Verre-6 王女様のお相手2
リビングに戻ったリオンを待ち構えていたのは継母と義姉達である。ナタリーが小走りに寄って来て、ガラスの君の衣装をぺたぺたと触る。
「本当に貴方がガラスの君だったの」
「似合っているでしょうか」
「素敵な服。王子様みたい! 鳩がこれを用意したの?」
「はい。彼は私に魔法をかけてくれたんです」
にこりと笑うリオンと、それを見て微笑むナタリー。そんな二人のことを継母は嫌らしい目付きで見ていた。何かを企んでいる顔である。クロエは母の考えを知っているのかいないのか、ちらりと一瞥しただけで後は涼しげな顔で村の娘達からもらったかわいらしいブーケを眺めていた。
継母が一歩前に出る。
「灰かぶり。リオン、おまえが本当に舞踏会のガラスの君ならば、おまえはシャルロット王女と結婚するのかい」
「王女はそのつもりのようですが……」
「おまえは?」
「私は……。私は彼女に会いたかったので、ずっと共にいることができれば幸せだと思います。彼女にいつか会ってやるのだと思えば、お義母様達からの仕打ちにも耐えられましたから。ただ、心の準備が。心の準備だけができていなくて。もっと彼女にふさわしい男になってから……」
継母のくすんだ瞳がきらりと光る。そしてずんずんとリオンに近付いた。
「灰かぶり! おまえは王女と結婚しなさい! するんだよ! いいね!」
「うわ。珍しいですね、お義母様が私の幸せを願うなんて。近い。近い近い、近いですって」
「おまえが王女と結婚すれば、この家には王家との繋がりができるんだ。王家と近付けば、きっと豪勢に暮らせるさ!」
「わ、私はそんなつもりじゃ……! お義母様達の考えていることはだいたいそんなものだと思っていましたが、本当に汚い人ですね」
「母親に向かってそんなことを言うんじゃないよ! 私に文句があるなら、おまえを昔みたいな灰かぶりにしてやってもいいんだよ!」
継母の勢いにリオンは一瞬怯みかけるが、負け続けた幼い頃とは違う。睨み付けて来る継母を睨み返し、数歩進んで継母のことを退かせる。
少し気を抜けば継母に押し負けそうだった。リオンは頑張って怖い顔を作る。
「夕食の時に父上も加えて改めて話をしますから」
「わ、分かったわ」
かつて見下ろしていたリオンに見下ろされながら、継母は居心地が悪そうに眼を逸らした。
食卓を囲むヴェルレーヌ家の面々は皆深刻そうな顔をしていた。フォークを置いて、リオンは居住まいを正す。
「父上、お話があるのですが」
昼間自分が家にいなかったのは、王宮へ連れて行かれていたから。国中で噂になっているガラスの君の正体は自分である。シャルロット王女はガラスの君と結婚するつもりだ。概要を掻い摘んで、大事なことを抜かさないように、リオンは子爵に話をした。
子爵はリオンを見る。今はもうすっかり元気がなくなってしまっているが、色は鮮やかさを失わず、リオンと同じ美しい青い瞳である。父と子の同じ色の瞳が、料理の上でぶつかる。
「昔、別荘で女の子に会って仲良くなったと言っていたな。まさかそれが王女だったとは」
「舞踏会で姿を間近で見て、王女があの時の少女だと確信しました」
「まるで運命のようだな」
子爵はスープを啜る。
「庶民ならば気にすることでもないのですが、私はサンドール子爵家の者であり、彼女はこの国の王女です。陛下は父上と直接お話になりたいと仰っていましたが、難しいことだと思ったのでこうして私が報告を」
「ふむ……」
継母は子爵がいる前ではリオンにきつく当たらない。もう仲良くなった体を装っているため、先程のようなことを大声で言うことはない。クロエは継母の様子を窺い、ナタリーは子爵の様子を窺っていた。
子爵がスプーンを置く。
「オマエは王女を愛しているのか?」
「あいっ、あ……愛してる……と、おも、思います……」
やや赤くなりながら動揺するリオンを見て、子爵は小さく笑った。
「ですが、まだ心構えというか、心の準備というか……。それに、久し振りに会ったばかりで……。気持ちは……彼女への気持ちは変わっていませんし、より強くなっているとさえ思うんです。ですが……。こう、なんというか。もう少し、こう……交流? とか? 親交をより深めたいなとも思うんですよね」
「そうか。私はオマエの気持ちを尊重するよ。庶民であろうと、王家の人間であろうと、オマエが大切に思って共にいたいという相手のことを私は歓迎する。しかし、最終的に決めるのは陛下だ。この国の王が駄目だと言えば、私にそれを覆させる力はない」
レヴオルロージュで一番偉いのは国王だ。一番の決定権を持つのは国王だ。一番力が強いのは国王だ。もちろん周りの政治家や貴族と意見を交えて大事なことを決めるのだが、国王の一声で結果が変わることも少なからずある。
王子や王女の婚約ともなれば大きく国や国民を動かすものだ。どこの誰と結婚するのか、その判断は慎重にしなければならず、政治家や貴族の目は鋭くなり、国王と王妃の力は強くなる。オール侯爵の令息であるドミニクはその鋭く恐ろしい数多の目の中を通過したのである。
シャルロットとリオンが互いのことを好いていても、子爵がそれを認めても、国王もしくは王妃が許さなければ二人が結ばれることはない。
子爵はもう一度リオンの気持ちを尊重しているということを告げると、静かに食事に戻った。
その後はいつもと変わらない夕食の時間となった。子爵は会話で使った体力を補うように黙々と食べ、義姉達が村で起こったできごとなどをテーブルの上に展開させた。
やがて、ヴェルレーヌ家の面々は自室に戻って行く。食器類を片付けてから、リオンは盆を手に自室へ向かった。
「アンブロワーズ、調子はどう?」
ベッドに横になっていたアンブロワーズは、リオンの声に身を起こす。灰かぶりの姿を視界に捉えて、魔法使いは不気味に笑った。
「いつもの服に戻ってしまったんですね」
「あの衣装で家事をしろと?」
盆をサイドテーブルに置き、リオンは呆れた表情を浮かべた。
「風邪を引いたわけではないからこれでいいか分からないけれど、安静にして寝ているんだから体にいいものがいいと思って」
皿の上にはジャガイモのピュレが載っている。ハムを添えたマッシュポテトは調子が悪い時の定番の食事だ。隣の皿には野菜たっぷりのスープが揺れている。
アンブロワーズは皿を手に取り、少しずつ口に運んだ。
小さな頃、風邪を引いて寝込んでしまったリオンに母が用意してくれた料理。貴族の家庭にとっては簡単で質素なものだったが、料理人ではなく母が手ずから準備してくれた優しい味にリオンは頬が落ちてしまいそうな気分になった。誰かが体調を崩した際にはいつもその時の味を思い出しながら作っている。
「王宮で何があったのか教えてくれる?」
スープをふうふうと冷ましていたアンブロワーズは、スプーンで掬っていた分を飲み干して顔を上げる。
「リオン、料理上手ですよね」
「何年もやらされていたからね。今はもう、料理をすることも好きだけど」
「……玉座の間の前で貴方を見送って、近くの廊下をうろうろして時間を潰していたんです。王宮の中になんて滅多に入れないし、この機会にあの美しい内装を目に焼き付けておこうと思って」
壁紙や絨毯、飾られている花瓶の隅々まで熱心に見ながら歩いていた。玉座の間から随分と離れてしまったことに気が付き戻ろうとしたところで、誰かの手がアンブロワーズのローブを掴んだ。首の部分を後ろから思い切り引っ張られ、一瞬息が止まりそうになる。
「『オマエ、アイツの』『どこから入って来たんだ』と。振り切ろうとしてもがいているうちに、放り出されていて……。俺は人間じゃない……から。人間じゃないから雑にされたけど、人間じゃないからこれくらいのダメージで済んでるんですよね」
「相手の顔は見ていないの」
「見ていません。どこかの使用人だと思いますが……。まあ、相手が誰なのかなんてどうでもいいことです。ドミノが生きづらいのは今に始まったことではないですし、昔と比べれば随分と暮らしやすくなっていると言いますし。海を渡らずにここに残った我々に文句を言う権利はありません」
掻き込むように食事を平らげて、アンブロワーズは盆をリオンに押し付ける。
「美味しかったです。ごちそうさまでした。もう休みますね」
「あ、待って……。『アイツの』って、アイツって私のこと……? 犯人は私に対して何か思うところがあるとか? あの……。あの、私が、衣装を持って来るように言ったから」
「もしそうだとしても俺は貴方の傍を離れませんし、貴方のことを責めませんよ。俺のこの翼が、飾りじゃなければよかったんですけどね。空を飛ぶことができれば、窓から落とされてもこんな負傷しなかったのに」
ベッドの上に落ちている羽根を拾って、目を伏せる。
アンブロワーズの翼は人の体を飛ばせる大きさである。しかし、実際に彼の体が空を舞うことはない。広げたり閉じたりすることは可能だが、飛行できるほど激しく大きく動かすことは不可能だ。
幼い頃に負った傷の後遺症なのだとリオンは聞かされている。友人とふざけて遊んでいるうちに夢中になって周りが見えなくなり、遊び場の廃屋のどこかに強く引っ掛けて捻ってしまったのだと。実際にはその廃屋にいた悪質な商人に目を付けられ、連れ去られそうになった時に強く引っ張られて痛めたものだ。そのことをアンブロワーズがリオンに伝える気はないため、リオンが真実を知ることはない。
リオンはアンブロワーズの手から羽根を取る。
「でも、大事に至らなくてよかったよ。ドミノは体が頑丈でいいよね」
「リオン」
「ん」
「真っ白な羽根を手にして微笑む貴方はまるで遠方で語られる天女のようでとても素敵です」
「本当に元気だけは有り余ってるみたいだね。……ゆっくり休んでね」
まとわりついて来るアンブロワーズの手をひらりと躱して、リオンは軋むドアに手をかけた。




