Verre-6 王女様のおもてなし1
六月三日。建国記念日を一週間後に控えた王宮に、いくつもの馬車が到着する。降車するのは貴族達だ。王宮の使用人達の案内で、彼らは中庭に通される。
美しい花々が咲き誇る華やかな中庭にはテーブルが並べられていた。そんな中庭の入り口に、黄色いドレス姿のシャルロットがちょこんと立っている。
「ごきげんよう、皆様。お待ちしておりましたわ」
シャルロットは笑顔で貴族達を出迎える。
王女主催のお茶会、一日目。
招待された貴族達が大方揃ったところで、シャルロットは挨拶をして回り始めた。皆様ようこそ。こんにちは。ごきげんよう。オレンジ色のグラデーションになっている黄色いドレスを揺らしながら、貴族達に優雅に声をかける。
リオンは中庭の隅で侍女達と一緒にシャルロットを見守っていた。王女として動いている彼女の姿を見ていると、自然と自分の背筋も伸びた。
リオンがガラスの君だったということは公にはなっていない。オール侯爵と仲の良い貴族は不審げにリオンのことを見ているが、それ以外は「おや、サンドール子爵の御子息も呼ばれたんだな」という様子である。
あの中に珍しい靴を持っている者がいるのだろうか。声をかけられるとリオンはにこやかに応対するが、貴族達のことを一人一人よく見て確認することは怠らない。
「一生懸命見ても持ち物なんて見えませんよ」
「分かってるよ」
後方で控えていたアンブロワーズが一歩前に出て、リオンの両肩に手を置いた。
「これで見付からなかったらどうします?」
「万事休す、かな」
国王の前で六月九日までにガラスの靴を見付けると言った。見付けられなければ、シャルロットとの話はなかったことにするとリオンは宣言している。
森でヴォルフガングに会う前も、靴を持っているらしい貴族をどう探すか考えている間も、お茶会を開くと決めた後も、ずっと靴を探し続けて来た。ガラス細工の出品されるオークションに参加し、質屋を巡り、街の人々に話を聞いた。しかし、ガラスの靴は見付からなかった。一年半探し続けても見付からなかった物をこの一ヶ月程度で見付けることなど不可能だったのかもしれない。
仮にお茶会で珍しい靴を持っている貴族が見付からなかった、もしくは見付かったとしてもその靴がガラスの靴ではなかった場合。その時は残りの一週間リオン達は可能な限り走り回ることになる。もしも、最後まで頑張って見付けられなかったら。
「リオン」
背後にいるアンブロワーズにはリオンの表情など見えていない。しかし、僅かに不安を滲ませるリオンの様子が分かっているかのように優しく声をかけた。肩に置かれていた手がいったん離され、そして後ろから覆い被さるように腕が回されてリオンを抱き寄せる。
「困ったら俺に言ってくださいね。俺は貴方の魔法使いですから」
耳元で囁く声に、リオンは小さく頷く。
国王との約束を違えることはできない。リオンには退く道しかない。しかし、シャルロットは諦めないだろう。もちろんリオンもおとなしく退くつもりではないが、表立って大きく動くことは難しくなる。困った時には、きっとこの魔法使いが助けてくれるだろう。
リオンはアンブロワーズの腕に軽く触れる。すると、それに応えるように抱く力が強くなった。
「ありがとう、素敵な魔法使いさん」
リオンは感謝を述べつつ腕を振り解く。
「お茶会が始まったら、俺はちょっと抜けますね」
「用事でもあるの」
「リオンと王女様はここから離れられないでしょうから、俺が外で調べて来ますよ。中庭の外にいる使用人や、馬車と一緒に待機している使用人がいるはずですから。彼らにそれとなく訊いてみます」
「一人で大丈夫か」
王宮の中を一人でうろついていたら、また何かあるのではないか。心配するリオンに、アンブロワーズは歓喜の色を浮かべる。
「俺のことをそんなに気にかけてくれるんですね! ありがとうございます。嬉しいです」
「……うん」
「これだけ大勢の人がいるんだから大丈夫でしょう。こんなところで変なことをする人なんていませんよ」
「そうかな……?」
「そうですよ。あ、王女様がこちらを見ていますね。そろそろ始まるんじゃないですか。ほら、行ってあげて」
アンブロワーズはリオンに体の向きを変えさせ、ぽんと背中を押す。押されてよろめきながら数歩前に出たリオンは軽くアンブロワーズのことを振り向き、にこやかに手を振る彼に手を振り返してからシャルロットに歩み寄った。
挨拶を一通り済ませたらしいシャルロットは、中庭を見渡すことのできる位置にやや緊張した面持ちで立っていた。リオンが近付くと少し安心した様子になる。
「リオン、魔法使いさんは」
「靴のことを使用人達にそれとなく訊いて回ってくれるらしいです」
「そう。それじゃあ、わたくし達もわたくし達のやることをやりましょうか」
大きく息を吸って、吐く。シャルロットは目を閉じてゆっくりと深呼吸をしてから、静かに目を開けた。
「皆様、本日はお忙しい中わたくしのお茶会にお越しいただきありがとうございます。短い時間ですが、忙しない日々の中で心安らぐひと時をお過ごしいただければと思います。今回のために用意したお茶や、ささやかな食事を準備しております。休憩所だと思ってのんびりして行ってくださいな」
王女の挨拶にぱらぱらと拍手が上がる。
拍手の間からぴょんと姿を現したのは、どこかの貴族が連れて来た小さな令嬢である。父親らしき貴族の慌てる声を気にせずに、令嬢はシャルロットにとてとてと近付いて声をかけた。
「王女様、お菓子もある?」
シャルロットは軽く身を屈めて令嬢と目を合わせる。
「えぇ、もちろんよ。今日はわたくしが頑張って作ったお菓子もあるから、楽しんで行ってね」
「わーい、お菓子!」
『お時間が合えばご家族もご一緒に』と招待状を出したので夫人や子供達の姿もちらほらとある。小さな令嬢や小さな令息達はお菓子の話を聞いて歓声を上げた。
斯くして、王女主催のお茶会は幕を開けた。大人達が難しい話や面白い話をしている足元を小さな子供達がお茶菓子を手にうろうろしている。
「思い出すわね、初めて会った時のこと」
「あの日もこんなお茶会の日でしたね。……ふふっ。驚きましたよ、あんなところからいきなり出て来て私のタルトを奪おうとして」
「わ、若気の至りってやつよ。今はあんなはしたないことしないわ! もう、しみじみしてたのに……」
「ふふ、かわいらしかったですよ」
シャルロットは膨れながら会場を見回した。近付いて来る人物に気が付き、すまし顔を取り繕う。
「シャルロット殿下、本日はお招きいただきありがとうございました」
「わたし達までお招きいただいて」
数人の令息と令嬢。歳はリオンやシャルロットと同じくらい。
「あら、そちらの方は?」
「あまり見ない顔だな。学園にいたっけ? それとも卒業生かな」
「こちらはリオン・ヴェルレーヌ様よ。今回の準備を手伝ってくださったの」
シャルロットに紹介され、リオンはモーントル学園の少年少女達に挨拶をする。
真面目そうな令息も、気の強そうな令嬢も、皆揃って不思議そうにリオンを見遣る。ヴェルレーヌ家が不安定な状態であることを知っている者は「どうしてあんな家の人が」と不審そうに、リオンのことを今ここで知った者は「知らない人だなぁ」と興味深そうに。じろじろと見るのは失礼だと分かりつつも、子供の好奇心は意識して抑え込めるものではない。
リオンは余所行きの笑顔を浮かべたまま半歩後退る。足元から聞こえた音に気が付いたシャルロットが、ぽんと手を叩いた。皆の意識と視線がシャルロットに向けられる。
「わたくしもお菓子を作ったって先程言ったわよね。そろそろ持って来させるから、皆様の感想を聞かせてもらいたいわ」
適当なテーブルで待っていてねというシャルロットの言葉で、集まっていた令息と令嬢達は少しずつ散って行った。
「シャルロット様」
「囲まれるの好きじゃなさそうだったから。あまりないんでしょう、同年代と接すること」
「ありがとうございます……」




