邦領君主の回想と返答・1
クルヴェルラント侯国 ―― 神聖帝国とアディフィン王国の間に数多く存在する邦領君主国の一つ。
侯国の主だった産業は酪農だったが、よしみで鉄道を通してもらえたことで、最近は乳製品の輸出も行っている。
侯国の輸出品であるバターやチーズは、近隣の庶民にとって欠かせない食糧として受け入れられ、安定した売り上げを得ており、乳製品工場を作るにあたって借金をしたが返済は順調。
人当たりが良く時流に乗り遅れず、公明正大な君主カール・ハイドリッヒ・フォン・ショルファルが治めている人口55000人ほどの侯国の民は、総じてカール・ハイドリッヒとその家族を慕っている。
そのカール・ハイドリッヒが信頼し、送り出した家臣たちがロスカネフ王国から帰ってきた。
【よくやってくれた】
【ありがたきお言葉】
カール・ハイドリッヒが部下を送った相手はリリエンタール。
彼が共産連邦とやり合うとリトミシュル辺境伯爵から教えられ ―― 人口55000強の邦領君主に出来ることはない……だが、カール・ハイドリッヒは友人に、自身が信頼し優秀だと思っている家臣を二十五名も送った。
55000人強の人口の国にとって、政治や軍事に携わることができる精鋭二十五名というのは、おおよそ四分の一ほどの人員を送ったことになる。
もちろんロスカネフ王国の総司令官を無視したら、よくて強制送還、悪ければ即刻銃殺刑に処されるのは分かっていたので、総司令官に連絡を入れてのこと。
ロスカネフ王国の総司令官ことキースは「あなたですから、特別に許可を出しますが」と ―― 連合軍時代の伝手で、なんとか許可を得ることができた。
送った家臣たちの話では、全く自分たちは役に立てなかった ―― 玉座にて報告を受けたカール・ハイドリッヒは”そうなるだろうな”と分かっていたので、特段驚きはしなかった。これは自己満足であると ――
【リリエンタール閣下直々に、陛下へとこちらを預かって参りました】
一応の報告を終えた部下の一人が、自らの脇に置いていた赤い天鵞絨の小包を差し出す。
側近がそれを受け取り天鵞絨を開けると、レザー製の箱とその上に一通の手紙。金縁が施された白の封筒に、同じく金の封蝋。
封蝋には最近リリエンタールが使用しているR.V.Lではなく、ルース皇太子の称号の略称が使われていた。
カール・ハイドリッヒとリリエンタールが出会ったのはアディフィンの幼年学校で、その頃リリエンタールは「ルース皇太子オデッサ大公アントン」だった。
在学中にバイエラント大公の称号も継承したが ―― 幼年学校時代、リリエンタールはオデッサ大公で通した。
多感な少年期に覚えてしまった呼び名はカール・ハイドリッヒに刻み込まれており、カール・ハイドリッヒにとってリリエンタールは未だにオデッサ大公のままだった。
【中身は確かめずともよい】
側近が封を切り、安全を確かめようとしたが、カール・ハイドリッヒは要らぬと。
【陛下】
【あのオデッサだぞ。小細工を施すような真似はせぬし、細工がなされていたとして、オデッサの命令で施された細工を看破できる自信があるのか?】
側近は頭を下げ、封を切った封筒ごとカール・ハイドリッヒに差し出した。
カール・ハイドリッヒは丁寧に折られた便箋を取りだし開く。
【時が来たら開けよ】
必要なことが書かれていない短文。だがその手跡はたしかにリリエンタールのものだった。
カール・ハイドリッヒは側近に手紙を渡し ―― 開けるのはレザー製の箱なのは皆の意見が一致したが、それを開ける時期がいつなのか?
【時がくれば分かるのだろう】
カール・ハイドリッヒはレザー製の箱を包み直させ、金庫に保管した。
【箱の中身よりも、オデッサが指示した”時”のほうが気になる】
その”時”はいつ訪れるのだろう? ―― そしてその”時”は訪れた。カール・ハイドリッヒが思っていたよりもずっと早くに。
部下たちが帰ってきてから一ヶ月ほど経った昼下がり、ソファーに体を預け睡魔に逆らわず、うつらうつらとしていたカール・ハイドリッヒのもとに、家臣が飛び込んできた。
【陛下! リリエンタール伯爵の婚約が発表されました! 式も間近とのこと!】
体を預けていた一人がけのソファーの上で体を跳ねさせ、カール・ハインツは主君の部屋への入室作法を一切守らなかった、闖入者と言ってもいい行動を取った家臣を叱責することなく尋ねる。
【まことか!?】
【はい!】
報告しにきた家臣は混乱しているものの、絶対に事情を知っているであろうリトミシュル辺境伯爵に裏取りをし「事実だ」と ―― リトミシュル辺境伯爵の一筋縄ではいかない性格を家臣たちも知ってはいるが、彼が自分たちの国を「はめる」ようなことをしないと信じている。
それはわざわざはめて、なにかされるほどの国ではないということもあるが、この邦領君主国の主カール・ハイドリッヒと彼らが非常に良好な関係を築いており、陥れられるようなことはないと確信していた。
【バルツァーは、これに関しては嘘をついたりはしないだろうし……もしかして、オデッサが書き記していた”時”とはこのことか?】
カール・ハイドリッヒは金庫室へと急ぎ、自分しか知らないダイヤルを合わせて金庫の扉を開け、天鵞絨に包まれているレザー製の箱を取り出した。
色は黒で滑らかな触り心地。
蓋を開けるとそこにはR.V.Lと見たことのない略称の二つが金で箔押しされた、白い革製の招待状。
カール・ハイドリッヒはそれを手に取りゆっくりと開く。
かねてより婚約していたイヴ・クローヴィスとアントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティンの婚礼に同席を希望する
書かれていた文面はすぐに理解したが、結婚相手が誰なのか?
【ク、クローヴィス……? クローヴィス家が治めている国はどこだ?】
全く思い当たる節がなかった。
【……】
【……】
カール・ハイドリッヒの家臣たちも「クローヴィス家」という、リリエンタールに嫁げる家格を持つ姫に関して、心当たりがなかった。
【ただ今調べて参ります】
【新大陸の新国家かも】
【いや、アバローブ大陸の新国家かも知れない】
家臣たちは言い争いのような語気で、心当たりはないかと言い合いながら急ぎ外交室へと向かう ―― カール・ハイドリッヒたちが「クローヴィス」という主君を捜したのは無理もないこと。
リリエンタールが庶民と結婚するなど、誰も考えていなかったのだ。
リリエンタール、あるいはクリフォード、またはバイエラント、かつて、そしていまでもオデッサ ―― 至尊の座、もしくは至尊の座を継ぐ者しか名乗れぬ称号を数多持つ彼が庶民を妃に迎えると知ったとき、彼の結婚の一報が流れた時以上の驚きが大陸を包んだ。
リリエンタールの結婚相手は庶民。
その血統を古の大帝国まで遡り認められている男が、極北の二十四歳の職業婦人と結婚。最初はリトミシュル辺境伯爵とフォルクヴァルツ選帝侯の流した冗談かと思われたが、アブスブルゴル帝室が貴賤結婚を批難し、結婚するならばグリュンヴァルター公王の地位を解くと宣言したことで、貴賤結婚が事実なのだと、今度は誰もがその真実に驚くはめになった。
アブスブルゴル帝国がここまで騒がなければ、大陸の人々は信じなかった。リリエンタールという男は、それほど高貴な生まれ。
アブスブルゴル帝国が喚き散らしたことで、真実であると裏付けされた ―― 皮肉といえば皮肉なものである。
【陛下、いかがなさるおつもりで?】
リリエンタールはアブスブルゴル帝室の批難に一切耳を貸すことはなかった。
【もちろん招待を受けるつもりだ】
【然様ですか。ではアブスブルゴル帝国との関係は途絶するということで?】
アブスブルゴル帝室は招待を受けた者たちに対し、結婚式に出席せぬように通達までし出してきた。
【もともとこの国は、アブスブルゴル帝国とそれほど親しくしていたわけではないからな】
彼らアブスブルゴル帝室がここまでリリエンタールの結婚に対し介入してくるのは、リリエンタールがアブスブルゴル帝室の一員であることが大きな理由だった。
リリエンタール自身はアブスブルゴル帝室の一員から外されたところで、痛くも痒くもないが、帝室にとって古東帝国の後継者として正統に認められている貴種中の貴種を失うのは致命的な痛手であった。
【そうですね。ところで陛下、結婚祝いはいかがなさいますか?】
【それが問題だな。我が国はさほど裕福ではないし、オデッサはなんでも持っているだろうし、妃となられるご婦人の趣味は分からないし、なによりオデッサが何でも買い与えているだろうから。さて、どうしたものか……所蔵の風景画を二枚持参するか】
クルヴェルラント侯国所蔵の風景画の名画は二枚しかなかったが ――
贈る前に額縁の清掃を行い、式に出席するための服や靴を新調したりと、友人の結婚式に参加すべく、妻子と共に楽しく準備に取りかかっていたカール・ハイドリッヒの元に「アディフィン王夫妻にも結婚式の招待状が届いていない」との情報が届いたのは、そろそろ国を発とうかという頃だった。
【それはまた思い切ったな】
クルヴェルラント侯国は、アディフィン王国と神聖帝国の間に数多くある邦領の一つ。
侯国というところからも分かるように、非常に小さな国で、一つでも間違いがあれば、すぐに消えてなくなるような国でもある。
また邦領は国防を大国の軍に任せることが多く ―― クルヴェルラント侯国はアディフィン王国軍に国防を一任している。
【アブスブルゴル帝国は国防には関係ありませんが、アディフィン王国は……】
そういった国の状況から、アディフィン王国と軋轢が生じているリリエンタールの結婚式に出席するのは……と家臣が不安げに申し出るのは当然のことだった。
【アディフィンの国防を担っているバルツァーが招待されているのだから問題はない。それにアディフィン国王は表立ってなにかを表明しているわけではないしな】
だがカール・ハイドリッヒはなにも心配はしていなかったし、なによりたとえ大国と軋轢が生じようとも、友人の結婚式には絶対に出席するという意思を固めていた。
その後、リリエンタールの実兄に当たる神聖皇帝にも招待状を送っていないと聞き ―― 思わずカール・ハイドリッヒは笑い、
【オデッサは無駄なことは嫌いだからな】
次男と長女に二女、三女を信頼がおける家臣たちに任せ、妻と長男とともに海路でロスカネフ王国へと向かった。




