94 いつかのエピソード~深まる疑惑~
夜、公務を終えたアルバートはリリアンの部屋を訪ねた。彼女の専属侍女に案内されて中に入ると、部屋の中に沢山のドレスが並んでいた。また、傍にはアクセサリーも多数用意されている。まるで、これからどこかのパーティーへ出掛けるかのようだった。
侍女の手を借りながらリリアンは姿見の前でドレス片手に自身の身体に合わせている。
ちらりと、一瞬アルバートに視線だけ寄越した彼女が口を開く。
「アルバート様がわたくしのお部屋にいらっしゃるなんて、珍しいですわね」
言われて、アルバートは結婚当初は彼女の部屋にほぼ毎日通っていたことを思い出す。だが、次第にアルバートの足はリリアンの部屋から遠ざかっていた。
二人のための寝室もあるにはあるが、最近は使用していない。アルバートは公務が終わる時間も遅くなることが多く、城内にいてもリリアンに会うことは少なかった。
「君に話があるんだ」
アルバートは新婚の時には見た覚えのない豪華な家具や小物を視界に認めながら告げた。
「王太子妃に充てられた予算があり得ない金額になっている。この事に心当たりはあるか?」
「さぁ、どうかしら? わたくしに聞かれても分かりませんわ。ですが、与えられた金額が多いとは思いませんわね」
淡々と告げられた言葉に「なに?」と、アルバートは眉をひそめる。
「妃という立場はお金がかかるのですわ。さまざまなパーティーに呼ばれますもの。一度着たドレスや装飾品を何度も使い回して出席するわけにはいきませんでしょう?」
「そう言うのであれば、もう少し妃教育にも身を入れてくれ。この前、講師が困っていたぞ」
アルバートが呆れ顔で伝えると、リリアンが声を張り上げる。
「あの方、気に入りませんわ。何かとわたくしを悪女のベアトリスと比べるのですよ!」
アルバートが部屋を訪ねてから初めてリリアンが感情を露にした。
「……、話が逸れてしまったな」
一つため息を付いてアルバートは話し始める。
「君は国費で繰越していた予備費に手を付けたそうだな?」
「えぇ。ベアトリス色に染まったあの忌々しい孤児院を取り潰すためですわ」
シラを切るかと思いきや。あっさり認めたリリアンにアルバートは詰め寄る。
「何故フローレンス孤児院を取り潰す必要がある? あれは、王家が代々支援してきた施設だぞ!?」
「だって、あの女の手が加わった孤児院ですわよ? あそこの院長はわたくしの言うことを聞かないんですもの。そんな孤児院なんて必要ないでしょう?」
悪びれる様子もなくリリアンは告げた。
「それだけの理由で潰すのか……?」
「えぇ。と言うか、もう建物は取り壊しましたわ」
何でもないことのように告げられた事実に、アルバートは「なっ!?」と驚きの声をあげる。
「今ごろは更地になっている頃かしら?」
「リリアン! そんな話! 私は聞いていないぞ!!」
「あら、孤児院は亡き王妃殿下から引き継いで、わたくしに裁量を任されていますのよ。ですから、アルバート様の許可は必要ありませんわ」
「まさかとは思うが、誰にも相談せずにやったのか?」
そこでようやく彼女がこちらに顔を向けた。
「それが、何か?」
「っ」
リリアンがアルバートを見る瞳にゾッとする。何の感情も乗っていないその瞳は、自身のやったことに対して何も感じていないようだった。
「職員や子どもたちはどうしたんだ!?」
「さぁ? それはあの施設長が考えることですもの。わたくしは知りませんわ」
取り潰すだけ取り潰して、残された者たちのことは丸投げしたようだ。その後どうなったのか、後で調べさせる必要がありそうだと、アルバートは思考しつつ話を戻す。
「兎に角だ! 王太子妃に割り当てられている費用が多すぎる。国民に増税まで課しているんだ。今から今期の予算を見直す。君に与えられた予算を適切な金額まで減らす。だから、浪費を押さえる努力をしてくれ」
アルバートは部屋にある高価な物に視線を配りながらそう伝える。
「何ですって?」
「だから、君に与えられた予算を適切な金額まで減らすと言った。増税で国民が苦しんでいるんだ。少しぐらい我慢してくれ」
告げると、リリアンは眉間に皺を寄せた。
「わたくしに充てられた予算を減らすなんて! 横暴ですわ!! それに、国民が増税で苦しもうと、わたくしたちに影響がないのですから、放っておけば良いのです!」
「なっ!? 放っておけば良いだと!?」
アルバートは愕然とした。
昔、王立学園でベアトリスから嫌がらせを受けているとアルバートに相談してきたのは彼女自身だ。自分が苦しめられた分、誰よりも人の痛みが分かる人だと思っていた。そんな彼女が苦しんでいる国民を放っておけば良いと言ったことに驚いた。
「リリアン! 本気でそう思っているのか?」
アルバートは険しい顔で尋ねた。
「えぇ。だって、わたくしには関係ありませんもの」
にこりと微笑むリリアンの姿はアルバートの目に恐ろしく映った。リリアンは国民を大切にするどころか、苦しむ国民を放っておけば良いと切り捨てたのだ。
学園にいた頃とは違う彼女の態度にアルバートは恐ろしさを感じる。
「リリアン、……君はどうしてしまったんだ? ベアトリスから嫌がらせを受けていた君は、誰よりも人の痛みが分かる筈だ。頼む! 昔の君に戻ってくれ!!」
今のリリアンはアルバートにとって知らない人物のようだった。ベアトリスから心ない嫌がらせを受けたと涙ぐむリリアンは、人の痛みが分かる優しい心を持っていた筈だ。
だが、現実は全く違っていた。
「何を仰いますの? 今も昔もわたくしは変わっていませんわ。これがわたくしでしてよ? だいたい、国民はわたくしたちの暮らしを豊かにするために働くのが当然ですわよね? 予算が足りないのでしたら、もっと税金を徴収しても良いぐらいですわ」
「え……?」
「話は終わったかしら? だったら出ていって下さる?」
そう告げると、彼女は再び鏡に視線を向けてドレス選びに戻る。
「リリアン……」
国民が苦しんでも気にしないリリアンにアルバートは愕然とした。そのままリリアンの部屋を出てアルバートは考える。
私は、……あんな女が好きだったのか? リリアンのどこが好きだったんだ?
アルバートは記憶を遡りながら考える。だが、彼女に夢中になっていたあの頃を思い出しても、今はなんとも思わない。
『アルバート様』
その時、懐かしく優しい声をアルバートは思い出した。記憶の中の彼女は何時も嬉しそうに微笑んでくれた。
そう、アルバートがリリアンを優先するようになるまでは。
『アルバート様、全く身に覚えがございません。わたくしが“これまでリリアン様にしてきた行い”とは、どういったものでしょうか。お聞かせください』
『殿下は……婚約者のわたくしではなく、リリアン様のお言葉を信じるのですか』
婚約解消を申し出た日にベアトリスに言われた言葉。あの時はリリアンの言葉が真実だと疑いもしなかった。
『……殿下は、あの日から成長されていませんのね』
『殿下はあの時も、そして今も物事の真実を見極めようとしてくださいましたか? わたくしが疑わしいと聞いて、そのまま鵜呑みにされたのではありませんか?』
そして、学園主催のパーティーでベアトリスに言われた言葉。この日のベアトリスはとても悲しそうな瞳をしていた。それらを思い出したアルバートは、鈍い胸の痛みを覚えて自身の胸元を掴む。
……私は、とんでもない誤解をしていたのではないか?
アルバートの頭に浮かぶのは、ベアトリスの笑顔が殆どだ。
何故ベアトリスを思い出す? ベアトリスは侍女に命じて母上を暗殺したんだぞ?
邪心を振り払うようにアルバートは歩みを早める。
『アルバート様、わたくしがリリアン様の物を盗んだという証拠はあるのですか? わたくしが彼女を突き飛ばしたという証拠は? 勿論、調査してくださいましたのよね?』
ピタリと、アルバートの歩みが止まる。
証拠、調査……
母上暗殺の実行犯は、リリアンが実家から連れてきた侍女の目撃証言が決定的な証拠となった。そのため、調査はろくにしていないに等しい。今思うと、犯人の拘束から処刑まで異常に早く事が進んだ。本来であれば冤罪を生まないためにしっかり取り調べを行い、証拠を集めて容疑を固めてから実行することだ。
事を急いだことで、リュセラーデ侯爵夫人の実家である隣国の公爵家や王家から怒りを買ったラドネラリア王国は非難され、他国との関係に多方面からヒビが入った。あのやり方では隣国の怒りを買うのが目に見えていた。良好な関係を保ってきた国の信頼を失う行いだと、考えなくても分かる筈のことだった。
だがアルバートを含め、誰もがベアトリス憎しと、事を急いで進めた。それを止める者は誰もいなかった。
いや、フランクだけは何かの間違いだと言っていたか……
何故誰も疑問に感じなかったのか謎だが、予算の件もある。今なら何か分かることもあるかもしれない。
どうやら、調べ直した方が良さそうだ。
アルバートは協力してくれそうな官僚や騎士を思い浮かべながら、自身の執務室へ急いだ。




