番外編 カロリーナの片思いその2
カロリーナは背もたれに身を預けて、「さてどこから言えば」と呟く。そんなカロリーナに、リネッタも同じく背もたれに体を沈ませ、そしてカロリーナの肩に頭を乗せるくらい甘える形になった。
そんなリネッタを可愛らしく思うカロリーナが、リネッタの右手に自分の左手を重ねて話し始める。
「最初は当然、そういった意識していませんでした。顔が好みというわけでもありませんし、仕事上でよく話してもプライベートまで気が合うというわけではありませんでしたから」
確かに、マテオとカロリーナは業務内でよく小言を言い合っている気がする、とリネッタは回想する。
───それも正直どうなの、と思うけれど……
「けれど騎士という仕事は死と隣り合わせでしょう? 最近のリネッタ様のおかげで改めてそれを実感させられましたし」
「う」
「リネッタ様が本当にご無事でよかったと思うと同時に、何かあればあの人はもしかしたら……と、不安が過ったのが気づきのきっかけだったのかもしれません」
リネッタが襲われ拐かされた際、マテオも重傷だった。カロリーナはその時を思い出すような遠い目をしている。
「何より、リネッタ様が無事想いを成就なされたので、少し羨ましくも思ってしまったのかもしれません。昨日、シルビオ殿下からリネッタ様への惚気を聞かされたものだから……」
「えっ、それは初耳だわ!? シルビオは何を言ったの!?」
繋いでいる手に、ぎゅーーーっと握り潰す勢いで力を入れ、リネッタは勢いよく体を起こした。
「…………いえ、ただ、姫様のお身体に気を遣うようにとご指示いただいたという話です」
「あぁ〜〜〜〜〜〜はい。うう、そうね、そうね……そういうことを考えるのもカロリーナの仕事だから、伝えられるのは当然のことなんだけれども……」
リネッタはいたたまれない気持ちで今度は体を丸め込むくらいに俯いた。
くすくすとそんなリネッタを見守り、カロリーナがその頭を撫でた。
「それに、私も25になりますから。焦る気持ちもどこかあったのかもしれませんね。ソレイユ王国を出た時はずっと独り身でいる覚悟もしたのですが」
カロリーナの言葉に、リネッタがハッとして顔を上げた。
カロリーナの表情はどこか儚げで、諦めたはずだったものに対する一縷の希望を抱いた喜びも垣間見える。
それを見てリネッタの心がぎゅっと締まる心地がした。
「その思いは、伝えないの?」
「リネッタ様がご成婚されて、無事お世継ぎを産んでから……ですかね」
カロリーナの人生を自分が縛っていると、昔から感じていた。
本当は、ルナーラ王国に留学する時だって連れてくる侍女はカロリーナでなければいけない理由はなかった。別のソレイユ人侍女を選んでもよかったのだが、自他共にリネッタがカロリーナに一番心を開いているから、という理由でカロリーナが選ばれた。
リネッタがそれに待ったをかければカロリーナがソレイユ王国を出ることもなかったのだが、リネッタもカロリーナだったら嬉しいから、と思って意見は出さなかった。
そもそも、リネッタが意見しない限り、カロリーナからの拒否は許されなかっただろう、というのは、ルナーラ王国に来てからようやく気づいたことだった。
当時、カロリーナにはソレイユ王宮の料理番見習いの恋人がいた。リネッタの留学に際してカロリーナから別れを告げたのだと、言われなくともリネッタは二人の様子を見て察していた。
「今日みたいにミスするくらいマテオを好きになったんだから、それは言わなくちゃダメよ」
「え?」
「前は……恋にうつつを抜かして仕事を疎かにすることなんて無かったわ。だからきっとカロリーナが結婚したってなんの支障もないはずよ。それよりも自分の心に正直になって打ち明けてしまった方が、いいと思うの。……あ、でも、マテオ相手となると成就しなかった時気まずい……わよね。そっか、カロリーナはそれも危惧して心に秘めているの……?」
カロリーナの味方でありたい気持ちと、カロリーナの気遣いを無駄にしたくない気持ちから、リネッタはぽつぽつと考えることを口にしていく。
カロリーナがしばらく呆気に取られたような顔でその様子を眺めた後、「っふふ」と堪えきれない笑いを漏らす。
「え?」
とリネッタがその笑い声に反応すれば、カロリーナは目をキュッと瞑って「うふふふっ」と無邪気な少女のように笑っていた。
「な、なんで笑うの?」
「うふふ、ごめんなさい、姫様が一生懸命考えてくれているのが嬉しくて」
「ええ…?」
「それともう一つごめんなさい。私の好きな人はネルソン様です」
「そう、ネルソン……────えええええ!?」
大きなリアクションをしてくれるリネッタに、カロリーナは愉快な気持ちを抑えられなかった。
ソファの肘置きに突っ伏して肩を震わせ、ひとしきり笑っている間、リネッタはリネッタで困惑を抑えられずにいた。
───確かに、マテオだと思い込んでいたのは私だわ!
致命的なミスに気づいて、少し恥ずかしそうに顔を赤らめると、リネッタはどういうことなのかちゃんと説明して欲しい、と突っ伏すカロリーナの体をゆすった。
渋々体を起こしたカロリーナは、清々しい笑顔で笑い泣きした涙を拭う。
「あの人は……」
はあ、と呼吸を整えて、カロリーナは静かに口を開いた。
「ネルソン様は、ルナーラ王国の人であるにも関わらず、初対面の時から姫様を大切に扱ってくれました。国の違いなど全く関係ないどころか、気にする必要性が無いとでも言ってるみたいに、毅然としていて、それだけで嬉しかったんです」
ルナーラ王国にやってきて不安だったのはリネッタだけではない。カロリーナも同じく、リネッタがこの国でソレイユ王国で過ごしていた時と同じようにのびのびと暮らすことができるのか、常に案じていた。
アレハンドロ王が采配したルナーラ王国騎士団がリネッタのためにと並べられた時、その先頭に立つネルソンの風格は冷たく鋭いものに感じた。
しかしネルソンはリネッタをただ一人の仕えるべき主君として接した。
「時が経つにつれて、姫様のことを理解しようと自ら歩み寄っているのを見るのも好きでした。本当に嬉しかったのです。この人だったら私の大切な姫様を預けられると、心から信頼しました」
ネルソンとマテオが仲良くなっていくのもそんなに時間はかからなかった。ソレイユ王国とルナーラ王国それぞれの騎士団長が軽口を言い合えるくらいに打ち解けたので、その部下たちも偏見なくお互い信頼を育んでいた。
マテオの軽薄さは裏を返せば人当たりの良さなので、カロリーナもそれを長所だとは感じていた。しかしその軽薄さがあの厳格そうなネルソン相手では水と油になってしまうのではなかろうかとも心配していたのだ。
だが、ネルソンはマテオの騎士として良くないところは咎めつつも、あっさりマテオの本質を理解し信頼にあたると判断したのだ。
編成されて10日もしない間に、二人が夜にお酒を酌み交わして帰ってきた日は、カロリーナも驚いた。
そこでカロリーナは、ネルソンのことが気になってつい目で追うことも増えた。
主君であるリネッタのそばにいる時は、より慎重に観察したくらいだ。
「だからでしょうか。姫様を通してネルソン様を見ていると、どんどん惹かれていってしまったのです。表情の変化が乏しくても、いつの間にかどんな気持ちでいらっしゃるのかよくわかるようになりました。その不器用さを可愛いと思ってしまった時にはもう、愛おしくて仕方がなかったのです」
気づいたのは最近なんですけどね、とはにかむカロリーナは、リネッタから見てもドキドキしてしまうような色香があった。
カロリーナの想い人がネルソンだと知り、そしてその始まりが、リネッタの留学とほぼ同時期……つまり、リネッタが本格的にシルビオに惹かれた時期に等しいと知ると、不思議な偶然にときめきを覚えた。
「ネルソンの思いがどうだかわからないから、下手なことは言えないけれど……カロリーナは私に付き添って一緒にルナーラ王国に来てくれたんだもの。そんな中でルナーラ人であるネルソンに恋をして、あわよくばを願うくらいなら、それが叶ってくれたらと思ってしまうわ」
自分がシルビオを追いかけて振り向かせたように、カロリーナもこの地で大切な人に巡り会えたのだとしたら、嬉しいことこの上ない。
「私のためにソレイユ王国を出たことへの償い、みたいな気持ちもあるから、これは私のわがままかもしれないけれど」
結局、自分のエゴイズムが邪魔をしている気がして、カロリーナの恋心に真摯に向き合えているかリネッタには自信がなかった。
けれどもそんな気持ちすらもお見通しであるのか、カロリーナがもう一度リネッタの頭を撫でる。
「リネッタ様が私の心をいつも考えてくれていることはよく知ってます。私だけじゃなく、ナナ、ロエナ、キャサリン、それにマテオ、ネルソン様、騎士団のみんな……そんなリネッタ様だから国を超えてもついていきたいと思えるのですよ」
「そうなのかな。それができてるんだったら、嬉しいな……」
「だからシルビオ殿下もリネッタ様に惹かれたのでしょう。それこそ、リネッタ様がどこにもいかないようにと繋ぎ止める欲が生まれたくらいには」
少々過激な物言いに、リネッタの顔がまた赤くなった。
「……私も、そうやって繋ぎ止めたくなってしまったのです。焦ったんでしょうね」
今日の仕事のミスに関する言い訳であった。
声色の変わったカロリーナに、リネッタは今日の花屋での一件を思い出して疑問を口にする。
「そういえば、どうしてマテオと話している時顔を赤くしたの?」
「ああ、あれは……実は昨日、ネルソン様が花を持って帰ってきていて」
「ネルソンが?」
リネッタが意外だ、と表情を変えるので、カロリーナもそれに頷いた。
「私は遠目で見ただけなのでどういう意図の花なのか知りませんでしたから、花の意味でも知りたいなと思ってつい足を止めて……その話をマテオにも、ネルソン様の花であると隠して伝えたのですが、あの人、すぐに見抜いたんですよ」
『ネルソンが持ってきた花じゃねーか。……ははあ? なるほど、カロリーナ、そういうことか』
ニヤニヤと振り向くものだから、咄嗟のことでカロリーナは表情も作れず顔を赤くしたのだ。
「マテオって結構恋愛上手だから……」
「鈍感バカに見えて聡いのがムカつきます」
二人きりなのでカロリーナも剥き身の言葉を投げかける。
「それで、結局そのお花ってなんだったの?」
「ネルソン様のお母様からのプレゼントだったそうです。お誕生日のお祝いにと」
「そっか、三日後は誕生日だものね」
そこでリネッタがぴーんと思いつく。
「わかったわカロリーナ、三日後二人をお休みにするから、明日デートにお誘いしなさい」
「あ、あした!?」
「明日はネルソンが街の巡回をするわ。今日寄ってたパン屋のお土産を買うついでにネルソンに会って約束を取り付けなさい」
「よりによってお誕生日に……先約があるかもしれないじゃないですか」
ネルソンに恋人がいないとは限らない。カロリーナはそれを想像して不安そうに言う。
「もともとお仕事だったから約束はないはずよ。あとでネルソンにおやすみのことは伝えておくから」
「でも……」
「騎士はカロリーナの言う通り、命の危険と隣り合わせの仕事だわ。だから早くに結婚してしまう人も多いでしょう。後になってカロリーナが後悔するのは私も悲しいから、せめて少しでも距離を縮めてみて様子を窺うくらいはして欲しいのよ」
告白を急かすわけではない。それこそ、万が一それがきっかけでお互いの関係性にヒビが入れば、業務に支障が出る可能性がある。
恋愛話に浮かれる一方で、リネッタもその危険性を案じていた。それでも……と、もしもの都合の良い未来を想像したくなってしまう。
「……後悔、ですか」
リネッタの言葉を噛み締めるように、カロリーナが呟き、微笑んだ。
「わかりました。私も少しだけ、勇気を出してみます」
いつかの自分が後悔しないように、リネッタの願望に背中を押してもらうことに決めたのだ。
「ネルソン様、こんにちは」
「……こんにちは。珍しいですね、業務時間に王都に下りられているとは」
「姫様から要望があり、こちらのパン屋に買い物を……」
「なるほど、それは大事なお仕事ですね」
疑うことなく、カロリーナの手に持つ様々な種類のパンを見て、ネルソンは薄く笑った。
ああほんとに、出会った時よりもずっと表情が柔らかくなったものだ、とカロリーナがつい見惚れてしまう。
カロリーナが動かないので「あの……」と見かねたネルソンが声をかけると、ようやくカロリーナはハッとして咳払いをわざとらしくした。
「ネルソン様、その、明後日はお誕生日でしたよね」
「ご存じだったのですか」
「毎年、マテオが祝っているのを知っていたので……」
「ああ、なるほど」
「もし、お時間がありましたら、私その日お休みをいただいているので、ネルソン様をお祝いできないでしょうか」
「え?」
カロリーナは、我ながらなんて不器用なお誘いなのだろうと肩を落としていた。表情は硬いまま、耳だけ真っ赤にして、言葉は直球、これじゃあマテオに笑われるのも無理ないと考えてしまう。
ネルソンは突然の誘いにきょとんとしているが、しばらく考えて「時間はありますね」と業務的な口ぶりで返事をした。
「私もその日突然リネッタ様からお休みをいただいたのです。……なるほど、そういう魂胆でしたか」
「……!」
自分の気持ちがもうバレてしまったのかとカロリーナの肝が冷えた。この後になんて言葉をかけられるのか、失望の眼差しが降ってくるのか、そんな想像をして視線が徐々に下がっていくのだが、ネルソンは普段通りの声色で続けた。
「カロリーナ様を労うために、私を護衛代わりにと提案なされたのでしょう」
「…………はい?」
「私の誕生日を理由にと回りくどいことをなさらずとも良いのに。しかしそんなところもリネッタ様らしいと言うべきでしょうか」
今度はカロリーナが唖然としたが、すぐに脱力して笑ってしまった。
そして昨日、花屋でマテオに言われた言葉を思い出す。
『アイツは姫様くらい直接言える人の言葉じゃないと伝わらないからな。普段通りズバズバ言った方がうまくいくぞ』
悔しいけれど、マテオの言う通りなのかもしれない。
「では、私のおでかけにお付き合いいただけますか?」
「はい、大丈夫です」
カロリーナはネルソンに微笑みかけて言った。
「これは私からのお願いで、姫様は関係ありませんよ。それでは明後日のデート、よろしくお願いいたします」
ネルソンが返す言葉に戸惑ううちに、丁寧にお辞儀をして、クールに踵を返す。
来た時よりも足取り軽くカロリーナは王宮に戻った。
二人の関係性に名前がつくのは、もう少し先の話だ。




