1-5 黒の魔弾
喰魔の咆哮が空気を震わせ、その振動を肌で感じる春と耀。目の前の喰魔から放たれる圧と身に纏う魔力に二人は背筋をゾッとさせる。
そして、咆哮と同時に喰魔の周囲には直径五十センチほどの岩石が五個形成された。それはやがて槍のように先を尖らせ、矛先を二人へと向ける。
耀は岩の槍の矛先が自分達へと向いた瞬間、その攻撃を防ぐために剣を突き出して白い光の壁を展開する。
「白の障壁!」
「グルア゛!」
喰魔の声と共に岩の槍が放たれる。そして、放たれた岩の槍は光の壁へと直撃し、大きな衝突音が鳴り響いた。
岩の槍は光の壁に弾かれることはなく、それどころか光の壁を突き破らんと競り合っていた。
「ぐうぅ………!」
耀は顔を歪めて苦悶の声を漏らす。光の壁を破壊されぬように両手で剣を握り、必死に魔力を込め続けた。
込められた魔力によって光の壁はその輝きを強め、喰魔の放った岩の槍を弾くことに成功する。弾かれた岩の槍はコンクリートの地面へと突き刺さり、役目を終えた光の壁は崩れるように消滅した。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。余裕とはいかないけど」
春の問いかけに耀は笑顔で答える。しかし呼吸は乱れており、何回も攻撃を受け続けるのは難しいことが見て取れる。そんな耀の様子を捉えた喰魔は六本の脚を使い、爪を地面へと突き立てながら大きな足音と共に二人へと迫る。
「―――っ!」
迫り来る喰魔に耀は焦りを覚える。たった一度の魔法の攻防で喰魔は自分より強いことを耀は確信していた。
そんな相手を倒すためにはどうすればいいのかと耀が頭を悩まし始めたとき、春は喰魔に向かって駆け出した。
「援護頼む!」
春は走りながら、耀へと振り返ることなく声をかける。
そして、その声はしっかりと耀に届く。迷いの無い行動に、自身の前を走る春の背中に耀は言葉に出来ない期待と安心感を抱いた。
「了解!」
凛とした表情で頷き、春に続くように走り出す耀。そして、先に駆け出していた春が喰魔の目前にまで迫っていた。
迫る春に対し、喰魔は背中から生えた二本の脚を振り下ろす。頭上から振り下ろされる巨大な喰魔の脚を、春は右に跳んで回避する。
しかし、喰魔はそうなることが分かっていたのか、追い打ちをかけるように瞬時に岩の槍を二本形成し、春に向かって放った。
(白の障壁を………! いや、今の状態じゃあの槍は防ぎ切れない!)
春と岩の槍の間に光の壁を展開しようと耀は考える。しかし、光の壁を展開したとしても槍に耐えられるだけの魔力を込められないことを瞬時に悟る。
そのため、耀は大声で春に避けるように伝える。
「避けて!」
その声はしっかりと春の耳へと届いた。しかし、春は避けるような素振りを一切見せない。
春は自身へと迫る岩の槍を捉えると自身の右足に魔法で黒い霧を纏わせる。そして、横並びに飛来する岩の槍に向かって振り抜いた。
「ふっ! らあっ!」
振り抜かれた黒い霧を纏った右足。その右脚はいとも簡単に二本の槍を砕く。耀はその光景が信じられないと目を見開いた。
(あの槍を砕いた!? 何で!?)
自身が展開した光の壁を突き破らんとしたあの岩の槍が容易く砕けたことに、耀は頭の中が混乱する。
春が右足に纏っている黒い霧の魔法。あの魔法から感じ取れる魔力は喰魔が放った岩の槍どころか、先程自分が展開した白い光の壁よりも弱かった。それだというのに、弾いたり軌道を逸らしたりするのではなく、槍そのものを砕いてしまった。
(不思議な魔法………だけど―――)
春の魔法に対する疑問を強める耀。しかし、それと同時に一つの希望を見出す。
(春の魔法なら、この喰魔に勝てる!)
理由は分からないが、春の魔法は相手の魔法を壊すことが出来る。見えた勝利の糸口に耀は笑みをこぼす。
そして春もまた、槍を砕いたことで確信を得ていた。
(いける! 俺の闇魔法ならコイツに勝てる!)
黒い霧―――“闇魔法”が喰魔に通用することを春は再確認する。目には闘志の光が宿り、力強く喰魔を見据えていた。
そして、喰魔は自身の放った岩の槍が砕かれたことに驚いていた。同時に、その事象に深く関わっているであろう得体の知れない春の魔法に恐怖を覚える。
その恐怖が、春を一番に始末しなければならないと喰魔に訴えかけた。
「グルゥア゛アァァァァァァ!!!」
春に向かって咆哮を轟かせる喰魔。威嚇のつもりで放ったであろうその咆哮は、春にとって怯えから来る悲鳴に聞こえた。
そして、春は挑発的な笑みを浮かべる。喰魔の咆哮は春の士気を下げるどころか、高めてしまっていた。
咆哮が終わるのと同時に春は喰魔に向かって再び駆け出す。喰魔は迫り来る春を迎え撃とうと身構える。だが、そんな喰魔の側には両手に剣を構えた耀が迫っていた。
「せやあっ!」
白い光を纏った剣が鮮やかな白い軌跡を描き、喰魔の横腹に目掛けて振り下ろされる。剣が振り下ろされた横腹には小さな切り傷が出来ており、喰魔は痛みに小さく声を漏らした。
「ガルゥ………!」
(浅い………!)
自分が与えた傷を睨むかのように見つめ、小さな傷しか与えられなかったことを悔しく思う。
剣が振り下ろされたことで喰魔は耀の存在を認識し、背中から生えた右脚を横薙ぎに振るう。その攻撃に対して耀は剣と同じように自身の体を白い光で覆う。
次の瞬間には、後方に向かって喰魔には捉えられない速さで跳躍していた。耀の通ったであろう道筋が、白い光によってくっきりと軌跡として描かれる。これにより喰魔の攻撃は見事に空振りで終わった。
「あぶなっ………!」
「グルゥ………」
耀にとっては危機一髪であったらしく、冷や汗を流しながら声を漏らす。喰魔は攻撃が避けられたことを不快に思い、その不快感を表すように唸り声を漏らした。
しかし、耀に気を取られたことで喰魔は春への注意が疎かになってしまった。そのことに自分で気が付いた喰魔が慌てて春へと意識を向けたとき、すでに目前にまで春が迫っていた。
「ガルッ!」
目前にまで迫っていた春に対し、喰魔は慌てるように背中から生えた左脚の爪を立てて突きつける。巨大で鋭利な爪が眼前にまで迫るも、春はその爪に闇を纏った右拳を思いっきり叩きつけた
「っんん゛!」
喰魔の爪と春の拳が衝突する。しかし、喰魔の爪は拳と競り合うことなくあっさりと砕かれる。さらには、突きつけた左脚も半分の長さにまで粉砕されてしまった。
「ギャウン!」
脚が粉砕された痛みと驚きで喰魔は犬の悲鳴のような声を上げる。その声と怯んだ喰魔の姿に、春はこのままの勢いで追撃を仕掛けようと左拳を構えた。
喰魔はその拳を見た瞬間、恐怖で体を震え上がらせる。そして、拳から逃れようと反射的に左へ跳び退くと背中から生えた右脚を地面に叩きつけた。
その直後、アスファルトの上から岩が突如として隆起し、大きな刃となって春へと伸びていく。迫りくる岩の刃に対し、春は先程構えた左拳に闇を纏わせて振り抜くことで打ち砕いた。
「らあっ!」
「グルウゥゥ………!」
またもや軽々しく魔法を砕かれてしまい、喰魔は忌々し気に唸り声を上げる。そして、何度攻撃を仕掛けても倒れない春に苛立ちを募らせていく。
喰魔はその苛立ちをぶつけるように岩の槍を五本形成した。
「チッ!」
形成された岩の槍を見て春が舌打ちをする。
春は耀のように魔法で盾を作ることはできず、自身の体に闇を纏って攻撃することしかできない。複数の同時攻撃は春にとって対処しづらい攻撃であり、それを手段として用いて来た喰魔に不快感を示した。
喰魔も手と足にしか魔法を使わない春を見て、その数を上回る攻撃なら有効だと考えた。そして、その考えが間違いではなかったことを察し、喰魔は春のことを嘲笑うかのように口と目元を歪めた。
「ガアァァッ!」
咆哮と共に、喰魔は岩の槍を春に向かって一斉に放つ。しかし、放たれた五本の槍は春にとって対処しづらくはあってもできないわけではない。
春はその場から喰魔に向かって前進することで、五本の槍のうち二本を自身へと直撃する軌道から外れさせる。次に、迫りくる槍の三本のうち二本を右足で蹴り砕いた。
残る岩の槍は一本。その一本が蹴りを放った春の背中へと迫る。春は蹴りを放った際の勢いをそのまま利用し、その場で半回転する。
「っらあ!」
そして、闇を纏わせた左の肘で最後の岩の槍を砕いた。
「ガルゥ………!」
仕留めきれなかったことに苛立つ喰魔。そんな喰魔のすぐ側には再び耀が迫っていた。
(春のおかげで剣に魔力を込める時間が出来た。この好機、絶対に逃さない!)
両手で柄を握り、右の腰に構えた剣にはこれまでとは比較にならないほどの白い光が宿っていた。
喰魔も自身へと接近する耀に気が付き、耀の足元から先が鋭く尖った一本の岩を隆起させる。耀は喰魔の視線と地面から感じる魔力に気が付き、隆起した岩を左へとステップを踏むかのように華麗に避けて見せた。
岩を避けられ、喰魔は耀を迎え撃とうと背中から生えた右脚と右の前脚を振るう。耀は自身に向かって振るわれた喰魔の脚に対し、自身のありったけの想いと魔力と力を込めて剣を左薙ぎに払った。
「閃光剣!」
白い光が迸り、光の刃が拡張される。その輝きを増した剣によって、喰魔の二本の脚は見事に両断された。
「グル゛ア゛ア!」
白い光によって描かれた鮮やかな弧のすぐそばで、斬られた喰魔の二本の脚が宙を舞う。
喰魔はあまりの痛みに悲鳴を上げ、体を逸らしてしまう。突然右の前脚を失ったことで喰魔はバランスを崩し、地面から隆起させた岩にもたれ掛かるようにして体を支える。
耀は喰魔の脚を斬り落としたのを確認すると、その場から即座に離れて声を張り上げる。
「後はお願い!!」
「おうっ!!」
託された想いに応えるために、同じように春も声を張り上げる。耀が作ってくれたこの勝機を逃すまいと春は力強く足を踏み出し、喰魔に向かって走り出した。
その姿を捉えた喰魔は春に向かって再び地面から岩の刃を伸ばす。しかし、その刃は春の闇を纏った左拳によって再びあっさりと砕かれてしまった。
「グルゥア゛ァァァァァァ!!!」
春に向かって吼える喰魔。まるで『近づくな』とでも言っているかのようであった。
しかし、春はその咆哮に臆することなく走る。右拳を腰辺りで構え、今まで以上の魔力を込めて闇を纏う。その闇は、今までの闇よりも深い漆黒に染まっていた。
「―――――ッッ!!!」
喰魔は春が拳に纏う闇を見た瞬間、死の恐怖を抱く。その恐怖から喰魔は咄嗟に自身と春の間に岩の壁を作り出し、春が自身へと向かってくるのを遮ろうとする。
しかし、春は立ち塞がる岩壁を前にしても止まることはおろか、速度を落とすことすらしない。そして、そのまま岩壁に向かって闇を纏った拳を放った。
「黒の魔弾!」
岩壁と闇を纏った拳がぶつかり合ったその瞬間、闇が弾け、燃え盛る炎のように揺らめき溢れ出した。そして、深い闇を纏った春の拳は岩壁を難なく突き破り、崩壊させた。
だが、春は止まらない。
壁を壊したそのままの勢いで跳躍し、喰魔の頬に闇を纏った拳を深く突き立てた。
「グガッ―――」
「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」
雄叫びと共に、力の限りをその拳に込めて放つ春。その叫びと共鳴するかの如く、闇は再び弾けて溢れ出す。
そして、溢れ出した闇と拳が喰魔の巨体を貫き、打ち砕いた。
「………―――」
闇を纏った拳にその巨体を砕かれた喰魔は声を上げることもできず、体を霧のように霧散させ、静かに消滅していった。
「はぁ、はぁ………っん、はぁ」
両手を膝に置き、荒い息を少しずつ整えていく春。額から汗が地面へと垂れ落ちる。張り付くような喉の感触に不快感を覚え、それをどうにかしようと息を呑む。
そして、ゆっくりと顔を持ち上げ、先程まで喰魔の居た場所を見つめる。
そこに喰魔の姿はなく、穏やかな風が春の頬を撫る。やがて、自分達が倒したのだという事実をゆっくりとだが理解する。そして、体の内側から湧き上がる喜びと達成感に声を張り上げた。
「よっしゃああああああ!!!」
両手に拳を作り、天に掲げて喜びを表す春。
そこに向かって駆けてくる人影が一つ。
「やったあ!!!」
「うおっ!」
耀もまた喜びに大声を上げ、走っていたそのままの勢いで振り向いた春へ抱き着く。春はあまりの勢いに後ろに倒れそうになるが耀の背中へと手を回し、しっかりと抱き留める。
そして、二歩ほど後ろへと下がり、勢いを緩和することで耀を受け止めた。
「やったね、春!」
「ああ!」
眩しいくらいの笑顔で話しかける耀に春もまた笑顔で答える。抱き締め合い、互いの温もりを感じ、喜びを分かち合う二人。
そのまま顔を見つめ合うと、二人は再び弾けるような笑顔を浮かべた。
その後、すぐにやって来た支部の隊員達にその光景を見られた春は顔を真っ赤にし、耀から慌てて離れるのだった。
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