6-3 失いたくない(後編)
「はぁ………はぁ………! はぁっ………!!」
地面に仰向けに倒れ、脇腹から血を流し、青ざめた表情で苦しそうに息をする愛笑。流れる血の量は多く、小さな血の水溜りを作る。脇腹の他にも、飛来した岩の破片のせいで幾つもの切り傷を全身に負っていた。
これまでに受けたダメージも重なり、愛笑を苦しめる。全身に激痛が走り、流れ出る血が愛笑から力を奪っていた。
もう愛笑には脇腹の大きな傷口を押さえる体力すら残っていない。なんとか命を繋ぎ止めようと必死に呼吸をするだけで精一杯。
―――愛笑が死ぬのは時間の問題であった。
「………………」
そんな愛笑をSランク喰魔は見下ろす。表情は無に近いが、目だけは力強い熱意を感じさせた。
「………素晴らしい一撃だった」
これまでのように愉快そうに笑わず、皮肉も一切ない。Sランク喰魔の口から出た言葉は相手への敬意すら感じさせる称賛の言葉だった。
しかし、その言葉に愛笑は反応を示さない。
(………よく、聞き取れない)
愛笑の聴力は衝撃の余波で下がっており、自身の荒い呼吸音もあってか喰魔の言葉をしっかりと聞き取ることが出来ていなかった。
例え聞こえていたとしても、愛笑には反応するだけの力は残されていない。しかし、目だけは力強くSランク喰魔のことを見つめていた。
そんな愛笑に喰魔は再び称賛の言葉を贈る。
「………そんな状態になっても俺から目を逸らさない、その胆力も素晴らしい。だがな―――」
Sランク喰魔は右腕を上げ、その手に握り拳を作る。その拳の先は愛笑の顔を捉えていた。
「もう終わりだ」
それは愛笑に対する処刑宣告に他ならない。愛笑はSランク喰魔の言葉を聞き取れていなかったが、喰魔が構えた右拳からその意図を察した。
(逃げなきゃ………)
構えられた拳から命の危機を察し、逃げなければと体を動かそうとする。
(………駄目だ、動けない)
しかし、逃げようとする愛笑の意志に反して体は動いてくれない。心の中で必死にもがく愛笑に、喰魔は餞別として別れの言葉を告げる。
「じゃあな」
喰魔は拳に力を込め、愛笑との戦いに決着を着けようと振り下ろそうとする。
しかしその瞬間、背後から物音が響く。それは硬い岩の地面を強く踏んだ際の足音であった。
「―――っ!?」
聞こえた足音に振り下ろそうとした喰魔の拳が止まる。それと同時に、天井からの光を遮って生まれた影が喰魔の体を覆った。
その影を作り出した何者かが喰魔の背後で、黒い霧のようなものを纏わせた右拳を大きく振りかぶっていた。そして、振りかぶった拳を思いっきり喰魔の背に向かって振り下ろす。
しかし、喰魔は自身に向かて振り下ろされる拳を見ることなく前方に跳躍し、黒い霧を纏った拳を回避する。
跳躍した喰魔は空中で身を捻り、着地と同時に背後から自分に拳を振るってきた相手を、嬉々とした笑顔を浮かべながら金色の瞳で捉える。
笑顔を浮かべる喰魔とは対照的に、愛笑は現れた人物に対し目を見開いて驚きの表情を見せる。そして、息苦しくても必死に声を絞り出して尋ねる。
「なん………で?」
「………ごめんよ、姉ちゃん。命令無視して」
弱々しい声で尋ねられた少年は、姉である愛笑に謝罪する。
逃げろと言われたのに戻って来てしまった。こんなに傷付いて、命を懸けて守ろうとしてくれたのにそれを無駄にする行為をしてしまった。
「でもっ!」
それでも、嫌だった。五年前、異界にて両親を殺されたあの日のことが忘れられない。
何も出来ず、大好きだった両親が自身を守って死んだときの己が無力さと絶望を。大切な人を失う悲しみを。そして、それをもう一度味わわなければならない恐怖を。
「もうこれ以上! 家族を! 大切な人を! 姉ちゃんを失いたく無いんだよっ!!!」
あの日、何も出来なかった自分を超えるために。大好きな人を、大切な人を守るために。
黒鬼春は、自身の内に湧き上がる想いを全て込めてSランク喰魔と愛笑に吠えるのだった。
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