邦領君主の回想と返答・8
ロスカネフの国際港に降り立ったカール・ハイドリッヒ夫妻とその長男フランツ ―― もちろん召使い三名に護衛が三名、秘書が一名付き従っているので、それなりの集団だ。
下船して荷物運びを雇っていると、
【クルヴェルラント侯主】
貴族の使用人と一目で分かる、時代遅れで地味なアビ・ア・ラ・フランセーズ姿の顔なじみが右手を挙げ駆け寄ってくる。
【ヘラクレス!】
ヘラクレスは当初は軍人として身を立てていたが、病により普通の生活は可能だが、軍人を続けることができなくなり退役した。
その後就職口を探し、声が良く朗読が上手かったこともありリリエンタールの読み上げ係になり、今に至る。
【お待ちしておりました、クルヴェルラント侯主。貴人を急かすのは失礼だと分かっていますが、鉄道の時間がぎりぎりなので】
【そうか。よしフランツ、お前も手伝いなさい】
人を雇っている時間はないと ―― ヘラクレスが調達してきた馬車に、カール・ハイドリッヒ自ら荷物を積み込み、急ぎ駅へと向かい、
【なんとか間に合いました】
今度は馬車から荷物を降ろし運び込み、予定していた鉄道に無事乗り込むことができた。
予約していた一等客室の座席に腰を降ろしたカール・ハイドリッヒは、
【ふう……ヘラクレスも座ってくれ】
【お言葉に甘えて】
心から「疲れた」と分かる溜息を吐き出し、使用人から水を受け取り一気に飲み干してから、頼んでいたことについて尋ねる。
【面会予約は?】
カール・ハイドリッヒはキースとの面会を調整して欲しいと依頼していた。
【面会予約は取れましたが……】
四年ほど前にロスカネフを訪れた時には、気軽……とまでは言わないが、キースはまだ北方の司令官だったので時間に余裕があり、前日に連絡を入れる程度で会えたが、現在は総司令官で軍務大臣、さらには一時的に国政のトップとして、日々忙しく政務をこなしているので、簡単には面会できない。
【どうした? ヘラクレス】
カール・ハイドリッヒの向かい側に座ったヘラクレスは、少しだけ上を見ながら ――
【リリエンタール閣下からの伝言ですが……”キースはわたしの結婚式、そしてその後のパーティーに出席するので、そこで幾らでも話せるぞ”と】
”そう伝えろ”と言われたことを口にする。
それを聞いたカール・ハイドリッヒは一分以上呆気にとられた表情のまま硬直し、
【嘘だろう!】
持っていたコップを床に落としながら立ち上がり、大声を上げた。
【いえ、嘘ではありません。本当に参列します】
カール・ハイドリッヒからキースとの面会を調整して欲しいと頼まれたとき、ヘラクレスはすんなりと受けたが ―― カール・ハイドリッヒの考えは全く理解していなかった。
ヘラクレスは連絡があったことをベルナルドに伝え、そこからリリエンタールの耳に入り呼び出され、
【…………】
【…………】
アーダルベルト・キースという男がツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフの結婚式に参列するなど思いもしないであろうと告げられた。
聞かされたときヘラクレスは「そういえばこの二人は、協力しあえても、そういう関係だったな」と思い出した ―― イヴ・クローヴィスが現れてから、二人の関係は大きく変わった。
関係を変えたイヴ・クローヴィス本人は「変わんないねー、この二人。まあ知ってるけど」などと思っているが、彼女が思うよりずっと変わった。
不思議なことにその変化を側で見ている者たちは、変わったことを自覚しながら当たり前のように受け入れる。
【本当に?】
驚きのあまり君主らしからぬ行動 ―― 意味もなく立ち上がってしまったカール・ハイドリッヒは見下ろす形になったヘラクレスに「本当なのか」と見つめながら問い、
【本当です。信じられないでしょうが、結婚式に呼ばれないのは不服だと仰るくらいには】
【っ! …………そうか! ……なにが”そうか”なのか分からないが、そうか!】
自分の答えに笑い出し、椅子に腰を降ろし直す。
”キースはオデッサの結婚式には来ないだろうから、会いに行こう”と思い面会を手配したカール・ハイドリッヒの行動は無意味であったが、面会予約を入れたからには会わねばと、首都に到着すると妻子たちをホテルへと向かわせ、カール・ハイドリッヒはヘラクレスとともに、その足で中央司令本部へと向かった。
事前にヘラクレスが手はずを整えていたこともあり、何の問題もなくキースが待つ応接室へ。
応接室のドア前には既に親衛隊隊員二名がおり ―― キースは応接室に既に足を運んでいた。
ヘラクレスがノックをし「どうぞ」とキースの声がし、ドアを開けるとソファーに腰を降ろし、若い士官が持っている書類に指さしながら指示を出していた。
【忙しいところ済まない】
【構いはしませんが】
書類を持っている好青年さが溢れている副官は、カール・ハイドリッヒに頭を下げ、従卒に指示を出しコーヒーが運ばれてくる。
【卿がオデッサの結婚式に出席するなどとは、思わなかったから面会予約を取ったのだ。結婚式に参列するなら、教えて欲しかったよ】
キースの向かい側に座ったカール・ハイドリッヒがそう言うと、キースは一口コーヒーを飲み、
【電報如きで信じましたか? このわたしがツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフの結婚式に参列するなど……わたし自身が一番信じられないというのに】
そう言って微笑む。
【少し変わった】
【なにがでしょうか?】
【四年前よりずっと良い雰囲気になった】
【……そうですか】
コーヒーカップに視線を落とした表情は、とても自然で穏やか。以前はどこか澄ました雰囲気があったが、今はそれがなりを潜め、以前に増して大人で頼りがいのある風格に。その変化は地位や階級だけではない ――
【卿の変化、オデッサ大公妃が少しは関係しているのかな】
【していますね……どうしました?】
【いや、あまりにもあっさりと認めるものだから。オデッサ絡みなら、もう少し抵抗するかと】
【わたしも年を取って丸くなったのですよ】
【卿に限って、それはないと思うのだが】
二人の会話を理解できたウルライヒは、心の中で思うところを述べていた ―― ウルライヒの意見は概ねカール・ハイドリッヒ寄り。
【オデッサ大公妃はどのような方なのか教えてもらえないだろうか?】
【あれを好きになるくらいですので、男の趣味はよろしくありませんが、あれを易々と陥落させるほどの良い女です。難攻不落の代名詞ともなった男が、為す術なく籠絡されてゆくさまは、見ていて爽快でした】
【それはまた……アーリンゲが言うには、とても美しい女性だと】
【フォルクヴァルツ、リトミシュル両閣下が大天使と呼ぶくらいには。美貌に関しては、我が国の国王陛下ですら及ばないと陛下御本人が認めておられます】
ロスカネフの国王ガイドリクスは、地上全ての王族を見たことがあるリリエンタールが「もっとも美しい王族だ」と評している。その王ですら敵わないとなると、
【そうか。お会いするのが、今から楽しみだ】
純粋に興味を持つのは当然のこと。
【あれの嫁自慢がセットになっておりますが】
【それはそれで楽しみだよ】
二人が会話を続けていると、ドアを乱暴にノックし、返事も聞かずに親衛隊員が飛び込んできた。
「閣下!」
「なんだ?」
「港で不審者が! 標的は分かりませんが狙撃手が国賓を狙った可能性が高いとの報告です」
「負傷者は?」
「おりません」
「狙撃手は捕らえたのか?」
「狙撃手は……その……第一報では隊長……じゃなくて、クローヴィス少佐が……仕留めた……と……」
ロスカネフ語は難しく、カール・ハイドリッヒはついに覚えることはできなかったが、”クローヴィス”は聞き取ることができた。
「クローヴィス! あの娘は! 何をしていやがる! ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフ!」
立ち上がり親衛隊隊員に怒鳴りつけるキースの姿に「クローヴィス」がオデッサのクローヴィスでなければいいが……と思うも続いてキースの若い頃そのままのツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフの叫びに、「うん」と心中で意味なく頷きカップを上品にソーサーに置いた。




