番外編 姉弟たちの世間話
お読みいただきありがとうございます。
また次回作でお会いいたしましょう…!
ソレイユ王国の後継者である四姉弟が、ルナーラ王国の大聖堂にある日差しが暖かな緑あふれる一室にて会していた。
第一王女である長女リネッタ、第一王子で次期後継者のディノ、第二王子で現在ソレイユ聖堂の聖職者であるリク、そして第三王子の幼いナハトである。
リネッタの目の前にディノが座り、リネッタから見て左隣にリクが座る。白く質の良いソファの上で、リネッタの左にはナハトがぴったりくっつくような形で座っており、リネッタはナハトに腕を回して体を傾けていた。
「よかったよ、姉様とナハトがすぐに仲良くなれて」
「僕らの弟ですから当然ですよ」
三男のナハトはまだ7歳。次男であるリクとは10も年が離れている。リネッタが留学に出た頃にちょうど生まれた子なので、リネッタとナハトはほとんど面識が無かった。
なので今日、ようやく直接のご対面となるのだが、リネッタたちの心配はなんのその、ナハトはリネッタをきちんと自分の姉であると認識し、なんなら母親以外の血のつながった女性の存在に安心してかぴったりくっついている。
リネッタもそんな初々しく愛らしいナハトの反応にメロメロで、先ほどからくっついて離さないのである。
「お勉強を頑張っているってお母様からのお手紙で読んだのよ」
「はい。にいさまたちのようにボクも立派になります」
「偉いわ〜〜〜」
ナハトの細い髪の毛を堪能するかの如くリネッタの手のひらがわしゃわしゃとナハトの頭を撫で回した。
シルクの手袋の感覚が気持ち良いのか、ナハトも目を細めて感覚を味わっている。
「ナハトは将来ルナーラ王国に留学させるのもいいかもね」
ディノがほっこりした顔でそう呟くと、ナハトも乗り気なのかコクコクと頷いていた。
「いずれはディノ兄様の右腕になりたいと言ってますし、他国のあらゆる文化を学ぶのは良いことかと」
「それに、姉様のおかげでソレイユとルナーラの行き来も簡単になるからね」
「そうね……みんなともこうして会う頻度が増えたら嬉しいわ。ナハトがルナーラ王国に来てくれたら毎日だって会いに行っちゃうかも」
「はい、ボクも毎日会いたいです」
素直なナハトの返事にリネッタがぎゅっと抱きしめた。
「ところで聖女様って今日は参加するの?」
ディノがグラスを片手にリクに問いかける。
「はい、いらしてますよ。久しぶりにお部屋に戻られているんじゃないでしょうか」
事件以後、ベアトリスが聖堂の部屋を使うことはなかった。聖職者の一部が部屋を掃除していたというが、家主が帰ってくるのは実に一年ぶりだった。
「ベアト様は元気?」
「元気ですよ。僕と初めて会った時に比べれば別人なくらいです」
「前に会った時は性格が変わったように見えてびっくりしたよ。あれが聖女様の本性?」
びっくり、と口ではいいつつ、どこか落胆の表情が見えるディノに、リネッタが首を傾げた。
「ディノ、ベアト様のこと結構気に入ってたんじゃないの?」
ルナーラ王国でディノがベアトリスと初めて会った時、ディノはやたらとベアトリスの容姿に惹かれていたのをリネッタは覚えていた。会食の時には浮ついた態度だったくらいだ。
しかしディノは複雑な表情で小さく首を横に振った。
「見た目はとても好みなんだけど、正直色々見てきたし……性格込みで考えると僕的にはナシかな」
「ディノ兄様……そんな選ぶような言い方、ご本人が聞いたら二度と口聞いてもらえませんよ」
「わかってるよ。ここだけの話だからね」
ディノは相手を選ぶ立場にあるからこそ、貴重なときめきが強烈に残っていたのだろう、自分には合わなかったというショックが尾を引いているようにリネッタは見えた。
「……リク的に、ベアト様に今良い人がいるように見える?」
リネッタのおせっかい心と好奇心が顔を出して、そんなことを質問してみた。
ベアトリスは現在二月ほどソレイユ王国聖堂を拠点に、対外的に活動している。ベアトリスの現在を一番よく知っているのはリクだ。
リクはあっさりと返事をした。
「トールがベアトリス様に好意を寄せているのは明らかですね」
「え!?」
「トールはあれがいいのか!?」
「ディノ兄様、『あれ』は失礼です」
もう一度叱咤されてディノは申し訳なさそうに縮こまった。
トールといえば、高身長で薄い顔立ちの、表情の硬いクールな聖職者だ。リネッタの印象では、ネルソン以上にお硬い雰囲気を纏っている気がしたので、そんな彼の色恋沙汰を耳にするとはと驚いた。
「でも、トールが年上の女性に惹かれるのは、なんかわかるわ……」
「いくつ違うんだっけ、5つ?」
「そのくらいですけど、トールが彼女を好きになった理由は多分年齢差じゃありませんよ。聖女様は年齢よりも少し子供らしいところがありますし」
「リクも随分言うじゃないか」
「ここだけの話にしてくださいね」
しかしリネッタは、リクの言い分もなんとなく理解できた。
子供時代に国を追われ、紛争の激しい国に身を移し成長してきたベアトリスは、今ようやく心を落ち着かせて生活ができる環境に戻って来れたのだろう。昔の反動で今までできなかった態度を取れるようになっているのだとしたら、喜ばしいことだと思って良いのかもしれない。
そしてその環境を作ったのがリクやトールの功績なのだとすれば、トールがベアトリスに惹かれ大切に思ってくれていることに安堵すら覚えた。
「ベアト様が振り向いてくださるといいわね」
「もし二人がうまく行ったら、ソレイユとルナーラの結びつきがまた強くなるね」
「しかしそうなるとトールもルナーラ王国行きでしょうね。それは少し寂しいです」
「ボクもルナーラ王国に留学しますから、もっと寂しくなりますね」
「ナハトは気が早くないか?」
ディノのツッコミで全員が笑った。
「ルナーラとソレイユ間の話で言ったら、姉様の侍女も近々結婚するんじゃなかったっけ?」
「カロリーナとネルソンのこと? そう、そうなのよ!」
今一番ハッピーなニュースだと言わんばかりにリネッタが感極まって身を乗り出す。
「一時はどうなることかと思ったけど、マテオも協力したおかげか無事ネルソンが結婚することに頷いてくれたのよ!」
「僕の手紙を盗み見たベアトリス様が、とても興味を惹かれていらしたので是非報告してあげてください」
リネッタは「手紙を盗み見るって」と苦笑した。
けれど、後でカロリーナの許可をもらえたらベアトリスにも二人の馴れ初めからゴールまで語ってあげようと考えた。
「マテオにはそういう話はないの?」
「どうかしら、特定の人は作らなそうな雰囲気もあるのよね……」
「もしかしたら、生涯独身を貫くかもしれませんね。リネッタ姉様の子供につきっきりで護衛してそうなイメージがあります」
「マテオがそれでいいなら、私もそれに頼るわ。無理に家庭を作らなくてもいいでしょうし」
「そうだね」
穏やかに頷いてグラスを傾けるディノに、今度はリクが質問を投げかける。
「そういうディノ兄様こそ、そろそろお相手を選ぶべきでは? 気になる方は一人もいないのですか?」
自分に矛先が戻ってくるとは思わず、ディノは気まずい様子で視線を逸らした。
「なんか、うーん……姉様とシルビオ義兄様を見てたら、高望みしちゃってダメだね。リクもわかるだろう? シルビオ義兄様の姉様を見つめるときの表情、あのくらい夢中になれる女性を伴侶に迎えたくなる気持ちがこう……湧きあがっちゃって」
「僕は身内のそういう仕草にはちょっと……」
耳を赤くしてリクはぷいっと顔を背けた。
そうして姉弟間で盛り上がっていると、三人の話を聞いてにこにこしていたナハトが、リネッタ越しに一点をじいっと眺めて黙りこくった。
目の前に座るディノとリクがその様子に気づき、ナハトの視線を追うと、二人は同時に「あ」と声を漏らす。
「? 二人ともどうしたの?」
「談笑の邪魔をしてごめんね」
ぽん、とリネッタの肩に手を置かれる。その見知った感覚に顔を上げると、そこにいたのはシルビオだった。
リネッタにくっついてぼーっとシルビオを見るナハトにシルビオが気づくと、柔らかく微笑んで目線を合わせるようにしゃがむ。
「はじめまして、君がナハトかな? 俺はシルビオ・ルナーラ。今日君のお姉様であるリネッタと結婚する、ルナーラ王国の王太子だよ」
「……ナハト・マレ・ソレイユです。ねえさまを、よろしくお願いします。……シルビオにいさま」
座りながらでも、しゃんと背筋を伸ばして、おずおずと丁寧に礼をするナハト。
幼いながらも礼儀作法に則りしっかり挨拶をする彼にこの場の全員が癒やされた気持ちになった。
「そろそろ時間ですか?」
とディノが問い、リクもそれに合わせて席を立つ。
「うん。みんなは先に行ってて」
シルビオの返事に、ナハトもようやくリネッタにぴったりくっついていた体を名残惜しそうに離して、ディノの足元に駆け寄っていった。
「それではまたあとで」
とリクが頭を下げれば、それに倣って二人もお辞儀をし、扉を閉めるまでナハトが小さく手を振っていた。
リネッタもそれにニヤけた顔を抑えず振り返した。
「四人で揃うのは初めてだったんだっけ」
「そうなの。私のことをちゃんと姉だと認識してくれて安心したわ」
「ナハトは今日初めてリネッタと会ったってこと…?」
「そうよ」
シルビオの視線が、リネッタの顔をじっと見て止まる。
無表情で見つめられて沈黙が続くので、リネッタが慌てて「どうしたの?」と首を傾げた。
「……いや、こんなに綺麗な君を最初に知れるなんて贅沢だなと思って」
今日は、リネッタとシルビオの神前式だ。
海の神に二人の婚姻を認めてもらうための儀式がこれから開かれる。
真珠の輝きのように煌びやかな光沢のある白いドレスに包まれたリネッタは、人生で一番綺麗な姿になるように磨き上げられていた。
ふわりと広がるドレスは、リネッタの快活さに似合う可愛らしさを演出している。
ハーフアップに結い上げられた髪の毛は、編み込みの部分に、リネッタの髪色であるミルクティー色に似合うピンクのゼラニウムとパールが彩られていた。
シルビオの視線が、ふっと和らぐ。
愛おしいものを見つめるような視線の変化に、見つめ返すリネッタもどきりと胸が高鳴った。
「毎日、リネッタのことを好きになっている気がする」
「……私は、シルビオと出会った時から今まで、ずっとそうだったわ」
「出会った時から? ソレイユ王国で顔を合わせたときのこと?」
「そうよ。好きだなって言葉にしたのは、ルナーラ王国に留学してからだけど、私は机越しに視線があったその瞬間には惹かれていたわ」
リネッタの告白に、シルビオが自身の手を口元に持っていく。思い出しながらも、それにどこか感極まっている様子で、そんなシルビオをじっと見るリネッタの気持ちが期待に満ち溢れていく。
多分、今彼は嬉しいのだろう、と確信している。
「私の想いは大きいでしょ?」
「それが枯れないことを祈るしかないよ。それに、今まで受け取った分これからは俺がリネッタに愛を伝えていかないと、気が済まない」
真面目なシルビオらしい返答に、リネッタは思わず声を出して笑ってしまう。
「期待しちゃう」
リネッタも、素直に喜びを言葉にした。
そうして笑うリネッタがあまりにも可愛く、大切なもののように思えて、シルビオは自然と、リネッタの頬に触れた。
リネッタは驚きつつも、その手を包み込んで、体温を深く感じるように頬を擦り寄せた。
「式の前だけど、伝えさせて」
「……うん」
了承を得るや否や、シルビオがかがみ、リネッタの唇に自身の唇を重ねた。
想いを伝えるために、長く、静かにキスをする。
渋々離れると、リネッタが満足そうに笑顔を浮かべていた。シルビオは喜ぶリネッタの表情を見て、自分も安心したように笑った。
かくして、リネッタとシルビオの恋愛結婚は、大きな役割と喜びを伴って行われた。
二人の治世は国内外問わず自立の心を促し、皆が平和に暮らせるよう自らが進んで行動することが美徳だと示された。
二人の理解者である側近たちと、何より聖女の働きも、象徴的とされた。
この先の歴史がどう動くか、二人にはわからない。けれども確かに、歴史の上で安寧と幸福の時であったと書き記されることになるだろう。




