第96話 背伸びをしたいお姫様
どうしてわたしの体はこんなに小さいのだろう。
お兄様も、レオンも、弟と妹だってわたしより大きい。皆どんどん体が大きく成長していくのに、わたしだけ小さいまま。
それだけなら良い。例え体が小さくとも、わたしはわたしだ。大きい方が便利なことも多いが、仕方がないで済ますことが出来る。
でも、体の大きさで扱いが変わるのなら話は別だ。
皆で剣の鍛練をする。わたしだけ軽い鍛練で終わり。休んで見学するように言われる。
メイドたちがコソコソと話している。アイリス様はお一人だけお体が弱いのではないかしら。そんなことはない。ただ小さいだけで、健康そのものだ。
少し歩くだけで、大丈夫ですか、お疲れではないですか。止めて欲しい。わたしが自分だけでは何も出来ない赤子のよう。
話し方を横柄にしてみた。微笑ましそうにされた。胸を張って、体が大きく見えるように頑張った。微笑ましそうにされた。
なんで。わたしは元気なのに。お兄様ほどとは言わないけれど、レオンと同じくらいにはきっと出来るはず。
でも、頑張ろうとすると止められる。もっと剣を振れるって言っているのに。もっと走れるって言っているのに。
段々イライラするようになって、落ち着きがなくなっていって。
その日、お父様に渡されたのは、まるで人形のような女の子だった。
焦げ茶色のボサボサした短髪。低身長と言われるわたしより更に低い身長。全く動かないし、容姿が可愛らしいのもあって、本当に人形のようだ。
お父様からの贈り物ということもあり、初めは喜んだ。まさか人間を渡されるとは思わなかったけれど、わたしの専属として、好きにして良いらしい。
自分の専属の使用人を持てるなんて、何だか大人になったみたい。ちょっと嬉しいかもしれない。
でも、その考えはすぐに別の感情に塗りつぶされる。
どこを見ているのかも分からない、虚ろな目。時間の流れが止まっているかのように、ピクリとも動かないその立ち姿。
なんだか……不気味……。
でもせっかく専属をもらったのだし……。
「えっと、とりあえず、あなた名前は?」
「…………」
「ちょっと、無視しないでよ。名前は?」
「…………」
何なのよ、この子。本当に生きているの? わたしの質問に答えないどころか、聞こえているのかも不安になるくらい反応がない。
「もう! 名前を教えなさいって言ってるのよ!!」
「実験体96号です」
「……は? 実験体?」
実験体って何? 何の実験? お父様は、専属の使用人として使えとしか言わなかった。明らかに何か訳ありなんだけれど……そういうの、ちゃんと教えてくれないかしら。
「はぁ、仕方ないわね。96号なんて呼びたくないし……。クロ、じゃあ何だかペットみたいね。少しもじって、クル。クルにしましょう。使用人ってことでクル・サーヴね」
面倒だし、それっぽい名前を思いつきで付ける。なんか、王族の使用人には向いてなさそうな子だし、すぐいなくなるでしょう。
「分かった?」
「…………」
また反応なし。王族に向かってこの態度、本当ならすぐに不敬罪でお父様に突き出してやるところだけれど……訳ありっぽいし、仕方がないので大目に見てあげることにする。
「あなたの名前は、クル・サーヴよ! 嫌だって言っても知らないわ! このわたしの命令なんだから、従いなさい!」
「はい、承知しました。わたしは今より、クル・サーヴです」
今度は反応があった。……もしかして、命令しないと動かないの? 自分では全く動かないなんて、そんなの本当にお人形じゃない。どうしてこんな子をわたしの専属にしたのかしら……。面倒ね。
せめてもう少し見栄えがするようにしたい。せっかく可愛いんだから、しっかり整えてあげれば、それこそお人形として可愛がる分には良いんじゃないかしら。
「ちょっと待ってなさい」
隣の部屋に入る。ここは、私室に備え付けられているわたし専用のお風呂だ。湯船に湯を溜めて、お風呂の準備をする。準備が出来たら私室に戻り、クルに命令を与える。
「お風呂に入りなさい。隣の部屋のわたし専用風呂を使わせてあげるわ」
「分かりました」
隣の部屋に繋がる扉を開き、中へ入っていくクル。出てきたら、まずはあのボサボサの髪をどうにかしよう。服は……仕方がないから、わたしのを貸すことにする。あ、でも流石に下着は貸したくないわね。
「ちょっと、誰か!」
クルが入っていったのとは別の、廊下に続く扉へ声をかける。すぐにメイドの返事が聞こえた。
「はい」
「新しい下着ちょうだい。サイズは……分かんないし、わたしと同じで良いわ」
「かしこまりました」
これで良い。クルがお風呂から出てくるのを待とう。
クルがお風呂に入ってから30分ほどが経った。既に新しい下着も届き、クルに着せる服も用意し、準備万端だ。
しかし、なかなかクルが出てこない。30分お風呂に入るのは別に変とは言えないけれど、初めて来た場所で、のんびり30分もお風呂でくつろぐことが出来るだろうか。
「ちょっとクル?」
声をかけてみるが、もちろん返事はない。まあこれは命令していないから仕方がない。
「入るわよ?」
扉を開けて、隣の部屋に入る。そこは脱衣所になっていて、脱いだ服を入れるカゴがある。しかし、
「服が入ってない……? まさか……!」
慌てて風呂場の扉を開ける。そこには、
服を着たまま湯船に入り、微動だにしないクルの姿があった。
「風呂に入れってそういう意味じゃない! 服を脱ぎなさい!」
お風呂に入ると言ったら、服を脱いで、髪と顔と体を洗い、湯船につかって、タオルで体をふいて、服を着て出てくるところまでを表すものでしょ!? いちいち全て命令しないといけないの!? ああもう! 面倒くさい!
「服を脱いだらここに座りなさい!」
全て命令するくらいなら、わたしが洗った方が早い。わたしも服を脱いで脱衣所に放り投げ、座っているクルの背後に立つ。
「目を閉じて、じっとしてなさい」
それから、クルを一通り洗ってあげる。お世辞にも質が良いとは言えない髪と肌だけれど、しっかり手入れしてあげればある程度は回復するだろう。……それを全てわたしがやるの? 本当に、面倒だわ。
「アイリス様? どちらにいらっしゃるのですか?」
風呂場の外、恐らくわたしの私室から声が聞こえる。よくわたしの世話をしてくれるメイドだ。
「お風呂よ」
「このような時間にお風呂ですか? 先ほどの下着もそのためでしょうか。もしや、下着がなくなってなど……」
そう言いながら、メイドが風呂場の扉を開ける。まだクルを洗った泡を流している最中だ。今扉を開けられたら、脱衣所まで水が飛んでしまう。
「ちょっと、開けないでよ」
「申し訳ありません。しかし、アイリス様がそのようなことをなされずとも、お申し付けいただければ私が……」
「嫌。この子はわたしのよ。わたしが世話するの」
こうして何も出来ない子の世話をして、それがしっかり出来ていれば、皆わたしを見直すに違いない。わたしがもう子供じゃないって分かれば、きっと扱いも変わるはず。
「そうですか……承知しました。もし必要でしたら、お呼びください」
そう言ってお風呂を出ていくメイド。全部自分でやるから、呼ぶことなんてないわ。
クルの泡を流し終わり、タオルで髪を包んで水気を吸わせる。
「ほら、終わったわよ。湯につかりなさい」
「はい」
疲れた。どうにかして、この子に自分で行動させることは出来ないかしら。
それから、毎日クルの世話をした。
「ナイフとフォークを持って、こう切って、フォークを口に運ぶ。ああもう、違う! ちゃんと口に入るように小さく切る! 口はちゃんと開ける!」
「はい、脱いだ服はたたむ。こうやって折って、こうして……違う! 形が崩れたところはちゃんと直さないとシワになるでしょ!」
「寝るわよ。ほら、ベッドに入りなさい。……ちゃんとかけ布団の下に入りなさい」
毎日毎日、細かい命令をし続けて。やっと思った通りにクルが動いてくれたと思ったら、いつの間にか時間が過ぎている。
もうほとんど意地でやっている。今すぐにでも投げ出して、メイドにでも押し付けられたらどんなに楽だろうか。でも、それでは結局わたしに対する扱いが変わらない。
「アイリス様、やはり私がやりますので、その子をお渡しください」
「嫌! わたしがやるの!」
最近はいつものメイドだけでなく、城中の使用人たちから心配されるようになってしまった。こちらで世話しますから、アイリス様がやることでは、そんなことを毎日毎日言われ続ける。
「もー! 頭に来たわ!」
どいつもこいつも、わたしからクルを取り上げようとして! こんな城、出て行ってやるわ!
「クル! 命令よ! わたしを連れて、誰にも見つからないように城を抜け出しなさい!」
「はい」
次の瞬間、既にクルに抱え上げられていた。そして、ベランダへ出る大きな窓を開け、跳ぶ。
どこまでも軽やかに、音もなく跳び上がったクルは、まるで重力から解き放たれたように上昇し、易々と城の屋根に立った。
「凄い……!」
何という身体能力だろう。もしかしたら、お兄様よりも凄いかもしれない。
そう思い感動していると、おもむろに屋根の端に立ったクルが、何の前触れもなく跳び下りる。
「へ?」
落下していく。みるみる迫ってくる地面を一瞬視界に捉え、慌てて目を閉じた。叫ばなかったことを、我ながら褒めたたえたいくらいだ。
トンッと軽い衝撃。恐る恐る目を開けてみれば、既に着地している。城の裏手、いつの間にか城壁を越え、本当に城を抜け出してしまったらしい。
「よ、よくやったわ、クル。よし、城下町を探索するわよ。ついて来なさい。何かあったら、わたしを守るのよ」
「はい」
城下町には何度か来たことがある。でもその時は、周囲を護衛に固められ、自由に見て回ることも出来なかった。時々こちらを見ている人たちに手を振るだけの、何も楽しくない行事だった。
今回は違う。わたしの行動を強制する人は誰もいない。思うままに行動することが出来る。そう思うと、ワクワクする気持ちが止められない。
周囲には静けさが満ちている。この辺りは、貴族の屋敷が立ち並ぶ通りだ。城の周辺はほとんどが貴族街になっていて、基本的に城に近いほど上位の貴族が住んでいる。とはいえ、こちらは城の裏。最有力貴族は表側に住んでいるので、ここらは一段下といったところか。
具体的に、どこにどの貴族が住んでいるのかは知らない。でも、最有力の貴族がいないというのは安心出来る。
「怖い貴族に見つかる前に移動しましょう」
いつもお父様を睨んでいる、お父様の弟、リヴォルゲリン公爵には特に会いたくない。あの人はお父様だけでなく、わたしたち兄妹のこともよく怖い顔で見てくる。
リヴォルゲリン公爵以外にも、怖い貴族は結構多い。もし城から抜け出しているところを、そんな人たちに見られたら。想像するだけでも恐ろしい。
貴族街を抜けて、少しずつ人々の往来が増えてきた。2、3階建てくらいの建物が最も多そうだろうか。隙間なく敷き詰められた建物群に、絶え間なく人々が出入りしている。
建物の間に伸びる道路を、時々バスが通っていく。座席から人が溢れ、立った状態でも人が詰め込まれ、何だか窮屈そう。あんなに人がたくさん乗っているバスに乗らなくても、別のバスに乗ったら駄目なのかしら。
人がたくさんい過ぎて、どこが人気の店なのか分からないわね。そもそも、この辺りには何の店があるのかしら。
「ふんふん……何だか甘い匂いがするわ。これはきっとケーキね! 城で食べるものとは違うのかしら。気になるわ。行ってみるわよ!」
匂いを辿ってケーキ屋に入る。ケースに並べられた、様々な種類のケーキ。どれにしようか。
「このチーズケーキが良いわね。クルはチョコのやつを買ってあげる。これとこれ、ちょうだい!」
「へ、あ、アイリス様!? お、お持ち帰りでしょうか。それとも店内でお召し上がりになりますか?」
「ここで食べていくわ」
「承知いたしました。どうぞ、お受け取り下さい……」
店内の飲食スペースと思われるテーブルにケーキを持っていき、椅子に座る。そして、クルに食べるように命令して、自分でも食べ始めた。
「うん、まあまあね。城で食べるケーキの方が美味しいけれど……でも、何だか特別感があって良いわね。クル、美味しい?」
「…………」
やっぱり無反応なのね。黙々と食べてはいるけれど、美味しいのか好みに合わないのか、さっぱり分からない。
食べ終わり、片付けて店を出る。
「美味しかったわ。ありがとう」
「もったいなきお言葉! ありがとうございました!」
次はどこに行こうか。おやつは食べたから、次は何か娯楽を見たい気分だ。周囲を見回しながら歩いていくと、本の看板が出ている建物を発見した。
本か。良いかもしれない。城にも図書室はあるけれど、あそこにあるのは、学術書とか歴史書とか、何だか難しい本ばかり。一般に出回っているという、物語の本というものを読んでみたいと思っていた。
「あそこに行くわよ」
クルに声をかけて、本屋に入った。




