Verre-7 王女様のおもてなし2
シャルロットは近くにいた使用人にお菓子を持って来るように言った。ほどなくして、客人達が囲むテーブルの上に華やかなケーキが姿を現した。
ビスキュイが周囲を取り囲み、ババロアの上にクリームとフルーツがたっぷり飾られているケーキ。名を果物のシャルロットと言う。シャルロットという名前は海の向こうの某国で女王もしくは王妃だった人物の名前から取られたとも、古い言葉でお菓子やケーキを意味する単語から変化したものとも言われている。
共に作るにあたって、リオンはいくつかのお菓子をシャルロットに提案した。初心者でも簡単に作れそうな物から、ほとんどリオンが手を貸してやらなければ作れなさそうな物まで。その中からシャルロットが選んだのが、シャルロットだった。王女主催のお茶会で王女と同じ名前のケーキを王女が作って出せば話題性は抜群である。
もちろん、シャルロットがシャルロットを選んだ理由は話題性だけではない。リオンが「シャルロットが云々」と説明をしてくれた時、シャルロットはなんだかむず痒くなってしまって「ね、それにしましょ」と話を切り上げさせた。リオンにも理由は話題になるからだと言ってあるが、実際は自分と同じ名前のケーキが存在しているならばそれをリオンと共に作る初めてのお菓子にしない理由などないと思ったからである。恥ずかしくて、嬉しくて、どきどきして、わくわくした。
客人達は王女が手ずから作ったというケーキに歓声を上げた。拍手をする者もいる。本心で喜んでいる者もいれば、喜ぶべき状況だからと喜んでいるように見せている者もいる。
お茶を飲み、お菓子を食べ、談笑を楽しみながら時間は過ぎて行く。
中庭の隅の方のテーブルでババロアを突いていたリオンの元に、話に花を咲かせるという名前の情報収集を終えたシャルロットが寄って来た。
「『これだ!』というお話は特になかったわ」
「そうですか」
「まだ少し時間はあるし、もうちょっと皆様とお話して来るわね」
この場におけるリオンの立ち位置は準備を手伝っただけの客人に過ぎない。皆に紛れてお茶を飲み、シャルロットの報告を待つことしかできない。リオンから誰かに話を訊いてみてもいいのだが、シャルロットと同じような質問をして不審に思われても困るのだ。
賑やかなテーブルに戻って行くシャルロットと入れ替わるようにして、中庭に入って来たアンブロワーズがリオンの元へ駆け寄って来た。風を孕んでローブが広がり、迫って来る姿が妙に大きく見えた。
リオンはティーカップをソーサーに置く。
「何か分かった?」
アンブロワーズは笑顔を浮かべているが、この魔法使いは灰かぶりと接する際には基本的に笑っているため表情は話す内容のあてにならない。
適当なマカロンを摘まんでから、リオンのすぐ傍に寄る。周囲に漏れ聞こえることがないように顔を近付けて耳元に口を寄せ、誰かに口の動きを読まれないように手で口元を隠す。
「匿名の情報なんですが」
自分の名前も家の名前も伏せてくれるなら、と話をしてくれた使用人がいたそうだ。曰く、先日主がジャンドロン邸へ赴いて変わった物を見せてもらったらしいとのこと。オール侯爵は上機嫌でそれを見せてくれて、主も満足した様子だったと。
「変わった物というのが靴なのかどうかは分からないんですが、他にそれらしい情報は得られませんでしたね」
「オール侯爵が……?」
「何を見せてもらったんですかね。……侯爵がガラスの靴を所持しているのなら、妙に余裕たっぷり自信たっぷりなのも納得ですけど。明日侯爵が来たら訊いてみましょう。持っているんだとしたら非常に遺憾ですね。俺が丹精込めたリオンのためのガラスの靴をあのジジイが持っているなんて。あのクソジジイ……」
「ジジイとか言わないの」
だって! とアンブロワーズは声を荒げた。周囲の視線が一瞬集まり、再び散って行く。
「だってあのジジイ、ガラスの靴を手元で弄りながら、奔走するリオンのことを馬鹿にして笑っていたってことでしょう?」
「もしガラスの靴を持っているのだとしたらね」
「許せません……。もしそうだとしたら絶対に許せません……」
「明日、侯爵が来てくれるといいけれど」
リオンはティーカップを手に取る。
王女主催のお茶会は二日に分けて開かれる。オール侯爵に送った招待状に書かれた日程は二日目のものである。明日、侯爵がお茶会に姿を現せば問い質すことができるだろう。
アンブロワーズはリオンの前に置いてある皿を勝手に手に取ってシャルロットケーキを口に運ぶ。
「それ私の……」
「リオン、俺があのジジイをどうにかしてしまいそうになったら止めてくださいね」
「止めるなって言うかと思った」
「ははは! 止めなくてもいいんですよ!」
「止めるけど」
「だって俺があのジジイに何かしたら、責められるのは貴方でしょう? 俺は貴方の前に立ちはだかるやつなんて全員ハシバミで目を潰してやりたいくらいですが、相手が公人の場合は実際にそうしたら貴方が困りますからね」
公人でなければやってしまうのか。問おうとしてリオンは口を開きかけるが、問わずに口を閉じた。この男ならばやりかねないという確信がリオンの問いを封じてしまったのだ。森の小屋でヴォルフガングに飛びかかった時の様子が思い起こされた。アンブロワーズならば、やる。
友人に静かに恐れをなしているリオンのことを、当のアンブロワーズはにこにこと見ている。リオンが自分のことを見つめていることが嬉しいのである。若干引き気味な様子で見られていてもこの男はそれさえも喜ぶのだ。
ふと、「あのドミノは?」という声がどこかから聞こえた。リオンは声のした方を向くが、客人達がそれぞれ談笑しているためどこにいる誰が発した言葉なのか分からない。「サンドール子爵の御令息が連れている従者らしい」と誰かが答えたが、その声も誰の物なのかは分からなかった。
自分のことを何やら言われていてもにこにことリオンを見ていたアンブロワーズが表情を変えたのは、次に発せられた言葉だった。
「サンドールがどうして招かれたんだ?」と、確かにそう聞き取れた。ケーキを突いていたフォークを握り締めて発言者を見つけ次第対処せんと身を翻したアンブロワーズのことを、リオンはローブを掴んで踏みとどまらせる。
「仕方ないよ、今は」
「貴方が止めるのならやりませんよ、俺は」
安心させるように、フォークを皿に置いて微笑む。安心できない笑顔にリオンは怪訝な目を向けるが、アンブロワーズにとっては怪訝な目すら己に向けられるリオンからの素敵な視線のうちの一つである。
「残り時間はあと少しですね。このまま隅っこで一人お茶を飲むつもりですか」
「皆さんと話すことは特にないからね。話しかけても相手にしてもらえるか分からないし」
「そうですか。俺はもう少し使用人達に話を訊いてみます。一人で寂しかったら呼んでくださいね」
リオンの前にあったカヌレを一つ手に取ってから、アンブロワーズはローブを翻して中庭を後にした。
お菓子を食べ、お茶を飲み、談笑を楽しみながら時間は過ぎて行く。
本日はこれでお開き。と、シャルロットから短い挨拶があった。来てくれてありがとうと言う王女の言葉に、皆が揃って応える。
そして、帰路に着く客人達を笑顔で見送り、使用人達が片付けを始めたところでシャルロットはリオンの元へやって来た。ベンチに座るリオンの横にちょこんと座って、食器やテーブルを片付ける使用人のことを眺める。そこにいるのは、貴族達の前で見せる煌びやかな王女の羽織を脱いだ、大人の間で動き回ってちょっぴり疲れた一人の少女である。
アンブロワーズの報告内容をリオンから聞きながら、シャルロットはこくこくと頷いている。
「明日、オール侯爵が姿を現したら……。……シャルロット様? シャルロット?」
返事がない。リオンがシャルロットの方を向くと同時に、こてんと何かが寄りかかって来た。リオンの視界の大半を金色のふわふわが占領する。
「……シャルロット。明日も頑張りましょうね」
自分に身を預けてすうすうと寝息を立てているシャルロットの頭を、リオンはそっと指先で撫でた。




