Épilogue 茶話会の昼下がり
銀暦二四七五年、初夏。ペロア大陸東部レヴオルロージュ王国。
街道沿いの村の中を馬車が走って行く。
馬車に乗っているのは小柄な少女である。彼女はこの国の王女であり、今日は侍女達を従えてお忍びのお出かけだ。王女の目的地は、この村の外れにある邸宅。サンドール子爵家であるヴェルレーヌ家が持つ屋敷だ。
道で遊んでいた子供達が馬車を見送る。王女にとっては質素な馬車も、村の景色の中に放り込まれると豪奢すぎる馬車だった。目立たないようにと選んだ馬車は大いに目立ちながら村の中を進んで行く。
子供達の声や馬の嘶き、車輪の音を聞いて時計屋の二階の窓が開けられた。顔を出した真っ白な青年は轍の先の馬車の後ろ姿を見付けると、恍惚そうな笑みを浮かべて出かける支度を始めた。
やがて、馬車はヴェルレーヌ邸に到着した。降車した王女は侍女達を馬車に待たせて、迷いのない足取りで屋敷の隣の温室へ歩き出す。
ヴェルレーヌ邸が誇る、巨大な温室庭園。元々は子爵の亡き前妻が草花を愛でていた小さな温室だったのだが、嫡男たるサンドリヨン子爵によって巨大な温室庭園へと姿を変えた。ガラス張りの中にガラス細工を大量に集めて保管しているため硝子庭園とも呼ばれる。
ガラス戸を開けて王女は硝子庭園に入った。王女を出迎えるのは美しい草花とガラス細工達。きらきらとした光を浴びながら、王女は温室の奥を目指して歩く。金色の髪がふわりと広がり、ピンク色のドレスが揺れた。
王女が進む先のガゼボでは、みすぼらしい格好をした男がガラスでできた靴を磨いていた。少年と呼ぶには少し大人であり、青年と呼ぶにはまだ子供のような年頃の彼は、この屋敷で家事や雑用をこなしながら暮らしている。
「ごきげんよう、リオン」
王女に名を呼ばれ、ガラスの靴を磨いていた男が顔を上げた。灰に染まった銀色の髪を持つ彼こそが、硝子庭園の主であるサンドリヨン子爵。王女の婚約者候補のガラスの君であり、継母と義姉達に扱き使われる灰かぶりである。王女に向ける笑顔の横で、イヤリングに付けられた紫色の石がきらりと光った。
灰かぶりはガラスの靴を箱に収める。
「ごきげんよう、シャルロット」
「あのねリオン、今日はお土産があるのよ」
王女はテーブルの上に小さな箱を置き、早く開けるように灰かぶりを促しながら隣に腰を下ろした。急かされた灰かぶりが箱を開けると、布に包まれた小物が出て来た。そして、包みの中から姿を現したのはカボチャを模したガラス製のペーパーウェイトだった。
わぁ、と小さな歓声を上げて灰かぶりはペーパーウェイトを手に取る。ガラス張りの温室に差し込む日差しに掲げると、カボチャの中を通った光が不規則に散って周囲を照らした。
「この間、お兄様と一緒に少し遠くまで出かけたの。そこのお店で見付けたのよ。手紙とか、書類とか、きっと今までよりも見たり書いたりすること増えたでしょ? だから、役に立つんじゃないかと思って」
「ありがとうございます。大事に使いますね」
灰かぶりはテーブルの上に広げられていた何かの資料の上に早速ペーパーウェイトを置いた。王女が覗き込むと、どうやら植物に関するメモ書きのようだ。ガラスを愛でる灰かぶりは、温室で世話をしている草花のことももちろん大切にしている。夏になると咲く花などについて書かれているようである。
夏の温室はどんな感じなの? と訊ねた王女に灰かぶりが説明をしていると、ガラス戸が開いて誰かが硝子庭園に入って来た。灰かぶりの名前を呼びながら、上機嫌な様子でガゼボに現れる。
「ようこそ王女様。お茶をどうぞ。マカロンもありますよ」
「まあ、ありがとう」
「私と君の分は」
「リオンは後で俺と一緒に濃厚なお茶の時間を楽しみましょうね。珍しい茶葉を市場で見付けたんです。味見していないものを王女様に出せませんし、まずは俺達で。ね?」
王女の前にお茶とお菓子を置いて、真っ白な青年は灰かぶりに微笑みかける。
灰の中に埋まっていた灰かぶりを引っ張り出し、綺麗にめかし込ませて王女の元へ向かわせた白い翼の魔法使い。今の灰かぶりに魔法の力はもう不要かもしれないが、灰かぶりの幸せを願う魔法使いの夢はまだまだ終わらない。
王女はお茶を一口飲んで一息つく。そして、マカロンを口に入れた。美味しさに顔をほころばせているのを見て灰かぶりは優しく笑う。それをさらに魔法使いが見守っていた。
「リオン、面白い話を仕入れて来ましたよ」
「今度は何?」
「カドラン港の市場にガラスのペンが並ぶらしいです」
農業と交易で栄えるレヴオルロージュ。海の向こうとレヴオルロージュを繋ぐ拠点がカドラン港である。貿易港であると共に漁港でもあるため、港の周辺にはありとあらゆる市場が大量に連なっている。
灰かぶりは寸の間考えてから、魔法使いに問うた。
「ペンって、字を書くペン?」
「はい、そのペンです。海の向こうから仕入れて来た物だそうですよ。数は多くないので、確実に手に入れるなら早く行かないと」
「海か……。ちょっと遠いな……」
でも気になるでしょう? と魔法使いは問う。灰かぶりは「欲しい!」という字を顔面に浮かべながら首を横に振った。
「ふふ、素直じゃないですね。かわいい」
「ねえっ! ねえ、リオン、魔法使いさん」
ティーカップをソーサーに置いて、王女が魔法使いの方を見た。宝石のような紫色の瞳は好奇心できらきらと輝いている。
「ガラスのペン! 素敵ね! わたくしも一緒に行っていいかしら」
「遠くまでシャルロットを連れ出すわけにはいかないので私とアンブロワーズだけで行きます」
「えー」
「在庫があれば王女様の分もお土産に買って来ますよ。ね、リオン」
「うん。怪しいオークションではなく港の市場なので、貴女に渡して危険な物ではないでしょう。たぶん」
「やったー! かわいいのがいいわ。お願いね」
灰かぶりが了承する。王女はうきうきといった様子でマカロンをもう一つ手に取った。
村の教会の鐘の音が聞こえて来た。
何度時計の針が回ろうとも、靴はなくならないし王女にもすぐ会える。灰かぶりはガラスの靴にそっと指を這わせて、静かに笑みを浮かべた。
硝子庭園では、今日も穏やかな時間が流れている。
時計の針が回り、鐘が鳴る。
「やあ、もう十二時だ。魔法が解けてしまうから、今日のお話はもう終わり」
ページを捲っていた手を止めて、栞を挟む。随分と使い込まれているのか、栞に付いている青いリボンは色がくすみ、ほつれている部分がある。
「続きが気になるのなら、またおいで。彼の話ならいくらでも聞かせてあげますよ」
そう言って、魔法使いは本を閉じた。
「それじゃあ、またね。良い夢を」




