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灰かぶり子爵の硝子庭園  作者: 月城こと葉
Recueillir-2 貴方こそがわたくしの
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Verre-4 灰だらけのガラス

 馬車が王宮に着く頃にはシャルロットは落ち着きを取り戻していた。王女様然とした様子で出迎えてくれた兵士に挨拶をする。


 ガラスの君を探し回っている王女が男を連れて帰って来たので、兵士や使用人達は「この男がガラスの君なのだ」とリオンのことを興味深そうに見た。しかし、王女が連れているのはみすぼらしい格好の貧しそうな男である。みんな揃って怪しむように、疑うようにリオンを目で追う。


 一年半前。一昨年の秋の舞踏会。あの場に現れたガラスの君は広間にいた人々の注目の的になった。皆が見惚れたが、彼が皆の目に触れたのはほんの十分弱程度。眩しい姿が印象に残ったとしてもその姿をはっきりと覚えている者は少ない。一年半も経てば、そこにいたという記憶さえ曖昧になってしまう。髪型や着ている物が全く違えば、例え顔を覚えていたとしてもすぐには同じ人物だとは分からない。


 シャルロットはリオンを連れて王宮の廊下を歩く。同行していた使用人の女性はガラスの君が見付かったことを報告しに向かったため、今は二人きりだ。


「シャルロット殿下」

「いつ言おうか考えていたのだけれど……。シャルロットでいいわよ。小さい頃と、舞踏会の時と一緒」

「シャルロット……様」

「それでもいいけど……」


 リオンは階段横で立ち止まる。シャルロットも立ち止まり、リオンのことを見上げる。


「私は貴女に会うために舞踏会に行きました。あの日出会った貴女にもう一度会いたくて……。貴女が王女だったと知って驚きました。王女である貴女ともっとたくさん話をするために、ふさわしい姿になれるようにこの一年半努力していたのですが、ご覧の通りまだまだ恥ずかしい格好で……。本当はもっと、多少、少し、わずかでも……心構えのできた頃にお会いしたかったです」

「でものんびりしていたらお父様に無理やりドミニク様と結婚させられてしまっていたわ。あっ、ドミニク様はいい人よ。大切なお友達だもの。誤解しないでね。わたくしは貴方にようやく会えてとってもとっても嬉しいわ」


 にこりと笑うシャルロットに、リオンは表情を緩ませる。穏やかな日差しの下で暖かな風が吹き抜けるような、優しく包み込まれる感覚だ。別荘の庭で無邪気に遊んだ日々が、分厚い回顧録を勢いよく捲るようにリオンの頭の中に展開された。


 自分はこの王女様の虜なのだ。改めてそう思いながら、リオンは高鳴る己の鼓動を感じた。


 ほんのり頬を赤らめるリオンと、黙ったままの彼に目をぱちくりとしているシャルロット。向かい合って見つめ合っている二人の元に、階段を下りて来た人物が歩み寄って来た。柔らかな金髪に、宝石のような紫色の瞳。煌びやかな衣装が光を散らす。


「お帰りシャルロット」

「お兄様! ただいま戻りました。お兄様、わたくしついに見付けたの! こちらがわたくしのガラスの君よ!」

「見付かったのか。よかったよかった。ごきげんようガラスの君。妹が迷惑をかけてはいないだろうか」


 ジョルジュは思っていたよりも貧相な様子に驚きつつも、ガラスの君に手を差し出す。リオンは躊躇いがちに手を出し、握手する。


「迷惑だなんて、そんな」

「ジョルジュ・サブリエだ。よろしく」

「……リオン・ヴェルレーヌです」

「え」


 名前を聞いてジョルジュは声を上げて瞳を震わせた。そして妹の連れて来たガラスの君を頭のてっぺんから足の先までじっくりと見て、もう一度「えっ!」と声を上げる。


 ジョルジュ王子は議事堂に用事がある際、サンドール子爵代理のリオンを見付けると弾む足取りで近付いて来る。一年ほど前から子爵の代理として議会に顔を出しているリオンは、ジョルジュにとって数少ない仕事で顔を合わせる同年代だ。つい先日も議事堂の廊下でガラスの君について話をしたばかりである。


「リ、リオン殿……!?」

「……はい」

「お兄様、彼を知っていたのですか?」

「あぁ、うん……。サンドール子爵の御子息で、体調を崩している子爵の代わりに議会に来てくれているんだ。歳が近いから、よく話し相手になってもらっている。まさかリオン殿がガラスの君だったなんて。それに、その格好は一体……」


 廊下で話をしていては、誰に聞かれてしまうか分からない。ヴェルレーヌ家が勢いを失っていることは周知だが、継母と義姉がリオンを灰かぶりにしていることはどうにか隠している。リオンが場所を移したいことを伝えると、シャルロットは階段を指し示した。元々彼女の部屋を目指して歩いていたのだ。秘密の話はシャルロットの部屋で続けることとなった。ジョルジュも二人の後を付いて、下りて来たばかりの階段を昇った。


 廊下ですれ違う使用人や要人達は、王子と王女が連れている貧民の男を怪訝そうに見ていた。シャルロットの部屋に辿り着くまで、王宮の内装と釣り合わない装いに皆が目を向け続けた。


 ドアを開けると、花とレースとフリルと宝石に彩られた豪奢な空間が広がっていた。リオンは部屋に入ったところで立ち止まり、部屋を見回した。日々硝子庭園でガラス達が反射し拡散する光を浴びているリオンにとっても、シャルロットの部屋は煌びやかなものだった。


 リオンにソファに座るように言って、シャルロットとジョルジュはその向かいに並んで座った。国の宝であり希望である王子王女が揃っているという状況に置かれて、緊張しない者は少ない。リオンは背筋を伸ばして姿勢を正し、口を真一文字に結んで正面を見据える。


「リオン殿、話したくないのであれば無理に話す必要はない」


 言っても大丈夫だろうか。言わない方がいいだろうか。リオンは少し迷ってから、口を開いた。


「これは口外しないでいただきたいのですが」


 シャルロットとジョルジュは顔を見合わせてから、リオンを見て大きく頷いた。


継母(はは)義姉(あね)は私のことを好ましく思っていないらしくて、あまりいい扱いをしてくれません……。家事はもちろん、雑用、何から何まで私がやっています。やらされて、います……。私は嫡男ですが、使用人のようなもので……三人は私を灰かぶりと呼んでいます。この格好も……。議会に赴ける程度の服はなんとか用意しましたが、日常的に着ていてはくたびれてしまうので普段はこの格好をしています。新しい服なんて、そんなに買えませんから」


 灰かぶりの現状にシャルロットは瞳を震わせた。家が苦労していることは馬車の中で聞いた。リオンの格好も、家が困っているからだと思った。そういえば継母達は華やかなドレスを着ていたなと思い出して、リオンだけがみすぼらしい格好をさせられていたことに気が付く。ヴェルレーヌ邸の前ではリオンとガラスの靴ばかりに意識が向いてしまっていた。


 ジョルジュは議事堂で会うリオンの姿を見て、ヴェルレーヌ家がある程度立て直されたのだと思っていた。普段の装いが着古したものだなんて想像できるわけがない。


「リオン殿、平気……なのか。今の母上達を家から出そうとすればできるだろう」

「昔と比べれば随分と柔らかくなったものですよ、彼女達は。平気だと言えば嘘になるかもしれませんが、私ももう慣れてしまいましたし、それに……。あれでも、家族ですから。どうにかしてやろうと思っているのなら、とっくに彼にやらせています」


 彼? とジョルジュとシャルロットは首を傾げた。丁度そのタイミングでドアがノックされる。


「シャルロット様、お客様がお見えです。ガラスの君の友人だと名乗っていますが……」


 侍女の声にシャルロットが答える前にドアが開いた。部屋に入って来たのは真っ白なローブを纏い真っ白な翼を持つドミノの男である。


「リオン! 舞踏会の時の衣装を持って来ましたよ! 貴方の素敵な魔法使いが馳せ参じました!」

「アンブロワーズ、ありがとう」

「シトルイユは優しそうな馬係の方に任せて来ましたよ」


 アンブロワーズは抱えていた袋から衣装を出し、リオンに渡す。


「これを着て身だしなみを整えれば、皆が貴方こそがガラスの君だと分かるでしょう」


 そして、壊れやすいガラス細工を触るようにリオンの手を恭しく取った。片膝を着き手を優しく包むしぐさは、まるで物語の中の騎士である。


 シャルロットはソファから立ち上がり、テーブルの横を通ってアンブロワーズの隣に立った。片膝を着いている彼に目線を合わせるように、屈む。ふわふわのドレスが広がった。


「白い羽の素敵なドミノさん。貴方はお屋敷にいたわよね。リオンの従者?」

「俺は一応そんな感じのものですが、あの家の使用人ではありませんよ。俺はリオンの魔法使い。彼だけの魔法使いですから」

「魔法使いさん?」

「えぇ。リオンに素敵な魔法をかける、彼の素敵な魔法使いですよ。俺はアンブロワーズ・リーデルシュタインです。以後お見知りおきを、シャルロット殿下」

「よろしくね、素敵な魔法使いさん。今度わたくしにも魔法を見せてくれる?」


 シャルロットと話をしている間、アンブロワーズはずっとリオンの手を握っていた。振り払おうとすると、より強く握られる。連れ帰って来たガラスの君を国王と王妃の元へ連れて行くようにと言って使用人が訪ねて来たのは、リオンがアンブロワーズの手をなんとか振り解いた頃だった。

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