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「閣下が退却を命じぬ限り」登場人物分類・Twitterまとめ  作者: 剣崎月
小話

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邦領君主の回想と返答・2

 カール・ハイドリッヒとリリエンタールの出会いは、夏の終わりアディフィン王国の幼年学校 ―― 歴史ある石造りの重厚な学舎側の、リンデンバウム並木の道。

 午後の眩しい日差しの中、リリエンタールが向こう側から歩いてきた。

 小柄なカール・ハイドリッヒよりも頭一つ以上背が高く、細身で不健康そうに見えた(・・・)

 通り過ぎるとき、


【初めまして。同じ、新入生だよね】


 カール・ハイドリッヒはリリエンタールに声を掛ける ―― 後に社交界にて誰もが声を掛けてくれるのを待つしかない支配者となるリリエンタールだが、この頃はまだルース皇太子に冊立されたばかりの高貴な少年でしかなかった。


【ああ。そうだ】

【クルヴェルラント侯主、カール・ハイドリッヒ。よろしく】


 カール・ハイドリッヒは二歳のとき父の跡を継いでおり、取り立てて何もしていないものの、この当時ですでに一国の君主歴が十年を超えている ―― 上流階級社会において、わりと気軽に誰にでも声を掛けられる立場だった。

 ただ一つ問題なのは邦領君主国家は数が多く、特色のないクルヴェルラント侯国の君主といって通じるかどうか?


【クルヴェルラント侯国……ああ、あの酪農が盛んで交通の便がさほどよくない所だっったな。わたしはオデッサ大公アントンだ】


 リリエンタールは「覚えている」ことを端的に伝えながら挨拶を返してくれた ―― 感情のない()と共に、二人は握手を交わして別れた。


 その日のうちに、寮で再び会うのだが。


 アディフィン王国の幼年学校は一学年三クラス制で、目立つ(・・・)リリエンタール、リトミシュル辺境伯爵、フォルクヴァルツ選帝侯の三名は別々のクラスに配置された。

 目立たない(・・・・・)カール・ハイドリッヒはリリエンタールと同じクラスになった。

 将来のルース皇帝がなぜアディフィン王国の幼年学校に進学したのか?

 通常であれば留学と言われるものだが、リリエンタールはルース帝国で生まれ育っていないので、むしろルース国内で進学して人脈を作ったほうが良い。

 だがルース帝国は他の国よりも皇族が民に暗殺される可能性が高いため、安全を考慮してアディフィン王国の幼年学校に進学することになった ―― それも無試験で。

 リリエンタールのそれ(無試験)は入学当初から有名な話で、カール・ハイドリッヒも小耳に挟むも、その情報の出所に不快感を覚えた。

 情報の出所は幼年学校で生徒の指導にあたる一教官。

 教官から出た情報なので、本当のことなのだろうと信じられ ―― 教官はリリエンタールのことを大っぴらに嫌い、初日から難癖を付けた。

 ()の世界ではリリエンタールに何もすることはできないが、幼年学校(ここ)は違う。閉ざされた世界にはその世界だけで通じる理不尽(ルール)がある。 

 閉鎖空間ともいえる寄宿制の軍学校で、地位のある教官が嫌悪を隠さない。その状況に、十代前半の少年たちは「こいつは虐めてもいいのだ」と解釈し ―― それを教官が扇動した。


 リリエンタールは虐めの洗礼を一通り受けた ―― それをリリエンタールが虐めと感じていたかどうか? カール・ハイドリッヒには分からないことだが。


【良かったら】

【感謝する、侯主】


 もっとも目立ったのは持ち物の破損。

 ペンは全て折られ、教科書はインクをぶちまけ読めぬよう黒塗りにし、ノートは全て破られる ―― カール・ハイドリッヒは席が隣だったので、机を近づけて教科書を見せ、鞄に忍ばせていたメモ帳を渡しペンを貸した。

 虐められている者を庇うと、その庇ったものが……となるが、カール・ハイドリッヒは小国ながら一国の君主の座に就いているので「一国の君主としての外交だから邪魔しないで欲しい」と返されれば、国家間外交などしたことのない生徒たちは黙るしかない。


 ”人当たりが良く時流に乗り遅れず、公明正大な君主”カール・ハイドリッヒの後の評価だが、この頃からそう(・・)だった。

 おそらくカール・ハイドリッヒの本質がそうなのだろう。


 リリエンタールを厭う教官はリリエンタールに主だって味方するカール・ハイドリッヒも嫌っていたが、


【わたしに構っていると、あの教官に嫌われるぞ】

【嫌いな教官だから、むしろ望むところだよ】

【適切な表現かどうかは分からぬが、見た目に似合わず剛胆だな】

【これでも十年以上、君主を務めているからね】


 カール・ハイドリッヒも嫌いだったので構わなかった。

 リリエンタールを嫌っている教官は嫌うだけで、カール・ハイドリッヒを標的にはしなかった。二正面戦争を避ける程度の知能はあったようだ……とは後にリリエンタールが教官を評した言葉である。


 リリエンタールが「見た目に似合わず」と評したカール・ハイドリッヒの容姿だがこの頃は小柄でぽっちゃりだった。


 リリエンタールを嫌う教官は座学を担当した際、わざわざ席替えをしカール・ハイドリッヒとリリエンタールを離し、教科書を借りられないようにしてから、リリエンタールを指名し音読させた。

 リリエンタールの周囲にいた生徒は教官には逆らえず、教科書を貸せなかったが、それは仕方のないことだった。

 それを少し離れた位置から見ることになった、長閑(のどか)で平和な田舎の侯国で、愛情深い母親に、お転婆ながら優しい異父姉、「ぷっくりしているくらいが丁度良い」と食糧を届けてくれる領民、そして誠実な家臣に恵まれて生きてきたカール・ハイドリッヒにとって、悪意に満ちた教官の醜悪な嗤いは驚くべきものであった。

 ただ、その驚きはすぐに消え ―― あてられたリリエンタールは後ろ手に組むと、感情の一切篭もらぬ声で指定された部分を一字一句間違わずに音読する。

 教官は驚き教科書を凝視し、間違うのを期待したが、リリエンタールは一切間違わず、ましてや突っかかることなどあるはずもなく読み終えた。

 嫌らしい下品な嗤いから一転、教官は思い通りにならなかった悔しさを滲ませる表情で、


【間違っていた……箇所があるぞ】


 憎々しげにそう言ったが、リリエンタールは表情を変えることなく、


【誤植だな。教科書を変えることをお勧めする】


 椅子に腰を降ろし ―― カール・ハイドリッヒ他クラスメイトは唖然とし、教官は憮然とし、ひくついた頬に口を無音で開け閉めし、教室内は異様な静寂に包まれた。

 以降教官はリリエンタールを指名することはなかった。


 在学中のカール・ハイドリッヒは教官がなぜ、あんなにもリリエンタールに対して理不尽な虐めを行ったのか分からなかった ―― あれから二十七年経った今でも分からない。

 カール・ハイドリッヒにとって必要のない人間なので調べてもいなければ、その教官は半年ほどで幼年学校から姿を消したため。


 教官の態度に感化されリリエンタールを虐める生徒たちの主犯は、彼らの一学年上の上級生ヘクトルだった。

 彼は二年の成績優良者で、カール・ハイドリッヒと同じく邦領君主の息子でもある。違うのはカール・ハイドリッヒは既に君主で、ヘクトルはいまだ父親が健在で、いずれ継ぐ立場ということ。

 

 ルース皇太子であるリリエンタールを虐めるという行為。報復が怖ろしくはなかったのか? 学校内での出来事は学校内だけで終わらせるというのが不文律。学校で虐められていたから、後々地位を持って仕返しをするというのは、軽蔑の対象となる。

 学校内で主導権を握れない程度の人間が外の世界 ―― 社交界で地位を築くなど無理ということもあるが、学内での出来事を外に持ち出さないのは暗黙の了解でもあった。

 それ故、どれほど地位が高かろうが階級が低い上級生には逆らえず。

 更に言うならばこの頃の「ルース皇太子アントン」は不安定な部分が多かった。その最たる理由は、ルース皇帝夫妻がいまだ跡取りを望める年齢であること。


 皇帝夫妻の実子が誕生したら、皇太子の称号が剥奪されるのではないか ―― この当時のリリエンタールは「数多の王位を継げるが、個としては何の力も持たない少年」にしか過ぎなかった。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


 リリエンタール虐めの主犯・ヘクトルは扇動が上手かった ―― 当時のカール・ハイドリッヒにはそう見えた。後々ヘクトルの扇動など児戯に等しいと思わせる人物たちと共に行動することになるが、十代前半のどこにでもいる(・・・・・・・)少年としては、ヘクトルの扇動は充分怖ろしい(・・・・)ものであった。


 そのヘクトルとリリエンタールを嫌っていた教官が立場を失ったのは、学内決闘が発端だった。

 決闘。それは名誉を重んじる貴族や軍人にとって避けられぬこと。

 決闘を申し込まれて受けなければ、それは致命的な瑕疵となる ―― 学生が学内で決闘を行う場合、書面にて申し出る必要がある。

 この申し出は決闘する二人が、決闘理由を申し出て教官と理事長が許可を出し、誓約書にサインをして、多くの生徒の前で行われる。


【受けた覚えはないのだがな】


 その日、教室にいたリリエンタールは一学年上のヘクトルの取り巻きにあたる先輩に取り囲まれ、


【逃げるつもりか】

【それでも貴族か!】


 決闘の場へと連れて行かれた。

 この決闘はリリエンタールが呟いたとおり、誓約書にサインなどしていなかった ―― 書類の偽造が行われたのだ。

 偽造を行ったのはリリエンタールを嫌っている教官。

 教官はこれが原因で懲役刑となり、名誉も年金もなにもかも失うことになるのだが ――

 教室にいたカール・ハイドリッヒは同級生に、


あれ(・・)以外の教官を呼んできて】

【分かった!】


 公平な判断が下せる教官を呼んでくるよう頼み、急ぎ後を追った。

 リリエンタールが連れて行かれたのは、カール・ハイドリッヒがリリエンタールと初めて出会ったリンデンバウム並木のすぐ側。

 周囲はヘクトルの取り巻きと、最上級生たち。それにフォルクヴァルツ選帝侯と彼の取り巻きが取り囲んでいた。

 輪の中心にはリリエンタールとヘクトル、そして立ち会いの教官。

 やや遅れて到着したカール・ハイドリッヒは、立ち会いの教官が読み上げた決闘理由を聞きそびれたが、後に知った理由は「試験の不正行為を認めないので、その性根を正す」であった。


 この決闘の一週間前、初の座学のテストがあり「入学試験に合格できないので無試験で入学した」リリエンタールが主席を取り、彼らはそれを不正だと決めつけた。

 決闘を吹っ掛けられたリリエンタールにしてみれば、してもいない不正に対し、受けてもいないのに決闘させられるはめになったのだ。


 カール・ハイドリッヒは取り囲んでいる観衆の隙間を無理矢理通り抜け、必死に中心を目指す。


 ヘクトルは優等生で、座学だけでなく実科ももちろん優秀。腕に自信がある ―― 規範の中ではという但し書きがつくが。

 それを知ってか、それとも知らなかったのか……おそらく後者であろうが、リリエンタールはヘクトルを見ず(・・)に、つまらなさそうに息を吐き出す。

 表情には変化がみられず、声に感情がこもっているわけでもないがヘクトルの癇に障ったのは、明らかだった ―― ヘクトル以外の誰であろうとも完璧なほど癇に障る仕草だったが。


 囃したてる周囲と、何も見ていない、聞いていないかのようなリリエンタール。

 学内決闘は通常、レイピアを用いるのだが、さすがに殺傷はまずい(・・・)ということで、勝負は拳 ―― 殴り合いとなった。

 もちろん拳でも死に至ることはあるのだが、レイピアよりは殺傷能力は低いということで。


【始め!】


 嫌らしい教官の「開始」の合図 ―― ヘクトルはそれらしく構え、リリエンタールに威嚇の拳を放った。

 リリエンタールはそれを気にすることなく大きく踏み込み、ヘクトルの腹に拳を入れた。


【どすっ? ごす? ぼす?】


 取り囲み騒いでいる声を上書きする、表現しがたい異音が響き、ヘクトルは目を剥き膝から崩れ落ちそうになった(・・・)


 拳での決闘は相手が伸びた(・・・)ら終わり ―― 大地に崩れ落ちたら「勝負あった」だが、リリエンタールは腹を押さえて倒れかけたヘクトルの胸ぐらを掴み、崩れ落ちることを許さなかった。


 崩れ落ちない限り、決闘は続行 ―― リリエンタールは利き腕で胸ぐらを掴み、反対の腕でヘクトルの顔を殴りつける。

 まずは鼻。一撃で鼻血が吹き出し、その顔を大きく揺さぶるよう頬を殴りつける。

 血が辺りに飛び散り、ヘクトルの取り巻きにかかるも、彼らは唖然として棒立ちに。

 荒事とは縁遠い人生だったカール・ハイドリッヒも同じく硬直した。


【あれは喧嘩しなれているな】


 誰の言葉か分からないが観衆の中から、そう聞こえてきた。

 いまだリリエンタールはヘクトルの胸ぐらを掴み、身を引き寄せて今度は拳を脇腹に。


【ど、どぼす?】


 またもやカール・ハイドリッヒの聞き慣れない、肉が殴りつけられる異音が響く。最初の一撃と違うのは、周囲が静まり返っているので殴られる音がよく聞こえる。

 顔中血まみれのヘクトルは「降参」と言いたいようなのだが、大量の鼻血が喉に流れ込み、上手く喋ることができないでうめき声にしかならないし、倒れることも許されない。

 ただ腕はすでに力なくだらり(・・・)とぶら下がり、戦闘意欲は全く感じられない。

 ヘクトルが倒れないよう持ちながら殴り続けているリリエンタールの表情は、座学の授業を受けている時と変わらず ――


【止めないか!】


 立ち会いの教官が二人に近づき、リリエンタールの頬を打った。

 この決闘はリリエンタールの同意なしで行われたもの。

 となれば決闘のルールに従う必要はないはず。

 それを見たとき、カール・ハイドリッヒは「それは違うのではないか」と感じ、


【うおぉぉぉ!】


 その思いのまま大声をあげて教官へと突進した ―― 残念ながら未熟な小太り君主の突進は、ひらりとかわされたあげく、流れるように腹を蹴られた。

 リリエンタールを理不尽に虐めていた教官は、性根はともかくとして軍人としては優れていた。

 生まれて初めて蹴られ息がつまったまま転がったカール・ハイドリッヒだが、自分が突進した方角から、乾いているが濡れているようななにかが折れる音が聞こえてきたのに気付き、急ぎ体を捻ってそちらを見ると、


【決闘はまだまだ続けていいぞ、アントン!】


 鎖骨部分を押さえている教官と、金槌を指先でバトンのように回すフォルクヴァルツ選帝侯 ―― この当時はもちろんまだ選帝侯ではないが。


【きさま、学生が教官にこんなことをしっ! うおぁぁぁ!】


 教官の言葉を聞いているのかいないのか不明だが、フォルクヴァルツ選帝侯はすっとしゃがみ、躊躇うことなく金槌で教官の脛を叩いた。それも滑らかな動きで両足の脛を。


【うわああ……あれは……】


 腹を蹴られたカール・ハイドリッヒはまだ苦しさが続いていたが、フォルクヴァルツ選帝侯の急所攻撃のえげつなさに、一瞬だけだが教官に同情した。



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