61 本当の狙い
一夜跨いで、今回の事件の関係者をはじめ、王宮顧問弁護士団など司法関係者を緊急招集し、ネビアの尋問が行われることになった。
ネビアの身分として聖女ベアトリスの母であること、両陛下と古くからの仲であること、そして何より関与しているであろう事件がリネッタ暗殺未遂という重大な内容であることから、尋問場所は王宮の会議室になった。
警備兵も騎士も通常の倍配備され、王宮の空気はズンと沈むように重い。
両陛下とシルビオに加え、リネッタとディノ、聖女であるベアトリスが尋問側に並んで座る。尋問対象者であるネビアはシンプルで質素なドレスに着替えさせられ、左右に騎士を配備されている。万が一にも逃げ出そうとしたら即座に組み伏せられてしまうだろう。
会議室に現れたネビアを見たベアトリスは、その光景に心が追いつかず悲痛に顔を歪めた。彼女の隣に座るディノが心配そうに顔を覗き込み、背後に控える従者に、ベアトリスの隣にシルビオ付きの女性騎士を並べるよう指示した。女性騎士マルチアが低い姿勢になってベアトリスの手を握ると、ベアトリスも顔見知りの同性に触れられたことで少し落ち着いたのか、呼吸が戻ってきたようだった。
「ネビア・ガルシア。貴女とはこのように対面したくなかった」
「……」
アレハンドロ王が苦々しく呟くが、ネビアは無表情のままアレハンドロ王を見つめ返すだけだった。
何も言わない彼女との間に沈黙が続き、やがてアレハンドロが「始めよう」と合図した。
「まず初めにこれまで出たネビア・ガルシア関与の証言を述べます」
この場を円滑に進めるため、弁護団が進行役となった。弁護士の一人が手元の書類を読み上げていく。
「リネッタ様の襲撃に関わったコモロ国の傭兵が、ソレイユ王国出身の聖職者から大金と引き換えに指示されたと証言しています。指示者である聖職者は先日ルナーラ聖堂で捕えた際にネビア・ガルシアの名前を挙げております。男はルナーラ王国の聖堂にて落ち合う約束をしていたがネビア・ガルシアが現れなかったと発言して以降、それ以上の内容を述べることなく何らかの中毒症状を発症しております」
監獄で見た男の目線が落ち着かなかったことを思い出し、やはりそうだったのかとリネッタは納得した。
「またそれ以前にソレイユ王国聖堂長のバックスも、半年以上前からネビア・ガルシアと共謀していたと告白しております。バックスと襲撃犯首謀者である聖職者の関係性は不明ですが、二つの問題にネビア・ガルシアが関与している事実は明らかでしょう」
報告を終えた弁護士の一人が座り、次に尋問官の女性が立つ。
「今の報告に異議はありますか?」
リネッタとディノ以外の人間は、ネビアと深い親交があったのだ。誰もが固唾を飲んでネビアを見守っている。
「ありません」
ネビアの簡潔な答えに、ショックが広がっていく。
「ではネビア・ガルシア、次は貴女への質問を始めます。嘘偽りなく真実を述べるように」
尋問官の手元に質問事項が並べられたリストが手渡される。尋問官がメガネの橋の部分を上げて、小さく咳払いをする。人が多い会議室にも関わらず、そんな些細な音が嫌に響いた。
「まず、襲撃犯首謀者である聖職者に対して、貴女が依頼してリネッタ様の誘拐および暗殺を計画したということで間違いないですか?」
一つ頷けば重罪人として確定してしまう。ベアトリスは祈るように手を組み、じっとりと汗が滲むくらい強く握っている。しかし彼女の願いも虚しく、ネビアは顔色ひとつ変えずに頷いた。
「間違いないです」
ざわっと会議室の人たちが声を上げた。ベアトリスも「そんな」と悲鳴に似た声で青ざめる。
リネッタはただネビアを見つめた。なぜ彼女は今になってこんなにもあっさりと白状したのだろう。そして、何も取り繕うことなく、素直に答えている理由はなぜだろう。
そして何より、どうして「私」を殺すまでに至ったのだろう、と。
「では次に、ソレイユ王国聖堂長バックスとの関係についてです。貴女がルナーラ王国に戻る前、聖女ベアトリス様と共にソレイユ王国でバックスに匿われたというのは事実でしょうか」
「事実です」
ネビアが答えるたびに複数のペンが紙の上を走る。
「バックスと協力体制にあったと証言にありましたが、具体的にどのような利害の一致があったのか説明をしてください」
リネッタとディノは自国に関わる内容だと思い、より前のめりになってネビアの発言を待つ。
「……匿われたことも、ベアトリスに力があったと発覚したのも偶然です。ただ、娘が聖女であると分かった時、なんて幸運なんだろうと思いました」
ゆっくりと発せられるネビアの答えは、質問の答えに至らない。けれども、彼女の言葉を一言一句逃さず聞かなくてはならない、と誰もが思い、ネビアの声だけが部屋に響き続ける。
「バックスには私から提案しました。ベアトが聖女であるならば、次期王妃になる可能性がある。バックスにはその援助をしてほしい、と。王妃になればルナーラ王国とソレイユ王国で取り決められた条約以上の恩恵を直接ソレイユ聖堂にお渡しできるだろうから。そう言ったらバックスはすぐに頷きました」
ここまではソレイユ王国からの報告にあったことと一致する。
「なぜそこまで王妃の立場にこだわるんだ……?」
シルビオが小さな声で呟き、そしてその言葉にリネッタも頷いた。気になっているのはそこなのだ。
アレハンドロが目線で尋問官に続きを、と促す。尋問官もそれに応え、質問の答えに質問を重ねた。
「そもそもなぜ、王妃擁立のための援助を申し出たのでしょうか」
「あら、言ったままです。ベアトが王妃になる可能性があったからです」
「聖女という立場も十分強大と思われます。なぜそれ以上に王妃という立場にこだわったのでしょうか」
「王妃になれば政治の多くに口出しできるでしょう。ルシアの仕事を見ていたのでよくわかります」
ねえ? と、まるでお茶会の時の何気ない会話のように、ネビアはルシアに向かって薄く微笑んだ。ルシアはこの状況で笑顔を浮かべるネビアの真意がわからず背筋を凍らせる。
「質問の答えは質問者にのみ伝えるように」
毅然とした態度で尋問官は言った。ネビアは言われてすぐに視線をルシアから外し、斜め前の地面を見るように伏せた。
「次の質問に移ります。リネッタ様襲撃事件の聖職者とバックスはソレイユ王国聖堂の従事者同士で間違いないですか? 二人の関係性を知っているのであれば答えてください」
もしもバックスが襲撃犯首謀者と繋がっているのであれば、バックス自身の極刑も免れないであろう。だが、ネビアは首をふるふると横に振った。
「何も関係がありません。そもそも、襲撃犯の男は、ソレイユ王国の聖職者でもありません」
「なんですって……!?」
聖職者の証である印章をその目で見たリネッタが驚愕に声を上げた。ネビアがちらりとリネッタを見た気がした。
ざわつく会議室の中、「静粛に」とアレハンドロの一声が響いて静まっていく。完全にざわめきが収まらない中、少しだけ声を張った尋問官が
「男について知っていることを述べなさい」
とネビアに指示した。
ネビアは淡々と続けた。
「あの男、モルゴールって名前だったかしら。確か彼の祖父はソレイユ王国の聖職者だったんだけど、そのことでソレイユ王国の王族に深い恨みがあったみたい。彼の祖父が、王族に不当に罰せられて死んだからって」
「……まさか」
ディノが眉間に皺を寄せ考え込む。リネッタも情報を手がかりに頭を働かせ、やがて一つの仮説に辿り着いた。
その答えを口にしたのはディノだった。手を上げ、注目を集めたところで口をひらく。
「その男の姓はグリムトではありませんか」
「ああ、そんな感じだったと思うわ。よく知っているのね」
「ディノ、なぜそれを」
シルビオの質問にディノが忌々しげなため息を添えて返した。
「我が国で昔、聖堂が王族に対して叛逆を企てたのです。王政廃止のために野蛮な方法で……王暗殺未遂を起こしたのです。その時の首謀者がモルフォス・グリムト。ほぼ確実に、姉様襲撃の首謀者であるモルゴールの祖父にあたるのでしょう」
全く同じことを企てるとは嘆かわしい。ディノがリネッタへの犯行の事実を思い出して小さく舌打ちをした。
「それじゃあ、あの印章は遺品だったということなのね」
聖職者だと思っていた男は、どうやらただのソレイユ国民だったのだ。密かに、ソレイユ王族への恨みを募らせながら、虎視眈々とその機会を狙っていた。その男に、リネッタはまんまと捕まったのだ。
「ではなぜ、そんな男に貴女はリネッタ様襲撃を指示したのですか」
尋問官が強めに質問を投げかける。素性を知っているのであれば、それは確信犯だ。バックスの時の様に、利害の一致があって協力関係になった。
つまり、ネビアはリネッタを間違いなく殺したかったのだ。
ベアトリスの肩が震えている。母親の罪の重さに耐えきれない。そばにいるマルチアが彼女の背中をさする。
「あのままじゃ、間違いなくリネッタ様が王妃になってしまうからよ」
ネビアの声色は変わらなかった。
「ベアトはもう選ばれないんだと、シルビオ殿下を見ればわかりました。そしたらベアトは王妃にはなれない。けれど、婚約者候補の片割れが死んでしまえば、自動的にベアトが王妃になりますよね? だからリネッタ様には死んで欲しかったのです」
「っ……!」
明確な悪意の籠った言葉に、リネッタの恐怖がぶり返す。
「リネッタ」
と隣に座るシルビオがリネッタの肩を抱いて落ち着かせようと触れる。
ネビアがじっと二人のやりとりを見る。目を見開いて、呆れたように眉を下げて口角を上げる。
「やっぱりそうでしょう、幼い頃の約束なんて意味なかったの。ベアトに期待する前に、さっさと殺しておけばうまくいったのに」
「……お、おかあ、さま………」
ベアトリスへの失望にも似た言葉に、ベアトリスも絶句した。ネビアの態度がどんどん露骨になり、嫌な空気になっていく。
「そうまでして自分の娘を王妃にして、貴女は一体なにをしたかったのですか」
気の毒に思った尋問官はベアトリスの名前を出すことをやめた。問われた質問に、ネビアの口角がスッと下がった。
「戦争がしたかったの」
独り言のような声量で、ネビアがぽつりとこぼす。
「え?」と思わず尋問官が聞き返すと、ネビアの形相が変わった。顔を赤くし、暴れる一歩手前で体をぐわんと揺らす。左右の騎士が警戒の体勢に入り、誰もがネビアに注目する中、ネビアは叫んだ。
「戦争をしたかったのよ! コモロ国に! 私たち家族を、ハビエルを陵辱し殺したあの汚い生き物を、ルナーラ王国の力で根絶やしにしたかったの!」
ハビエルは、アレハンドロの友人であり、ベアトリスの父親だ。その名前が出たことでアレハンドロとルシアも表情を変えた。
二人は、ネビアがどれだけハビエルを愛していたかよく知っていたからだ。彼女の動機の根源にハビエルの存在があったことで、悲しくも納得してしまった。
「なのにルナーラ王国にまで忌まわしいコモロ国の虫は侵入していたわ。だから病気を撒いたの。ハビエルも苦しんだ同じ病をお返ししたわ。浄化だってする必要もなかったから除外したの。なのに、ちっともうまくいってないじゃない。やっぱりベアトを王妃にして私が指示してあげないと、殺さないと、全員殺さないといけないのよおお!」
慟哭のような独白に、この場の人間の胸が傷んだ。声を張り上げるために暴れるネビアを騎士が抑えている。獣のような彼女を見ていられないというようにベアトリスは背を向けた。
アレハンドロとルシアも、変わってしまった旧友の姿から視線を逸らし、苦しい思いを抱えた。
一方で、ネビアの答えを聞いて、シルビオとリネッタの中で数々の疑問点が解消され繋がった。
難民地域で不自然な時期に住人が見たと言う白い服の人間も、ネビアが指示して使わしたバックス側についているソレイユ王国聖堂の聖職者の可能性が高い。
そしてその難民地域の浄化が完了済みになっていたのも、聖堂に住んでいたネビアが違法な手段を使って改竄したのだろう。
ネビアは語らなかったが、ラルを使ってベアトリスを襲わせたのも、そしてベアトリスがリネッタを見たと思わせるように変装したのも、ネビアが独断で行ったことなのだろう。
「なんて人なの……」
リネッタは怒りで煮えたぎる思いだった。けれど、ネビアはもう、どこかがおかしい。タガが外れたように喚く彼女は、滑稽にすら見える。
「最後の質問です!」
尋問官が大きく声を張り上げ、ネビアの動きもぴたっと止まった。
「……この一連の企てに、貴女の娘は関与しているのでしょうか」
背を向けたベアトリスも、びくりと跳ねて恐る恐るネビアの方を振り返る。ともすれば自分も重罪人になってしまう。
王族側はたとえそう答えたとしても冤罪であることはわかっているが、今のネビアがどのような答えを出すのか予想ができず、緊張感を持って返答を待った。
ネビアはぼーっとした瞳でベアトリスの方を見上げた。ベアトリスも、泣き腫らした目でネビアを見つめ返す。
二人の目が合うと、ネビアは優しく微笑んだ。この場では初めて見せる、慈愛に満ちた表情だ。
「ベアトリスは、関係ありません。私が部屋を出たのも、あの子に何も知らせないためです」
「っ───!」
リネッタはもう、わからなかった。先ほどまでベアトリスのことを「無価値」だと切り捨てるような言い方をしたのに、今はまるでベアトリス以上に大切なものなどないと言い切るかのような愛情を見せている。
───ああ、でもきっと………本当は素敵な母親だったのだわ。
ネビアの視線が、どこか遠いような気がして、リネッタは思った。
今彼女の目には、今よりも幼いベアトリスが映っているのかもしれない。なんのしがらみもなく、普通の母と娘をしていた時の、美しい記憶の中のベアトリスが。
「どうしてそんな顔をするのよ!!」
声を張り上げたのはベアトリスだった。マルチアの制止も振り切って、ベアトリスは立ち上がりネビアの方へ詰め寄る。
「そんなこと、しなくてよかったのに、私にとってはお母様だけが家族なのに!」
ぐしゃぐしゃに泣き腫らしたベアトリスが、やんわりと聖堂騎士に体を抑えられそれ以上近づくことを禁止される。聖堂騎士の鎧を掴み、縋るようにしてベアトリスは叫んだ。
「おっお母様がそんなことをしたから、結局、こんな辛い思いをしちゃったんじゃない。そんな目で私を見るくらいなら、最初から何もしないでよ! お母様のせいで、大好きな人も手放さなくちゃいけない。お母様のせいで、リネッタさんにどうしてもかなわないって、認めるしかなくなっちゃったじゃない……!!」
「………ごめんね、ベアト、ごめんなさい、ごめんなさい……ああ、ハビエル、私、間違えちゃったわ、あなたがいないとなにもできない。ごめんなさい。ごめんなさい………!」
真実が明らかになった。リネッタを脅かすものも、もういないだろう。
けれど、不運によって狂ってしまったネビアとベアトリスを想い、リネッタはやるせなさを胸に抱いた。
二人がここまで傷つく必要はなかった。もしも自分がいなかったら、二人の傷は癒えたのだろうか。
リネッタの沈んだ表情を見たシルビオが、膝の上で強く握られるリネッタの手を包んだ。
ハッとしてリネッタがシルビオに顔を向けると、シルビオは真剣な眼差しで、泣きじゃくる親子に向かって言い放った。
「誰のせいというわけではない」
ベアトリスも、ネビアも、そしてリネッタも、シルビオの言葉に胸を打たれた。




