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2-6 春の両親(中編)


 両親に連れ出されて森の中を歩く春。

 森と言っても人がよく通るのか、三人が歩く道は(けもの)(みち)のように地面に草が生えておらず、土が見えていた。


 暗い夜道を重護が持つ懐中電灯で照らしながら歩く。少しするとチラホラと人影が見え始め、春は周りを軽く見回す。

 全員自分達と同じ方向に向かって歩いており、同じ目的なのかなと推察する。しかし、春自身はその目的を知らないためにモヤモヤとした気分になり、たまらず母へと目的地を尋ねた。


「ねえ、どこに行くの?」


「もうちょっとで分かるよ」


「えぇー」


 聞いてもこの一点張りである。答えてくれないことに少し不満を抱き始めるが、ここまで引っ張るのだからよほど凄いものなのだろうと期待も高まっていた。

 そんなとき、重護は一つの看板を見つける。


「………そろそろだな」


 そう呟くと重護は持っていた懐中電灯の明かりを突然消した。それを皮切りに、周りにいた人たちも明かりを消して歩いていく。

 示し合わせたかのように次々と消えていく明かりに、春はあちこちに首を回して困惑を(あら)わにしていた。


「え? え? みんな急にどうしたの?」


「春! 前を見てー!」


「前って………」


 小さな声ではしゃぐ一愛に言われて春は前を見る。一体何だろうと思ったのも束の間、目の前に広がる幻想的な光景に一瞬にして心を奪われた。


「うわぁ………!! すごーい………!!」


 春が見たもの。

 それは月明かりを反射する川の上でゆったりと舞う蛍の群れであった。


 静かな森の中で響く虫の音と川のせせらぎがとても心地よく、月明かりに照らされた小さな川の上で無数の小さな緑色の光がゆったりと空を舞う。自分が住んでいる住宅街では見ることのできないその幻想的な光景に、春は見入ってしまう。

 そんな春の姿を見て一愛は優しく微笑んだ。


「ふふっ、良かった。喜んでくれて」


「もっと近くで見て来てもいい?」


「あまり遠くに行かないようにね」


「はーい!」


 春は光をもっと近くで見ようと走っていく。周りにいる他の客も春と同じように感動し、思い思いに目の前の景色を楽しんでいた。


「大成功だね」


「………ああ」


 重護は一愛の言葉に相槌を打ち、少し前で食い気味に蛍を眺める春に対して優しい笑顔を浮かべる。

 春達が来たキャンプ場は夜になると綺麗な蛍の群れが見れることで有名であり、一愛と重護は春を驚かそうと蛍のことを秘密にしていたのだ。そして、結果は大成功と言えるものだった。


 重護は昼と同じように右隣に居る一愛の肩に手を回し、優しく抱き寄せる。一愛は抵抗どころか進んで重護に寄り掛かったようにも見えた。

 そして、ピッタリと密着した二人は互いの温もりを感じながら目の前の幻想的な光景を楽しんだ。


 穏やかで幸せな時間が流れる。しかし、現実というのは非情であり、誰に対しても平等に理不尽なものだった。


「ねえ、アレ何!?」


 一人の女性の焦燥感に満ちた声が静かな空間に響き渡る。その声の方向にその場に居た全員が振り向き、彼女が指し示す場所に注目する場所を変える。

 小さな川の上に、ゆらゆらと不規則に形を変える大きな穴のようなものが出来ていた。そして、その穴が一体何なのかをその場に居た全員が即座に理解した。


「いっ、喰魔(イーター)だあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 男の叫び声を皮切りに人々が悲鳴を上げる。穏やかで幸せに満ちた場所が、一瞬にして悲鳴と恐怖で満ちた場所へと変わった。

 人々が逃げ惑う中、春は突然のことに理解が追いついておらず、周りをグルグルと見ることしかできていなかった。そんな春に重護と一愛は駆け寄って行った。


「「春!」」


「父さん、母さん………」


「逃げるぞ!」


「う、うん!」


 重護がそう言ったことで春はまず逃げることを意識し、二人と共に走り出す。しかし、そう簡単にはいかなかった。


『逃がすかよ』


 人の声とは何かが違う、異質で不気味な声が響く。その声に呼応すかのように小さかった穴が一気に広がり、人々を飲み込んでいく。

 三人も広がる穴から必死に逃げるが、奮闘も(むな)しく穴に飲み込まれてしまう。その瞬間、視界に映る景色が一変したことで三人は足を止めてしまった。


「え?」


「何、ここ………?」


「………クソッ」


 春と一愛は見たこともない場所とその不気味さに困惑するも、唯一状況を理解している重護だけが苛立たしげに言葉を吐き捨てた。

 先程までの木々が生い茂った森とは違い、岩や砂しかない荒れた大地。空は分厚い雲に覆われ、夜とは違う薄暗さに包まれる。そして、肌で感じる淀んだ空気に強い不快感を三人は覚えた。


「ねえ重護。ここって」


「………異界(ボイド)、だろうな」


「………嘘」


 “異界(ボイド)”―――それは喰魔たちが住む世界の名称。

 その名前が出てきたことで一愛の表情が絶望の一色に染まり、春も不安と恐怖を募らせていく。そんなとき、一際大きな悲鳴がその場に響き渡った。


「キャアアアアアアア!!!」


「うわあああああああ!!!」


 悲鳴が上がった場所に異界へと連れてこられた全員が体を向ける。それは春たち三人も同様であり、その先に居た存在に息を呑んで驚愕した。


「な………!?」


「ひっ………!」


『がははははっ! 人間ってぇのは、本当にいい悲鳴を上げてくれるなぁ!!』


 鼻先が槍のように鋭く尖ったトカゲの頭蓋に近い頭部。腕を体の前に出し、背中を丸めて二足で立つ姿は猿やゴリラを彷彿とさせる。全身が鎧のような青い甲殻に覆われ、その身長は四メートルと人間では考えられない大きさをしていた。腕は肩幅の広い体にさえ似合わないほど太く、手と足の指先は内側に湾曲した刃物のようになっている。そして、黒目の中に輝く金色の瞳。


 その異形の怪物の名は―――


「“喰魔(イーター)”………!!!」


 重々しく、重護がその名を呼ぶ。そして、喰魔の姿を見た人々が次々に背を向けて逃げ出そうとする。それを見た喰魔は不快そうに目を細め、大きく口を開いた。


『動くなあああーーーっっっ!!!』


 喰魔の咆哮が轟く。空気が震え、皆がそれを肌でビリビリと感じ取る。

 気圧された人々が次々に足を止め、体を恐怖で竦ませた。


「ひっ………!」


 春も小さく悲鳴を上げる。身を隠そうと重護の後ろへと隠れ、安心感を求めて背中の服を掴む。一愛もまた春と同じ理由で重護へと体を寄せる。

 重護はそんな一愛を安心させるように腰に腕を回し、自分へと強く引き寄せた。


 連れてこられた人の中には春よりも幼い子供もいた。そんな子が涙を両目に溜め、恐怖に震えるだけに留まっていた。

 今声を出して泣けば殺される。幼い子供にそう悟らせるほどの威圧感が喰魔にはあった。


 その喰魔は足を止めた人々を見て、愉快そうに口元をにやけさせた。


『そうだ。それでいい』


 笑顔を浮かべる喰魔とは対照的に人々は恐怖に顔を歪ませる。ただ一人、重護だけが恐怖に顔を歪ませることなく、力強く喰魔を見据えていた。

 重護も他の人達と同じように喰魔のことは恐ろしい。だからこそ生き延びるために現状をしっかりと把握し、家族全員で逃げる(すべ)を模索する。だが、現状は決して良いものではなかった。


(最悪だ………! 人の言葉を流暢に喋れるってことはAランク(・・・・)の喰魔じゃないか………!!!)


 悪い方向にしか転がっていかない現状にギリッ、と音が鳴るほど歯を食いしばる重護。低ランクの喰魔なら隙を見て逃げ出せたかもしれない。

 事実、異界から生きて帰ってきた人たちが遭遇した喰魔はDランクがほとんどだからだ。Aランクと遭遇しても生き残った事例もないわけではないが、それは少ない事例の中のさらに少ない本当に稀有な事例である。

 生き残れる可能性はハッキリ言ってゼロに近かった。


 それでも諦めるわけにはいかない。家族全員で、それが無理でも妻と息子だけは必ず逃がす。自分の胸に寄り掛かる一愛と背に隠れる春の存在を感じながら、重護はそう決意する。


 一方、喰魔は怯える人々に向かってゆっくりと話し始めた。


『俺の名は()(えん)。今からお前らには俺のゲームに参加してもらう。当然、拒否は不可能だ』


「ゲ、ゲーム?」


 目に見えて動揺が広がっていく。

 ゲームという緊張感に欠ける発言が、より不気味さを演出していた。


『ルールは一つ、俺から逃げろ。ただそれだけだ』


「………ん?」


 戯猿が言ったゲームのルールに重護は心の中で首を傾げる。

 それならばなぜ、先ほど逃げようとした人達を引き留めたのだろうか。こんなことは言わなくても勝手に逃げていく。なのに態々口にした意味が重護には分からなかった。

 しかし、その意味を重護はすぐに理解させられた。


『逃げられなかった場合、俺がお前らを―――殺す(・・)


「―――っ!」


 酷く冷たいその一言に、重護は背筋が凍りつくのを感じた。

 殺す―――ただその一言を言うためだけに、戯猿は逃げる人々を引き留めた。そして、その効果は絶大だった。


 ここに居る全員、異界に連れてこられた時点で『死』を意識していた。それでも、『死』がどこかまだ遠いものように思っているところが少なからずあった。しかし、自分たちを確実に殺すことのできる力を持った存在が、明確な『死』を突き付けてきた。


 それでようやく本当の意味で理解した。自分たちは目の前にいるこの化け物に、殺されるのだと。


『死にたくなかったら、必死になって逃げてみろぉっ!!!』


 内に秘めた高揚感を解き放つように戯猿は叫ぶ。

 歓喜と狂気に満ちたその声に、人々は一斉に逃げ出した。


「う、うわああああああああっっっ!!!」


「いや! イヤ!! 嫌ぁぁぁあああああ!!!」


「死にたくねええええーーー!!!」


『そうだそうだ! もっと悲鳴を上げて、情けなく逃げ惑えっ!!』


 喰魔に背を向け、情けない悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。その姿に戯猿は愉悦を禁じえなかった。

 そんな状況下で重護も逃げる人々に合わせて逃げる判断を下した。


「二人とも走るぞ!」


「え、ええ………」


「う、うん!」


 重護の呼びかけに震える声で返事を返す二人。走り出す重護の後に続くように走り出した。

 その頃、戯猿は人々が逃げ出しても何もせず、その姿を眺めるだけに留まっていた。


「お、おい。これ逃げ切れるんじゃないか?」


「へ、へへッ。なんだよ、喰魔(イーター)も大したことねえな」


 いつまでも動かず、見えるその姿が小さくなっていくことで慢心する青年が二人。

 その声を聞いていた戯猿はその愚かさに呆れ、ため息を吐く。だからこそ楽しめることもあるのだが、と心の中でくつくつと笑う。


『それじゃあ、そろそろ始める―――』


 独り言の途中で戯猿の姿が立っていた場所から無くなる。その次の瞬間には青年二人の背後に立っており、高く上げていた右手を振り下ろした。


『かっ!』


「ぐぇ………」


「ぎ………」


 振り下ろされた五つの凶刃に、二人は悲鳴を上げることなくその体をバラバラに切り裂かれる。

 赤い鮮血が宙を舞い、命無きただの肉塊へと成り果てたモノがビチャリと不快な音を立てて地面へと崩れた。


『………』


 戯猿は己が右手に滴る血を見る。

 そして、目の前に転がる人だったものを見る。


 ―――殺した。


『くくっ………』


 ―――奪った。


『ぐふふっ………』


 己が力で、己より弱い存在を蹂躙する。自分の意思次第で命などどうとでもできるという事実に自尊心が満たされる。他者を踏みつけにすることで得られる優越感と力を振るう快楽に、戯猿は込み上がる笑いを抑えることなく解き放った。


『がははははははっ!!!』


 猟奇的な笑い声が響き渡る。

 青年二人が殺されたのを直接見た者。笑い声につられ、振り向いた先に転がる死体を見た者。いずれにせよ、人が死んだという事実に逃げる人々の恐怖と絶望はより濃いものとなる。

 聞こえてくる悲鳴からもそのことが容易に分かった。


 高らかに笑う戯猿。その前に球状の弱々しい光が現れる。戯円をその光に向かって顔を近づけ、大きく口を開く。


『んあ』


 そして、そのまま光を喰らった(・・・・)


『んぐっ』


 戯猿は光を咀嚼することなく、ゴクンッと喉を鳴らして飲み込む。すると、不機嫌そうに言葉を吐き捨てた。


『けっ! しけた“魔力”だなぁ。二人分でもこの程度かよ』


 これがこの怪物たちが喰魔(イーター)と呼ばれる理由である。相手を殺すことでその魔力を抽出し、喰らい、取り込むことで進化していく。


 魔力を喰らう魔物。それが“喰魔(イーター)”であった。


『まあ、次に期待だな』


 そう呟くと戯猿は次の人間(えもの)に狙いを定め、駆けだし、目の前に立った。


『次はお前だ』


 瞳孔を大きく開き、目の前に居る男を見下ろしながらそう告げる。男の方は目の前に現れた喰魔に対し、自分の身を守るために両手を突き出す。そして、今の自分が放てる最大火力で魔法を放った。


「う、うわあああああっ!!!」


 突き出した両手から火球が放たれ、戯猿に直撃する。火球は着弾と同時に爆発し、炎と黒煙が吹き荒れた。

 男は魔法が当たったことに歓喜する。黒煙で姿が見えないことから倒したと思い込み、舞い上がっていた。


「や、やっ―――」


 言い切る前に男の体は戯猿の手でバラバラに切り裂かれる。

 男は防衛隊所属ではなく、魔法が使えるただの一般人だった。それでも、先ほどの魔法はDランクの喰魔なら余裕で倒せるくらいの威力を持った素晴らしい魔法だった。

 そんな魔法でさえ、義猿にとって対処する必要の無いくだらないものだった。


『魔法を使える分、さっきのよりは上物だな』


 義猿は殺した男の魔力を喰らうと上機嫌にそう呟く。そして、再び次の人間(えもの)を視界に捉えた。


 絶望の悪夢はまだ、続いていく。





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