表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰かぶり子爵の硝子庭園  作者: 月城こと葉
Recueillir-1 ガラスの靴の行方
9/41

Verre-8 混乱、歓喜

 第二王女シャルロットがオール侯爵の息子ドミニクとの婚約破棄を宣言したという話題は、目にも止まらぬ速さで国中を駆け抜けて行った。あの場に居合わせた貴族達の噂話は貴族や豪商達に瞬く間に広がり、王宮付きの記者が大きすぎる見出しで新聞に掲載したため庶民の間にも知れ渡り、モーントル学園に通うドミニクの同級生や先輩後輩の耳にももちろん入り、レヴオルロージュ中が騒ぎに包まれたため隣国にも行き届いた。


 ヴェルレーヌ家が暮らす村、レヴェイユでも噂話と新聞が飛び交い、婦人達の井戸端会議が大いに盛り上がっている。


 騒ぎが大きくなって大きくなって留まることを知らないのは、王女が貴族令息に対して結婚式発表の場で婚約破棄宣言を叩き付けたというセンセーショナルな話題だからということだけが理由ではない。問題は王女がその次に言った言葉である。


 曰く、一年半前の舞踏会に現れたガラスの君を探していて、彼と結婚したいのだと。


「リオン! リオン、大変なことになっています!」


 硝子庭園のガゼボでグラスを磨いていたリオンは、大声を上げて飛び込んで来たアンブロワーズに驚き小さく悲鳴を上げた。手元が狂い、深紅が美しい切子が床に向かって落ちて行く。


 表面に切れ込みの模様があるカットグラス。遥か遠方の国にて作られた切子と呼ばれるカットグラスはレヴオルロージュでは貴重な品であり、リオンが所持しているのはいずれもコレクターと激しい戦いの末に手に入れた物である。


 切子が床に落下しあわや大惨事というところにアンブロワーズが滑り込み、何とか事なきを得た。


「うわ、大丈夫? どこかすりむいたりとか服が破れたりとかしてない?」

「俺のことなど気にしないでください! 貴方のコレクションが無事で、それで貴方が喜んでくれれば俺も幸せです!」

「あぁ……そう……」


 アンブロワーズは立ち上がり、リオンに切子を差し出た。真っ白なローブには土が付いてしまっている。


「ありがとう。それで、慌ててどうしたの」

「大変なことになっているんですよ。村中大騒ぎで」

「えっ、何。私は何か対応を迫られているということ。村人の一揆?」

「いえ、そういうのではなくて」


 ローブの土を払って、ベストのポケットから畳んだ新聞を取り出す。リオンは切子をテーブルに置いてから、アンブロワーズから新聞を受け取った。そして大事件が起こったと言わんばかりの大きな文字で書かれた見出しに目を落とす。


 最初に、青い瞳が震えた。次に、目と口が大きく開かれた。そして最後に、大きな声が出た。


「『シャルロット王女、ドミニク・ジャンドロン氏との婚約破棄宣言!』!?」

「報道関係者は自転車と馬と馬車と蒸気自動車総動員で各地を飛び回っているし、彼らからもたらされた情報に人々は大騒ぎですよ」

「ど、どういうこと」

「書かれている通りですよ。シャルロット王女がドミニク様との婚約を破棄すると宣言しました」

「なんで」


 新聞を手にリオンはアンブロワーズを見る。


「そういう情けない顔は俺以外には見せないでくださいね。次の記事を見てください」

「次……? 『ガラスの君はいずこ! 王女のお相手は誰?』!? 何!? 私!?」

「かわいい。……じゃなかった。書いてある通りです。シャルロット王女は一昨年の誕生日に開かれた舞踏会で一緒に踊ったガラスの靴のガラスの君を探していて、見付かったらその人と結婚すると宣言したらしいですよ」

「えっ、えぇっ」


 リオンは新聞を手にしたままガゼボの中をぐるぐると回り始めた。内容を繰り返し呟きながら確認し、徐々に歩く速度が上がり、最終的には新聞を放り投げて頭を抱えた。


 ナタリーに広い部屋を奪われ狭い部屋に押し込まれてから、自室内での移動距離が大幅に減った。移動しながら少しずつ物を考えることのあったリオンは狭い部屋でも無意識下でそれを実行し、結果として広い場所でも狭い範囲を動いて思考を巡らせるようになった。元々は母と共に街や草原をのんびりと歩き回りながら物の仕組みや物の名前などを確認していたことから来る癖だったのだが、灰を被っているうちにごくごく狭い場所をせわしなく動くように変わってしまったのだ。


 リオンは力なくベンチに座る。新聞を拾ったアンブロワーズが、もっと記事を読むように言ってテーブルに新聞を広げた。


「大変なことになっているじゃないか」

「だからさっきから大変だって言っているでしょう。ほら、ここも読んで」


 アンブロワーズが指し示した部分には『国中の若い男にガラスの靴を履かせて、ぴったりと足の入った人が「ガラスの君」候補』とある。文章の横にはガラスの靴を大事そうに持っているシャルロットの写真が添えられている。


「ガラスの靴だ……。シャルロットが持っていたのか……」

「王宮で落とした方は王女が拾っていたようですね」

「ちょっと待ってくれ。つまり、シャルロットはあの夜靴を拾って、それを大事に持っていて、持ち主を探していた。そして、婚約破棄して、ガラスの靴の持ち主と結婚すると言っている」

「そうなりますね」

「シャルロットが恋焦がれて結婚したい相手は……私?」


 リオンは自分に人差し指を向ける。この上ないくらい動揺しているリオンのことを見ながら、アンブロワーズはにこりと笑って頷いた。


 落としてしまったガラスの靴を取り戻して、舞踏会の時の姿となってシャルロットに会いに行く。そのためにありとあらゆるガラスを追い駆けていたが、ガラスの靴をシャルロットが手にしているとは想定外だった。それに加えてガラスの君と結婚したいと言っている。リオンは喜べばいいのか困ればいいのか分からなくなり、言葉になってない音を口から漏らす。


 アンブロワーズは動揺して混乱して狼狽しているリオンのことをにこにこと見守っていた。魔法使いは灰かぶりの幸せを願っている。シャルロット側から動きがあったことは好機である。


「我こそはと男達が王宮に詰め掛けているようです。新聞の書き方だと庶民もガラスの君候補に入っているように見えますから。実際には貴族の令息を集めて順に履かせていくらしいですよ」


 記事を見つめて懊悩するリオンの肩に手を置き、アンブロワーズは覗き込むように顔を見た。


「貴方こそがガラスの君だと、王女と人々に知らしめましょう。またとない機会ですよ」

「ガラスの靴に足が入れば、私があの夜の男だとシャルロットに示すことができる。黙っていてもいずれヴェルレーヌ家にも順番が回って来るだろうから、明らかになるのは時間の問題か」

「どんなに金のある家の令息でも、どんなに見目麗しい令息でも、王女の憧れのガラスの君にはなれません。だってあの靴は俺が丹精込めて貴方の足にぴったりなサイズで作ったものですからね。探す手間が省けてよかったじゃないですか。やってやりましょう、リオン。あの夜のことも、小さな頃のことも、まとめて王女にぶつけてしまいなさい」


 御伽噺の魔法使いが迷えるお姫様に助言するように、アンブロワーズはとても優しい声で囁く。リオンはアンブロワーズを見て、新聞を見て、そしてもう一度アンブロワーズを見た。


 青い瞳も、新聞の上に添えた手も、小さく震えている。当初より予定していたことなのに、いざ実現しそうとなると怖気づいてしまいそうだった。リオンは視線を彷徨わせて、胸に手を当てて深呼吸をする。


「こ、心の準備が……」

「もう、しっかりしてください」


 アンブロワーズはリオンの肩をポンと叩く。


「俺にできるのはあくまで手助け。貴方が自分でちゃんと動かないとどうにもなりませんからね」

「あぁ、分かってる。……そうか。そうか、私は……。私は、シャルロットに相まみえることができる。そして、自分こそがガラスの君だと告げることができる」

「婚約破棄をしているうえにガラスの君と結婚するとか言っているので本人の本当の気持ちを聞いて確かめる必要もなさそうですね。そのまま結婚しましょう」

「うわ! ちょっと待ってくれ! はっきり言わないでくれ!」

「子供みたいに慌てて狼狽えててかわいい」

「真顔でそういうことを言うな」


 むっとした様子のリオンを見て、アンブロワーズはローブを翻してガゼボの外に出た。逃げるように硝子庭園の中を小走りで進んで行く。


 春の穏やかな陽光が天井のガラスから差し込んでいた。天井と、窓と、並んでいるガラス達それぞれが光を反射し、拡散し、それがさらに入り乱れてぎらぎらと輝いている。光の中を縫うように純白の魔法使いが踊るように歩いていた。リオンは少し高い位置にあるガゼボから硝子庭園を見下ろす。


 ガラスの靴が見付かった。持っているのはシャルロット。彼女は持ち主を待っている。その事実を嚙みしめると、自然と口角が上がった。


 幼かった夏の日、小さな小さな金色の女の子に心を奪われた。あの笑顔を思い出すと、継母と義姉達に酷いことをされて落ち込んだ時にも少しばかり元気を取り戻すことができた。舞踏会で再会して、今でも変わらず彼女が自分の心を激しく揺さぶる存在であることが分かった。


 リオンは階段を下りる。今日の足元は底が外れかけているくたびれた靴だが、この足にガラスの靴を取り戻せる日も近い。スキップなど踏んでしまっては靴底を落としてしまいそうなので、はやる気持ちを抑えて一段一段ゆっくり下りる。


 歩く動きに合わせて長い髪が揺れた。灰に染まった銀の髪はまるでこれから訪れる幸せを先取りしたかのように、硝子庭園中のガラスからの光を受けて美しく輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ