邦領君主の回想と返答・3
脛を金槌で叩かれ怯んだ教官に一瞥をくれてから、リリエンタールはヘクトルを殴ることを再開する。
殴りつけることも、血を浴びることも厭わず、その容赦のなさは、撲殺でもするのか? と思わせるほど。
【うわーすげー】
フォルクヴァルツ選帝侯の場違いな陽気な声に、いままで驚きで動けなかったヘクトルの取り巻きが、
【離せ!】
【やめろ!】
叫び声を上げながら近づいてきた。
するとリリエンタールは殴るをの止め ―― 取り巻きたちは安堵したが、リリエンタールは攻撃の手を休めるつもりなどなく、胸元のほかにベルトを掴み、小刻みに痙攣しているヘクトルを盾のようにして近づいてきた取り巻きたちに攻撃を加える。
【シールド・バッシュ……】
盾を持って戦う騎士 ―― 今では時代遅れだが、騎士団にはたしかにそういう作法があったなと、まだ腹を押さえて座り込んでいたカール・ハイドリッヒは呟いた。
【いくぞ!】
リリエンタールの戦闘継続を確認すると、フォルクヴァルツ選帝侯は金槌を持った手を掲げ、取り巻きたちとともに、リリエンタールの周囲を取り囲んでいるヘクトルの取り巻き ―― 上級生たちに攻撃を加え始める。
【卑怯だぞ!】
【無手に武器なっ! いだっ!】
フォルクヴァルツ選帝侯とその取り巻きたちは、準備万端、得物を隠し持ってこの場にやってきていた。
レイピアのような一目で分かる武器ではなく、金槌、煉瓦、アイスピック、棒に布を巻き棘をつけたもの ―― 等、危険物を持ち込めない寄宿生活なので、その場にあるもので代用しているように人々には見えた。
【か弱い下級生だから、そのくらい大目にみろ、上級生!】
フォルクヴァルツ選帝侯は悪びれず言い放つ。
煉瓦を持ったフォルクヴァルツ選帝侯の取り巻きの一人が、脛を押さえるためにしゃがみ込んでいた教官の後頭部めがけて得物を、殺す勢いで振り下ろす。
”死んでしまう!”と焦ったカール・ハイドリッヒだったが、屑でも実戦経験豊富な教官は瞬時に立ち直り、生徒の腕を掴み捻りあげ、
【きさまら! 退学だぞ!】
面白みに欠ける常識を叫んだ。
”決闘を偽装しなければ、こんなことにはならなかったのだが”空虚な言葉とはこういうことを言うのだろう ―― 内心思いながら腹に手を当てて立ち上がったカール・ハイドリッヒは、腕を捻りあげられ痛みに顔を歪めているはずの取り巻きが、その苦痛の中にうっすらと嗤いを浮かべているように見えた。
場違いな「バリン」とガラスが割れる音が二回する。
音の出所は取り巻きたちが入り交じっているところだろうと、カール・ハイドリッヒが視線を移動させると、フォルクヴァルツ選帝侯が小さな箱と木の枝のようなものを持っているのが見えた。
”しゅっ”という音 ―― フォルクヴァルツ選帝侯の手にあった小さな枝のようなものが炎を灯す。
【これ、アルコールだ!】
ヘクトルの取り巻きの二人が匂いで気付き叫び ―― マッチがどのように使われるのか分かった二人はアルコール濡れになった上着を脱ぎ捨てようとするが、フォルクヴァルツ選帝侯がマッチを彼らに投げるほうが早く ―― マッチは空中で消えた。
【それはそうだよね】
カール・ハイドリッヒは「そうなるよな」としか言えなかった。
煉瓦で後頭部を殴り付けようとしていた生徒の腕を捻りあげていた教官も、安堵の溜息を吐き出す……のを見計らったかのように大きな炎が上がり、それがアルコール濡れの上着を着ている彼らに投げつけられた。
金槌、煉瓦、アイスピック、棒に布を巻き棘をつけたもの ―― 棒に巻き付けられていた布の下には大量の松脂。
カール・ハイドリッヒが得物だと思っていた棒は、武器に偽装した松明だった。
フォルクヴァルツ選帝侯がマッチに火をつけ、飛ばして消える……気が抜けた一瞬をつき、少しの風ごときでは消えない松明を、安堵した彼らに向かって見事なコントロールで投げつけた。
【うわああああ!】
【たすけてぇぇ!】
アルコールを掛けられた生徒二人が、炎に包まれながら転がる。
火をみて周囲にいた生徒たちは反射的に避けたが、教官は急いで二人に駆け寄り、上着を脱ぎ炎を消そうとする。
蹴りと上着でなんとか二人の炎を教官が消したところで、
【動くな!】
大きく”鋭い”と表現するのがしっくりとくる声が響き、パニックに近い状態になっていた生徒たちは一斉に静まった。
【お前たち、何をしている】
十名の護衛と八名の秘書官を引き連れた軍務大臣、そして理事長に生徒が二名。うち一名は、カール・ハイドリッヒが「あれ以外の教官を!」と頼んだ相手で、カール・ハイドリッヒと目が合うと「訳が分からないよ」と肩をすくめて小さく首を振った。
【リトミシュル閣下……】
軍務大臣の名はリトミシュル辺境伯爵オスカー。「訳が分からないよ」な生徒と一緒にやってきた生徒ヴィルヘルム・フォン・バルツァーの父親でもある。
黒のフロックコートに同じく黒のシルクハット。最近の紳士は杖、もしくは杖に見える仕込み杖が主流だが、昔気質の軍人らしくリトミシュル辺境伯爵は、華美を排した実戦サーベルを手にしている。
【この騒ぎはなんだ? 少佐】
口ひげを蓄えた威厳ある元帥の問い質す声は厳しく、視線は明らかな蔑みが含まれている。
【ひゅ……】
あまりの迫力にカール・ハイドリッヒの口から、思わず変な叫び声が漏れたが、周囲も似たような状況なので誰も気に留めもしなかった。
【この騒ぎは……フォン・カッヘルベルクが上級生に放火したのであります!】
軍務大臣の集団からこっそりと離れた同級生が、カール・ハイドリッヒの元へと小走りで近づいて来る。
【フォン・カッヘルベルクが上級生に放火?】
リトミシュル辺境伯爵の視線を受けたフォルクヴァルツ選帝侯は、金槌とマッチ箱をたかだかと掲げる。
その悪びれなさに、さすがのリトミシュル辺境伯爵オスカーも額に手を当て、
【ここはフォルクヴァルツ領内ではないので、少しは自重せよ】
叱責するも、
【わたくしの目の届くフォルクヴァルツ領内の学校に、こんな無能はいない】
笑顔でやはり悪びれなく返される。
【無能な。そこの転がっているの、なにがあった】
炎を消されたがまだ呆然とし地面に横たわっている生徒にリトミシュル辺境伯爵オスカーが声を掛け ―― 彼らは、ヘクトルとリリエンタールの決闘をただ見ていたら、いきなりフォルクヴァルツ選帝侯にアルコールが入った試験管をぶつけられ、アルコールを被ってしまい、そこに松明で火を付けられたと、炎に包まれた恐怖に涙ぐみながら答えた。
【オデッサを無理矢理ここに連れてきたくせに】
【そうだよな】
炎に包まれた取り巻きはリリエンタールを教室から連れ出した二人でもあった。
【はあ……たしかに無能だな。お前たち、よくもわたしに虚偽の申告をしたな】
そう言い生徒たちを睨めつけたリトミシュル辺境伯爵オスカーの視線は、まさに人を射殺すと表現するに相応しいものだった。
生徒二名は腰を抜かし、また地面に崩れ落ち、
【ところで、決闘をしていたという二名はどこに】
リトミシュル辺境伯爵オスカーの問いにカール・ハイドリッヒを含む観衆はあたりを見回し ―― 地面に仰向けで白目をむき、瀕死の魚を思わせるような痙攣をしているヘクトルと、
【父上、あそこです】
リトミシュル辺境伯爵の息子でこの幼年学校の一年であるヴィルヘルムが、観衆がいるのとは全く違う場所を指さす。
みなが一斉にそちらに視線を向けると、リンデンバウム並木の道を何ごともなく歩いているリリエンタールの後姿。そして寮へと向かう曲がり角に消えた。
【決闘が終わったので帰ったようですね。呼んで参りましょうか? 父上】
【お前、あれをわたしの元に連れてこられるのか?】
【さぁ?】
【で、あろうな】
呼んでこられるかどうか分からないが、そう言いつつヴィルヘルムは走り出し ―― その軽やかな足取りに、
【わたし、バルツァーのこと、詳しく知らないけれど、なんかカッヘルベルクと似ている感じが】
【あ、うん、分かる、侯主】
この場でいまだ笑顔で、金槌を指先でくるくると回しているフォルクヴァルツ選帝侯とヴィルヘルムに同じものを、彼らは感じた。
【負傷者は全員医務室へ向かえ。重傷者一名を病院へ運べ。フォン・カッヘルベルク、まずは御主から事情を聞くことにしよう】
リトミシュル辺境伯爵オスカーから告げられたフォルクヴァルツ選帝侯は、
【了解いたしました! では、現場にいきましょう!】
学校に不慣れな生徒を誘導する教師のごとく手を上げて、軍務大臣一行を連れて学舎へと消えていった。
【現場って……どこだろう?】
【ここではないのだろうね】
学舎から他の教官たちが担架を持って走ってきて、血まみれのヘクトルを乗せ ――
【医務室、行く?】
見送ってから、
【一応行っておく。自分で言うのもなんだけど、これでも大事な身だからさ】
同級生の付き添いで、カール・ハイドリッヒは、まず教室へと向かい教科書などを鞄につめ帰り支度をしてから医務室へ向かう。
その道すがらカール・ハイドリッヒが「リリエンタールが強かったこと」を同級生に語り ――
医務室のドアをノックして開けると、
【侯主か】
【あ、オデッサ。怪我したの?】
ヴィルヘルムと制服を着替えたリリエンタールが、椅子に腰掛け同級生 ―― ヴィルヘルムの取り巻きが淹れたコーヒーを飲んでいた。
【頬をぶたれたので、念のために診断書を取りに】
言われて見れば血の気の薄いリリエンタールの頬が赤みを帯びている。
【大丈夫?】
【平気だが】
【平気でも診断書、取っちゃうんですか】
同級生が”自業自得ですけどね”という気持ちを大いに含ませながら ――
【理事長の更迭材料くらいにはなるだろう】
医務室の軍医に促されるままカール・ハイドリッヒは服を脱ぎ、蹴られた箇所を指さし ―― 軍医は話をしている生徒たちに関しては、全く関知しないといった素振りを貫きながら診察する。
【理事長も更迭ですか】
【更迭してやったほうが良かろう】
【慈悲深いな。さすが枢機卿】
【まだ枢機卿なんだ】
リリエンタールが枢機卿だということをカール・ハイドリッヒは知っていたが、同級生は知らず ―― 顔をひくつかせ「そうなんですか」と掠れた声で返すのがやっとだった。
【わたしやアウグストですら取り巻きがいるんだぞ。このカイザーに取り巻きがいないはずないだろう】
【勝手にカイザーと呼ぶな】
【皇帝になるんだろ?】
【その予定だが】
【じゃあカイザーでいいだろう。大体お前のその面で、カイザー以外の呼び方があると?】
【…………】
カール・ハイドリッヒの診察を終えた軍医は、「軽い打ち身だ」と診察結果を告げると、ベッドが満室になっている持ち場である医務室から去り ―― 五つのベッドに横たわっている負傷者たちが、居心地悪そうにもぞもぞと動いていたが、
【そうそう、取り巻きの話だが、こいつの取り巻きは学内にいるんだよ】
ヴィルヘルムは気にせずに話し続ける。
【ただし生徒ではなく、礼拝堂に。礼拝堂の主】
寄宿学校になくてはならないもの ―― 礼拝堂。
閉ざされた学園生活であっても、神への祈りは欠かすことはできない。この幼年学校は寮と学舎の間に歴史ある礼拝堂がある。
正確に表現するならば、中世中期に建てられた礼拝堂の周囲に、幼年学校が作られた。
礼拝堂には生徒たちに神の教えを説く神父が必ずいる。
【神父さまが?】
【枢機卿閣下の取り巻きなら、神父さまが取り巻きなのも分かる】
学内で生徒同士で敬称は用いない決まりだが ―― 枢機卿を呼び捨てるなど、地主貴族の息子でしかない同級生には無理だった。
ヴィルヘルムが言うには、神父が教皇にリリエンタールの現状を事細かに伝えており、ついに教皇庁からアディフィン国王に抗議文が送られてきた。
そこで国王は軍事関連施設の騒ぎなのでと、リトミシュル辺境伯爵オスカーに事態収拾を命じた。
教皇に起こったこと全てを伝えた神父の名はマクシミリアン・スパーダ。
【取り巻きというより、教皇に頼んでここに赴任させてもらっただけだが】
【お前がここに来ると決まってから立候補して選ばれたのだから、取り巻きだろう】
教皇と聞こえたあたりで、同級生は「聞いてはいけないことを聞かされているのだ」と ――
【カイザーがアディフィンの幼年学校に進学した理由は幾つかあるが、その一つはここがカイザーが教皇より任せられた領地だからだ】
ここはアディフィン王国内なのに、教皇から任せられた。
となればここの宗教的な土地の守り人をさすことになる。それは即ち ――
【アディフィン騎士団総団長リヒャルト?】
幼年学校のメインとなる礼拝堂があった時代から連綿と続く騎士団のトップ。
【そんな称号も持っていた気がする……程度だが】
この土地はアディフィン王国に併合され、騎士団国ではなくなったが、騎士団が消えてなくなったわけではない。未だに騎士団総団長は選ばれ ―― 総団長は昔から教皇の側にいる。
【カイザーも人が悪い。総団長と名乗っていたら、屑だってぐっと我慢したのに】
【わざわざ我慢させてやるのも面倒だ。あと皇帝など人が悪くなければ、やっていけぬが】
【そうだな】
リリエンタールとヴィルヘルムが低めの声で笑いの応酬があり ―― 同級生が「もう無理」といった視線をカール・ハイドリッヒに向けたので、
【先に寮に戻るね。それじゃあ】
二人を残して先に寮へと帰った。
ちなみに同級生は枢機卿と総団長の両方に就任しているというのが、ちょっと理解できなかったので、カール・ハイドリッヒに事情を聞いた ―― 同じクラスに当人がいて、話し掛けたら答えてくれることは分かるのだが、同級生は直接聞く勇気がなかった。
【それは、枢機卿はリューネブルク王子枢機卿で、総団長は六十年くらい前からマリエンブルクの世襲職になったから、マリエンブルク皇子でもあるオデッサが任じられたのだろうね】
【…………】
説明を聞いた同級生の顔は、二十七年後に「あの人はあの国とこの国と、あっちの国でも王位継承権第一位だ」と総司令官から説明を受けた、ロスカネフ兵士と全く同じものであった。




