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灰かぶり子爵の硝子庭園  作者: 月城こと葉
Recueillir-3 魔法使いの祝福
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Verre-4 赤き狼の宿2

 シャルロットはリオンに寄り添いながら、ドミノを睨み付ける。


「貴方、彼を食べようとしたの」

「まさか、本当に食べると思ったのか」

「だって血が滲んでる。こんなに怖がって、こんなに痛がってる」

「本当に食べるんだったらもっとがっつり行ってるさ。それに俺が人間を食うわけないだろ。俺……俺達だってほとんど人間と同じだぜ? まあ腹は減ってるんだけど、ちょっと驚かしてやっただけだ。そんな怖い顔するんじゃないよ。かわいい顔が台無しだ、お嬢さん」

「口を慎みなさい。貴方はレヴオルロージュ第二王女の前にいるのよ。わたくしの友人を傷付けた罪は重いわ」

「おや、王女様だったか。まあ俺には関係ないさ。俺はレヴオルロージュの人間じゃないからな。俺みたいな庶民相手に国際問題だって言うほど暇じゃないだろ?」


 国際問題……? とシャルロットが呟く。


 ドミノの男は耳と尻尾を動かす。レヴオルロージュの国民の中にドミノはほとんどいない。悪質な人身売買の商人に狙われるほど数が少ないため、ドミノに会ったことがないという者も少なくない。


「貴方は……異邦人バックギャモン……?」

「ルージュ・ヴァルフォレトのロートヴォルフだ」

「ロートヴォルフ……」


 国土の大半を密林が占めるルージュ・ヴァルフォレト。ペロア大陸全体からも姿を消したと言っても過言ではないドミノが比較的多く残っており、中でも深紅狼衆(ロートヴォルフ)と呼ばれる狼達が森も街も半ば支配している。


 かつて王国だったルージュ・ヴァルフォレトでは市民革命が起きた。ルージュ革命で権力者という権力者が追放され、王宮は陥落し、王政だった国はひっくり返った。政治に不満を持つ市民達を先導し、煽り、旗を振った者の姿から「赤ずきん革命」とも呼ばれている。


 赤い装束の先導者が引き連れていたのがロートヴォルフの名を掲げる狼ドミノの集団である。現在は共和国となったルージュ・ヴァルフォレトだが、革命の立役者であり英雄である狼達は国民から信頼され、尊重されている。彼らは外敵から国を守り、そして、見返りとして国民から立場を与えられている。あくまで共和制であり狼達が牙や爪を国民に振りかざすようなことはないが、結果として狼達がかなりの力を有することになっている。


 ルージュ革命は周辺国にも大きな衝撃を与えた。王政の続く近隣諸国は軒並み震え、各々様々な政策を施行した。レヴオルロージュにおける数代前の国王によるドミノへの圧政はクーデターや革命を恐れたものとも言われているが、国王の真意を知る者は時の流れた今のレヴオルロージュにはいない。


 ルージュ革命の概要はレヴオルロージュの学校でも近隣諸国の歴史として授業で扱われる。王室と国民が良好な関係を築いている現在のレヴオルロージュでは革命に怯える必要などない。しかし、元々恐ろしい獣である狼が革命を主導したと聞いて、シャルロットはロートヴォルフの名に恐怖した。


「こ、ここはレヴオルロージュよ。どうしてここにいるの」


 シャルロットの声は震えていた。


「どうしてって、呼ばれたから来てやったんだぞ。本当はもっと奥まったルージュ・ヴァルフォレト側の国境沿いに拠点を置いてるのに、お貴族様をそんなところまで来させるわけにはいかないからな。レヴオルロージュ内で、これくらい開けてるところならいいだろうと思って」

「もしかして……イェーガーさんですか……?」


 ふらふらと立ち上がったリオンが問いかける。顔は青褪めており、目の焦点は定まっていない。シャルロットに支えられて何とか姿勢を維持しているが、まだ手は震えていた。小刻みに揺れる指先が血の滲む右耳を押さえる。


 ドミノの男の尻尾が振られた。怪訝そうにリオン達を見ていた表情が一気に明るくなる。


「なんだ、アンタだったのか。ヴェルレーヌさんか?」

「はい、リオン・ヴェルレーヌです。あぁ、よかった。辿り着け……」


 ピンと張った糸が切られるように、リオンの恐怖心が消えた。相手は約束をしていたガラスの毒リンゴの出品者だ。危害を加えて来る相手ではないことが分かった途端に体から力が抜け、再びへたり込んでしまった。


「怪しい侵入者かと思ったぜ。悪いことしちまったな」

「この、狼さん……なの? ねえ、お話聞けそう?」

「襲い掛かって怖がらせたのは俺だけど、少し休んだ方がいいんじゃねえか。商人達が休憩に使ってる小屋だ、いくつかベッドもある」

「リオン、休む?」


 シャルロットに寄りかかっているリオンは小さく頷いた。





 漂って来る料理の匂いに目を覚ます。一休みだけのつもりが、ぐっすりと眠ってしまっていた。リオンはベッドから起き上がり、顔にかかっている髪を掻き上げる。


「アンブロワーズ、今何時……。……いないんだった」


 枕元に置いてあったリボンで髪を束ね、ジャケットの袖に腕を通しながら立ち上がる。仮眠室になっている小部屋のドアを開けると、玄関から入ってすぐの部屋だった。小屋の中の部屋は二つだ。


「リオン、おはよう」


 シャルロットに声をかけられそちらを向くと、彼女は皿をいくつか抱えて立っていた。仮眠室側、玄関から見て奥の壁に張り付くようにして小さなキッチンがある。シャルロットは料理中の狼の傍に皿を置いてからリオンに歩み寄る。そしてまだ寝ぼけ眼のリオンの手を引いて、手近な椅子に座らせる。


「綺麗な髪がぼさぼさだわ。結び直してあげる」

「ありがとうございます」


 銀色の髪を手櫛で軽く梳いて、リボンで纏める。簡単な動作なのに、シャルロットはリオンの背後から動かないうえにまだ髪をいじっている。


「今日のリボンは深緑色のちょっぴり渋いリボン」

「いつも同じ色だと代り映えしませんから、髪飾りはたくさん持っているんですよ。服の数が少ない分、ここで差を作って。服はあまり買えませんが、リボンだけならいくらでも買えますし」

「髪はこのまま? 昔みたいに短くはしないの」

「今はこの方が落ち着きますね……」

「そう。……狼さんがね、今夜はここに泊まって行けって。もうすっかり日も暮れて、今から森に入っても迷うだけだから」

「シャルロットをこんなところに泊めることになるなんて」

「こんなところとは言ってくれるねぇ、坊ちゃん」


 テーブルに皿を置きながら、狼が言った。深めの皿の中には肉や人参、玉ねぎなどが入っている。レヴオルロージュの一般的な家庭料理であるポトフに似ているが、ジャガイモとソーセージが我こそが主役と言うように鎮座している。


 ルージュ・ヴァルフォレトを越えればそこは別の大陸。異なる文化圏に挟まれたルージュ・ヴァルフォレトでは、それぞれの大陸の衣食住が混ざり合っていた。


「す、すみません失礼しました。場所を貸してくださってありがとうございます。これは……ポトフですか?」

「俺の小屋じゃないけどな。これはアイントプフだ。まあポトフみたいなもんだよ。改めて確認するけど、アンタはリオン・ヴェルレーヌで間違いないんだな?」

「はい。貴方は、ヴォルフガング・イェーガーさん。ガラスの毒リンゴをオークションに出品された」

「そうそう。あん、アンブローズ? とかいうアンタの使用人から手紙が来たぜ。話はとりあえず飯食ってからな。今にもアンタ達を食ってしまいそうなくらい腹が減ってるし、アンタ達だって腹減ってるだろ。たまには庶民の飯を食ってみると面白いと思うぜ」


 ヴォルフガングは三人分の食器を並べて行く。具だくさんのスープに、ちょっぴり硬そうなパン。リオンにとっては見慣れたものだが、シャルロットにとっては滅多に見ないものだ。物珍しそうに、皿から皿へと視線を動かす。


「わぁ、美味しそうね。よし、リオンの髪も綺麗にできたし、ご飯にしましょ」

「ずいぶん時間がかかっていましたね。私の髪どうなってるんですか」

「綺麗な長い髪だから三つ編みにしちゃった。わたくし、自分の髪は侍女達に編んでもらうでしょ。でも自分でも少しやってみたくて、お人形でたまに色々な髪形を作ってみるのよ。生身の人間相手でもちゃんと形にできてよかったわ」

「シャルロット様が編んでくださった髪……寝る前にほどいてしまうのがもったいないですね」

「朝になったらまた編んであげる」

「はいはいはいはい、そこ戯れるなら飯食ってからな」


 若干呆れた様子のヴォルフガングが並べ終えた皿を指し示す。


「折角の料理が冷めてしまってはいけないものね」


 席について、シャルロットはスープを一口飲む。野菜をひとかけ食べる。そして黙ってしまった。


 王女様の口には合わなかっただろうか、という顔でヴォルフガングは様子を窺う。リオンも手を止めてシャルロットを見守る。


 宝石のような紫色の瞳がキラキラと輝く。口角が上がり、艶やかな唇が歓喜と共に開かれた。


「お……美味しい! 美味しいわ。王宮のシェフ達が作るものとは違うけれど、これもとっても美味しいわ。狼さんは料理人さんなのかしら」

「料理人ってわけじゃあないけど、民宿をやってるんだ。なかなかだろ?」

「まあ、そうなのね。とっても美味しいわ。お客さんも喜ぶわね」

「ヴェルレーヌさんは? アンタも坊ちゃんだからこういうのは食べ慣れてないだろうけど……」

「美味しい、です……。アイントプフといいましたよね。後でレシピをお聞きしてもいいですか」

「いいけど……」


 シェフに作らせるのか? という問いにリオンは首を横に振った。

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