邦領君主の回想と返答・5
カール・ハイドリッヒたちが二年に進級してすぐ、リリエンタールの父親が病に伏し ―― 年齢もあるので死期が近いと診断され、遺産相続の絡みがあるので正嫡男児たちが呼ばれた。
正嫡女児たちは、男児の孫がいる者だけが呼ばれ、それ以外は見舞いに訪れても良いという許可だけは出された。
非嫡出子たちは生母も含めて、使用人棟の滞在は許可されたが、リリエンタールの父親・バイエラント大公ゲオルグに近づくことは許されない。
【わざわざ見舞いにいっても、遺産がもらえるわけでもないのにな】
【正嫡はともかくなあ】
同期生たちが食堂でそんな話をしている ―― 彼らが言っているのは正嫡のリリエンタールのことではなく、同期生のリーンハルト・ハーラー、後にアイヒベルク伯爵を与えられるリリエンタールの三日年上の庶子。
リリエンタールは公休扱いでアディフィン国王夫妻が旅費を持ち、共にバイエラント大公国へと向かったが、アイヒベルクは欠席扱いで、実費での訪問。
【…………】
ヘラクレスと共にテーブルにつき、ウィンナーを食べていたカール・ハイドリッヒは、兄が大勢いるリリエンタールがつくづく羨ましいとおもった。
二歳でクルヴェルラント侯国の君主となったカール・ハイドリッヒ。
この若さで君主になっていることからも分かるように、ショルファル家は彼一人しかいない。
カール・ハイドリッヒは父親である先代君主の晩年に生まれた、唯一人の子、先代はなかなか跡取りに恵まれず、三度目の結婚でやっと後継者をもうけることができた。
カール・ハイドリッヒが誕生したとき、先代は六十八歳 ―― カール・ハイドリッヒが二歳になった時、先代は風邪を拗らせあっけなく死去し、幼い彼が邦領君主の座についた。
【腹違いの姉兄が大勢いるらしいよな】
近隣の列強のちょっと上流階級のことを知る余裕のある者たちにとって、リリエンタールの父親の気ままな性生活は周知のこと。
庶子も気前よく認知し ―― 二人ほど自分の子ではないと思しき子も認知しているが、貴族社会では認知されていれば血筋が違っても「庶子」と見なされるので、特段問題ではない。
【腹違いでも兄姉がいるのは、羨ましい限りだ。わたしにも、一人二人くらい……オデッサは両方合わせると三十人近くいるんだよね】
リリエンタールの父親は前妻との間に十人以上、大勢の愛人の間に一人ずつもうけて、こちらも十人以上 ―― 曖昧なのは夭折した子や表に出せないと判断を下された子などはぼかされているので、よほど近いところにいない限り、大まかなことしか分からない。
それでも、三十人近い子供がいるのは有名だった。
【兄弟なんて大勢いても、いいもんじゃないけどなあ】
地主貴族の息子ヘラクレス、彼は十四人兄弟の八番目。姉も兄も妹も弟も満遍なくいた。
六人の娘全員が嫁に行きたいと言っても、相応の持参金を持たせて嫁に出せるくらいには実家は裕福。
ソーセージを食べ終えたカール・ハイドリッヒはテーブルに俯せになり、
【ないもの強請りってヤツだね】
でも三人くらい兄弟が欲しかったなあ……とカール・ハイドリッヒが漏らす。
【俺も五人くらいが良かったな】
十四人兄弟の八番目という、自分で身を立てなくてはならない生まれのヘラクレスも呟く。
貴族は原則長男一人が全てを継ぐ。
もちろん弟たちが出世しそうだったり、店を持ちたがった場合、ある程度の援助をしてはくれるが、使い物にならなければ、うち捨てられるだけなのも事実だった。
【なによりもオデッサ。ちゃんとお父上に会いに行ったかなあ】
テーブルから顔を上げたカール・ハイドリッヒはしみじみと ―― 「父危篤」という連絡を受けたリリエンタールだが、学校に復帰したヘクトルに対し、路傍の石の如き視線を向けるのと同じように、この連絡も完全に無視した。
どのような伝手で「訪問しそうにない」ことを知ったのかは不明だが、神聖帝国を継いだバイエラント大公の息子で長子扱いとなっているコンスタンティンが、義兄のアディフィン国王や大司教などに頼み、なんとかご足労を願うことに成功。
【どうだろうね。カイザーは”片手で数えられる程度見かけた老人が死にそうだからといって、何故わたしが足を運ばねばならぬのだ”だったから……】
興味のない父親の元へと向かったリリエンタール。
彼は末子ながら、父の財産を全て継いだ ―― 自らが後継者だと思っていたのに国を継げなかった五男と一悶着あったが、遺言の効力は絶対。
【おめでとう、オデッサ】
リリエンタールは父親の全財産を継いで、幼年学校へと戻った。
【ゲオルグが死んだのは喜ばしいことなのか】
【ちがう! そんな失礼なこと言わない】
【失礼ではないと思うぞ、侯主】
【そんな感じのオデッサに対して、わたしがオデッサのお父上のことを触れると思う?】
【確かに。では喜ばしいのは?】
【当主になったんでしょう?】
【…………ああ、それか。なった】
【オデッサにとっては喜ばしいことではなかったんだね。じゃあいいや。ヴィルヘルムとアウグストとの旅行お疲れさま】
【ああ、疲れたな】
リリエンタールと共に休んだリトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯。この二人がなにをしようとしていたのは分からないが、リリエンタールについていったことだけは確かだと ―― 全校生徒が思い、何をしたのかの予想を立て、投票して楽しんだ。
もっとも数が多かったのは「堂々とした態度で、遺言状公開の際、親族席にいる」だった。
カール・ハイドリッヒも「そういうことしそうだな」と考え、それに投票した。
【ハーラー、お父さまが亡くなられたことお悔やみ申し上げる。なにか困ったことがあったら相談に乗るから、一人で悩まないようにしてね】
リリエンタールと一緒にいるハーラーに、カール・ハイドリッヒはごく普通の挨拶を。
【お心遣い、ありがとうございます、侯主】
【それで、二人が欠席している間の授業のノート。オデッサは見なくてもいいと思うけれど】
三冊ほどのノートを差し出すと、リリエンタールが一冊手に取りぺらぺらとめくり、
【一通り読ませてもらう。それと侯主、スペルを間違っている】
単語を指さす。
【侯主はよくこの単語のスペルを間違うから注意しろ】
【ありがとう、オデッサ】
決闘騒ぎの後「ゲオルグ大公の庶子」と周知され、なんとなくリリエンタールに近づくことができるようになったハーラーも、もう一冊ノートを手に取り同じくスペルミスを確認する ―― ハーラーはリリエンタールとは違い、学業の遅れを取り戻すためにカール・ハイドリッヒのノートはとても役に立った。
【俺たちにはないのか】
【君たちは行かなくてもいいのに行ったんだよね、アウグスト】
【待遇の改善を要求する】
【ヘラクレスがまとめて用意しているよ、ヴィルヘルム】
【おう、感謝する!】
もちろんこの二人もリリエンタール同様、特に必要はなかったのだが ――
**********
彼らが三年に進級したある日、神学で分からないことがあったカール・ハイドリッヒは正典を手にスパーダ神父がいる礼拝堂へと向かう。
軍人になろうとしている、上昇志向が強い若い少年たちは、不信心ではないが、あまり礼拝堂へ足を運ばない。
礼拝堂へと続く、昔の騎士団本部が残る質実剛健な廊下は人気がなく、カール・ハイドリッヒは自分の足音だけを聞き、入り口の扉を押し開くと、
<アント……!>
祭壇前の紅顔の美少年が笑顔で出迎えてくれたのだが、人違いだったことに気づくと、笑顔はすぐに消え”ぷいっ”とそっぽを向かれてしまった。
カール・ハイドリッヒとは初対面の少年。
艶やかな栗色の巻き毛は鎖骨に掛かる長さで、アーモンドのような目に、透き通るようなヘイゼルの瞳で、溢れんばかりの愛くるしさがあった。
彼が着用しているのは、どこのものかカール・ハイドリッヒは瞬時に判断できないが、胸元に聖印のある純白の僧服から、少年聖歌隊なのは明らか。
【どうしました? フォン・ショルファル】
礼拝堂にいたスパーダ神父がいつも通り声を掛けてくれ、
【お尋ねしたいことがあったのですが、ご来客中でしたら】
【気にしなくて結構です。どこですか?】
長椅子に腰を降ろして、カール・ハイドリッヒの質問に答えてくれた。
紅顔の美少年はそっぽをむいたまま ―― 質問はすぐに終わり、
【ありがとうございました】
【いいえ。礼拝堂の扉は開かれておりますので、いつでも来てください】
【はい。それでは失礼いたします】
先ほどよりも丹念に頭を下げて礼拝堂をあとにし、先ほどと同じく人気のない石畳の古びた廊下を引き返していると、学舎のほうからリリエンタールが一人やってきた。
【教会の聖歌隊の少年はオデッサの客?】
リリエンタールはこくりと頷く。
【そっか。待ちくたびれているみたいだから、急いで行ってあげなよ】
【あれのことだから、失礼な態度を取ったのではないか?】
【いいや。ほら、急いで!】
カール・ハイドリッヒは背中を押して手を振り見送る。
【あれ? そういえば、先ほどの美少年、どこかで見たことがあるような……】
”はて? 誰だったっけ。でも初対面だよね”と、どこか引っかかりを覚えつつ寮に戻る。
紅顔の美少年に会ってから一ヶ月ほど経過したとき、リリエンタールと寮の部屋で二人きりで話をしていると、不意にその時の話題になり、
【あの日、礼拝堂にいた聖歌隊の紅顔の美少年、どこかで見かけたような気がするんだけど】
何気なく口にしたところ、
【シャルル・アントワーヌ・ギヨーム・アンリ・ラウール・ジェラール・ド・パレ。パレ復古王朝ノーセロート王国の王太子だ】
ことのほか大物の名前が返ってきた。
【彼が……ああ! アンリ美男公の若いころの肖像画に似てるんだ!】
アンリ美男大公とは、大陸でも名の知れた美男で、シャルルの外祖父にあたる。
【たしかにあの肖像画に似ているかもな】
とある有名画家が描いたアンリ美男公の肖像画は、模写も多く出回り、多くの人が目にしている。
美男と名高かった外祖父を持つシャルルだが、聞けばリリエンタールと教皇庁の寄宿舎で一緒に学んでおり、長期休暇の際には顔を合わせていたのだが、
【わたしが会いに行かないので、会いに来たと偉そうに言われた】
シャルルはそれだけでは足りなかったので、時間を作り身分を隠してやってきた。
【会いたかったのは本当だと思うよ。勘違いされてわたしに向けられた笑顔、とっても幸せそうだったもの】
その後訪れたリリエンタールに対しては「遅いんだよ」と、口元をへの字にして不満を訴え、笑顔は欠片もなかった。
***********
数え切れない出来事に首を突っ込み、巻き込まれ、もみ消せるのにわざわざ教官の目を盗んで校則違反をしたり、あるときは理事長の前でわざと騒ぎを起こしたり、カール・ハイドリッヒの人生においてもっとも濃密で楽しかった三年間は終わりを迎えた。
卒業式を終えた彼らは、再会を誓いながら別れ ―― リリエンタールはルース帝国へと向かう。
”次に会えるのは、わたしかオデッサの結婚式かなあ……お祝いのお金貯めておこう”そんなことを考えながら、カール・ハイドリッヒは修道院にいる婚約者と文通を続けていた。
【また政変?】
長閑な田舎であるクルヴェルラント侯国に、ノーセロート王国で政変が起こったと連絡が届いたのは、卒業してすぐのことだった。
王の座についていた名前しか知らない老人に対し、カール・ハイドリッヒは何ら興味はなかったが、
【また死刑か】
リリエンタールに会いに来ていた王太子の笑顔が脳裏にちらつき ―― 軍事力のない邦領君主にできることは、抗議の手紙を出すことくらい。
無駄で読まれずに捨てられている可能性のほうが高かったが、カール・ハイドリッヒは伝手を頼って抗議の手紙を送り続けた。
【あの難攻不落といわれた、ヒル=ボライン要塞を……初めての実戦でそこまで成果を出すとは、さすがオデッサ】
前の革命が起こった際、死刑を宣告されたパレの王と王妃、そして王子が監禁された要塞ヒル=ボライン。
多くの者が王の家族を助け出そうとしたが、要塞に阻まれ救出は叶わず、彼らはギロチンの露に消えたのだが、難攻不落を謳われた要塞はリリエンタールに易々と打ち破られ、シャルル王太子は無事に救出された。
その後は脅威の進軍速度を持って南下し、リリエンタールは次々とノーセロートの植民地を奪い、手の付けようがない快進撃を続け、ノーセロート政府が休戦のための伝手探しを行い、カール・ハイドリッヒの国にまでやってきた。
”藁にもすがるとはこのことか” ―― 大国の使者が「学生時代良好な関係で、現在の進軍に荷担していない君主に是非仲介役を」と頼まれ、フォルクヴァルツ選帝侯とリトミシュル辺境伯爵は既に加わっていることを知り、
【抗議文を送ったのは、シャルル・ド・パレを思ってのこと。君たちは軽蔑の対象でしかない】
引き受ければ優遇措置を受けられると提示されたが、
【断る。使者は帰るそうだ。見送れ】
カール・ハイドリッヒは仲介役を断った。
教皇が出てくるまでやり遂げたリリエンタール。大陸に戻ってきて一通りの事後処理を終わらせ ―― ルース皇帝夫妻の間に待望の男児が誕生し、アレクセイと名付けられた。
そのことにより、リリエンタールの立場は更に曖昧なものになるも、ルース皇帝に命じられ新南大陸のルース植民地統治のため、再び大陸から旅立ち ―― そしてルース帝国は地上から消え、リリエンタールの手元には、捨てられないルース皇太子の称号が残った。




