Verre-8 愛という呪い2
ダイス教。ダイスの女神を信仰し、女神が振るサイコロの出目によって人の人生が左右されると考える宗教である。良い出目が出るように、人々は女神に祈る。すごろくと呼ばれるゲームが先かダイス教が先かは明らかになっていないが、どちらも遥か昔から伝わっているものだ。
多種多様な宗教が入り乱れる世界の中で、かなり広い地域で信仰されているダイス教。レヴオルロージュでも古くから信仰され、ダイス教の教会が国内の宗教施設の中で最も多い。
「そのマスに辿り着く前ならば、内容を書き換えることができるんじゃないでしょうか。新しいルートを付けることができるんじゃないでしょうか。狙い通りの出目を出すことができるんじゃないでしょうか。……俺は正直、神というものを信じていません。本当に神様がいるのなら、優しい貴方が継母達にいじめられて苦しむことなんてなかったはずなのだから。それが必要な試練だなどと言うのならば、俺は女神さえも殺してやりますよ」
アンブロワーズは外では言えないような不敬で物騒な話をしながら、リオンに優しい目を向ける。
「俺に力があれば、俺に魔法が使えれば、貴方の進む道がより良い道に、幸せへ続く道になるように手助けできるのではないかと思ったんです。灰かぶりをガラスの君に変身させて、その思いはより強固なものになりました。嫌なことは書き換えて、危険な道は通らないようにして。例え神様がサイコロを振っているのだとしても、マスを踏む前ならば、きっと未来はいくらでも変えられるはずだから」
「どうして……。どうして、君はそこまでしてくれるの。私のために動いて、君自身は? 君は君自身の幸せを目指すべきなんじゃないのか」
「俺が自己犠牲的なことを考えていると思っているんですか?」
独り言を続けていたアンブロワーズがリオンに答えた。
見えないサイコロを振った手をリオンに向け、頭を撫でる。そしてそのまま、顔を包み込む。掴まえたリオンの顔にぐっと顔を近付けて、アンブロワーズはこの上なく穏やかに笑った。狂気と慈愛を同時に浴びてリオンは瞳を震わせる。
「貴方が幸せでいることが俺の幸せです。俺はもうずっとそうやって生きて来たんです。これが……これが俺の見付けた、俺の生き方だから。だからどうか、幸せになってくださいね、リオン」
「……その言葉は呪いだよ。魔法使いの、呪いだ」
「俺が守ってあげるからね、リオン……」
翼が大きく広げられる。そして、リオンの視界は純白に染まった。
翌朝、リオンは毛布の中で目を覚ました。ヴォルフガングが朝食の準備をしており、料理の匂いが漂っている。
「よう、坊ちゃん。おはよう」
「おはようございます。……アンブロワーズは?」
「鳩の兄ちゃんなら外だ。日が出て来たから俺が中に入ろうとしたら、外に出て来た。自分が外にいるから俺は少し休んでいいって言ってよ。で、俺は一休みしてから、こうして飯を作ってるってわけ」
フライパンの上では大ぶりのソーセージがごろごろと転がっていた。
「朝食まで……ありがとうございます」
「俺はいつも通りにやってるだけだよ」
リオンは身だしなみを整えてから、仮眠室のドアをノックした。返事はない。もう一度ノックすると、言葉になっていない音が返って来た。シャルロットはまだ半分眠っているようだ。
声をかけて中に入り、後ろ手にドアを閉めてからリオンはシャルロットの様子を窺う。毛布を抱えて丸くなっているシャルロットはシュミーズ姿であり、このうえなく無防備だった。ふわふわした金色の髪が顔を包んでいる。
朝、部屋から出て来ない義姉を呼びに行くことがたまにある。リオンが声をかけると、義姉達は本や鏡から顔を上げた。ドレスの裾を整えろとか、髪を纏めてくれとか、色々な要望をされることもある。呼び付けられることも多々あるため、リオンは女性の部屋を訪問すること自体は躊躇わない。
しかし、相手が肌着姿であれば話は別である。リオンは踵を返し、ドアを開けた。
「シャルロット、おはようございます。朝ですよ。イェーガーさんが朝食の用意をしてくれています」
「んぅー」
「外にいる侍女を呼んで来ますね」
使用人達はいない者として陰に隠れているが、王女様の身支度となれば呼び出さないわけにもいかないだろう。やれコルセットを締めてくれだの、やれパニエを持って来てくれだの義姉達に言われることがあるが、身内と王女様では事情が異なる。使用人達にあることないこと邪推されて騒がれても困るのだ。
リオンが外に出ると、シトルイユが嬉しそうに擦り寄って来た。王宮の白馬はまだうとうとしていたが、人間の接近に気が付いて一瞬で姿勢を正した。
「おはよう、シトルイユ」
愛馬を撫でてから茂みに向かう。葉や枝が少し散らかっているようである。
「王宮の使用人、そこにいるね。シャルロット様の身支度を頼めるかな」
茂みから出て来た侍女数人が小屋に入って行くのを見送り、リオンは周囲を見回す。アンブロワーズの姿が見えない。
使用人達に訊ねると、先程まではいたが気が付いたらいなくなっていたとのこと。木々は暗い影を落としているが、夜と比べれば遥かに明るく、小屋の周りは開けているため真っ白な姿があれば目につくはずである。
「どこに……あっ」
木立の向こうで白いものが動いた。リオンは歩み寄り、声をかけて覗き込む。
「おはよう、アンブロワーズ」
「あぁ、リオン。おはようございます」
「こんなところで何してるの。小屋の前にいるんだと思ったのに」
「俺のことを心配してくれたんですか!? ありがとうございます!」
背を向けて屈んでいたアンブロワーズが立ち上がって振り向く。そして、自分の勢いに負けてよろけた。
「ちょっと、大丈夫?」
「夜全然眠れなくて……」
真っ白いローブに土が付いている。そして、リオンに支えられてにやにやしながら上げられた顔には痣ができていた。
「……鼻血が出てるよ」
「えっ! あっ、これはリオンが来てくれたから興奮して」
「怖い……。そうじゃなくて! 顔、どうしたの。ローブも汚れてるし」
アンブロワーズは鼻血を拭う。
「小川でも見付けて顔を洗ってから会おうと思ったのに」
「何かあった?」
「……あいつら、リオンのことを馬鹿にしてたんです。王女様とは不釣り合いだって。寝不足だったし、俺もちょっとイライラしていたのかもしれません。やりすぎたと思います。でも、許せなくて。殴ったら反撃されました」
「あいつらって、王宮の使用人? だから地面が荒れてたのか」
「体が、痛い……。また、貴方に怒られてしまいますね……」
「もうっ! 君というやつは! まだ安静にしてなきゃ駄目なんだろ! シャルロットに使用人達に注意するよう言っておくよ」
少しふらついているアンブロワーズに肩を貸してリオンは歩き出す。小屋の前の茂みがざわついたが、使用人達が姿を現す気配はない。
小屋に入ると、ドレス姿のシャルロットが席に着いていた。皿を運んでいたヴォルフガングと一緒に、二人揃って目を丸くして口を開ける。
「ま、魔法使いさん、どうしたの」
「おいおい、外で何かあったのか。料理してると周りの音はあまり聞こえねえからよ。っと、確か薬類はあそこに……」
リオンが事情を説明すると、シャルロットはみるみるうちに怒りの表情に変わった。立ち上がり、ぷりぷりとした様子で拳を握る。
「リオンはわたくしの大切なお友達よ! そして魔法使いさんはリオンの素敵なお友達なんだから! 後で言い聞かせておくわ。魔法使いさん、うちの使用人達がごめんなさい。リオンも、嫌な思いをしちゃったでしょ、ごめんなさい」
頭を下げるシャルロット。リオンは王女に頭を下げさせてしまったことに慌てて、すぐに頭を上げるように言った。
「わたくし……。わたくし、誰にも文句を言わせないわ」
顔を上げたシャルロットはリオンに一歩近付く。
「貴方はわたくしのガラスの君。みんなに認めさせて、誰にも文句なんて言えないようにしてみせるから」
「そのためには、やはりガラスの靴ですね」
「そうね。どこかの貴族がどこの誰なのか……。戻ったら一旦分かったことを整理して考えましょ」
今後の動きを軽く確認しつつ、各々席に着いて食事を始める。ヴォルフガングが用意してくれたルージュ・ヴァルフォレトの朝食はリオンにとっても珍しいもので、朝食についてもレシピを訊ねることとなった。
朝食を終えると、一同はヴォルフガングに別れと感謝を告げて帰路に着いた。
「異国の料理も面白いわね。ねえリオン、狼さんに作り方を聞いたんだったら今度ごちそうしてくれないかしら」
「いいですよ。腕によりをかけて心を込めて作りましょう」
「楽しみ!」
リオンとシャルロットは馬上で話に花を咲かせる。
そんな二人を見て、白馬の引き綱を引いていたアンブロワーズは満足げな笑みを零す。穏やかな微笑だったが、リオンに声をかけられて一瞬で口角が吊り上がった。シトルイユが呆れた様子でその変化を眺めていた。
木陰から王女を見守る使用人達を引き連れながら、黒と白の二頭の馬が王都パンデュールに向かって深い森の中を歩いて行く。




