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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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64 誰もが認める婚約者

「発表は明日にでもするの?」

 人差し指で簡易的に目元を拭ったベアトリスは、普段通りの声色で二人に尋ねた。

「それはまだ早いんじゃないかしら……」

 とリネッタが考え込み、シルビオも少し悩む。

「早い方がいいんだが、やっぱり聖女との結婚を神聖視している人は多いから、発表にはもう少し時間を置くかもしれない」

 なぜ早い方がいいのか、リネッタが疑問符を浮かべていると、シルビオはそれに気づき説明する。

「リネッタとベアトに関する憶測が広まっているのは知っているだろう。その噂に終止符を打つためにも曖昧にしている事柄をはっきり示すのは有効なんだ」

「たしかに、それはそうね。……でも、決定事項を伝えたとしても不満を抱く人が生まれてしまうのは避けられないのね」

 時間によって解決するのを望むしかないのだろうか。

 だが、もう少し辛抱するだけでいいのなら、リネッタは構わないと思っていた。


 なぜなら今日、こうしてはっきりとシルビオの思いを知れたのだから。


「……」

 そう思った途端、じわじわと胸の内からマグマのように燃えたぎる心地がして、体温が上がるのを実感した。


「ならやっぱり発表した方がいいんじゃないかしら」

 二人の会話を聞いたベアトリスが、断定的に言う。

「王宮側が悩んでいるのは、私じゃなくてリネッタさんを選んだことの正当性を国民にどう示すかってところでしょう?」

「普通に発表しても今なら受け入れてもらえるだろうけどね」

「体裁って面倒ね……でも一番簡単な方法があるじゃない」


 宝石のような赤いゼリーが乗ったクッキーを手に取って、ベアトリスが半分齧って食べる。

 ゼリーを舐め取り、美味しいと、微笑を浮かべるとその表情のまま二人に提案した。


「今回の事件を全部公表しちゃえばいいのよ」


 だがその提案を、真っ先にリネッタが反対した。

「そんなことをしたらベアトリス様も何を言われるか、せっかくお力も戻って元通りになったのに」

「でもそうしないと、私が王妃になれなかった理由に説得力がないでしょ」

「な……」

 思わぬ返答に、リネッタはあんぐりと口を開けて止まった。


「ベアト、こんな時まで……」

「こんな時までってなに、今までもシルビオはそうやって私のことを判断してたの?」

 ベアトリスに睨みつけられ、シルビオは少し考えるそぶりをした後に「まぁ」と頷く。

 取り繕うこともなく素直に返事をするシルビオに、怒りも湧かずベアトリスは肩を落とし、リネッタも苦笑いした。


「魅力で負けて婚約者争いから外されたなんて思われるより、色々あってリネッタさんを選んだのねと理解してもらった方がいいの。それに、全て真実なんだから。似たような事件が起こらないとも限らないし、それを防ぐ意味でも私は公表するべきだと思っているわ」

 色恋のゴシップだけでなく、ベアトリスは努めて冷静に判断していたのだと知る。少し前までの彼女ならこんなことを言っただろうか、と思わず考えてしまう。

 そんな二人の思惑もわかりきっているのか、ベアトリスはむず痒い気持ちになりながらも「どうなの!」と意見を求めた。


 再犯抑止のためのお触れと言われれば公表することも良い手立てだと思えた。

 だが、リネッタはやはり何よりもベアトリスに対する醜聞を想像して素直に頷くことはできない。

 事件を国民に知らせれば、リネッタへの同情も多く集まることは明白だ。リネッタが国のために動いていたことを知る国民に、美談を重ねることになるだろう。


「事件自体は事実ですし、それによって私の支持が増すことに否定はしません。ネビア様に関することでベアトリス様が傷つかないよう、私たちも手助けできれば、公表することも悪くないと思っています」

 物語によって人気を左右するというのは、リネッタが受けた恩恵の一つだ。それ自体を悪とは思わないし、利用できるのなら利用するという考えも否定しない。それはロマリアがリネッタに伝えた戦略だからだ。

「ベアトが良いと言えば公表する手立てはすぐに整うだろう。本当にいいのか?」

「……私なんて、そんなに気を遣ってもらう器じゃないわよ」

 自嘲気味にベアトリスが呟き、そしてふうと息を吐いた。


「王宮が何も言わないなら、私から聖堂伝いで今回の事件を公表するくらいには、この件は国民に知ってもらうべきだと思っているわ。国の母となる人がこんな大きな事件に巻き込まれたなんて知らされない方が不信感も持たれるわよ。それに……」


 ベアトリスがリネッタをじっと見る。


「リネッタさんの努力は、誰もが知っておくべきことだと思ったから」

「……!」


 小さな声で不貞腐れたように告げるベアトリスに、リネッタが感極まった。

 ベアトリスにも自分の働きを認められたような気がしたからだ。


 聖女の力がなくなり国民にそれが知れ渡った時、人々の視線と反応が怖くて部屋に閉じこもっていたベアトリスが、そのリスクを鑑みてもリネッタの功績を称えるべきだと伝えてくれている。

 これほど嬉しいことがあるだろうか。

 ベアトリスの心の変化と、自分に対する認識の変化の両方に、リネッタもシルビオも感動していた。


「それにね、私はしばらく難民地域を回ろうと思っているの」

「それは、ルナーラ国中のか?」

「うん。お母様が深い恨みを持つからこそ、自分の目で見ないとって思ったの。前にリネッタさんが私に現状を見るよう連れて行ってくれた時から、ずっとひっかかってて」

 聖女の力を取り戻すために、リネッタがベアトリスに見せた難民地域が、強烈な印象としてベアトリスの中に残っていたらしい。

「あと、周辺諸国の聖堂にも巡回するから、国民の声がどうなってても聞こえにくいんじゃないかしらって思ったの。正直、私だって嫌な噂が聞こえるのは避けたいわ」

「そうですよね。そっか……もっと忙しくなってしまいますね」

「聖女の仕事を舐めていたわ。でも、ソレイユ王国でリクさんとトールさんに会うのは少し楽しみなの」

「! そうですか…!」

 ベアトリスがリクとトールに好印象を抱いてくれていることに、リネッタはたまらなく嬉しくなった。


「再度確認だけど、ベアトは本当にいいんだな?」

「…………ええ。国民を混乱させるのは、これで最後にしてあげて」

「わかった」


 ベアトリスの覚悟を、リネッタとシルビオは受け取った。

 三人の間に不安な気持ちは残るけれど、ベアトリスがわざとらしく深呼吸をし、ぐっと顔を上げて空を見上げる。のびのびとする彼女に倣って、リネッタも空を見上げた。


 いつの間にか、青空が顔を出していた。太陽光が、庭の植物を青々と照らす。

 メイドが注ぎ足した紅茶の表面が、キラキラと反射した。

「難しいお話はここまでにして、よかったら雑談でもしませんか」

 リネッタがそれを眺めながら、二人に提案する。


「よければ、二人の幼い頃の思い出とか、教えてくれたら嬉しいです」





 ***





 王都の各所に設置された掲示板に、王族の印が施された通達書が張り出される。

 細かい文字なので、内容をしっかり読むためには近くに寄らねばならないが、人が多く詰め寄るので何が書かれているのか把握するのに時間がかかる。

 さて、新聞社を名乗る人々は体力と根性をバネに、早速その内容を書き写した。そしてここぞとばかりに数を刷って、王都中の人々の手に渡るように尽力した。

 国民は新聞社の努力の甲斐あって、無事、リネッタが婚約者に選ばれたこと、そして一連の事件の全貌を知ることができた。


 ベアトリスの母親であるネビアがしでかした内容も、嘘偽りなく記された。それを読んだ人たちの中には、やはりベアトリスに対する不信感を抱く人もいた。

 次にリネッタを害そうとするのはベアトリスなのでは。婚約者争いに敗れた恨みで何をしでかしてもおかしくないのでは、と想像する人はやまない。


 そんな中、「それはないんじゃないかしら」と笑う人もいた。

 その人の手にはレイズリー社の新聞が握られている。


 内容は以下の通りだ。



 シルビオ・ルナーラによってリネッタ・マレ・ソレイユが正式な婚約者として選ばれたことをルナーラ王国王族及び官僚全員が承認した。

 また、今回の婚約者騒動の裏ではリネッタ・マレ・ソレイユの暗殺未遂に関わる重大事件もあった。


 重大事件の詳細を述べたのち、その出来事に付随する聖女の力の喪失や、それを助けるリネッタの活躍が記される。

 そして大きな責任と功績それぞれから判断して、最初は聖女派だった一部官僚もリネッタ・マレ・ソレイユを婚約者として認めないわけにはいかなくなった。


 だが、それだけにあらず。


 シルビオ殿下とリネッタ様は、その働きと責任のみで婚姻を決めたわけではない。


 二人は、リネッタ様がルナーラ王国に留学してきてから今までの生活の中で、確かな愛を育んだ。

 二人は何よりも、愛し尊重し合う関係を築き、最も大切な人にお互いを選んだ。

 その事実を聖女ベアトリス様もお認めになり、聖女とリネッタ様は今回の対立を超えて新しい友情を育まれた。

 シルビオ殿下が親しく聖女様を「ベアト」と呼ぶことに倣い、リネッタ様も今後「ベアト様」とお呼ばれになるそうだ。


 なぜこんな裏話を知っているのかと言うと、これを書いている私、ホセ・レイズリーが、王立学園時代から今まで二人の後輩、そして友人として、二人を見守り続けたからにほかならない。

 この情報は、私自身が責任を持って真実であると断言しよう。


 二人の行く末を、私も永遠に祝福したいと思う。




 …………というように、ついにホセが身分を明かして記事を書くに至ったのだ。

 信頼のあるレイズリー社の新聞、しかも書いている本人は嫡男であり、記事の通りリネッタとシルビオと交友関係を持っている。

 国民が信じるには十分な材料だった。


 リネッタの努力のみならず、リネッタとシルビオの恋愛に沸き立つ人も多かった。

 条約から始まった二人の関係を、今では誰もが恋愛結婚なのだと持て囃す。

 少し前までは、考えられない光景だった。




「いいことリネッタ、余すことなくシルビオ殿下との思い出を語るのよ。量を出してくれれば、あとの内容はこっちで膨らませるから」

「は、はぁ……」

「ロマリアお姉様、リネッタ様がげっそりしていますわ。今日のところはこのくらいにして差し上げてくださいませ」


 マリーのやんわりとした制止に、あらそう?とロマリアが首を傾げて渋々リネッタから離れる。

 二人の婚約が確定して数日後、リネッタの元にロマリアが乗り込んできてはリネッタとシルビオのロマンスを聞き漁った。


「早く本の形にしないと、売り上げが大きく変わっちゃうのよ。期限は二人の結婚式まで。その日までになんとしても小説の形で出版して、出版業界でも『ロマローザ劇団』の名前を広めてやるのよ」

 オホホホ!とまるであくどい商人のように高笑いするロマリアを、リネッタとマリー、アメリアの三人は呆れ半分感心半分で見つめた。

 この日は久々に、四人で近況報告会と婚約のお祝いをささやかにしましょうということで、リネッタの住む屋敷に集まったのである。


「それにしても、ホッとしましたわ。やっぱり私たちはリネッタ様とシルビオ殿下が結ばれてほしかったですから」

「レイズリーさんに先を越されたような心地ですが、私たちだってリネッタ様とシルビオ殿下の恋路を一番近くで見守っている自信がありましたわ!」

 安堵するアメリアと、頬を膨らませるマリーに、リネッタは深い感謝と甘酸っぱい感情を覚える。

「本当に、二人にはいっぱい応援してもらったし、アドバイスもいっぱいしてもらったから……」

 と言いかけて、二人のアドバイスの中にシルビオの好みの女性像が昔のベアトリスであったことを思い出し、リネッタの顔が怪訝に歪んだ。

「二人のおかげで私、一時期迷走したわ……」

「そ、それは!」

「だって殿下の色恋なんてそれくらいしか手掛かりがありませんでしたもの!」

 リネッタがじろりと見つめて言うので、二人は慌ててペコペコと頭を下げる。

 二人の慌てようが激しいので、リネッタは思わず笑った。


「ふふっ冗談です。そういうこともあって、今がありますから。改めて、見守ってくれて本当にありがとう」


 リネッタの花開くような笑顔に、アメリアとマリーは涙ぐんだ。

 今度はうるうるとした二人にリネッタが慌てて「どうしたの!?」と取り乱した。


「結婚式はいつになるの?」

 ハンカチで涙を拭い鼻をかむ二人をよそに、ロマリアが優雅に紅茶を飲みながらリネッタに尋ねた。

「えっと、そうですね……ベアト様の巡回が一段落したあとがいいんじゃないか、って話なので、半年後くらいを予定しています」

「ふーん、聖女サマはここでも邪魔をするのね」

「そこまで言わずとも……」

 歯に衣着せぬロマリアの言い方にはリネッタも苦笑した。


「でもアタシ、今の聖女様好きよ。変にお嬢様ぶるより、国外生活の苦労を背負ったあの子の話も興味があるわ。早いうちにスケジュール抑えて、インタビューしないとね」

 すっかり作家気分のロマリアは、いきいきとした目でそう語る。

 ロマリアとベアトリスは意外といい友人関係になれるんじゃないか、とリネッタがぼんやり考えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


 カロリーナが応対すると、すぐにノックした本人が入室してきた。


 シルビオだった。


「せっかくの集まりに邪魔してすまない。リネッタに用を伝えられるのもこの時間しか空いてなくて」


「だったら使いでもよこせばいいじゃない」とロマリアがぼやくが、アメリアとマリーが野暮ですよ、と口を塞いだ。


「私たちは退出した方が良いですか?」

 とアメリアが聞くと、すぐにシルビオは「大丈夫」と返す。


「リネッタ、5日後以降大きな予定は無いって言っていたよね?」

「ええ。10日後にはディノも一旦帰国するし、その前日より前であれば」

「つまり三日間空いているってことだね。うん、わかった。時間を奪うようでディノには申し訳ないけど」

「……えっと……何か緊急の案件でもあるの……?」


 不安そうに尋ねるリネッタに、シルビオは爽やかな笑顔で返した。



「リネッタ、マルネブに旅行しよう」



 5年前、リネッタがシルビオを誘ったリゾート地の名前を、今度はシルビオが口にした。

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