リリエンタール楽団の憂鬱・2
この世界の高貴なる生まれである以上、
「ちぇやややや!」
覚えておかなくてはならないことがある。
「今日も元気ですね、パウル」
「ちぇやややや!(もちろんだ、元教皇!)」
それは宗教。支配者としてこの辺りは押さえて置くべきこと。
パウルの宗教教育は教皇の座を退き、一枢機卿に戻ったガレアッツォ。任せたというよりは、ガレアッツォが希望したので、リリエンタールがイヴに許可を取り滞在と宗教教育を許可した。
ちなみにリリエンタールは聖職者ではなくなったが、いまだに異端審問官のアドバイザーを務めている。
リリエンタールほど賢い男はいないので。
聖界とも深いパイプを維持し――パウルは城、または宮殿(大統領府)に併設されている教会で、毎日僅かな時間ながらガレアッツォが聖典を読み聞かせ、宗教行事を見せながら説明、聖歌を聞き、
「ちぇややややややや!」
パイプオルガンを奏でるガレアッツォの膝に座りながら、パウルは聖歌を歌う……多分歌ってる。
「気に入ってくれましたか」
「ちぇややや! (もっと! もっと!)」
聖歌やパイプオルガンに触れているのなら音楽好きになるのでは? と思われそうだが、全く違うもの扱いなので好きになってもらえるかどうかは分からない。
聖歌はあくまでも宗教儀式の一つで格調高いもの。対する楽団は宗教儀式には一切関わることができないため、それ以下と分類されるため。
どちらも好きではなかったとしても、当主として宗教に寄付するのは義務だが、楽団への寄付は当主の気分次第――とことん浮き沈みの激しい部署なのだ。
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ある日のパウルが居る部屋――
「いやあ、ほんと楽しいねえ」
「ちゃややややや! ちぇや!」
「パウルが何を言っているのか、分からないからお望みのものに姿を変えられているかどうか分からないけど……はい、ペガノフ」
「ちぇやーーーー! ちゃあああ!!」
室長も入り浸り、パウルを可愛がっている。
室長本人は「孫がいないからさ」と言い、その台詞を隣で聞いているイェルハルドが遠い目をするまでがセット。
室長が遊びに来たさいは、護衛たちも遠ざけられ――二人が一緒にいる姿は許された人しか見ることができず。
許可されていない人が、二人一緒に遊んでいる姿を覗いてしまった場合、たとえ偶然であろうとも――
鶴の恩返しは、覗かれた鶴が姿を消しますが、室長は恩返しもなにもないので、覗いた人が消えます、あしからず。
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忙しく、色々なものに楽しく接しているパウル――
そのパウルにもっとも容易く接近できて、多大な影響を与える熱量を持つ集団――楽団が羨ましくて仕方がない相手たちが存在する。
「パウル! お土産もってきたよ!」
「ちぇややや! (でにしゅたち!)」
デニスたちこと蒸気機関車軍。
通常は「朕のイヴに朕絡みの頼みごとをするなど、許さぬ」なリリエンタールだが、蒸気機関車軍の中核、後の鉄道総督デニスはイヴの弟なので、
「パウル、蒸気機関車見にいこうね」
「ちぇややや!(お土産を寄越すんだ!)」
「蒸気機関車の模型だよ。また完全再現してくれたよ、セレドニオが」
「ちぇやややや!(ありがとう! でにしゅたち!)」
”姉さん、パウルと遊んでいい?”と、気軽に頼めるのだ。
楽団員もデニスのようにパウルを誘いたい、音楽を聴いている間に寝てしまってもかまわない……という気持ちはあれど、パウルに関する全ての権限はイヴと、リリエンタールが明言しているため、イヴ側から近づいてくれるまでじっと待つしかなかった。
余談だがイヴは楽団は嫌いではない。
何時でも生演奏を聴けるのは凄い! と思っているのだが、なにせ庶民。
前世も今世も、善良な一庶民。そんなイヴが気分で「楽団を」や「四重奏が聴きたい」と楽団を呼ぶなど出来るわけがない。
大体楽団の維持費用は全てリリエンタールが持っているので、イヴは自分で使うという気持ちにはならない。もちろん「わたしのものは、すべてイヴのものだよ」と言われていても。
リリエンタールはそういうところを好ましく感じているが、楽団としてはもう少し我が儘でも良かった――が、どうすることもできない。
「ちぇや! ちぇや!」
城のほうには、模型専用のレールを敷いた部屋がある。
弟の蒸気機関車趣味に「ああああ……」していたイヴだが「小さい子……だけじゃないけど、ミニカーとか好きかもしれないもんね。この時代は車の模型はないから、蒸気機関車模型が代わりに」と否定しなかった。
なによりこの八十畳ほどのジオラマ部屋は、パウルが生まれるより前からあった。
「サーシャさん改めジークさんと仲良くなりたいからさ」というデニスからの申し出に――なんでサーシャって分かるの? と思いつつも、何時かサーシャ本人から聞こうと思っているイヴは、深く追求しなかった。
だがデニスが分かるということは、蒸気機関車について何らかの関係があるのだろうことは分かった。
”そういえば、作戦で蒸気機関車操縦してたもんな”
義理とは言え息子と血のつながらない弟が仲良くなってくれるのは嬉しい……ということで、イヴは閣下に頼み――嫁の頼みともなれば、二つ返事なのが閣下。
許可を得たデニスとサーシャは、模型を手に蒸気機関車に関して話をしているうちに距離が近くなり、それは閣下にも及んだ。
いまジオラマが設置されている部屋で、気付けば蒸気機関車模型を手に、サーシャと閣下が雑談をするようになり、イヴは二人の距離が縮まるのを嬉しく見守った。
時にはデニスやその他、蒸気機関車君たちも交えて会話に花が咲き――気付いたら一室が蒸気機関車模型専用部屋に。
ジオラマは「二人の子にも楽しんでもらえるように」という名目で作られた。
もちろんその時イヴは妊娠していなかった――蒸気機関車君たちの動きは速い。その速さは完全に善意から出たもの。
小さい頃から、蒸気機関車に触れられたら楽しいよねという、彼らの幼少期からの希望。
もしも女の子だったら? という問いに対してだが、女子にだって蒸気機関車好きはいるのだから、問題はないという、先進的な考えの持ち主しかいなかった。
とにもかくにも、義理の親子が仲良くなり、義理の親戚同士も近しくなり、
「ちゃやややや!」
「今回も気に入ってもらえてよかった。あ、パーツも作ってきたんで、壊れたら修理お願いしますねジークムントさん」
遊べる精密な玩具というものが、まだ存在していない世界なので、前衛芸術家セレドニオ・モンタニエが、わりとちょくちょくそうなるが、その称号をかなぐり捨てて作る精密蒸気機関車模型は、
「にしゃ、ちぇややや!(にいしゃま、面白いね!)」
「楽しいね、パウル」
年齢を問わず大人気――
ちなみに模型用の室内ジオラマ。これも前衛彫刻家の……以下省略。
兄弟仲良く蒸気機関車模型で遊び――クライン・ジークムント鉄道がロスカネフ王国内にあるリリエンタール所有の広大な土地に作られた。
「なんでこうなった……」
「にしゃ! ちぇややや! ちややややややや!(にいしゃま、てーぷかっと、てーぷかっと!)」
クライン・ジークムント鉄道の開通式。その日、
「これでも、忙しいんだぜ」
「では来るな」
「息子の鉄道が出来たって聞いたら、駆けつけるしかないだろう」
バルツァー共和国の大統領ヴィルヘルムまで駆けつけた。ただのパウル用お遊び鉄道の開通式だというのに――ヴィルヘルムことリトミシュル辺境伯の性格を知っていれば、必ず駆けつけることは明らかだが。
そしてその開通式の、音楽を奏でるために――軍楽隊と競い合い「キースも来るからな」ということで、楽団が演奏の権利をもぎ取った。




