8-3 守れたもの(後編)
愛笑が春を抱き締めてから少しして、愛笑が落ち着いたことで春から離れる。それにより、落ち着いた状態で話が出来る状況になった。
「さて、まずは回復おめでとう春君。君が無事でなによりだ」
耀とは反対側、春のベッドの左側にパイプ椅子を置いて腰かける愛笑と幸夫。
幸夫はホッと安堵するような表情で春に祝いの言葉を述べる。言葉は堅苦しいものの、その表情と声音はとても柔らかいものだった。
「いえ、わざわざ来てくれてありがとうございます。まだ色々と忙しいでしょうに………」
隊服のまま来たことから、勤務中に足を運んでくれたことが伺える。支部長という立場とこの間の一件から、多忙を極めていることを春は察した。
「なに、大したことではない。それで、この間のAランク喰魔討伐の件なのだが………」
「あ、それについては私が大体のことは話しました」
幸夫がこの間の作戦について話そうとすると、耀が右手を控えめに挙げてその件について話したことを主張する。
「そうか………。なら、今回の作戦での君の行動について話そう」
君の行動についてと言われた瞬間、春の体が強張り表情も若干ではあるが浮かないものへと変わる。
(そういえば、姉ちゃんの逃げろって指示を無視して戻っちゃったんだよな………)
春はAランク喰魔討伐作戦にてB班を指揮していた愛笑の逃げろという指示に逆らい、その場に戻ってしまったことを思い出す。
結果として愛笑は助かり、Sランク喰魔である拳磨を足止めすることにも成功したが命令に逆らったのは誤魔化しようのない事実であった。
(やっぱりお咎め無しとは行かないよなー………)
間違いなくお叱りが来ると身構える。そんな春の姿を見た幸夫は落ち着くように声を掛けた。
「そんなに身構えないでくれ。今回の君の行動について叱責するつもりはない」
「あ、そうなんですか………」
「ああ。白銀君、立花君、桃山君から大方の事情は聞いている。確かに愛笑の命令を無視したかもしれないが、あの状況ではむしろ正しい判断だったと言えるだろうからね」
どうやら三人が上手いこと事情を説明してくれたらしく、幸夫の説明に春はホッと胸を撫で下ろす。
そして、耀の方に顔を向けると自慢げに笑顔を見せる。そんな耀とここには居ない二人に春は心の中で感謝した。
(ありがとう三人共)
「ただし、感情のまま助けに行きたいというのは少々頂けないがね。建前というのは良くも悪くも、こういう仕事だからこそ必要になってくるものだよ」
「………はい」
(前言撤回! 何話してんだ三人共!)
感謝から一転。春が恨みがましい視線を耀へ向けると、耀は悪戯が成功した子供のような憎たらしい笑顔を浮かべる。
そんな二人のやり取りを見ていた愛笑は何とも言えない笑顔を浮かべた。
「あはは。でも私は凄く嬉しかったよ!」
「………それは、よかったね」
愛笑が嬉しそうに笑うと春はどこか照れ臭そうに目線を逸らす。
助けに行きたいどうのこうの件は、どちらかと言えば自身の失敗談に近い話である。それに加えて思春期特有の気恥ずかしさも加わり、嬉しいと言われても素直に喜ぶことは出来なかった。
どこか賑やかになった室内。しかし、肝心の話から逸れてしまったため、それを戻すために幸夫が春へと話しかけた。
「あー、それでなんだが春君」
「はい」
「Aランク喰魔を討伐できたのはSランク喰魔を足止めした君達の功績が大きい。そのため、特別に報奨金が出ることになった」
「え! 良いんですか!?」
「もちろんだとも。まだ確定ではないが、金額は百万前後になるだろう」
「そ、そんなにですか!?」
春達は中学二年生であるが、魔法防衛隊員として働いているため既に給料は貰っている。学業と兼ねながらになるため一般のDランク隊員と比べると低めではあるが、新卒の社会人ほどは貰っている。ゆえに、一度に百万円というのはかなりの大金であった。
しかし、驚愕する春とは対照的に幸夫はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「いや、こんなのは少ないくらいだ。非常事態とはいえ、Dランクの君達がSランクを相手にするのはあまりにも酷な話だ」
今回で言えば、Aランク隊員である幸夫がAランク喰魔を討伐したところで報酬金が出ることはない。幸夫のランクではそれが当たり前であり、それに見合うだけの給金や待遇を幸夫は既に得ている。しかし、春達Dランクの隊員がSランク喰魔を相手にするのは、その責務や技量の範疇を大きく逸脱している。
Sランクの隊員がSランクを相手にするよりも、過酷だということは間違いなかった。
「それだというのに君達の必死の頑張りを、この程度で済ませてしまうことを心から申し訳なく思う。本当にすまない………」
そう言って幸夫は深く頭を下げる。その姿に春は目を驚愕すると同時に狼狽し、慌てて頭を上げるように言う。
「ちょ、そんな! 頭を上げてください!」
「そうですよ! 支部長が色々と頑張ってくださったのは聞いてます。頭を上げてください」
耀はこの話を既に昨日受けている。しかし、今の謝罪には再び自分も含まれていると分かり、申し訳なさそうに幸夫に頭を上げるように言う。
二人の言葉に、幸夫はゆっくりと頭を上げた。
「………そう言ってくれると助かるよ」
幸夫が優しい笑顔で感謝を伝えると、春と耀はホッと胸を撫で下ろす。その二人の様子に愛笑は幸夫へ鋭い目を向ける。
「もう、お爺ちゃん! 二人に気を使わせてどうするの!」
「いやー、すまんすまん。そんなつもりではなかったのだが………」
愛する孫からの叱責に幸夫は困ったように笑い、頭を掻く。何とも微笑ましい二人のやり取りに、今度は春と耀が小さく笑っていた。
しかし、幸夫が再び二人、主に春へ視線を戻すとその和やかな空気が一変する。
「さて、支部長としての話はここまで。今からするのは、愛笑の祖父としての話だ」
再び真剣な眼差しを向ける幸夫。しかし、厳格さはあれど緊張感が走るような威圧感がそこには無い。
穏やかにさえ思えるその姿は、春にはとても見覚えがある姿だった。
(この感じ………昔の、俺が小さい頃の支部長だ)
春が幼い頃、まだ上司と部下の関係になる前の話。祖父の友達の優しいお爺ちゃんとして会っていた頃の幸夫の姿を、春は思い出していた。
「春君。そして、改めて白銀君にも。愛笑を助けてくれたこと、本当に! ありがとう………!」
再び、幸夫は二人に対し頭を下げる。しかし、下げられた頭は先程よりも重く、深く下げられたように見えた。
その姿に、春は先程以上に慌てて頭を上げるように言う。
「頭を上げてください支部長! 助けられたのは俺達も一緒で………! 姉ちゃんが居なかったらみんな危なかった! それに、俺達は………」
Sランク喰魔の拳磨を最初に足止めしたのは愛笑だ。自分達は一度逃げ、戻って来たとしても四人で手を抜いた拳磨を相手にようやく時間稼ぎが出来たのだ。しかも、相手の情けによって自分は生きている。
それゆえに、素直に幸夫の感謝を受け取ることが春には出来なかった。
「俺は………!」
喰魔への圧倒的な敗北が過去の心の傷が掘り起こし、今の傷と重なって春を苦しめる。顔を伏せ、悔しそうに、辛そうに両手に握り拳を作る。
胸を締め付け、焼かれるような息苦しさを逃がそうと春は苦しそうに息を吐いた。
「俺は、何も………!!!」
「そんなことないよ」
その声に、春は目を見開いて顔を上げる。己が弱音を、自身を否定する言葉を否定してきた愛笑の方を見た。
「みんなが来てくれなかったら、私は喰魔に殺されてた。だけど耀が、篝が、十六夜が、春が助けに来てくれたから私は生きてる。大切な人達にまた会えて、こうやって春と話せてる。だからね、春」
「………………」
春の視界に映る愛笑は慈愛に満ちた優しい笑顔を浮かべていた。愛笑の優しい声音の温かな言葉が、春の体に染み渡るように熱を与えていく。
「私を助けてくれて、ありがとう」
「………………っ!!!」
その熱が。その温もりが。
春の強張った体から力を奪い、震えさせた。
「………ぐっ、うぅぅ………!」
先程までの苦しさとは別に、胸の中から熱いものが込み上げてくる。内側から焼かれる様な熱さに胸を抑えるが、嫌悪感はない。
その熱が漏れ出すように吐息に宿り、体内を伝って目にも熱が込み上げた。
「う゛う゛………! あぁ………!」
弱かった過去の自分。両親に守られるだけで何も出来なかった自分。
結局は何も変わっていないのだと思い込んでいた。
でも、愛笑の言葉が。『ありがとう』が、違うのだと教えてくれた。
「あ゛あ………!!!」
悔しさは消えない。でも、それ以上に春の胸中を駆け巡る。
今度はちゃんと『守れた』のだと。
「ひっ、ぐっ………!!! う゛ぅぅぅ………っ!!!!!」
両目から大粒の涙を流し、背中を丸めて声を押し殺すように泣きじゃくる。流れる涙が鼻を伝い、自身の膝に掛けられた布団へと流れ落ちていく。
心に溜めたものを吐き出すように泣き続けた。
「あ゛あ゛ぁぁぁぁ………っっっ!!!」
両親を目の前で失った過去の傷は消えない。そのときの己の無力さと不甲斐なさも忘れることは無い。
けれど、ほんの少しだけ。あの日よりも前へ進んでいるのだと、大切な人をを守ることができたのだとようやく実感した。
次回、一章『運命の二人』完結………!
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