番外編 カロリーナの片思いその1
「リネッタ様はシルビオ殿下と両思いになったのに全然惚気てくれませんね」
「ぶっ!!! ちょ、ちょっとカロリーナ、突然何を」
昼下がりにまったり紅茶を飲んでいた時の出来事である。リネッタはカロリーナの言葉に紅茶を吹き出し、部屋で掃除をしていたリネッタの部屋付きメイドであるナナとロエナも意外なものを見る目で動きが固まった。
バルコニーに出ていたメイドのキャサリンが「恋話ですか〜!?」と無邪気に目を輝かせて参戦し、カロリーナの発言に動揺していた三人は余計に苦々しい表情になった。
カロリーナといえば、仕事に厳格でクールなお姉様。リネッタのことを幼少期から見守り、本当の姉のようにリネッタから慕われている。
確かに、時にはリネッタの恋の相談に乗ったり、俗っぽい話をした夜も多々ある。
だが今は仕事真っ盛りの昼間。本日の天気は太陽の日差しも眩しい快晴。お洗濯日和である。
これはただ事じゃないぞ、と部屋にいる人間は思いを一つにした。
バルコニーの仕事を放棄したキャサリンにカロリーナのお叱りが飛ぶことがなかったため、ナナとロエナも手に持った道具を置いてリネッタの方ににじり寄った。
「なにか、悩みがあるの……?」
リネッタがカロリーナの表情を覗き込むようにして尋ねる。部屋付きメイド三人衆もじいっとカロリーナの様子を観察しながら、返事を待つ。
カロリーナは、はぁ、とどこか色っぽいため息を吐いて、ティーポットをコトンとテーブルに置いた。
「恋とは、こんなにも欲望を抑えられなくなるものだったんですね」
なんてカロリーナが宣うので、全員の目と口が大きく開かれた。
「みんなは誰が相手だと思う!?」
あれから、いつもと様子の違うカロリーナは珍しく紅茶をこぼしたりボタンを掛け違えたり櫛を忘れるなどミスが目立ったので、リネッタの権限でひとまず今日限りの暇を出した。
申し訳ございません…と弱々しく詫びた後、カロリーナはフラフラと部屋を出て使用人部屋に戻った。
リネッタの部屋に残されたのは、ナナ、ロエナ、キャサリンの三人衆なのだが、こうなれば仕事に手をつける心の余裕はなく、リネッタ含め四人でテーブルを囲って会議が始まった。
「っていうか、カロリーナって好きな人がいたの!?」
「わ、わかりません。リネッタ様がご存じでないのであれば私たちなんてもってのほかですよ」
赤毛のショートをブンブン振り回してロエナが言う。
ナナも自身の黒髪のおさげを両手できゅっと握りながら
「昨日までは普通にキャサリンの仕事のミスを詰めていましたからね」
と暴露し、キャサリンが表情を青ざめさせて
「リネッタ様の前でそんなこと言わないでよ〜!」
と泣き言を言った。
ともあれ、この三人もカロリーナの恋のお相手を知らないのは明白だった。
「これはもう、調査をするしかないわね」
リネッタが目を光らせ、立ち上がった。
「お供します!」と三人もそれに追随し、全員の瞳がキラキラと好奇心で輝いた。
使用人部屋に戻ったカロリーナは、仕事着を脱いで私服になったあと、少しの時間ぼーっとしてから、ポーチにお金とハンカチを入れて屋敷を後にした。
どうやら王都にお買い物に出たのだと視認し、地味な格好に身を包んだ四人組がコソコソとその後を追いかけた。
快晴の王都の昼下がりは子供のはしゃぐ声が響いて明るい。走り回り子供達の間を抜けてカロリーナはお目当ての店に向かってしずしずと歩みを進める。
「やっぱり、マテオ様じゃないですかね」
と呟くのはキャサリンだった。キャサリンは金髪の癖っ毛をぴょこぴょこと跳ねさせながら軽やかにカロリーナの足取りを追う。
「マテオを、カロリーナが……?」
言われたリネッタは二人の今までをそれとなく回想するが、確かに時間が作った絆を感じれども、カロリーナからマテオへの視線はいつも冷めたものだと思う。
あり得るのかしら……と首を傾げるリネッタに、今度はナナが「ちっちっち」と指を振る。
「幼馴染のような関係性から恋人に発展する……それは王道中の王道ですよ!」
「殿下と聖女様の逆バージョンですわ」
「ロエナ、それはセンシティブだから黙って」
小声で言い合うメイドたちを乾いた笑いで受け流しながら、リネッタは改めてカロリーナの背中を凝視する。
本当にマテオのことを今好きになったのだとしたら……それはなんだかくすぐったいような、でも嬉しいような、複雑な気持ちになった。
リネッタにとってはカロリーナは姉で、マテオは兄のようなものだ。それが恋人のようになったのだとしたら、今後二人をどのように見ればいいのだろう、と戸惑ってしまった。
自分がシルビオと正式に恋仲になったことで、やけに具体的に恋人の空気を想像できてしまうことがより一層胸に混沌を巻き起こす。
「みなさーん動きましたよ。……って、あれは!!」
キャサリンの呼びかけに全員がカロリーナを見ると、カロリーナはパン屋から出て誰かと話をしていた。
誰だ……?と目を凝らすと、リネッタが「あ」と気づきを得る。
「リネッタ様、あの男性のことをご存じで?」
「うん。あの人は、シルビオの護衛騎士筆頭のジエゴ様よ。あの人も休暇なのかしら……」
「め、めちゃくちゃ仲良くお話ししていませんか……? それに、カロリーナさん、あんなに笑うなんて……」
「なんかめっちゃ可愛いですね……!」
ナナとキャサリンが両手を繋いできゃー!っと小さな声ではしゃいだ。
「あ、ジエゴ様のこと私も思い出しました! 騎士服の時は前髪を上げていらっしゃるからわからなかったわ」
そう言ったロエナはジエゴの顔を改めて見ると、うっとりため息をついた。
「前髪を下ろされると、あんなに雰囲気が変わるんですね……少し幼くなって、近寄りやすいというか……」
「カロリーナさんと並ぶと清廉な空気が流れるようでいいですね〜」
ナナは両頬に手を当ててほっこりした表情で言った。
三人がカロリーナとジエゴの並ぶ絵にはしゃいでる中、リネッタは未だうーんと首を傾げる。
今朝のカロリーナの様子と重ならないのだ。
もしジエゴが本当に想い人で、今偶然会って会話しているというのであれば、もう少し変化があっても良いのではないだろうか。カロリーナの笑顔は確かに希少だが、それはあくまで仕事上の間だけで、プライベートであれば仕事関係者に会っても愛想よく笑うことは当たり前の話だった。
尾行を続けるが、カロリーナとジエゴは曲がり角で進行方向を別にして別れた。
「お似合いだと思ったのに、やっぱり違ったんですかね」
「突然休みになったんだから、これからデートってわけでもないでしょうし」
「とにかく調査は続行よ」
メイドの意見に合わせて、リネッタも頷き後を追う。
建物の陰から、下から順にキャサリン、ナナ、ロエナ、リネッタと頭を出して、花屋の前で立ち止まっているカロリーナを観察していると、リネッタの上にもう一つ頭が出て
「なんの遊びだ?」
と男性の声がする。
一同が驚いて猫のように飛び跳ねて散り散りになると、自然とその声の主──マテオを取り囲む形になった。
そんなに驚かれるとは思っていなかったマテオの方が目を丸くして四人を見た。
「あのねマテオ、ちょっとこっちへ」
「おうおう、なんだ?」
今日のマテオの仕事はリネッタの警護ではなく、街の巡回だった。彼がここにいるのは不自然なことではない。しかしリネッタたちと喋るのであれば、騎士の装いで図体のでかいマテオは何かと目立つ。カロリーナに尾行がバレないように、リネッタは急いで物陰の方にマテオを押し込んだ。
「ここに私たちがいたことを絶対にカロリーナに言わないで」
「カロリーナ? まさか黙って出てきたのか? 四人で。だったらみんなしてここにいる時点で説教もんだろ」
「今日はカロリーナに休暇を出したの、だから大丈夫……っていうか、それで……」
うまく誤魔化せないリネッタに、マテオが訝しげな視線を送る。
助け舟を出すようにキャサリンが口を挟んだ。
「私たち、カロリーナさんが心配なのでこうして見守っているんです! でもカロリーナさんがリネッタ様に心配をかけていると知ったら余計に気負ってしまうでしょう?」
「そうです、だからどうかマテオ様もこのことはご内密に。あ、でもよかったらカロリーナ様にはご挨拶なさってください! ただし我々の話はしないように!」
ロエナが勢いに乗せてマテオの背中を押した。
わけがわからないままマテオが再び建物の陰から出ると、花屋にいるカロリーナを捉えた。
もう一度リネッタたちの方に振り返るが、もはや親指を立てるだけである。
疑問符を頭に乗せながらも、カロリーナを見つけたとあれば無視することもないだろう、と思って、言われた通りマテオは花屋に足を進めた。
「あんな適当な感じでわかってくれましたかねえ?」
とナナも不安そうに呟く。
「でも、ロエナのおかげでここでハッキリするわ……」
リネッタは両手を握って祈るように二人のやりとりを見つめる。距離があるので声は聞こえないが、表情はよく見えた。
花を見てどこか物憂げなカロリーナにマテオが声をかけると、カロリーナは驚いて反応した。
他愛もないやりとりをする間、マテオの背でカロリーナが隠れてどんな顔をしているのかわからなくなる。
しかしマテオが横のズレて、黄色い花と青い花を指さしてカロリーナに話しかけると、カロリーナの表情がみるみる赤くなっていくのがわかった。
マテオがそれに気づいてか、からかうようにカロリーナを笑う。
そしてカロリーナはマテオの腰にいつものように小突いて眉を釣り上げる。
しかしその間も頬や耳の先が紅潮していた。
まるで恋をしている女性の表情そのものだとリネッタは確信した。
「リネッタ様、やはりカロリーナ様のお相手は……」
ロエナによって言葉にされるまでもなく、リネッタは頷くのであった。
リネッタの胸中は、やはり混沌として、嬉しいのやら恥ずかしいのやらわからない感情になった。
***
夜支度が終わり、あとは眠るだけなのだが、カロリーナのいない自分の部屋はなんだか物足りない心地がした。
部屋の整理はメイドたちが行ったのだが、ナナ、ロエナ、キャサリンの三人は王都にある自分の家に帰ってしまう。住み込みの時もあるが、ここ数日はリネッタのスケジュールに余裕があるため、仕事の終了時間を早めてそのような方針にしていた。
カロリーナが屋敷に部屋を持っているので、リネッタへの対応は彼女が行うから大丈夫だ、という建前だったのだが、本日はこうしてイレギュラーな休暇だったので、いつもとは違う一人きりの自室にリネッタはソワソワとした。
「………聞きにいっちゃおうかな」
思いついたリネッタは、そっと自室の扉を開けて薄暗い廊下を進む。
玄関に近い場所に騎士や侍女の泊まり込みの部屋がある。カロリーナが今いるであろう部屋の扉の前に立ち、リネッタが控えめにノックをした。
「はいどうぞ」
とクールなトーンで返事がかえってきたので、リネッタはゆっくり扉を開け、顔だけちらりと覗き込む形でカロリーナに姿を見せた。
服を畳んでいるカロリーナが扉に顔を向けると、リネッタだと思わなかったのか焦ったような表情になって立ち上がった。
「姫様、もうお休みになったものだと」
「……今日はカロリーナがいなかったから、落ち着かなくて」
いじらしいリネッタの言葉に、カロリーナが唇を引き締めて眉尻を下げた。そしてくすぐったそうに少し笑うと「ソファでお待ちになってください」と言って部屋を出た。
少ししてカロリーナは二杯のミルクティーを手に、リネッタの隣に座った。
「どうぞ」
「ありがとう」
横に並んで座り、同じカップで同じ飲み物を飲むと、リネッタは余計にカロリーナのことを姉のように感じた。
一年に数回の頻度ではあるが、こうして家族のような、友人のような距離感で接することはこれまでにも何度もあった。
なので、リネッタは今日のことを躊躇いなく口にした。
「カロリーナは、マテオが好きなの?」
「っん!? っごほっごほっ!!……と、突然なんですか!?」
ミルクティーを吹きこぼさないようになんとか堪えたカロリーナは、口元を拭いながらリネッタに驚愕の視線を向ける。
「あ、朝に、恋をしたらどうのって言ったのはカロリーナじゃない」
「それはそうですが! なぜマテオの名前がここで出てくるんですか!?」
「カロリーナのマテオに向ける表情が、恋してる女性そのものだったからよ。誤魔化したって無駄なんだから」
「そんなのどこで見たんですか」
「……今日、花屋で……」
「まさか姫様、つけていたんですか…?」
呆れた、と言わんばかりの盛大なため息をもらし、リネッタが「だって」と言い訳じみた言葉を続けた。
「私の相談に乗ってくれてたカロリーナが恋をしたんだったら、私だって応援したいもの。でもカロリーナは肝心なところまでは言ってくれないし、多分……今後も言わないだろうから、自分たちなりに考えてみようって思って……」
そりゃあ、ちょっと面白がってたところはあったけれど、そのことは言葉にせず胸の内にしまい込んだ。
「隠すのであればあんなことを言いませんよ。……まあ、今日は私もどうかしていたので、休みをいただいて頭が冷えましたが……」
「仕事のミスの罰として白状して」
「む……」
それを言われてはカロリーナも反論できない。
しかしリネッタも、こんな言い方は強引だっただろうか、と即反省し、「やっぱり嫌なら言わなくていいわ」と申し訳なさそうに言った。
しおらしいリネッタを見つめて、カロリーナが観念したかのように口角を上げる。
「言います。よかったら聞いてくださいますか?」
あくまでリネッタを尊重する申し出に、リネッタは安心し、そして再び好奇心がそそられ、「ええ!」と勢いよく返事をした。




