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灰かぶり子爵の硝子庭園  作者: 月城こと葉
Recueillir-2 貴方こそがわたくしの
16/41

Verre-7 それぞれの思惑1

 二日後、シャルロットが再びヴェルレーヌ邸を訪れた。豪奢な馬車を小さな別邸の前に停めて、つやつやの靴で降り立つ。


 シャルロットの鳴らしたノッカーを受けて現れたのはクロエだ。レヴェイユの村の娘達から今日も素敵な花束を受け取り、ちょうど屋敷に戻って来たところだった。眼前の王女にも気障な素振りで格好を付けつつ、硝子庭園の方を指差す。


「王女様の目的は灰かぶりだろう? あの子なら硝子庭園にいるよ」

「硝子庭園……?」


 クロエの指差す方向を見て、もう一度クロエを見て、シャルロットは小首を傾げる。


「灰かぶりが集めたガラス達が飾ってあるガラス張りの温室庭園さ。あんなに美しい庭園は灰かぶりには勿体ないと思っていたけれど、まさか彼がガラスの君だったなんて」

「わたくしは彼を探していました。彼もわたくしのことを探していました。彼が見付かって、本当に良かった」


 ほんのりと頬を赤らめるシャルロット。そんな王女を見てクロエはほんの少し口角を上げた。


 村娘達を虜にする自分を前にしてもリオンのことばかりを口にするシャルロットは、彼女にとって珍しい存在だ。王子の現れる舞踏会に弾む足取りで向かったクロエは素敵な男のことが好きだが、自分に見惚れるかわいい女のことも大切に思っている。自分を見る女達の視線を取り上げる王子と、自分に見向きもしない王女。面白い兄妹だな……という言葉を飲み込み、クロエはシャルロットの手を恭しく取った。


 纏っているものは可憐なドレスだが、片膝を着き王女の手を取る姿はまるで騎士のようだ。馬車の傍で控えていた王女付きの侍女が「きゃっ」と小さな歓声を上げた。その声にクロエは満足げに笑う。


「王女様。私はきっと灰かぶりに優しくしてやれないから、貴女が彼に幸せを与えてやってほしい。私はお母様の言いなりではないけれど、一緒になって彼に酷いことをしてしまったからね。ナタリーのようにもう少し近付いてあげればよかったのかもしれないな。私は、灰かぶりには幸せなんて訪れなければいいと思っている。でもそれと同時に、ガラスの君には輝いていてほしいとも思っているのさ。自分でも自分が何を考えているのか分からないから、こうして自分の好きなことをして気を紛らわせている」


 クロエは侍女にウインクをして、一瞬で仕留める。


「素敵な王女様。貴女はお姉様と同じように国中の女達の憧れなのです。貴女の一挙手一投足に皆が注目するでしょう。己の選択が正しいのだと見せ付けてやりなさい」

「貴女は……リオンのことが嫌い……? でも、わたくしのことは応援してくださるの?」

「女の子には笑顔が似合うから、貴女にも笑顔でいてほしいだけだよ」


 シャルロットから手を離し、クロエはゆっくり立ち上がった。華やかな装飾が施されたドレスも、ブルネットを纏めるかわいらしいリボンも、裾からちらりと見える綺麗な靴も、リオンを虐げた先で手に入れたもの。村娘達に向ける優しい視線は義弟には向けられることがない。


 クロエはドアの傍に置いていた花束を拾い上げた。春にぴったりなピンクや赤、黄色などの明るい色で揃えられた花束に慈悲さえ感じられる目を向ける。シャルロットは無意識のうちに半歩程退いていた。このまま共にいれば、自分も侍女のようにされてしまうかもしれない。


「硝子庭園……と仰っていましたよね。行ってみますわ」

「あぁ、いってらっしゃい」


 優しい声音に侍女が声を上げる。侍女に馬車の傍で待っているように告げ、シャルロットはガラス張りだという温室庭園を目指して歩き出した。


 クロエが教えてくれた、屋敷の右手。少し進むと、屋敷の影から大きな温室が姿を現した。角度によって屋敷に隠れて見えることもあるが、硝子庭園自体はかなり大きい。リオンの集めた数多のガラス達と、植物達がひしめいている。


 出入り口のドアの前に立って、シャルロットは硝子庭園を見上げる。王宮にも大きな庭園があるが、これほどの規模の温室はなかなか見ることがない。ガラスのドアを開けて中に入ると外よりも暖かな空気が漏れ出て来た。一歩踏み入ると、シャルロットの目の前にきらきらと輝くガラスの世界が広がった。


 いくつものガラス細工。その間に揺れる花々や草木。石畳の上を歩き、美しい景色に目を向ける。


「シャルロット!? ……様!?」


 南国原産の大きな葉がある角を曲がったシャルロットは、如雨露を手にしたリオンと鉢合わせた。突然現れたシャルロットに驚き、リオンは如雨露を取り落とす。中に残っていた水が飛び散った。


「えっ、何!? どうして……」

「貴方のお義姉様が……えぇと、上の。クロエ様が、貴方はここにいると」

「何しに来たんですか、こんなところに」


 リオンは如雨露を拾う。寸足らずの着古した服。底が外れそうな靴。足元には如雨露から零れた水が広がり、あともう少しで靴に染み込んでいきそうだ。じわじわと範囲を広げる水から、リオンは距離を取る。


 シャルロットは水溜まりを迂回してリオンに近付いた。ドレスに水が付かないように、少し裾を持ち上げて歩く。


「お父様が貴方のことを連れて来いと」

「先日のことを父に話したかどうか陛下は気にされているのでしょうか。次に街へ行く時に王宮まで向かおうと思っていたんですが」

「とにかく、連れて来いと。子爵への話が済んでいるのだったら、大丈夫だと思う……けど。わたくしは連れて来いとしか言われていなくて」

「……分かりました。陛下が来いと仰るのなら参りましょう」


 リオンは如雨露を手に歩き出す。シャルロットも後を追う。


 別荘で遊んだ時のようにリオンの背を追い駆ける。シャルロットの前で揺れる彼の髪は栗色から銀色へ変化した。長さもずっと長くなって、後ろ姿だけでは面影などほとんどなく、女性と間違えられるということにも納得した。しかし、顔を合わせて話をするとあの時のリオンと同じなのだと分かる。この後ろ姿も交流を重ねるうちにしっかりとリオンのものとして認識できるようになるのだろう。シャルロットはぼさぼさの髪を眺めながら、反対側にあるリオンの顔を思い浮かべた。


 本物のハシバミとガラスのハシバミに挟まれた部分を抜けると、小さな井戸が姿を現した。井戸の脇に如雨露を置き、リオンは振り返る。


「屋敷の方に引いてある水道をこちらまで繋いだんですよ。ここにはガラスだけじゃなくて花や木もある。植物に水は不可欠。元々は母が世話をしていた花壇の場所。形が変わっても、この場所は母の大切な場所だから。種を取って残したものもあるんですよ」

「あの立派なハシバミも?」


 シャルロットは先程通って来たハシバミの道を指差す。


「あれは母の亡くなった年の実を植えたものなんです。よくヘーゼルナッツのクッキーを作ってくれました」

「素敵。お母様との思い出の味なのね。それじゃあ、あちらのガラスのハシバミは」

「あれは私が最初に競り落としたガラス細工です。なんて金額で買って来たんだとお義母様達には怒られてしまいましたが……」


 ガラスのハシバミは幹から枝の先や葉、実るヘーゼルナッツの一つ一つまで、細やかに作りこまれている。周囲の植物に撒いた時に跳ねた水が葉の先から一滴落ちた。


 硝子庭園の中に敷かれた石畳の通路は、いくつかのルートに分かれている。井戸の前に来た道とは別の方向へ伸びている道を差し、リオンは歩き出した。


「外へ出るなら戻るよりもここを通った方が早いです」


 ガラスと植物を潜り抜けて、ガラス戸を開けて二人は外に出る。シャルロットは中に入ってぐるりと回って戻って来る形となった。


 そうして、リオンは議会へ赴く際の服に着替えてシャルロットと共に馬車へ乗り込んだ。その姿を廊下の窓からナタリーが見ていた。


「また王様に呼ばれたんですって」


 ゆるく巻いている黒髪に指を絡ませる。


「リオン、このまま話がどんどん進んで本当に王女様と結婚しちゃうのかしら」


 全部貴方の筋書き通り? と、ナタリーは後ろを振り返る。


 廊下に向けて部屋のドアが開けられている。かつて物置として使われていた部屋に置かれたベッド。その上からオレンジ色の瞳がナタリーを見ていた。


「俺は別に何も企んでいませんよ」


 リオンにベッドに押し込められたアンブロワーズは言われた通りにおとなしく「安静にする」を頑張っている。しかし、ただ何もせずに寝ていても退屈なため今日は体を起こして読書に興じていた。体はまだ痛いが、一昨日ほどではない。


 ナタリーが部屋に入って来る。手近な椅子を引っ張って来て、ベッドの脇に腰を下ろした。


「鳩、貴方リオンのことが好きなんでしょ」


 豆鉄砲を食らったような顔をしてから、アンブロワーズは静かに笑った。


「リオンが王女様のところに行っちゃっていいの」

「ふ……。面白いことを言いますねナタリー嬢は。幸せそうな彼を見ることが自分にとって極上の幸福です。彼が王女のことが好きで、王女が彼のことが好きだと言うのならそれを応援するのが俺の役目です。彼が辿り着いた幸福の先に、俺の姿なんてなくてもいい。俺は外側から彼のことを観測して、彼が喜び、笑い、楽しそうにしているのを感じ取ることができればそれで充分です」


 本が閉じられる。


「あぁ……。それだけで、きっと俺は……」


 くつくつと漏れる笑いが体を震わせた。アンブロワーズは恍惚とした笑みを浮かべる。ナタリーの冷ややかな視線など関係ない。灰かぶりのことを考えるだけで、魔法使いはいくらでも悦楽を得ることができた。


 椅子が軋む音にハッとして、我に返る。立ち上がったナタリーが恐怖にも困惑にも、侮蔑にも似た目をアンブロワーズに向けていた。


「ずっと思っていたけれど、貴方……気持ち悪いわね」

「褒め言葉として受け取っておきますよ。多少気持ち悪いくらいのやつじゃないと魔法使いになんてなれないでしょうから」


 先程とは違う笑顔を自嘲気味に張り付けて、部屋を出て行くナタリーのことを見送る。ドレスの裾が見えなくなってから、アンブロワーズは再び本を開いた。ページの間に挟まれているのはリオンが使っているのと同じ色の青いリボンが付いた栞。金属製のブックマーカーは、ナタリーが開けっ放しにしたドアから差す光を鈍く反射した。

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