ホシゾラノクニ 前野と杉田
『ホシゾラノクニ カイのこと』の続編ですが、独立した物語としても読めます。
いつか、おまえに尋ねられたら、おれは何の話をするだろう。
前野はいつもその思いを抱いている。
「杉田、止めなさい」
小さな手が食卓をバンバン叩く。右手には匙を持ち、魚類のすり身が盛られた皿を前野の方に押しやる。前野はプラスチックのコップを倒されないように避けてから身を乗り出す。
「ほら、食べなさい」
口を盛大に、への字に曲げて、杉田はそっぽを向く。ああ、頑固なところは変わらないものだ。
「杉田ちゃん、食べなさいよ。恐れ多くも皇太子さまとおんなじ料理なんだからさ」
食べ終わった食器をのせた盆を手にした輝夜乙姫制作担当職員が、通りしな前野たちに声をかける。
「お前もほとほと変わり者だな、前野。こんな小さなままで培養器から出すなんて。手がかかるだけだろう」
「そうそう、せめて十五年齢体くらいにして記憶入れたら、手間いらずだろうが」
後ろから来た記憶管理局員も前野たちの食事の様子をのぞき込んで、一言漏らす。
「ま、あんな頑固者にも、こんなに可愛かった頃があったとはね。殿上人には見せないことだな。お召しになったら一大事だ。貴重な人材を取られたらたまらない」
そう言って杉田の頭をなでると食堂から去っていった。
まったくだ、言われなくても分かっている。一度の食事だけでもなんと手間のかかることか。これが日に三度。身の回りの世話だけでも手がかかる。過去の人間たちはこれをやっていたのかと思うと、しょうじき気が知れない。でも、前野は杉田の遺志を尊重したかった。
三歳児体の杉田には着られるものもろくになく、過去にいくつかあった「育児」の例を探して、最下層の倉庫から見つけた古着と手先の器用な同僚に大人物のシャツや半ズボンの寸を詰めてもらったのを着せている。幼い杉田には何もかも大きすぎる大人ばかりの社会。ただ、幸か不幸か皇太子とわずか一歳ほどしか違わないことから、幼児が食べるものを特別に融通してもらっている。
今日もすり身のほかにも、特別にふりかけのかかった白米とほうれん草の胡麻和え、あんかけ豆腐などが配給された。
「ほら、口を開けて」
前野はすり身をスプーンにとって口を堅く閉ざした杉田に差し出す。
「一口でいいから食べなさい。食事が終わったら、図鑑を読んであげるから」
図鑑と聞いて、杉田は上目づかいでようやく前野を見た。大判で重く、写真と難しい字がたくさんの乗り物図鑑は杉田のお気に入りだけれど、三歳児には手に余る代物だ。
ほんの少し、小鳥が餌をつつくようにスプーンに唇をよせると真珠色の乳歯が見える。
「地球にいたときには、生の魚を食べたことがあるんだ」
杉田がつぶらな瞳を前野に向けて、きょとんと首を傾げた。
おれはお前に話してやれるだろうか。おまえのことを。
「先日のことだけど……」
おとないもなしに部屋に入った前野は、杉田の姿をさがした。地球がまるでラピスラズリのように、小さな枠に収まって見える窓際の机には、情報保存用の小型媒体が散らばり、電算機は休止状態になっていた。静まり返った個室に胸のざわめきを覚えて、バスルームを覗いた。脱衣室と浴室のドアは開けっ放しで、使われた形跡はなかった。わずかばかりのキッチンも見る。流しはカラカラに乾いている。
「杉田」
足早にいくと部屋の奥、一段高くなって御簾がかかったむこうの寝所から、かすかに鼾が聞こえていた。また、体力が果てるまで研究室に詰めていたのだろう。椅子の背もたれには無造作に白衣がかけられ、卓のうえには箱入りの臣民用の食事が数個、食べかけで放置されている。
「わざわざ、こんな不味いものを食べなくても」
食事の時間を削ってまで、しなくてはならない仕事ではないのに。それでも酒は飲んだ痕跡がないことに安堵する。
前野は箱を片付けてから、御簾をすこしかかげた。絹の寝具のうえに靴をはいたまま、突っ伏すようにして眠り込んでいる杉田をみとめた。
「マスクくらいはずせよ」
えらの張った前野とは違い、杉田は卵形のととのった輪郭をしている。マスクをはずすと、左の唇の端から耳の横へ延びる傷跡があらわれる。
前野は押入れから予備の毛布を持ち出して杉田へかけた。
「もう少し、巧く縫えたらよかったんだがな」
前野は杉田が握りこんだままの電算機用の筆記具を指から外し、机にもどした。靴を脱がせるとき、わずかのあいだ鼾が止んだ。
しばらくは起きないだろう。前野は椅子のところまで引き返し、電気ポットで湯を沸かして茶を淹れる用意をした。
物音で目覚めると、前野の肩には毛布が掛けられていた。お茶を飲みながら資料に目を通していたはずなのに、いつの間にか眠っていたらしい。
伸びをして首を回すと、杉田が箱から卓にぶちまけた錠剤に似た補完食を食べているところだった。緑の錠剤。たしか、ビタミンとミネラル、必須アミノ酸の塊だったような。杉田は重たげなまぶたをこすりながら、錠剤をばりばりとかみ砕き飲み込んでいく。視線は前野が持ってきた資料に落としたままだ。
「先日の、カイとかいう素体の資料か。面白いな」
「ああ、それをさがして下層の書庫まで足を延ばした」
すっかり冷めた飲み残しの茶を飲むと、ほのかな苦味が乾ききった体にしみていくように感じた。ずり落ちた毛布を畳んで寝所へ戻すと、杉田が茶を入れなおしていた。
「ふん、これはまた御大層な経歴じゃないか。可愛い顔をしていたが、なんてこった」
「中央から独立するときに、ひとまず領地の臣民をかき集めてきたからだろう。本来なら、処分しておくはずなのに、定員を満たす頭数が欲しかったからそのまま宇宙船に乗せてしまったんだな。実際船内の癸は片手に満たない」
紙の束をばさりと卓へ置くと、杉田は湯飲みをもって窓際へと歩いて行った。自室にいるときには、杉田はマスクをはずしている。杉田は赤く残る頬の傷を撫でた。
「記憶をもたず何度生まれ変わっても固定された仕事をくりかえす、か。おれたちも似たようなものだが」
杉田は深いため息をついた。
「たまには『竜宮』へ行ってみたらどうだ?」
「前野、おまえだって足が向かないくせに。もう女を抱く欲もない」
「地球にはない、贅沢なのにな」
ははは、と杉田は乾いた笑い声をあげた。
「女が生まれないセントラルへ輸出品の女たちを送り込んで、やつらから自治権をもぎ取っていりゃいい。おれたちは単なる保守管理、あのお方の遺伝子を守るためだけにあるこの宇宙船は、いつか沈むさ。皇后の殯はすんだのだろう?」
「皇子が生まれたからな。今はもう棺の中だ。船の定員は決まっている」
決まり切った小さな世界、船の定員は決まっている。男たちは生を繰り返し、作られる女たちだけが新品の魂を生きる。
「地球の連中からしたら、おれたちはとんだ道化かも知れないな」
杉田は生きるのに飽きている。そろそろ終わらせたっていいじゃないか、と時おり口にするようになってどれくらいだろうか。
地上にいたときから、すでに長い付き合いだ。その間、体が古くなると死を迎える前に新しい体を作る。記憶の載せ替え、同じ役割を果たしている。
「こないだの、カイのこと、な。あれはもしかしたら、 盟神探湯現象じゃないかな」
「クガタチ、だって?」
前野の言葉に杉田は反応した。前野は杉田の関心へと釣り針がかかったような手ごたえを感じた。
「ああ、まれにある。素体の複製……廻成を繰り返すことで、素体の犯した罪が贖われ当初の本人へと戻るという」
前野の説明に杉田がうなずくと、見解を返して来た。
「お前がさがして来た資料、カイとやらの素体の罪状の重さに比べて、クガタチは早すぎないか? それとも記憶がよみがえったことには何か意味があるのか」
「それは分からないさ。これからの様子を見ていなければ」
杉田が生き続けるためには、原動力が必要だ。もともと探求心がある杉田には、何かの興味を与えなければ。またメスを持ち出さないように。頬に傷をつけたのはだいぶ前、酩酊状態で握ったメスは喉を突き損ねたのだ。そればかりではない。今の両手首には、何本かの傷が残っている。
「そういや、先日の謁見の中継に映っていなかったか」
散らばる机のうえの電算機から、情報を検索すると画面に再生させた。
「ああ、いたいた。見ろよ前野、紫の君の後ろに稚児装束で立っているぞ」
カイは紫の君の稚児として謁見の場へも連れて行かれるようだ。カイと、カイより年長の青年、それから顔立ちのはっきりした金髪の少年の三人が並ぶ。
「とっくに、手を付けたんだろうな」
どこか怯えたような目つきだ。立っているだけでも一苦労に見える。
「蔵人に小突かれている」
金髪碧眼の美少年、蔵人が、とがった視線をカイに浴びせつつ手首をつかんでいる。並んだ青年がカイを気遣ってか、腰をかがめてカイの耳元で何かをささやく。カイは目元をぬぐって、小さくうなずくと姿勢を正した。
「先輩として当然の指導だろう」
肝心の帝の御言葉など無視して、杉田と前野は稚児たちの動向を見つめた。
「蔵人は、機械人形という噂があるなあ」
杉田のつぶやきに前野が答える。
「どっちみち、ここには使い古された魂と記憶しかないってことだろう」
手を頭の後ろで組んで杉田が椅子に深く腰掛けた。
「否定はしない。次に再生されるときには、おれには記憶を入れて欲しくない」
「何を言って……」
「なあ、おれは子どもから記憶なしでやり直しても、この仕事をやりたいって思うのかな。人を人とも命を命とも思わずに、『生産計画書』どおりにヒトを作っていく仕事を」
地上にいた時から、支配層だった者たちは空へ上がっても支配し続け、素体の犯した罪によって最下層の仕事に従事しつづける。なんど体を取り替えようとも役わりは変わらない。
いっそ、女たちのように生殖可能の有無で振り分けられて生きるほうが、よほど『人生』らしいのではないか。
「……そのときは、おれに面倒をみろと?」
杉田はにやりと笑った。
「ぜひ、頼む」
しぶしぶと杉田は匙を動かしている。皿のうえの料理はようやく無くなりつつある。
前野は手つかずの自分の食事を見つめる。あまりにいつも忙しく、いっそのこと臣民用の錠剤やらウエハースやらのほうが手っ取り早いように思う。
杉田は自室の寝所で冷たくなっていた。
自死ではなく、突然死だった。
以前から用意していたらしく、遺書が残されており、再生されるときには記憶を入れることなく、幼体から希望する旨が書かれてあった。ご丁寧にも養育者には、前野を指名してあった。
杉田が亡くなる少し前に、紫の君が重傷を負い、大掛かりな再生治療がされた。
寝所でカイに刺された、とのことだった。素体の記憶が蘇ったことと、紫の君を害したことには、つながりがあったのだろうか。
素体のカイは、数人を殺めた重犯罪者だったから。
……大変だろうな、とは思っていたが。ほんとうに手間のかかる。
遺言に書いてあったとはいえ、実質あの日の口約束だけで、幼い杉田の世話を引き受けた前野はとんだお人よしだと自分でも思う。
まだ何年も杉田の面倒を見るのだろう。
ようやく食事の終わった杉田の頬についたご飯の粒を拭きとってあげると、くすぐったそうに笑った。
「さあ、昼寝の時間だ」
目をこすり始めた杉田を前野は抱き上げる。汗と埃とミルクの匂い。杉田は前野の胸に体をあずけて、うつらうつらとし始めた。
小さくなった杉田の養育は、初めての連続だ。それは、宇宙船に乗って以来、同じことの繰り返しだった前野には、戸惑いと煩わしさがないといえば嘘になる。
そろそろ、しっかりと字を教えよう。一人で本を読んでくれたなら、仕事の足手まといにならないだろう。
「ほんとに……次はおれを育ててもらうからな」
冗談まじりにつぶやくと、眠たげな杉田が頭を起こした。
「すぐだ、すぐに前野に追いつくから」
「え……」
杉田は一瞬大人びた顔をすると、すぐに欠伸をして目を閉じ腕の中で小さく寝息を立てた。
大学で出会ってからすでに二百年が過ぎ……同じ日々の繰り返しに飽いていたのは杉田ばかりではない。前野も同じだった。
おそらく、大変なのはほんのわずかな期間だ。十年もすれば、幼い杉田も前野の手を必要としないだろう。
「そうだな」
前野は杉田の寝顔を見つめた。あとから振り返ったら、この日々を懐かしく思い出すだろう。そして、おまえに話してやろう、杉田を育てることにさんざん手を焼いたことを。
くすっと笑うと、作業へ向かう臣民の列とすれ違った。
「カイ、こっちだよ」
黒髪の男の子が、巻き毛の子を呼んだ。先頭を歩くリーダーらしき初老の男性が、いちど振り返ってにらみつけると、二人は体を縮こませて一列になった。前後になりながら、二人は手をつないでいた。
殺人未遂を引き起こしたカイは、おなじく稚児をしていた青年と心中した。
作り直されたカイは、何も覚えていなかった。
「杉田、おれたちの研究課題は、まだ答えにいきついていないからな」
その答えを得られるには、まだまだ時間がかかりそうだと前野は思った。
ひっそりと続けたいと思っています。
杉田玄紀
前野良太
次回は「天女乙姫」のお話を書きたいです。




