65 ずっとあなたに恋焦がれてきた
マルネブの観光シーズンは気温の高い季節なので、すっかり肌寒くなった今は客足が遠のいている。
しかし、大々的に婚約発表をした二人にとっては都合が良かった。マルネブでも一等地のホテルを貸切にしてしまうことに支障がなかったからだ。
肌寒い時期になったとはいえ、ルナーラ王国の最南端に位置するマルネブは、まだ薄着でも過ごしやすい気候だった。
軽装に身を包んで、いわゆるバカンスファッションを楽しむリネッタの心は常夏のようにポカポカと浮き立っていた。
「すごい! 砂の質感が全然違うのね! 前に来た時はゆっくり観光できなかったから気づかなかったわ」
「姫様〜転んで怪我をしないようにしてくださいよ〜〜」
リネッタの背後にはカロリーナ、マテオ、ネルソンの三人の姿がある。全員いつもの装いよりは簡易な身なりをしている。バカンス先まで正装に身を包むこともないだろう、というシルビオの提案から、普段着に近い格好で従事していた。
だが、そんな三人の存在を認識するたびに、リネッタの胸の内に気まずさがぶり返してくる。
「なんかこう、恋愛している姿を身内に見られているって、やっぱり恥ずかしさが勝っちゃうわ……」
「仕方ないでしょう、マテオやネルソン様以外に警護させるわけにはいきませんし」
独りごつリネッタにカロリーナがやれやれと返事をした。
二人の後ろでネルソンがリネッタの言葉とは裏腹にじーんと感動している。
「なんで感極まってんだ?」
「リネッタ様が……私のことまで身内と、思ってくれていることがありがたく……」
「ほんと好きだね姫様のこと」
大きな事件もあったから、この三人にも苦労をかけたなあとリネッタは改めて思った。
だからこそ、せっかくなら一緒に羽を伸ばして欲しいと思ったのも本心なので、気恥ずかしさをなんとか抑え込んで、三人に満面の笑みを向ける。
「リネッタ、そろそろ夕食の時間だよ」
「はい! 今行くわ」
ホテルのオーナーと話を終えたシルビオが、椰子の木の下から声をかける。すぐに立ち上がりパタパタと走ってシルビオに合流する。お転婆な様子に苦言を呈する人はいなかった。
「市長がどうしても挨拶したいからということで、夕食に合流することになってしまったけれどいい?」
「大丈夫よ、私も前の会合での感謝を改めて伝えたかったから」
「ありがとう。その代わり、明日は二人きりで食事をとるようにさっき伝えておいたから」
「そ、そうなの?」
「うん。部屋から見える夕焼けに合わせてコースを提供してくれるんだって」
「素敵! すごく楽しみ───………」
部屋で。
つまり、部屋で二人でご飯を食べるということだ。
そもそも今晩の部屋ってどういう割り振りになっているのだろう。
シルビオによる突発的なマルネブ旅行の内訳は、リネッタに全く知らされていない。
思考停止したリネッタは一瞬足取りも止まるが、慌てて頭を振り、とにかくこの後の市長との会食に意識を切り替えた。
「いやはや、この度は改めて、本当にご婚約おめでとうございます。新婚旅行はぜひこちらに、と言いたいところですが、もうお越しいただいていますしね」
マルネブ市長はわっはっはと豪快に笑った。
「マルネブに着いてから二人で街を散策したのですが、前よりもずっと綺麗になった気がしました。リネッタとの話し合いからだいぶ努力されたのでは?」
シルビオの言葉に、マルネブ市長も感激して喜ぶ。
「そうおっしゃっていただけて嬉しいです! 街の住人たちも観光業の人々も、リネッタ様のお言葉に胸を打たれて意識を変えたのです。聖女様も今は難民地域の方にご尽力なされているとお聞きしましたし、最後の巡回場所にしてもらえるくらい頑張ろうと、目標を立てたのですよ」
ベアトリスは現在、難民地域の巡回に合わせて深刻な汚染水問題を抱えている地域を巡っている。ルナーラ王国全土を対象としているので、整備されている王都には考えられないほどの惨状を目にする機会もある。
セラが過ごしていたあの場所のように、病が蔓延している場所も多い。しかし、あの日の深刻さが脳裏に焼きついているからこそ、ベアトリスの意識は大きく変わった。
「いやしかし、まさか聖女様のお母様がコモロ国に大きな恨みを抱えてあんなことをしたとは……。ああ、すみません、せっかくの旅行中なのに」
「いえ、構いませんわ。それも向き合うべき大事な問題ですから」
しかしポロッと口に出してしまったことを反省し身を縮こまらせるマルネブ市長に、シルビオが「そういえば」と話を切り替えた。
「コモロ国と聖女様でいえば、最近不思議な縁が発覚したんですよ」
シルビオの話す内容は、リネッタも初耳だった。興味津々にシルビオを見つめて、話の続きを待った。
「不思議な縁、ですか」
「はい。一連の記事を市長も読まれましたよね? 今回の事件で尋問に協力してくれたコモロ国のモロという青年がいたのですが、彼はもともと、コモロ国でルナーラ人に恩があったと言っていたのです」
ベアトリスが難民地域を巡回する最初の日に立ち寄ったのは、セラたちが住んでいるあの場所だった。
今回は顔も隠さず、聖堂騎士を連れ、環境大臣とその部下たちと共に、公的な業務の責任者として難民たちの前に立った。
ベアトリスの顔を覚えている人も何人かいた。そのうちの一人がセラである。セラはリネッタ主導の清掃作業のときから環境大臣とも関わりがあるため、ベアトリスと簡単に話すこともできた。
「聖女様、彼があなたに話があると言っています」
「話……?」
セラが連れてきたのは、モロだった。ベアトリスも最初は彼の体格と顔にひかれている一筋の傷にぎょっとするも、両手を前に組んで肩を丸くし、小さくあろうとするモロの謙虚さにすぐ警戒をといた。
モロがコモロ国の言葉でベアトリスに話しかける。内容は当然わからないが、感激している様子だった。
「あなたのことは、昔から知っています。大きくなっても美しさは変わらない、と言ってます」
「あ、ありがとう……? 昔から知っているって、どういうことなの?」
モロが、両手の人差し指で少し小さな長方形をなぞるように動かして、必死に話をする。
セラがうんうんと頷きつつ内容を記憶していき、そして、「え」と驚いたように目を丸くした。
「なんと言ってるの?」
「そうだったんだ。……聖女様、彼はあなたのお父さんと友達だったと言ってます」
「お父様と……!?」
驚いて聞き返すと、モロは何度も頷いた。
「彼、モロは、コモロ国に逃げてきたハビエルを助けたことがあった。その時からハビエルと仲良くするようになって、時々ご飯を渡したりした。仲良くなってからハビエルはよく家族の話をしてくれて、特に絵……?姿を写した、このくらいの紙で、聖女様の小さい頃の姿を見せてくれた、と言っています」
ガルシア家はもともと貴族の家だった。その財力を使って、聖堂の技術で高度な写し絵を作ってもらったことを思い出す。ベアトリスの父であるハビエルは、それを大事に持っていたのだ。
「けれど、ハビエルはある日、子供を助けて大怪我をした。それ以来、病気をして、会えなくなってしまった。もしかしたら死んでしまったのだろうと思って泣いた。ハビエルにありがとうを言えなかった。だから家族に会いたかった」
「……子供を、助けた……?」
ネビアからは争いに巻き込まれてできた怪我をきっかけに、病に倒れたと聞かされていたベアトリスは、内容の違いに首を傾げる。
「たしかにきっかけは争いからだった。巻き込まれた子供が取り残されて、高い建物から落ちたところをハビエルが助けた。その時、ハビエルも一緒になって落ちたから、怪我を………」
セラの通訳が止まる。ベアトリスもモロも、どうしたのかとセラを見つめた。
セラは青ざめて震えている。そして涙がじんわりと浮かんで、ベアトリスの方を見た。
「それは、私だ。思い出した。私は、ハビエルに助けてもらった。でも、その代わりに怪我で、ハビエルは……」
罪悪感が溢れて、涙が止まらないセラ。
ベアトリスは、思わずセラを抱きしめた。
「大丈夫、ありがとう。お父様が良い行いをしたのだと知れて嬉しかった。あなたが生きているから、こうして知ることができたわ。だから安心して、あなたは悪くない」
「うっうう、うああ……」
リネッタが、自分を許したように、ベアトリスも父親に関する悲報とセラを切り離して考えた。
泣きじゃくるセラの頭を撫でながら、ベアトリスはモロの方に視線を向けて、「あなたも、ありがとう」と微笑んだ。
その笑顔は女神のようだったとモロは思ったそうだ。
***
夕食を終えたあと、リネッタはまだベアトリスとセラとモロの縁について考えていた。
市長が帰り、リネッタたちは食後の紅茶でも、とまだ席についている。
「母上も、近々ネビア様を連れてどこかに旅行しようかと考えているらしい」
「え、許可がおりたの!?」
「うん。警備はもちろんつけるけれど、そもそもネビア様自体に脅威があるわけではないからね。あの日馬車にぶつかったのも、体力も財力もつきかけていたことから自首しようと思ってしたことだったし」
殺人教唆をしたが、未遂に終わったことにより、処罰はネビア本人が思っていたよりも重くはならなかった。
精神的な混乱と思い込みによる記憶の改竄が激しかったため、まずはそのケアを行なっている。かつての親友であるルシアが積極的にその手助けを行い、ネビアの心身回復のために旅行計画まで立てたのだ。
「ソレイユ王国の温泉にでも入ってくるわ〜とおっしゃっていた」
「ふふっ今のはルシア王妃のモノマネ?」
「似てなかっただろうか……」
真剣に悩むシルビオに、リネッタがまたふふふと笑った。
リネッタの笑顔を見て、シルビオの口角も緩む。そしてお互いのカップが空になっているのを確認すると、席を立った。
「そろそろ戻ろう」
「そうね。……って」
どこに
とリネッタが聞く前に、シルビオがリネッタの前に手を差し出す。
「同じ部屋を取っているが、かまわなかっただろうか」
護衛騎士や侍女が控える中にも関わらず、シルビオはまっすぐリネッタを射抜くような瞳でそう言い放った。
リネッタの顔がぶわぶわっと赤く染まる。
「大丈夫、です」
思わず敬語になりつつも、その返事は小さく小さく発せられた。
───だって、つまり、そういうことでしょう……!?
かつて自分から誘った5年前…そろそろ6年前のあの日に覚悟していたことではあった。けれど、当時は年齢もずっと幼かったし、貞操に関して妄想したとはいえせいぜいキスやハグをして一緒の布団で眠りにつく、くらいしか許されなかっただろうと考えていたのだ。
しかし今は割と具体的にそれ以上のことが頭をよぎる。
エスコートされる間も冷静に冷静に、と自分に言い聞かせながら、なんならカロリーナたちを思い出して我に返るトリガーにして、心臓を落ち着かせようと努力した。
部屋の鍵をシルビオが開けて、「どうぞ」と促される。
入った瞬間、リネッタの緊張が吹き飛んだ。
入り口からでも見える窓の向こうの景色に、心が奪われたからだ。
リネッタは「うわあ」と感嘆の声をもらしながら窓に駆け寄り両開きのそれを開いた。部屋の中から風が通り抜けていくのを肌で感じる。
眼前に広がる深い青い海と満点の星空に夢中になった。
なんて素敵なんだろうと見上げていると、リネッタの背後からシルビオが包み込むようにして腕を回した。
「!」
リネッタは改めてこの部屋の使用者を再認識し、大きく心臓を高鳴らせる。
「やっと二人きりになったのに、景色に釘付けなのは妬けるな」
「……嫉妬してくれているの?」
「こっちを見てくれないことを面白くないと思うのは、そういうことなんじゃないのかな」
まるで分析をするような言い方に、リネッタは少しおかしくて笑ってしまう。
今度はじんわりと胸の内から温かいものが溢れて、そしてどこか切なく締め付けていくような心地を覚えた。
「そういえばさっき、市長からこっそり聞かされたわ」
「何を?」
「少し前にシルビオがマルネブに来た時、なんだか感慨に耽ったご様子で『ここがマルネブか……』と呟いていらしました、って」
「今のはマルネブ市長のモノマネ?」
「似ていたでしょう」
二人して笑い合うと、シルビオの手がもう一度組み直される。シルビオも目の前の景色をぼんやり眺めるようにして、当時の感覚を思い出しながら続けた。
「その日、初めてここに来たから、そういえばリネッタが誘ってくれた場所だったなって思い出したんだ。あの時は……勇気を出してくれたのに、台無しにして本当に申し訳なかった」
「空回ってて滑稽だったでしょう。好きでもない人にリゾート地のお誘いなんて、嫌だったんじゃない……?」
幼い頃から恋焦がれている人がいるから、リネッタの気持ちには応えられない、と明確に線を引かれた日だった。あの時は怖くて聞けなかったことを、ついリネッタは尋ねてしまう。
もしかしたら自分の傷口を抉ることになるかもしれない、と口に出してから少し後悔をした。しかし、背後のシルビオが頭を横に振るのを感じる。
「ううん、本当は、すごく緊張した。リネッタの真剣な顔に驚いて、それで、その瞬間に『これは感じちゃいけない感覚だ』と思った。だからああして線を引いたんだ。それが君を深く傷つけるとは思わずに」
「そう、だったの………」
つまり、その頃には無意識的にリネッタを意識していたのだ。
そう結論づけた時、リネッタは図書館で盗み聞いたシルビオとベアトリスの会話を思い出す。
「じゃあ、私に気持ちがないわけじゃないっていうのは、正真正銘の恋心だった可能性が……?」
「え、待て、その話って」
「……ごめんなさいシルビオ、私図書館で貴方とベアト様のやり取りを全部見ていたわ、マテオと一緒に……」
「な……!!」
回っていた腕が離されたかと思うと、今度は肩を掴まれてシルビオの方に体を向けさせられた。
「ぜ、全部…?!」
「そうよ。し、仕方ないじゃない、私たちの方が先に入ってたのに、二人が大事な話をし始めるから出るに出られなくて……」
「じゃあ、つまり、アレも………はあ」
シルビオが深刻なため息を吐いて肩を落とす。いまだリネッタの肩を掴んでいる手は離されないままだ。
目の前で項垂れるシルビオに首を傾げるが、その時の会話を回想して二人が何をしたのかはっきり思い出せば、リネッタは「ああ! ………ああ……」と、納得したのちに気落ちした声をもらした。
「俺は何回君を傷つければ……」
「仕方ないことよ! タイミングとか色々……ね! それに、その行為が私を傷つけているなんて自覚してくれている方が今は嬉しいわ」
おかしな話だけど。と、笑いながらリネッタは肩をすくめる。
シルビオがようやく顔を上げて、真正面からリネッタを見つめる。まだその瞳には反省の色が見えるのだが、リネッタはもうその表情が愛しくて仕方なかった。
「もし、リネッタが別の男に、なんて考えたら、気が変になりそうだ」
「シルビオってば、想像で気を揉む癖があるからもっとおおらかになった方がいいわよ」
「無理だ。緩和できない」
「……そうなのね」
シルビオの両頬をリネッタの両手がむにっと包み込む。
「シルビオに恋心を抱かせるために、5年……いや、6年? かかったのね」
しみじみと言うリネッタの表情は、優しくどこか儚い。
リネッタの肩に置かれているシルビオの右手が、今度はリネッタの腰まで降りて引き寄せた。
至近距離で見つめ合う形になり、二人の頬が紅潮する。
シルビオの瞳いっぱいにリネッタの顔が映り込んでいる。
瞬きを何度しても、その瞳に映る自分の姿は変わらずそこにある。
その瞳は愛おしいものを見つめる視線にほかならなかった。
「待たせてごめん。リネッタ、君に恋をさせてくれてありがとう」
「……うん。私を、好きになってくれてありがとう。私もずっと、シルビオを愛してるわ」
どちらからともなく、自然と二人の唇が重なった。
一度のふれあいに現実味がないまま、もう一度、今度はシルビオの方から存在を確かめるように重ねられた。
強い腕の力も、熱い吐息も、服の上から伝わるお互いの早まる心音も、今度は夢じゃないのだと訴えている。
再び視線が絡み合えば、リネッタは満面の笑みを浮かべた。
抱きしめられるシルビオの胸の中で、今までで一番幸せだと、胸を弾ませた。
本編完結です。ありがとうございます!
おまけとして他のキャラの恋路や、その後のみんなの姿を番外編で2本書く予定です。
本編最後までお読みいただき本当に感謝いたします。楽しんでいただけたのなら幸いです。




