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灰かぶり子爵の硝子庭園  作者: 月城こと葉
Recueillir-4 硝子庭園の主
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Verre-10 ガラスの靴は誰のもの?3

 侵入者がいることを知らせる使用人の声が廊下の向こうから聞こえて来た。ドミニクは一瞬険しい顔になると、廊下のあちらとこちらを確認する。深刻そうな表情になると侯爵によく似ていたが、わざわざ指摘する暇などないのでリオンは黙っている。


 小さく「よし」と呟いて、ドミニクはリオンに手招きした。


「クロード、適当に誤魔化しておいて。リオン様、父はおそらくこちらです」


 ドミニクに案内されながら、使用人の目を搔い潜って進んで行く。


「以前、この先の部屋で父が招いた貴族達に何か言っているのを聞きました」

「ドミニク様……ありがとうございます」

「僕、やっぱりまだ怖いです。でも前よりも勇気はあるんです」


 ドミニクはしっかりと前を見据えて歩いている。リオンをここまで連れて来てしまえば、自身も後戻りすることはできない。とあるドアの前で立ち止まって、ドミニクはリオンを振り返った。


 このドアの向こうにオール侯爵がいる。ガラスの靴と思しき物と共に。


 ドミニクがドアをノックする。


「父上、ドミニクです」


 呼びかけるとすぐに返事があった。鍵はかかっていないらしく、ドミニクがそっとノブに手をかけるとドアはゆっくりと開いた。


 侯爵はドアに背を向けていた。棚の上に置かれた何かに向かっているようである。


「ドミニク、面白い物を見せてやろう。こちらへ来なさい」

「……はい」


 ドミニクはリオンをちらりと見て、背中を押して部屋に入るよう促した。小さく頷き、リオンは部屋に踏み込んだ。


 息子が近付いてきていると思い込んでいる侯爵は何かを手に取って上機嫌な様子で振り返った。そして絶句する。


 現れたのはサンドール子爵代理である。王宮に置いてきたはずのリオンが追い駆けて来て、まして追い付いているなど予想外だった。追い付くことが可能な距離まで王宮から離れた時、リオンの姿など後方に全く見えなかったからだ。


「ふざけた馬を持っているようだな」

「突然の訪問大変申し訳ありません。しかし、私にも譲れないものがあるのです。オール侯爵、それは」


 侯爵の手元で何かが光る。


「――それは、ガラスの靴ですね」


 侯爵がドミニクに見せようとした「面白い物」は靴の形をしていた。曲線が美しい、固いけれど柔らかさを備えた透明な靴。


 珍しい靴を持っている貴族はオール侯爵。オール侯爵が持っている切り札はガラスの靴。


「父上、その靴はリオン様の靴なのですか?」

「これは旅の古物商から譲り受けた靴だ」

「侯爵、そのガラスの靴を私に見せていただけませんか」


 リオンは前に踏み出す。侯爵は退くことはしないが、リオンに靴を差し出すこともしない。


「これがオマエの物だろうとそうでなかろうと、私が手放すと思うのか」

「いいえ」

「おとなしく帰りなさい。今ならまだ、勝手に屋敷に入ったことを咎めないでおいてやろう。それとも、お宅の御子息が迷惑をかけてきました、などとサンドール子爵に報告をしてほしいのかね」


 リオンはもう一歩侯爵に近付く。そして姿勢を正し、深々と頭を下げた。


 ドミニクが小さく驚きの声を漏らす。


「オール侯爵、どうかお願いします。どうか、その靴を……!」


 侯爵は答えない。


 頼み込んでも侯爵は靴を渡してはくれない。リオンは頭を下げた姿勢のまま、次の動きをどうするべきか考えていた。ほんの数秒の間に、頭の中でいくつか候補が上がってどれもが却下された。


 どうしよう、と声になりきらない吐息が漏れる。


 万事休す。


 迷って、怖くなって、ぎゅっと目を瞑ってしまった。握り締めた手が震える。


 動けなくなっているリオンの前後で、ジャンドロン親子が同じ方向を見た。制止しようとする使用人達の声をただの装飾品にしながら、真っ白な姿が部屋に入って来たのである。視界の隅にローブが入って、リオンはゆっくり顔を上げた。


 追い出そうとする侯爵が何かを言う前に、アンブロワーズは弾む足取りで侯爵に近付いて手元を覗き込んだ。


「やあ、見事なガラスの靴ですね!」

「アンブロワーズ……」

「リオン、王女様からの言伝です。『硝子庭園の主たる貴方なら、珍しいガラスを放ってなんかおかないんでしょうね』って」

「それはそう……。……あっ」


 そういうことか。リオンは呟いて、侯爵を見据えた。


「オール侯爵。今、そのガラスの靴は貴方の物です。貴方が持っていらっしゃるというのにまるで自分の物であるかのように決め付けて『見せろ』とせがんでしまい申し訳ありませんでした」

「う、む……。分かったのならば帰りなさい」

「ということで侯爵、そのガラスの靴」


 リオンは姿勢を正し、軽く手を上げた。変なガラス製品を前にコレクターや商人と戦う時の目をしていた。青い瞳は爛々と輝き、口元は好奇心に歪む。


 狼狽えていたはずのリオンの様子が一変し、侯爵は形勢逆転の気配を感じ取って身構えた。アンブロワーズが歓喜の色を浮かべ、ドミニクがおろおろし始める。


「そのガラスの靴、私に譲っていただけないでしょうか?」

「は……?」

「ガラスの靴なんて珍しいもの、見逃せません! 庭ばかり物理的に光っていると言われるこのリオン・ヴェルレーヌの硝子庭園のコレクションにぜひ加えたい! オール侯爵! その靴! 私に! 譲っていただけませんか!?」


 どんどん近付いて来るリオンに、侯爵は思わず後退する。ガラスの靴が侯爵の物だからリオンの手元には置けないと言うのならば、リオンの物にしてしまえばいいのだ。


 リオンの合図でアンブロワーズがローブを翻して跪いた。どこからともなく取り出した箱を恭しく掲げ、侯爵に向ける。箱の中には大振りの宝石が収められていた。


「侯爵、こちらの宝石とそちらのガラス細工を交換していただけませんか」

「どこからそんなものを」

「ははは、俺は魔法使いですからね。手品なんてお手の物ですよ。こちらは商人達との取引の中で入手した希少な石です」

「いかがでしょうか、侯爵。悪い取引ではないと思います。得体のしれないガラスの靴よりも、この宝石の方が世間一般的には価値のある物かと」


 それとも、と言ってリオンは言葉を切る。続きを言ったのはアンブロワーズである。


「それとも、そのガラスの靴には何か特別な価値があるんでしょうか? それさえあれば王女の婚約者になれるんですか? もしそうならば、貴方は俺達の探している靴を持っていると認めることになるかと。それがリオンの靴ならさっさと返してくださいね、クソジジイ」


 宝石を見せ付けながらアンブロワーズは穏やかに微笑んだ。ジジイという罵りを今回は制止せずに、リオンは同じようににこりと笑う。


 侯爵は苦虫を嚙み潰したような顔になり、リオンとアンブロワーズを睨み付けた。交換に応じても、応じなくても、侯爵にとって不利な展開になりかねなくなった。リオン一人だけならばどうとでもなったかもしれないが、常にくっ付いて飛び回る鳩が非常に厄介だった。


 侯爵が低く唸ったところで、使用人が数人部屋に入って来た。屋敷に侵入した不審なドミノを連れ出さんとして、アンブロワーズを取り押さえようと手を伸ばす。ところが、使用人達は何も掴めなかった。気配を感じ取ったアンブロワーズが宝石の入った箱を大事に持ったまま、ローブを翻して使用人達の目くらましをして場所を移動したのだ。


 リオンは使用人達に丁寧に挨拶をし、傍らのドミノは自身の従者であると告げる。リオン自身も侵入者なのだが、使用人達は既に屋敷の中にいる身形のいい貴公子を疑うことはしなかった。そこに怪しげなドミノがいれば、疑うべきはそちらの方だ。


 おろおろしていたドミニクが意を決して小さく頷いた。リオン達は自分の客人なのだと言って、使用人達を連れて廊下に出て行く。


「……侯爵、私の宝石と貴方のガラスの靴を交換していただけませんか? ぜひ、我がコレクションに加えさせてください。この宝石で足りないと仰るのなら、もっと出しましょう」

「小僧、金で私を負かして王女と並ぶ権利を手に入れるつもりか」

「私は貴方が古物商から偶然手に入れたただのガラス細工が欲しいだけですよ、オール侯爵」


 リオンと侯爵は黙って向き合う。落ち着いた表情をどうにか作って保っているリオンと、眉間に皺を寄せて不愉快さを露わにしている侯爵。今すぐにでも踵を返して逃げ出したいという気持ちと、絶対にここから一歩も引かないぞという気持ちに上下左右から押し潰されながら、リオンは前だけを見据える。

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