの庶子を欲しいと申し出ているのだ。
イヴあたりからすると「それはもう、純然たる貴族ではありませんか?」だが、十代王を排出して初めて王族と認められるような世界においては、まだ貴族ではないし、永遠に貴族ではない。
庶民は貴族の血が入った庶民を「貴族寄り」と取るが、貴族はそれを「庶民寄り」と取る――それはわかり合えない思考の違いというもの。
永遠に貴族になることはないが、貴族の血を引いている――ゲオルグの庶子を嫁として迎えるには、最低でもそのくらいの血は引いていなくてはならない。
ゲオルグの子供は庶子といえども安くないのだ。
貴族の血を引いていないものが娶ることなどできない。
そして男児だが、彼らが授かる爵位は一律「子爵」で、それに見合った額の年金を与えていた。
ゲオルグの資産ならば、もっと与えることもできたが、そこは自らが優秀だったゲオルグ。
元手を与え、最高の教育も施してやったのだから、あとは自らの才で豪遊できる資産を築けと――女児に対しては財産は与えないが、適宜に婚家に監察を入れ、娘の扱いや金の使い方を見張った。
女児に対しては実践的な教育――例えば算術など――は施していないので「婚家や夫にしてやられる」ことを前提に、そのような手筈を整えていた。それにより二家ほど潰され、財産を没収され――女児たちは、再び別の庶民階級の中では名家と呼ばれる家に嫁いだ。
ちなみに男児に与えた年金は、王侯として慎ましく生活する分には、充分な額である――慎ましくとは、愛人を持たないということ。ゲオルグにとって愛人はあくまでも、己の才覚を持ってのこと。
マルガレータの母親は、ゲオルグの浮気を許していたし「愛人を持つ男は、このくらいできて当たり前。良人のように、すべての責任をとれてこそ」と娘たちに教えた。
実際どの国でも「ゲオルグ大公ほどできるなら、あのくらいの愛人は当然だろう」と。
庶子の息子には爵位と年金。娘には裕福でそこそこ地位のある家との婚姻と見守り。
愛人たちには生涯に渡って年金。たとえ彼女たちが結婚したとしても、死ぬまで金を与える――
ゲオルグは完璧な王侯だった。彼の愛人になりたい女が後をたたないのは、必然だった。
というわけで、マルガレータにとって愛人を持つというのは「愛人と庶子の生活を己の資産で最後まで面倒みる」ということであり、手を出したがそのまま野に放ち、回収されたら「金がないのでどうしようもできません」は、
【これだから貴族あがりは】
王の資質なしと蔑んで当然のことだった。
【この私生児に、ベッケンバウアーを名乗らせることは譲らぬ】
【王妃!】
【して、双頭の鷲にお頼み申し上げる】
【なっ!】
【このようなことを双頭の鷲にお頼み申し上げるのは、慚愧の念に堪えないが、王を含め家臣一同が、王の血を適切に扱えないのであらば、双頭の鷲に監督していただくしかあるまい】
――連絡取るの、わたしですよね。うん、連れてきた以上、もちろん責任とりますけど……王も、もうちょっとこう……
もともと私生児トーマスに関しては、自分で責任を取るつもりのあったアーリンゲだが、王の対応のまずさにはもやもやした。
【王よ。王の血は適切に、効果的に扱え。それができぬのであれば、王の血をばらまくな。そして全ての王は、玉座に座す双頭の鷲の爪先に額ずくもの。その私生児を双頭の鷲の元へと連れてゆくためには、ベッケンバウアー程度を名乗らせねばならぬ。分かるな王よ】
マルガレータは間違いなくアントーニアの実姉であり、リリエンタールの実姉である。
王侯に対しての言い方がきついのは、当然のこと――
【夫の不始末は妻の責任……とは思わぬが、王の血の始末は適切にせねばな。王の血を管理するのが、王妃の責務であり、王の血を監督するのが双頭の鷲に連なる者の責務よ。王よ、王たる自覚を持て。それは政だけではない、私生活にも言える。分からぬのであれば、この場をこの機会を持って理解せよ】
――国王、この後、愛妾の所に走って泣きつくんだろうな。分からなくもないが、情けなくもあり……どうでもいいか
アーリンゲはそんなことを考えながら、
【オスカー・アントン・フォン・アーリンゲ】
【はい】
【古の東を継ぐ双頭の鷲に取り次いでもらえるか】
【はい】
名を呼ばれたので、跪き拝命を賜った。
【頼んだぞ。そしてそこの、王の私生児よ。名を名乗れ】
【王妃にお伝えしなければならないことがございます】
【なんだ? フォン・アーリンゲ】
【この私生児、今までの話を全く理解しておりません。それは知恵がないなどではなく、宮廷語が分からないためです。この者は庶民の言葉しか理解できないのです】
私生児トーマスは後に言う【あの当時、マジで何言ってるのか、わからんかった。異国の言葉だと思った】と――
【聖典は読めるが、言葉は分からぬと】
【はい】
アーリンゲは地主貴族の跡を継がない息子で、領民とも話すことがあり、自ら希望して役人になったので、庶民と会話を成立させることができるが――マルガレータは上流階級が使う宮廷語以外の言葉は使用しないし、
【王の子が、宮廷の言葉が分からぬと申すのか】
【はい】
それ以外の言葉で、私生児とはいえ「王の子」に話し掛けるはずもない。それこそが王族というもの。
【まったく、嘆かわしい】
読み書きができる年齢でありながら、王の子としての教育を受けられなかった私生児トーマスを前に、人前で王妃にあるまじき感情を込めた【嘆かわしい】――それは国王に対しての失望を端的に、だが最大限表していた。




