貧乏君主、国家終いのために動き出す【04】
イヴはリリエンタールの権力を理解していない――権力とは無縁なところで生きてきた、善良な市民なので当然のことだった。
なので全く予想がつかず「わあ、すごーい」程度で、結婚後も「すごいなあ」――リリエンタールの権力のすさまじさは、リリエンタール当人がいないところで発揮されるものなので、リリエンタールと一緒にいることが多いイヴは、見る機会も感じる機会もほとんどなかった。
キースも「全てを知る必要はない」と、誤魔化すのを手伝うくらいには。もちろんキースも全てを知っているわけではない。
【よくぞお越し下さいました、我らがアンディルファードの使者殿よ】
受け付けに呼ばれて急いでやってきた参事官は、分厚い絨毯の上で膝スライディングをする勢いで膝を折り、頭を下げた。
【大使の不在を深くお詫びさせていただきます】
――いきなり来たから、当然だろうに。そういうモノだとは、聞いてきたけど、すっごいな。パーティーで見かける大使とか、偉そうにしてるし、この参事官だって、まあまあ偉そうにしてたよな
イヴよりは権力について詳しいが、ここまで凄まじい権力を目の当たりにしたことのなかった金貸しは権力そのものを目の当たりにして”うわー”と――内心で、ちょっとだけ引いていた。
四人は大使館の客間に通され――君主とマンハイムの男は座り、執事と金貸しは彼らが座ったソファーの後に立つ。
そしてもちろん参事官も立ったまま。
【なにを飲まれます?】
二人にワインでも飲んで時間を潰してくださいと、ワインセラーにある最高級ワインの銘柄を語る。
【レオミュールはないのですよ】
――知ってる
――知ってる
――誰でも知ってるんだな、これが
――知ってます
リリエンタールの領地で作られる世界最高峰のワインは、ノーセロート帝国では手に入らない。
マンハイムの男は無難にノーセロート産のシャンパンを希望し――在学期間は重ならないが、マンハイムの男と君主と参事官は同じ大学出身だったこともあり、その話題で時間を潰した。
――面会予約を取られたら困るというのが、恐怖しか感じない
三人の空々しい「話題に花が咲いた」を眺めている金貸しが、内心で呟いている通り、大使風情がリリエンタールの使者に面会の予約を取られると、よくて更迭、最悪死罪。
そして最悪に天秤が傾きやすい――
それなりに強い心を持っている金貸しだが、冷や汗まみれで二人に対応している参事官を見て恐怖しかなく、隣に立っている執事に視線を向けると、執事も引きつった笑いを浮かべて頷いた。
彼らが応接室に通されてから一時間ほど経った頃、
【我らがアンディルファードの使者殿よ。お待たせして申し訳ございません】
参事官以上に汗をかき、蝋人形かと思うほど血の気を失った顔色の大使が、応接室に入ってくるなり頭を下げた。
大使や参事官が言っている「我らがアンディルファード」とは、説明するまでもなくリリエンタールのこと。
アディフィン王家の、一代前までの家名アンディルファード――現在はアンディルファード=ベッケンバウアー。
言うまでもなく格は一代前のほうが高く、現アディフィン国王はリリエンタールが「アンディルファード」と呼ばれていようが、口を挟むことはできない。
死相が見え隠れしている大使に、マンハイムの男は立ち上がって握手のために手を差し出しながら、
【さすが大使。わたしが用意して欲しい人を連れてきてくださるとは。お褒めの言葉をいただけるとは申せませんが、最善を尽くしたことは報告しておきますので】
合格ラインですよ……と告げ、大使は胸をなで下ろし……はしなかった。これが最低ラインなことは、大使もよく知っている。
大使館職員たちは、会談中の大使の元へと乗り込んだ――普通ならばできないことだが、リリエンタールの小切手を持っていったら、簡単に通ることができた。
他の職員はハンフリー銀行ノーセロート本部の責任者の所へ押し入った。
この時職員はなにも持っていなかったが(大使の身分証明書は持ち出していたが)、大使館職員の絶叫と、それなりの情報収集をしていたので、大使館にマンハイムの男がやって来たことを知り、責任者は実務担当者五名と弁護士を引き連れ急いだ。
また他の職員は万が一の際の命綱として、枢機卿一名と大司教三名に来て欲しいと頼み込み――事情を聞いた大司教たちと枢機卿は「悪いがなにかあった場合、一切助けることはできないが……まあ、わたしたちも君たちと一緒に、神の国へ向かうしかできないぞ」と思ったが、要請に応じた。
聖職者たるもの助けを求めるものの手を振り払ってはいけないのである――助けを求めるに至った元凶も、彼らと同じく聖職者だが。
【我らがアンディルファードと話されたことが?】
【話はございませんが、直接命令を下されたことは何度かございます。今回も直接賜りました】
マンハイムの男がリリエンタールから複数回、直接命令を受けたとここで初めてきいた君主も、ソファーから飛び上がるほど驚いた。
マンハイムの男は嘘はいっていないし、誰も命令の内容を詳しく聞いたりしない――今回のデビュタント準備はともかく、言われなくても口外してはいけない案件であることが分かる影武者と、女性用恋愛小説集めという謎の命令なので、こちらも口外し辛いし、することはない。
【それはまた、素晴らしいことですな】
それを大使は素直な気持ちを語った。
この大使も良いところの生まれで、大使として長いが、リリエンタールから直接声を掛けられたことは一度もない。
そしてこの場には大使と会談中だったノーセロート首相も一緒にやって来ており、その首相がもっとも震えている。小刻みというレベルではなく、壊れる寸前の「なにか」状態。
ちなみに一緒にやってきた秘書官たちも震えている。
彼らが震えている理由は、リリエンタールの小切手。
リリエンタールがノーセロート帝国で、どれほどの額を下ろすかにより――ノーセロート帝国のハンフリー銀行が預かっている金が消える。
それが可能なほどリリエンタールは金を持っており、ノーセロート帝国はそういう目に遭う覚えがあった。
いまにも心臓が止まりそうなノーセロート帝国首相を横目にマンハイムの男は、君主の防衛費を支払い、新たに小切手を切りリリエンタールの金を金貸しと執事、そして君主の口座に振り込むようハンフリー銀行に依頼した。
【さっと金を支払うには、この小切手は向かないので】
――毎回大使が顔面蒼白になって、大臣たちが震えて、聖職者が祈りを捧げ、銀行が「金の調達間に合うか?」って頭を悩ませるような小切手は、使い勝手悪いだろうな。皇帝本人は、大使や大臣や枢機卿や銀行が死にかけても、気にしないんだろうが……支配者恐えーな
口座を二つほど貸すことにした金貸し。
余った金はそのまま懐に収めていいと言われて貸したものの、入金された額の桁数と、この状況を見る分には、余った分は返したほうが賢明なのではないだろうか? と――この世界で一つしかない、双頭の鷲が印刷された小切手を眺めていた。
アディフィン王国大使館員たちの寿命を軽く五年は削り、ノーセロート首脳に息の根が止まる恐怖というものを教え込んだ小切手事件は無事終了し――君主はこの前値切りに応じてくれた高級娼婦を呼び、前回足りなかった分と、今回の夜会の相手を頼んだ。
高級娼婦は喜んで応じ――ノーセロート帝国で服を注文してから、その高級娼婦を伴って、モンテカルロ公国へ向かうことになった……のだが、
[ご同行、お願いいたします]
彼らが滞在しているホテルの部屋に、勝手に入った男女にそう声を掛けられた。
[……もちろん]
彼らが使っている言葉で、君主とマンハイムの男は、どこからの使者か理解し素直に従った。
君主とマンハイムの男と執事は、謎の男女ことプラチドとフィオレンツァに連れられ、教皇領へと向かった。金貸しと高級娼婦の二人は、プラチドの手配でモンテカルロ公国へ――教皇領には金貸しや娼婦は立ち入ることができない「決まり」になっている。
<怖ろしかったな、あいつ>
”もちろんお連れすることはできますよ。ただし、後々の身の安全までは保証できません”――プラチドの言葉に、二人は教皇領へ足を運ばなかった。
もともと、そう言う立場なのはよく知っているし、無理をして立ち入った金貸しが、縁もゆかりもない国の川に浮いていた……という噂も聞いたことがある。
本当かどうかは知らないが、そういう目に遭う可能性は否定できない。
<そうねえ。たぶんあの枢機卿の部下よね>
<だろうな……せっかく、遊ばせてもらえるんだ。あいつらが来るまで遊んでおこう>
二人は「ボナヴェントゥーラ枢機卿と会って、いろいろ聞かれたり、もしかしたらなにか仕事を振られたりするかもな」などと思っていたが、
――まさかの猊下……
――猊下……
ボナヴェントゥーラ枢機卿を従え、教皇の座に腰を下ろしている教皇の前で跪いていた。
[よく来てくださいました、兄弟よ]




