9.静かな夜と、騒がしい朝(解呪)
彼の手にあった白石の指輪が、変化を見せた。
「?」
夜の黒い窓に映るそれを、はじめ何かの反射で見間違えたのだと、サミュエルは思った。
しかし。
明らかに指輪が多彩な煌きを見せはじめ、彼はあわてて石を確認する。
サミュエルの指にあった、ただ真っ白だったはずの石は、七色の遊色を内包して神秘の光を発していた。それとともに魔石の魔力が高まってきているのを感じる。
「!!」
「アーレ、それは?」
サミュエルの困惑に、エマも気づいた。視線を寄せて尋ねてくる。
「これは……、俺の呪いを解くために取り寄せた魔石なんだが……」
今までどうあっても、何の反応も見せなかった。それがここに来てなぜ突然──。
(もしや発動している?!)
エマをソファに残し、サミュエルは部屋中央の執務机に急いだ。
引き出しを開け、ナイフを取り出す。
「アーレ!」
エマが悲鳴に似た叫びを上げた時には、彼の腕には一筋の切り傷が、赤い血を垂らしていた。
「…………」
「アーレ! どうしたの! 大丈夫? 痛くない? すぐに治療をしないと」
無言で傷を見続けるサミュエルに、エマが走り寄った。
「……治らない」
「え?」
「エマ、傷が治らない!」
「え、ええ」
どうしちゃったの、アーレ。
そう言わんばかりの眼差しを向けるエマに、サミュエルは言葉を足した。
「《魔王妃の涙》が有効なら、こんな傷、すぐに消えてたんだ」
「!!」
理解した。彼の、言わんとすることを。
確かに瀕死の状態からも、彼はあっさりと全快した。
「じゃあ、もしかして」
「ああ。呪いが解けたのかもしれない」
ふたりは思わず、顔を見合わせた。
40年以上、サミュエルを悩ませ続けた、"時を止める"呪い。
どんな傷も病気も治してしまう反面、一切年を取ることも出来ず、社会から姿を隠すより仕方がなかった呪い。
その呪いが今、《聖女の微笑み》と呼ばれる白石の魔力によって、消されたかも知れない。
サミュエルの胸は高鳴った。
(これで人間として、エマと年を重ねていくことが出来る──?)
もちろん、実際には何年かを経てみなければ変化はわからない。
だが、手につけた白石の指輪が効力を発揮しているのは、まざまざと実感できた。体内の細胞すべてが一斉に芽吹いたかのように、呼吸し始めたのを感じる。
今まで覚えなかった、時が刻まれていく感覚。
"希望がつながった"。
そう思った。
「エマ!! きみはきっと幸運の女神だ!」
「ふぇえ?!」
両手を強く握られエマは、あまりの顔の近さに心臓が張り裂けそうなほど、どぎまぎした。
(わ、私は何もしてないのに)
正直、生まれて16年のエマに、サミュエルの苦悩は実感し辛い。
本心では、"アーレが怪我をするなど耐えられないので、奇跡の光は維持しておいてほしい"とも思う。
それでも彼が時間に取り残され、幾人もの人や世間と別れて来たことに思いを馳せると。
(良かった──)
心から、そう思えた。
彼の全身からはじけるような喜びが、触れた指先を通しエマに伝わってくる。
「良かった、アーレ」
改めて、微笑みながら。エマは再び愛しい相手の口づけを受け入れた。
サミュエルの指輪は石いっぱいに光を揺らめかせ、絶えることなく輝きを持続していた。
──引き金はわからない。
母の愛は守りにもなるが、過剰な縛りは時として子の成長を妨げる。
そうして閉じてしまった時間は、影響ある他者との交流で、再び開かれる。
《魔王妃の涙》の発端が"母の強い思い"なら、《聖女の微笑み》のきっかけは、エマと結んだ交誼が、何らかの変化を持たらしたのかも知れなかった。
すべては伝説で、憶測のままに。
サミュエル・アーレ・トレモイユは、正しく進む時間の内へと戻ったのだった。
◆ ◆ ◆
(夢か、おとぎ話の世界みたい)
ふわふわと、エマはここ数日の出来事を振り返りながら、朝露に濡れる果実を手籠に摘んでいた。
つい先日、奇跡の夜があった。
トレモイユ家に嫁いだエマは、伴侶である伯爵に会わないままに二か月を過ごし、夫とは別の相手に心を奪われた。
本来であれば罪でしかない。
ところが、決して結ばれることはないと思っていた男性こそが、エマの結婚相手その人で──。
彼女は意中の相手と思いがけず、祝福の中で添えることになった。
何度思い出しても、紅潮する頬とむず痒くなる恥ずかしさに身を捩りたくなる。
(アーレが伯爵様だった!)
わかるはずがない。
10代の青年にしか見えない彼が、本当は60歳だったなんて。
アーレ自身は"呪い"だと言っていたが、呪いにも加護にも受け取れる不思議な力の影響で、彼の時はずっと止まっていた。時の輪に戻った現在は、エマとの日々を過ごしている。
あの夜アーレは、部屋外に案じながら待機していたゾフに解呪が成ったことを告げ、大いに歓喜し、長年の労を噛み締め合った後、宣言した。
「離婚は止めた。当分は新婚生活を優先する」と。
つまり(エマは知らなかったが)アーレの中で予定されていた離婚が消え、エマを真に妻として受け入れたと、そういうことらしい。
彼の"初恋"はエマとの縁をつないだ"過去"となり、夢の中で聞いたミレイユの歌は"懐かしい"だけで、"恋しい"でも"戻りたい"でもなかったと。
そう自覚したアーレは積極的だった。
ずっと傍にいて欲しい、エマが好きだ、必要だ。
密かに恋してた相手から何度も熱く口説かれ、急に近くなった距離と言葉に、エマは戸惑った。
(すごく嬉しいけど、どう接していいかわからない)
ずっと"家令"だと思って、気軽な口もきいていた。
呼び方から改めなければ、と緊張すると、そのままで良いという。
サミュエルの名でも、トレモイユの名でもなく、そして何の敬称もなしに呼ばれる「アーレ」という名は、彼にとって新鮮だったらしい。
「エマにそう呼ばれる響きがとても心地良い」
耳横で囁かれて、なんのかんので"アーレ"と呼ぶままになっていた。
会話もこれまで通りと言われ、つまり。
変わったのは、アーレが自分への態度に甘い拍車をかけたうえに、夜、互いのどちらかの部屋で一緒に過ごすようになったこと。
(きゃあああああ)
い、いたたまれない!
いろんなことを振り返りつつ、半ば逃げるように今朝も早起きして、庭に出ていた。
朝摘みのベリーは、夜に貯めた栄養を消費しておらず、新鮮で美味しい。
朝食に添えて、アーレの笑顔が見たい。
そんな思いに身を浸しながら、エマが籠をいっぱいにした頃に、騒ぎが起こった。
「…………!!」
「…………!!!」
大勢の人たちの、それも怒号と呼べるほどの勢いで、叫び合う声が聞こえる。
(厨房の方で何かあったのかしら?)
様子を見に、エマが庭を回り込むと。
たくさんの騎士たちが、厨房がある棟を取り囲んでいた。
騎士の旗は、国の聖教会を示すもの。
トレモイユの私兵ではない。
その物々しさと迫力に驚くエマの耳を、さらに驚愕の大音声が撃ち抜いた。
「トレモイユ伯には、奴隷を切り刻み、地下室で禁じられた黒魔の儀式をしている疑いがある! 証拠隠滅をはからせないため、これより即座に屋敷地下を改める!!」
「────!?」
慌ただしい朝が、訪れようとしていた。
お読みいただき、有難うございました!
いよいよあと一話で終わりです。最後の仕込みを次話で回収します。
書き終えているので、たぶん明日更新! 最終話、とても楽しく書きましたー。
なお完結後に感想欄を開きますので、良かったらいろいろとお聞かせいただけますと喜びます~(*´艸`*)
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