Verre-5 我が侭な覚悟2
「僕は父の期待を裏切り、そして、父に恥をかかせてしまうのかもしれません。父は……父は、僕のことを許してくれるでしょうか……。シャルロット様のガラスの君探しに協力して、リオン様に貴族の皆さんの動向を伝えて……」
茶色い瞳が揺れる。
「分かっています。分かっていて、こうしているのに、その時が来てしまうのが怖くて。父だけではありません……母も……。家の皆のことを、僕は……。もう、ここまで来て何言ってるんだって感じなんですけど」
「ドミニク様……」
シャルロットは続きを言うことができなかった。友人という関係で満足していると先に言ったのはドミニクだったが、彼を今の状況に置いたのはシャルロットだ。友人を困らせているのは自分だ。
シャルロットとドミニクは揃って黙ってしまう。二人共何を言うべきか迷っているようで、視線は泳ぎ、開こうとした口は閉じられ、お茶にもお菓子にも手を付けない。
リオンは取ろうとしていたクッキーから手を引く。
「許すとか、許さないとか、その点については心配しなくてもいいと思います」
「……え?」
「侯爵はドミニク様のことを大切に思っているはずです。だからこそ、王女の婚約者という位置を用意してあげたいし、邪魔者の私を排除しようとしているんだと思います。侯爵からはシャルロット様と私のことが息子を脅かす悪者に見えているかもしれませんね」
「悪者なんて、そんな……。絵本なら、お姫様の邪魔をしようとしている父の方が悪役なのに。……でも、そう、ですね……。父からすれば……。それなら、僕は怖がらなくてもいいのかな……」
少しだけ表情を緩めて、ドミニクはクッキーを手に取った。
適切な言葉を告げることができたのか、リオンには分からない。しかし、ドミニクの様子を見て「とりあえず大丈夫そうだ」という判断をした。
普段からぺらぺらと巧みに言葉を紡ぐアンブロワーズの隣にいるものの、リオン自身はその話を聞き流しているだけなので口上手なわけでもないし文章の構築や言葉の選択が上手なわけでもない。
身に着けている知識はほとんどが独学。経験も狭い範囲のもの。目の前に座るドミニクの方が優秀な部分が多いだろう。周りから見て王女様の婚約者としてふさわしいと思われるのはドミニクだ。シャルロットの考えに同意しつつも、リオンのことを認めないことだってドミニクにはできた。「本当にこの人でいいの?」と。
「リオン様、ありがとうございます。ちょっとだけ安心しました」
「私なんかの言葉でほっとしてもらえると嬉しいです」
「……リオン様、あまり自分を卑下しないでくださいね。貴方はガラスの君なんですから。僕もあの日、貴方を見ました。素敵な貴公子で、その姿を目で追わずにはいられませんでした。貴方は自分のことを随分とみすぼらしい存在であるかのように言いますが、全然そんなことないですよ」
「そう……ですかね……」
「リオン様は自己評価が低すぎるのでは? 鳩さんにあんなに褒めちぎられ続けているんですから、もう少し自信を持ってもいいと思います」
ドミニクは力強く言う。対して、リオンは少し困ったように笑った。
「癖というか、習慣というか、体に染みついてしまっているんだと思います。自分を低く小さく見せることが。何年も灰を被っていたから、それが当たり前になっていて」
「わたくしはどんなリオンだって好きよ。貴方がいたいようにいてくれればいいわ。でもね、わたくしと一緒に誰かの前に現れなきゃならない時はしっかりしていてね。これは王女命令よ。わたくしが良くても、みんながそうとは限らないから」
「尽力します」
困った笑顔のまま、リオンはお茶を一口飲む。
今度のお茶会で靴の手がかりが見付かるといいね、お茶会が純粋に楽しみだね、というような話をして、今日のお茶会はお開きになった。
クロードと共に馬車に乗り込み、ドミニクはモーントル学園の寮へ帰って行く。それを見送って自分もそろそろ帰ろうとしたところで、リオンはシャルロットに袖を摘ままれた。
「シャルロット、様?」
「わたくし、少し不安……。少しだけ、ね。でも、貴方がいてくれるから安心できるわ」
顔にかかった髪を払って、シャルロットはリオンを見上げる。
「わたくしがこれからするのは、とんでもない大我が侭。家族や、知り合いだけでなく、国までをも巻き込む我が侭よ。酷い王女だと言う人もいるでしょう。それでも、わたくしは我が侭を押し通す」
宝石のような紫色の瞳が真っ直ぐにリオンのことを見据える。つい先ほどまで不安を滲ませていた表情は凛とした王女然としたものになっていた。
シャルロットはリオンの手を取って、きゅっと優しく握る。手袋越しに触れるシャルロットの手は柔らかくて温かい。包んで覆ったかさかさの手で、リオンはシャルロットの手を握り返す。
「わたくしは、貴方を必ず手に入れるわ。あの日貴方が落としてしまったガラスの靴をその足に履かせて。……ドミニク様との婚約を破棄して貴方を選びたいというのはわたくしの我が侭。そして、貴方のことをわたくしのものにしようというのも、たぶん、わたくしの我が侭なのよ。貴方をこの我が侭に付き合わせているのも、わたくしの我が侭だわ。わたくしは、この我が侭で全て思い通りにしてやるのよ」
そこまで言って、シャルロットはほんの少しだけ表情を暗くした。
「高慢で愚かだと言ってくれたっていいのよ」
「シャルロット様、私は」
銀色の長い髪が風に揺れる。今日のリボンはシャルロットの瞳と同じ紫色。祈るように、リオンはシャルロットの手を包み込む。
「私は……。私は、貴女が高慢で愚かだとは思っていません。思っていたら、今、ここにはいませんから」
「リオン……」
「元気な貴女が好きです。飛んだり跳ねたりするところも、かわいいです。前を歩いている貴方がこちらを振り向くと、私は思わず手を伸ばしてしまう。あの頃から、ずっと。私は、貴女に恋焦がれている。貴女という人が、私は好きです。私は、自分の決めた相手が高慢で愚かだと思いたくはありません。もしも、そう思う時が来たならば……。貴女が、悪い王女と呼ばれるような存在になってしまったら。その時は私が貴女を正しい道へ連れ戻します。ちょっぴり我が侭な、かわいい貴女に。だから、大丈夫ですよ」
ふふん、とシャルロットが笑う。そして、リオンの手を優しく振り解いた。
花の香りが広がった。大きく動いたシャルロットのドレスから、華やかで甘い香りがふわりとリオンの元へ届けられる。リオンの前にはドレスという花が咲き、その中にちょこんとシャルロットが座っている。シャルロットは片膝を着いた姿勢で、リオンを見上げて手を取った。
「それならとっても安心ね。信じているわ、わたくしの王子様」
そっと包んだ手を軽く引いて、シャルロットはリオンの手袋に口を付けた。
「っ、シャルロット……様……っ!?」
リオンは目を白黒させて声を上げる。
絵本の王子様が王女様にするように、本物の王女様が自分の王子様と思う相手の手の甲に口付けをしたのだ。戸惑うリオンを見て、シャルロットはいたずらっぽく笑った。
「リオン、ありがとう。大好きよ」
「わ、私も……です」
シャルロットはもう一度リオンの手に軽く顔を寄せてから、ゆっくり立ち上がった。くるりと体の向きを変え、目に付いた適当な使用人に馬車を用意するように言う。
ふわふわの金色の髪と、ひらひらの青いドレス。そんな後ろ姿をぼんやりと眺めながら、リオンはシャルロットに触れられた左手を右手で撫でる。手袋越しの感触がまだ残っているように感じた。気を抜くと途端に顔が不気味に笑い出してしまいそうで、引き攣ったすまし顔を貼り付けた。
やがて、リオン達の前に馬車が到着した。王宮にある馬車の中では比較的落ち着いたデザインの馬車。美しい白馬が引き、格式の高そうな身形の御者が手綱を握っている。
「リオン、またね」
「はい、また」
ドアが閉まる。小さく手を振って、シャルロットはリオンを見送った。
走り去っていく馬車と、それを見るシャルロット。その様子を王宮の窓からジョルジュが見下ろしていた。
「ジョルジュはあの子のことをどう思っているのかしら」
「良き友人です。いい人ですよ、リオン殿は」
「そう」
ジョルジュは窓に背を向ける。
「母上は彼を認めてはくれないのですか?」
訊ねられた王妃は優雅に浮かべた綺麗な笑顔のまま、表情を変えない。
「私個人の考えは関係ないのよ。私や陛下が個人的に認めようが認めまいが、それは関係のないことだから。結論を出すのはシャルロットの両親ではなく、この国の王と王妃なのよ」
「そうですね、野暮な質問でした。失礼しました」
王妃に一礼をして、ジョルジュはその場を去ろうとする。離れたところで控えていた使用人達が姿を現し、ジョルジュの後に続いた。
「王妃は困っているわ。王女は婚約を破棄して、我が侭ばかり言って」
でもねと言って一旦言葉を切った王妃のことを、ジョルジュは振り返る。
窓辺に立つ王妃は困っているようには見えなかった。少し誇らしげな、安心したような、喜んでいるような、そんな顔だ。
「でも、母は嬉しいわ。あんなに小さかった娘が己の意思で何かを成し遂げようとして頑張っているのだから」
そして、王妃は立ち止まっているジョルジュのことを追い越して廊下の向こうへ行ってしまった。残されたジョルジュはもう一度窓に歩み寄って外を見る。
馬車の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったシャルロットが、くるりと向きを変えたところだった。上から見ているジョルジュに気が付くことはない。
「僕も頑張らないとな……。シャルロットはすごいや」
そう言って、窓から離れる。付き従う使用人達を引き連れながら、ジョルジュはゆっくりと廊下を歩き出した。




