貧乏君主、国家終いのために動き出す【05】
[楽にしてください]
教皇に優しく声を掛けられた君主だが、楽にはできなかった。
教皇の話は、始終穏やかで――
[また機会がありましたら、お話しましょう]
二人は更に深く頭を下げて、教皇への謁見は終わった。
そしてここからが本題――
司祭の案内で別室に通された二人は、やや遅れてやってきたボナヴェントゥーラ枢機卿と向かい合い、
[アントニウスになにを命じられたのか、教えてもらえないか]
「もらえないか」と言っているが、実際は「言え」と――マンハイムの男は、リリエンタールの交友関係を頭に描こうとしたが、目の前にいるボナヴェントゥーラ枢機卿との関係は、上流貴族にとっては常識なので、
[はい。シシリアーナ枢機卿閣下より下された命は……]
喋っても問題はないと判断して、リリエンタールからの命令を事細かに説明した。
臨席している君主は、聞くのは二度目だが、全く理解できなかったが、
――やはり、意味がわからない……枢機卿閣下は、ご理解なさっているようだ。やはりなんらかの、意図があるのだろうな。わたしには分からないが
目の前に座っているボナヴェントゥーラ枢機卿は、納得の表情を浮かべて頷く。
[そういうことか。それは大事な命だ。呼び出してしまったことを、わたしが使者を立てて詫びておく。教皇からの一筆も届けておこう]
そして真面目な表情でそのように告げ――二人は大事なのだなと、気を引き締めた。大事であることは、間違いない。命じたリリエンタールにとっては、世界大戦など足元にも及ばぬほど、大事なものだ。
[本来ならば、すぐに解放したいところだが、わたしとしても、頼みごとがあるので聞いて欲しい]
二人ともここまで呼ばれたのだから、依頼があることは分かっていたので、驚きはしなかった。
[君主よ。教皇軍副司令官の座に就いて欲しいのだ]
[………………わたくしめが、ですか?]
君主は何を言われたのか理解できなかった。
君主が鈍いわけではなく、聖籍に入っていない君主が教皇軍の副司令官の座に就くことはできない。
[アントニウスの配下と行動を共にしている君主にならば、話しても問題はないから教えるが――]
――聞きたくないのです
そう思った君主だが、聞かないという選択肢はない。もちろんボナヴェントゥーラ枢機卿は”聞きたくない”という君主の内心を読み切っていたが、そんなことを気にするような男ではないので、依頼という名目で決定事項を告げる。
[教皇軍を動かす可能性があるのですか]
六世紀ちかく動いていなかった教皇軍が、戦いに赴く可能性が高いと「シシリアーナ枢機卿が言っている」と言われたら、彼らは「そうなのか」と何の疑いもなく受け止める。
[そうだ]
二人を案内した司祭も「そのシシリアーナ枢機卿が動くように、異教徒たちを動かすと仰っているから、変えようのない未来なんだ」と――
[総司令官に何かあっては困るので、副司令官を前線に送るのだが、この副司令官になってくれないか]
上流階級のしがらみを知らない一般人などが聞けば「君主の身の安全はいいの?」となるが、
[喜んで]
君主ともなれば、総司令官であるシャルルになにかあった場合、多くの大陸において大問題が発生するのは分かっている。それを自分が副司令官に就くことで阻止できるのであれば――金はないが高貴な生まれの君主にとっては、まさにノブレス・オブリージュに該当する。
[そうか、受けてくれるか。その時が来るまでは、内密に。それで君主には一時的に聖職者になって貰う必要がある。その間も君主一族として君臨してもらわねば困る。裏では教会が政治を回すが、表向きは君主の伯母に代理で治めてもらう形にする]
――するって断言され……て。いや、まあ、これで邦領の借金問題から、国終いまで片付いたな
隣で聞いていたマンハイムの男は、君主の問題が片付いて良かったなと……片付くまでに大仕事があるのだが。
[畏まりました]
[伯母は独身だったな。君主代理が独身となれば、男が纏わりつくことや、あらぬ噂を立てられるだろうから、結婚させる]
[はい。閣下のお考えのままに]
[そうか。では、斜め四十五度の父で。相手は再婚になるが、構わないであろう。あれならば、そのまま伯母を引き取ってくれるであろうし]
斜め四十五度の父というのは上流階級の間では「穏やかで性格の良い男」として知られた人物で、裏表などは一切ない、そして才能らしいものもほとんどない信頼できる男であった。
[伯母と結婚させるならば、君主一族がいいか? 侯爵家の六男は不服か? ならばマイトアンバッハ邦領の君主にしよう。結婚する際には、斜め四十五度に継がせればよい]
マイトアンバッハ一族が絶えたのは、彼らも知っている――君主の領地と同じくらい不便なところだが、リリエンタールに繋がるアレクセイが婿入りするのが決まっていたので、わりと話題に登りやすい一族だった。
そして一族総出の旅行で不慮の事故に遭い、一族が滅びるという、当主と跡取りは別行動を取るのが原則の貴族にはあり得ない出来事――その後、アレクセイが新国家を樹立するなどしたので、婿になる筈だったアレクセイに殺害されたのだろうということで、上流階級はそれ以上触れなかった。
リリエンタールならば阻止できただろうが、彼が阻止しなかった時点で「そういうことなのだろう」と、上流階級の人々はマイトアンバッハ一族を、記憶の片隅へと追いやった。
[マイトアンバッハですか……そこまでしていただくのは申し訳ありません。なにより伯母は当主であるわたくしから下された命に、異を唱えることはしませんので、ご安心ください]
君主に政略結婚だと言われて文句を言うような伯母ではない――昔の女性なので、君主の命に黙って従う。
[そうか。必要となったら、すぐに教会に届けよ。なあに、ぎりぎりでも心配する必要はない。我々にはアントニウスがいる。アントニウスが一言”君主を務めよ”と命じれば良いだけのことだからな]
ボナヴェントゥーラ枢機卿はそれ以上強く勧めてこなかった。
そして二人は解放され、執事を伴い――教皇領の国境を越えたところで、
【ふぅー】
【はぁー】
大きく息を吐き出し、顔を見合わせてから、
【邦領は継続と終了、どちらも選べるようになったぞ】
マンハイムの男は執事にそう教えてやった。
【それはよろしいのですが、その代償は?】
執事の視線を受けた君主は、
【領民を売ろうと思っていた相手と、一戦交える際の責任者に。時が来るまでは、口外してはいけない】
うっすらと笑いながら答え――執事の顔色が曇る。
【君主。売っていたら教会に取り戻して貰う前に、戦争に投入されて全員されて死んでいたのでは。もしくは、戦意高揚などで殺害されるか】
どのタイミングで戦争が起こるのか分からないので、仕方ないのだが、彼らの想像通りにはならなかった……らしいことを執事に指摘された。
【あ……戦争まで計算していなかった】
【六世紀ちかく戦っていないので、仕方有りませんが、売っていたら、わたしと君主はこれ以上ないほど無駄な拷問で死ぬところでした】
【そうだな。売らなくて良かった】
マンハイムの男は君主と執事に「本当に良いタイミングで声を掛けてくれた」と再び頭を下げられ――彼らは金貸しと高級娼婦が待つ、モンテカルロ大公国へと向かった。
【終わり】
【二人が帰ったあとの教皇庁】
[アントニウスがですか]
マンハイムの男から「デビュタントの準備を命じられました」と聞いたボナヴェントゥーラ枢機卿は「これは教皇に手紙を認めてもらわないと、アントニウスが怒り狂うな」と判断し――話を聞いた教皇は手紙を書く。
[はい。アントニウスがこれ程までに妃の初めてを欲しがるとは、思いもしませんでした]
[そうですね]
手紙を書き終えた教皇は、
[イヴァーノ]
[なんでしょう、教皇]
[わたしも、アントニウスの結婚式をこの目で見たいと思います]
[は? ……参列なさりたいと?]
[はい。アントニウスとカルロスが、あのマックスが大天使と讃えた妃の愛と共に、最高の幸せに包まれている姿を、この目で見たいのです
リリエンタールの結婚式に出席する……と。
[……畏まりました。では、あとはこのイヴァーノにお任せください。アントニウスの最高の笑顔を二人で見ましょう]
教皇が行くといったら、枢機卿は止めようがないので――止めたところで、教皇が直接リリエンタールに「行きたい」と連絡を取れば「分かった」で終わってしまう。
教皇の手紙を受け取り、部屋を後にしたボナヴェントゥーラ枢機卿は、脳内でこの先一年の教皇の予定を組み替える。
[教皇には安全のために、船便を使ってもらおう。となれば、直通便が出ているブリタニアス……]
自分が危険な陸路を使うのは問題ないが、教皇には安全を考慮した……と考え磨き抜かれた廊下を歩いていると、
[閣下。ブリタニアスの女王からの使者が]
オリンド司祭が早足で近づき、耳打ちしてきた。
[丁度良かった。わたしも会いたかったところだ……おそらく、教皇と同じことをするのに、教皇を巻き込もうというのであろう……さあてオリンド、船旅に強い随行員を選んでおけ]




