58 いつかのエピソード~計画された断罪~
これは過去の出来事である。しかし、今はまだその時すら訪れていない。そして、もう一度訪れるかは誰にも分からない。いつかのエピソードである。
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「リュセラーデ侯爵令嬢、ベアトリス・スコット・プラックローズ!! 貴女には失望した!!」
アルバートが怒りに満ちた表情でベアトリスを睨み付けた。彼の腕の中には悲しそうな表情をしたリリアンがいて、アルバートが彼女を守るように抱き寄せている。
この日、小さな社交界である王立学園ではパーティーが開かれていた。三年生にとっては卒業前最後の大きな行事となる学園主催の舞踏会だ。
生徒会が中心になって準備を進めた夜会の場で、ベアトリスは元婚約者から同級生や後輩たちの前で非難を受けていた。
「ここにいる私の新しい婚約者、カモイズ伯爵令嬢に対する様々な仕打ち! 貴女の子どもじみた嫌がらせで彼女が怪我をした。私の元婚約者とはいえ、これは度が過ぎた行いだ!! これ以上、貴女の悪行に目を瞑る訳にはいかない!!」
力強いアルバートの瞳にはリリアンへの信頼とベアトリスへの憎しみが籠っていた。昔のように真実を見極め、ベアトリスを庇ってくれた凛々しくて優しい彼はもういない。
そう、ベアトリスが好きだったアルバートはもうどこにも存在していないのだ。その現実にベアトリスはチクリと胸が痛んだ。
婚約解消を打診されたとき、涙が枯れるまで泣く程ベアトリスはアルバートを慕っていた。
アルバートとの婚約解消が成立した時に捨てたと思っていた彼への恋心が、まだベアトリスの胸に残っていたらしい。
それでも、その心を見せるわけにはいかない。この場では恋の未練はベアトリスを弱くさせるだけだ。だからこそ、ベアトリスはリュセラーデ侯爵令嬢として自身を奮い立たせ、毅然とした態度でアルバートと対峙する。
「アルバート王太子殿下、お言葉ですが身に覚えがございません」
ベアトリスがはっきり否定すると、リリアンが「そんなっ……!」と悲痛そうに眉を歪めた。それは今にも泣き出しそうな顔だ。
新しい婚約者が怯えている様子に、アルバートは安心させるようにリリアンの頭を撫でる。
「ベアトリス、この期に及んで言い逃れするつもりか!!」
「いいえ。しかしながら、この場の雰囲気に呑まれて、ありもしない罪を認める弱い意思をわたくしは持ち合わせておりませんの。冤罪を認めて侯爵家の名に泥を塗る訳に参りませんので」
にこっとベアトリスは淑女の笑みで対応する。すると、アルバートが焚き付けられるように声を上げた。
「何が冤罪だ! リリアンが被害を訴えているのだぞ! 間違いないに決まっているだろう!!」
その言葉にベアトリスはアルバートが婚約解消を申し出たあの日のことを思い出す。
「……殿下は、あの日から成長されていませんのね」
「それは私の台詞だ。折角それ以前までのリリアンへの仕打ちを無かったことにしてやったというのに、ベアトリスはまた同じ過ちを繰り返すのか!?」
「……」
「……」
ベアトリスとアルバートは互いに無言で鋭い視線を送り合う。
周囲は突然始まった騒ぎを少し離れた場所から気にして、ベアトリスたちを囲むようにしてひそひそ囁き、状況を窺っていた。
中でもリリアンの取り巻き令嬢であるクシールド伯爵令嬢とネヴィソン子爵令嬢は、得意気な笑顔を浮かべていた。彼女たちは慕っているリリアンがアルバートに擁護され、逆にベアトリスが責められている姿が面白くて仕方ないのだろう。
「殿下はあの時も、そして今も物事の真実を見極めようとしてくださいましたか? わたくしが疑わしいと聞いて、そのまま鵜呑みにされたのではありませんか?」
ベアトリスが尋ねると、アルバートがフッと鼻で笑う。
「君の噂なら嫌と言う程耳に届いている。リリアンを苦しめる、とんでもない悪女だとね」
「っ……!」
ベアトリスの元婚約者は軽蔑の眼差しでベアトリスを睨み付けた。ベアトリスは一瞬、心臓を掴まれた様に胸が締め付けられる。
「……そう、ですか」
自分の口から零れた声はあまりに弱々しかった。
ここで弱さを見せてはダメよ。しっかりしなくては!
ベアトリスは気持ちを落ち着かせるように一つ息を吐くと顔を上げる。
「いつからか殿下はわたくしを見て下さらなくなりましたね。昔はとても凛々しくて優しいお方でしたのに」
幼い頃、お茶会でベアトリスを庇ってくれたアルバートは本気でかっこ良かったと、ベアトリスは今でも思っている。皆から疑われた中、信じてくれたことがベアトリスはとても嬉しかったのだ。
「わたくしは、そんな殿下をお慕いしておりました。ですが、今はリリアン様の言葉を鵜呑みにして、わたくしの言葉は信じて下さらないのですね……」
「当たり前だ。悪女の言葉を信じる訳がないだろう」
それを聞いたベアトリスは心の中に僅かに残っていた恋心が萎むのを感じた。それと一緒にアルバートへの信頼も萎んでしまった。
「アルバート王太子殿下。これ以上、夜会の雰囲気を悪くしたくありません。ご用件がそれだけならわたくしは失礼したいと思います」
ベアトリスはドレスの裾を摘まむと、カーテシーをしてその場を去ろうとする。だが、「待て」と短いアルバートの声がベアトリスを呼び止める。
「まだ話は終わっていない。私の婚約者に危害を加えておいて、只で済むと思っているのか?」
アルバートが告げるや否や、ベアトリスを取り囲むように王家の騎士が現れた。
「な……!」
流石のベアトリスも言葉を失う。
何故なら、彼らがベアトリスに剣を向けていたからだ。そして、その中にはベアトリスがアルバートの婚約者だった頃の護衛騎士も含まれていた。




