59 真犯人
協力者としてセラが連れてきた男は、モロという名前の成人男性であった。身長は襲撃犯である男たちに近いくらい大きく、筋肉質である。何よりも、額から輪郭まで引かれた一本の傷がただならぬ雰囲気を醸し出している。とはいえ、顔つきは温和なので、しばらくすれば傷による威圧感も和らいだ。セラが全幅の信頼を置いている男であることは明白なので、信用においては一つクリアできたのか、シルビオも交渉を続ける。
「モロはこの国の言葉を理解できるのだろうか」
「それは、まだ難しい。挨拶と買い物しかわからない」
「生活する分には十分だな」
シルビオが微笑めば、セラもえへへ、と笑う。
シルビオの隣に座るクラレンス外務大臣は少し小さい声で「予定通りの翻訳者を隣につければ問題ないでしょう」と伝え、シルビオも頷いた。
「モロがルナーラ王国の人に恩があると言っていたが、それについて聞いてもいいだろうか」
セラが翻訳してモロに尋ねると、モロはシルビオの方を見て頷く。セラにではなく質問者であるシルビオの目を見たことに、シルビオはまた一つ信頼感を覚える。
「モロの傷、コモロ国でケンカに巻き込まれてついた。そのとき、コモロ国でルナーラ人の男に手当てしてもらった。その人と仲良くしたけど、ルナーラ人の男は争いに巻き込まれて怪我した。それが原因で死んだ。だからモロ、この国に逃げた。その人の家族も見つかったら嬉しいって」
「……そうだったのか………」
「だから、モロ、この国のためになることなら絶対約束守る。それに、乱暴者のコモロ人嫌い。絶対に許さない」
セラがそう宣言した後、同じことをコモロ国の公用語でモロに喋ったのであろう、モロが表情を険しくし、シルビオたちの方を向いて何度も頷く。
「わかった。モロの気持ちは伝わった。俺たちもモロに賭けることにしよう。クラレンス外務大臣、異論は」
「ありませぬ」
「モロ、コモロ国の公用語を書けると言っていたが、その文章はどのくらい正確なのかテストをさせてくれ。クラレンス外務大臣、翻訳者はここに呼べるか?」
「はい、少しお時間をいただきますが」
「構わない」
クラレンス外務大臣が離席し、シルビオは改めてモロに筆記のことを伝えた。シルビオの言葉をセラが翻訳し、その場で記述させるという内容だ。シルビオの話した言葉もシルビオ自らが文章に残し、1時間後にやってきた翻訳者にふたつの文章を見比べて正確さを判断してもらった。
結果、無事記録者たりえる力量だと判断されたため、モロには機密事項であることを強く念押しし、翻訳者のサポートも受けて尋問者としての最低限の心構えを教え込まれた。
これで、尋問に関する問題は解決した。
仕事をひとつこなしたシルビオは、セラとラルのこともラルの世話係に通達し、再び会議室に戻る。待たせた要人たちに、今度はリネッタ襲撃犯の重要人物である聖職者についての概要を共有し、次の日に行われる聖堂での打ち合わせ中に調査をする騎士を編成した。
その日は結局、シルビオが仮眠を取ることはなかった。
早速翌日、襲撃犯への尋問が執り行われた。
そして同時に、ディノがソレイユ王国からの手紙を受け取った。王族たちが聖堂に行く前の早朝に届いたので、朝食の直後、要人たちは再び会議室に集結した。
ディノはシルビオに頼まれた通り、手紙の全文を音読する。
「ソレイユ王家によるソレイユ王国聖堂 聖堂長バックスの証言の概要を記します。新聞社への賄賂の目的は、聖女がルナーラ王妃となりルナーラ王家と聖堂の強いコネクションを作った後、聖女から協力の恩恵を受け、その報酬を元にソレイユ王家に地位向上を求めることである。ここで言う報酬は主に浄化された水を指す」
ここまではシルビオもバックスの話した内容から推察できた。それを理解しているディノは、補足もなく次の文章に移る。
「次に、バックスが取った手段の詳細を記します。事の始まりはベアトリス・ガルシアとその母親ネビア・ガルシアがコモロ国から脱出した後、ソレイユ王国にてバックスと偶然出会い一時的に匿ったことで…」
「え……!?」
会議室にいる誰もが目を見開いた。
ディノが張り詰めた空気に一瞬言葉に詰まるが、咳払いをして読み上げを続ける。
「……接するうちに、魔力の流れからベアトリス・ガルシアが聖女であると確信を得る。そこで日頃から聖堂の地位向上を画策していたバックスはベアトリス・ガルシアの利用を決意。我が国ソレイユ王家に、聖女の再来からリネッタ・マレ・ソレイユの婚約を辞退するように早くから提案書の作成を献言したのも、既にバックスが聖女の存在を認知していたからであると推測される」
文を読みながら、ディノは姉のために提案書を持ってきた時を思い出し、胸を痛める。あの時はただ、聖女を尊重するあまり謙虚な姿勢をするものだと自国ソレイユ王国の聖堂に対して感心すらしていた。しかし、シルビオを愛し、ルナーラ王国の人々も愛し始めている姉に対して、その決意を無碍にするような提案書に苦々しい思いを抱いたのも確かだった。
今となれば、自分たちもバックスをはじめとする反王家の聖職者たちに踊らされていたのだと、悔しい思いに駆られる。
「ディノ、続けてくれ」
「……はい」
思わず黙りこくっていたディノは、一度息を整えてから口を開いた。
「なお、聖女の存在を認知していたにも関わらずルナーラ王国に送り出すまで秘匿していた事実については、ルナーラ王国とソレイユ王国の同盟において不遜かつ不誠実な行為であると判断。責任を持ってソレイユ王国からバックスおよび加担した聖職者へ厳罰を下すこととなった。書面上の謝罪となりますが、改めて大切な聖女の存在を隠す結果となってしまったこと、深くお詫び申し上げます」
ディノが、書面の言葉を体現するように深くお辞儀をした。ディノに仕える騎士たちも同じように頭を下げる。姉であるリネッタを悲しませた過去を同時に考えて、ディノは唇を噛み締めた。
手紙の内容は終わったのか、という空気になった時、頭を上げたディノが「続きがあります」と言葉を続けた。
「最後に、バックスが協力者としてネビア・ガルシアの名前を頻繁に挙げていました。全ての計画の発端は自分ではなくネビア・ガルシアにある、という訴えでしたが、自分の保身のために出まかせを言っている可能性もあります。しかし、名前が出た以上要観察対象となることでしょう。早急な事件解決を我々も願っております。また新しい情報を得た際や進捗においては書簡にて通達いたします。…………以上になります」
ネビア・ガルシア。
聖女であるベアトリスの母親であり、共に聖堂に身を移していたものの、ベアトリスの能力がなくなった直後姿を消した。そして、王都内でバックスがネビアの名前を挙げ、密会している事実がリクとトールによって報告されていた。現在の居住地もソレイユ王国の聖職者たちが泊まっていた宿泊施設と同じ場所であると判明している。
ただ、居場所を突き詰めているにも関わらず今日までネビアの姿を捉えた人はいない。バックスたち聖職者を一斉送還した時も、ネビアの姿は無かった。
あるいは、逃げたか。
「そうか……既にソレイユ王国で顔見知りだったのか」
シルビオが今までのネビアの態度や情報を思い出しながら神妙な面持ちで呟く。
ベアトリスとネビアが初めてバックスたちと会ったと思われたルナーラ聖堂での挨拶の時、思ったよりもあっさりした会釈にシルビオは元々疑問を抱いていた。そもそもシルビオがバックスを紹介する前に、二人はバックスがどのような立場の人物であるか理解している素振りだったと、今ならわかる。
初対面じゃなかったからだ。
「聖堂調査団を二手にわける。一方はネビア・ガルシアの捜索と確保を。もう一方も聖堂での調査が終わり次第捜索に合流してもらう。編成は団長が行うように。尋問の結果は戻った時に確認するため終わり次第まとめてくれると助かる。警備隊は変更なく、だが気を引き締めるように。ディノの騎士たちも余力があればリネッタの警護に回ってくれるとありがたいが可能だろうか」
「そのつもりです。ルナーラ王宮の警備隊と連携をとります」
「任せた。では時間だ、俺たちは聖堂に向かう」
一斉に人々は席を立つ。ガタガタと椅子を引く音と、書類をまとめる音で会議室は騒がしくなった。
***
聖堂に辿り着くと、騎士団たちは即座に調査を始めた。有無を言わさず侵入してくる騎士たちにルナーラ王国の聖職者たちは驚き目を丸くするも、聖堂長であるレミーが「気にせず作業を続けなさい」と一喝した。
「急な調査で申し訳ない」
「いえ。後ろ暗いことがなかったら怯える必要もありませんから」
レミーがメガネを掛け直しながら皮肉めいて言った。
「我々も通常通り動きましょう。会議室へ」
「ちなみにベアトは参加するのか?」
「一応同席させます」
「その方がいい。今少し厄介なことになっている。会議が終わったらそのことについても報告する」
「……わかりました」
レミーは少しだけ嫌そうにため息を漏らしながら返事をした。面倒ごとを察知したようで、気が重くなったのだった。
今回の閉会の儀についての反省会にはシルビオとアレハンドロ王が参加する。アレハンドロは別件から直接聖堂に赴いたようで、先に聖堂内の会議室にて控えていた。
「ご苦労だったシルビオ。早速だが簡潔に報告を頼む」
「承知しました」
会議室に全員が揃う前に、シルビオはアレハンドロに情報共有をした。
ネビアの名前が挙がり、共犯の可能性を伝えると、アレハンドロも渋い顔つきになった。元々は、ベアトリスの両親と仲が良く、家族ぐるみの付き合いであったことをシルビオも回想する。だからこそ、シルビオはベアトリスと親交があったのだ。
しかし、今回の一連の事件に深く関与しているのならば、ネビアの処罰は免れない。アレハンドロも、だからこそ感情を隠しきれないのだろう。王の前に一人の人間なのだとシルビオは思った。
「お待たせいたしました。聖女様はこちらにお座りください」
「はい……」
入室したベアトリスが、シルビオに視線を向けつつもたじろぐ。未だ気まずい思いを抱いているため、視線を下ろして、席についた。
聖職者が書類を全員の手元に配れば、つつがなく反省会は始まった。
「──…では、来年度実施する変更点におきましては3点。儀式観覧のためのポイントを二箇所増やし制限を設けること、聖女様による式の進行を追加すること、最後に簡易的な式を王都で行えるよう新型ランタンの開発を進め……」
進行役の聖職者が要点を話している時に、扉がコンコンコンと力強く叩かれた。慌ただしく聞こえるノック音に、扉近くにいたシルビオ付きの騎士が急いで開く。
「どうした」
アレハンドロが問えば、息を切らした調査団の騎士が姿勢を正し報告をする。
「襲撃犯首謀者と思われる聖職者の男を確保しました」
「なんだと!」
報告にシルビオが勢いよく立ち上がる。ベアトリスがそんなシルビオに視線をやるが、かち合うことはない。
「また、その聖職者の男が『ネビア・ガルシア』の名前を口にしました」
「え……?」
今度はベアトリスが声を漏らした。信じられない、と言った表情で報告してきた騎士を見る。そして、自分の母親の名前が出たことにこの場の誰も驚いた表情を見せないことに戸惑った。
「ど、どういうこと……どうしてお母様の名前が?」
「会議が終わったらそのことについてお話しする予定でした」
アレハンドロが重々しくベアトリスに告げる。ベアトリスの表情がサァッと青ざめた。
「男の身柄は襲撃犯と同じく監獄へ移送しなさい。尋問を進めておくように」
「はっ!」
アレハンドロからの指示を受けた騎士は再び慌ただしくその場を立ち去った。
外を確認したシルビオ付きの騎士がゆっくりと扉を閉めると、会議室に重い静寂が残る。
「……聖女様、失礼ながらお尋ねします。貴女は、母親であるネビア・ガルシアの動向について何かご存知ではありませんか?」
アレハンドロの口調は聖女を尊重する丁寧なものだが、元来のオーラと声色のせいか、ベアトリスの肩がびくりと跳ねてしまう。
しかし、ベアトリスはゆっくりと顔を上げてアレハンドロの方を向くと、大きく息を吸ってから答えた。
「……私は何も、知りません。母は、私の力がなくなってからすぐに私の部屋から姿を消しました。以来、母がどこにいるか、今何をしているか、私には一切の便りもありませんでした。誰も、母について話してくれませんでした」
この場にいる全員が、ネビアに関する情報を何かしら得ていることはベアトリスも勘づいている。だから少しだけ責めるように、言葉を付け足した。
アレハンドロもそこを申し訳なく思ってか、眉尻を下げて目を伏せた。
「……お答えいただきありがとうございます。承知いたしました」
「…………あの、私にも母のことを共有してください。母は、今どこに」
ベアトリスの問いには、シルビオも首を振った。居場所はまだわからない。
「俺が順を追って説明しよう」
シルビオはネビアの動向を中心に簡潔にベアトリスに説明した。
バックスと知り合いだったことを指摘された時は、ベアトリスも気まずそうに頷いた。しかし
「私自身が聖女であると知らされたのはルナーラ王国に帰国したその日だったの。見送ってきたバックス聖堂長が、その時初めてわかった、という感じで、私に伝えました。お母様もそこですごく喜んでたから、あの日に初めてわかったものだと……思ってたの」
「ならば、本当にベアトは何も知らなかったという見解でいいだろうか」
「っ………」
シルビオの直接的な言葉は、思わずベアトリスの言葉を詰まらせた。ずっと一緒にいたにも関わらず何も気づけなかった自分を責められた気分になって、ベアトリスの表情が歪む。
「関与しないに越したことはない。それに、ネビアやバックスが何枚も上手だったのだろう。命からがら逃げてきた時に頼りの大人の不審について考える余裕もない」
アレハンドロが落ち込むベアトリスにフォローを入れる。そこでようやくシルビオも自分の発言の鋭さに気付いたのか、ベアトリスに対して「申し訳なかった」と謝った。
「……違うの、謝らないで。王様も、慰めていただきありがとうございます。でも、鈍感だったのは本当のことですから」
気にしないで続けて、という言葉に、シルビオは逡巡しながらも頷いた。
シルビオが顛末を説明し終えると、ベアトリスは長い髪を机に広げるようにして突っ伏した。
人々はベアトリスの心境を察してただ見守る。
「お母様は、何を考えているの……」
襲撃犯の尋問の結果も、似たようにネビアの存在が仄めかされた。
そして、自分たちの雇い主である聖職者の男が、ソレイユ人であることが判明した。
聖堂で確保されたソレイユ人聖職者が、ネビアと合流する予定であったと明かしたのも、尋問の後にわかった。
あとはネビア本人の口から真実を聞くのみになったが、結局その日はネビアを見つけ出すことはできなかった。




