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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!  作者: 巻鏡ほほろ


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56 歪な回復

 人のいない場所だったことが功を奏したのか、次の日になってもリネッタにまつわる事件が国民に知られることはなかった。祭りは続いているが、王宮は緊張と焦燥で落ち着かない空気だった。


「じゃあコモロ国の人たちはその場で殺したんですか」

「一応命はある。尋問にかけないといけないからね」

 リネッタの大事を知る記者は、王宮に一時的に居を構えているホセのみである。

 シルビオの話し方がいつもよりも速い。リネッタの容体が気になって安定しないのだろう。ホセも似た心地でソワソワとペンをもて遊んでいた。


「シルビオ殿下、失礼致します!」

「リネッタに何か」

 シルビオの私室に慌ただしく入ってきたのはリネッタの筆頭メイドのカロリーナであった。

「リネッタ様が目を覚まされました」


 それを聞くや否や、シルビオは王宮内を走った。ホセとカロリーナも慌てて後を追いかけて、王宮医師が診療する医務室に駆け込む。

 マテオやネルソンを中心としたリネッタの騎士たち、背後にはメイドたちも涙を浮かべながらリネッタを取り囲んでいる。シルビオが来たことがわかれば、全員がシルビオのために道を作り、頭を下げた。


「シルビオ、それにホセも」

「リネッタ…! よかった、本当に、無事でよかった」

「シルビオ、助けてくれてありがとう。私は本当に運が良かったわ」

 シルビオがリネッタを間一髪で助けることができたのは、ソレイユ王国大使館の近くまでリネッタが逃げられたからだった。また、劇団方面で強烈な閃光が観測されたのも、騎士たちを向かわせる要因になった。

 リネッタが運が良かったと言うのも、こうした要素が重なった結果救出に至ったことを示している。


 リネッタの口ぶりはいつもと変わらなかった。自然な笑顔を浮かべて話す様子に、一同がより深く安心する。

 ただ、その見た目は痛々しい。唇の端は切れて赤く滲んでいるし、頭から足先までかすり傷が多数ある。極め付けは左腕だ。傷口が深かったので縫われている。傷が開かないためにも、自分で下手に動かさないようにしっかりと固定されている。骨折したかのような見た目だ。足の裏も皮が捲れ上がってしまっているため、ぐるぐると包帯で巻かれ、血が滲み出ている。

 無事、とは言えない。

 その惨状にシルビオの胸が痛み、表情が歪む。それを見てか、リネッタがベッドの上に置かれたシルビオの強く握られた手に重ねるようにして右手を乗せた。

「シルビオ、お願いがあるの」

「なに?」

「マテオとネルソンの処罰はしないで。絶対に。二人はやるべきことをちゃんとやっていたわ。私もこうして命があるんだし、今後の彼らの働きで今回の失態を返す方向にしてほしいの」

「な──」

 今それを言うのか? と呆気に取られたシルビオが言葉を失っていると、控えていたネルソンとマテオが同時に跪き、頭を垂れた。

「ありがたきお言葉ですが、我々は取り返しのつかないことをしました。どうか罰をお与えください」

 マテオも今回ばかりは悲痛な面持ちで丁寧に言う。ネルソンも唇から血が出るほど悔しがっている。シルビオは二人の無念を痛いほど感じながらも、戸惑ってこの場で詳細な判断をすることができそうになかった。

「……そのことは、後で改めて考える。マテオも深傷を負っているのだろう、まずはそれを治すのが先だ。リネッタの警護をするにあたって二人以上の騎士はいない。だから1日でも早く万全の状態に戻ってほしい」

「……はい……!」

 ネルソンが駆け付けたのは、マテオが重傷で気絶しかけた時だった。男たちは加勢に気づくと一目散に逃げ、行方がわからなくなった。二人は急いでリネッタを探したが、そのうちマテオは動けなくなってしまったほどだ。投げ入れられた粘着質のものは薬品が混ざっていたのか、傷口に流れ込み凝固して余計に悪化させた。

 打撲傷が多く、服を着込んでいる今のマテオだと一見わからないが、彼もまた今こうして跪いている状態も辛いくらいだった。

「マテオはシルビオの言う通り、とにかく労わって。ネルソンをはじめとした騎士たちは、私の情報から犯人を探すために動いてください」

「リネッタ……それは君がもっと回復してからでいい。俺の方で調査と捜索は進めるから」

「早くしないと逃げられちゃうでしょう…! それでなくても、もう1日も経っているのに。ソレイユ王国の聖堂がまた絡んでいるかもしれないの、だから私が動かなくちゃ」

 体は動かせずとも、リネッタの表情は力強く、気圧されてしまいそうになる。

「……わかった、だが、証言だけだ。すぐに終わらせて早く寝てほしい」

「うん、ありがとう、心配してくれて。でも、病は気からとも言うでしょう。大丈夫大丈夫。それじゃあみんな、こちらに集まって」


 リネッタが声をかければ、騎士たちは再びリネッタを取り囲んだ。

 一歩引いて、シルビオもその様子を心配そうに眺める。ホセがおずおずと近寄り、眉を顰めて言った。

「あれは、大丈夫じゃありませんよ。多分、重傷を負って興奮状態にスイッチが入っているんだと思います」

「……ああ、騎士によくある話だ」

「騎士ならまだいいですけどね、でも、リネッタ様は戦いを経験していない女性です。このままではいけませんよ。この状態が続いたら……」


 笑い声すら上げるリネッタを見守る二人の表情が晴れることはなかった。

 これ以上リネッタに無理をさせられないことも事実なので、その日はリネッタの報告が終わると、全員医務室を後にした。医師によればリネッタはあの後意識が途切れるように眠ったという。


 興奮状態とは言え、元気な姿を見れたことは良かった。だが、このままではいけない、というホセの言葉がシルビオの中で幾度も反芻された。




 ***




 リネッタが遭遇した女性はやはり劇団とは無関係であることが調査でわかった。レースのハンカチの色や形状も詳細に伝えたが、そのハンカチはテント裏で燃え殻となって見つかったため、女性の足取りを追う手掛かりにはならなかった。

 襲ってきたコモロ国の男たちは、やはり難民地域とは関係ないようで、彼らは直接コモロ国から王都までリネッタ誘拐および暗殺のために雇われたのだということも発覚した。

 コモロ国の情勢は不安定で、国の長も血を流す争いによって頻繁に変わっている状態だ。だからこそ無法者の出入りの激しい国であり、身分を証明する手立てもない。見た目や言葉はコモロ国の特徴を有しているが、コモロ国の人間だと断定することもない。よって、彼らはこの後ルナーラ王国とソレイユ王国両名の名において処罰されることが決定した。これによるコモロ国への介在は混乱を拡大させるだけなので行わないことも決定した。代わりに、今後勝手に国の人間を処罰したことへの対応を求められた際に、交渉の一手として残すことにしたのだ。武力も軍事力もルナーラ王国の方が圧倒的に上だ。混乱の中に諸外国からの弾圧が加わってしまっては、なすすべもないことをコモロ国はわかっているようで、この件において特別な追及が来ることはなかった。


 襲撃から2日が経つと、ベアトリスがリネッタの見舞いに来た。

 彼女の手には4本の『再浄化の水』がある。

 医務室に入り、リネッタの痛々しい様子を目の当たりにしたベアトリスは眉を顰めて俯きがちに近づいた。リネッタはそんなベアトリスを安心させるように、やはり笑顔を浮かべる。

「わざわざ王宮まで足を運んでいただきありがとうございます、ベアトリス様。しかも再浄化の水まで……」

「……これで、回復が早まればいいのですが」

 前に流行病で倒れたリネッタに再浄化の水を渋っていた記憶を思い出し、ベアトリスは罪悪感を抱えながらも搾り出すように言った。リネッタはその時のことを伝聞で聞いただけなので気まずさを持ち合わせていない。だからこそ、思い出したようにリネッタはハッとすると、ベアトリスに向かって少し頭を下げた。

「前にも、再浄化の水をお与えくださったのに、あの後お礼の言葉もなく接してしまってごめんなさい」

「!」

 まさか謝られると思わなかったベアトリスがたじろぐ。顔を上げたリネッタは、柔和な笑みを浮かべて続けた。

「それにしても、お力が戻ってよかったです。ベアトリス様の調子の方はお変わりありませんか?」

「………な、なんで……」

「?」

「……いえ。私は、大丈夫です。リクさんに教えてもらった力の使い方のおかげで、前よりもムラなく力をつかえている感覚も、あります。なのでご心配なさらず」

 何か言いたげなところをぐっと堪えて、ベアトリスは現状を丁寧に説明する。

「ならよかった……!」

 するとリネッタが、本当に嬉しそうに笑って返すものだから、ベアトリスは思わず口元に手をおいて身を引いた。

「ごめんなさい、私帰ります。リネッタさんの回復をお祈りしています」

「ええ、気をつけて……」


 バタン、と医務室の扉が少し強い力で閉じられる。


「あれ、貴女は……聖女様、姉様にお見舞いですか?」

 襲撃以来ルナーラ王宮に滞在を続けているディノが花を抱えて挨拶を交わした。

 しかしベアトリスの血の気の引いた表情を見て、怪訝な顔つきになる。

「具合が悪いんですか?」

「貴方は……ディノ王太子、ですよね、たしか」

「はい、お久しぶりです。食事会以来ですね。あの、それよりも……」

「あの人、何なんですか」

 ベアトリスの顔を覗き込もうとするディノの動きが止まる。ベアトリスは深く深呼吸して、ディノを責めるかのような目つきで、それでも怯えた瞳のまま呟いた。


「なんであんな、笑顔でいられるのよ………!」


 リネッタに向けて、もはや畏怖の念を抱いていた。



 祭りはもう最終日になっていた。始まった時は永久に冷めないかのように思えた盛り上がりも、悦楽による疲労困憊から火が消えたように落ち着いている。

 夜には閉幕の儀として、水に溶ける紙で作られた特別なランタンを川に流す。この紙は聖堂によって生み出された技術で作られているため、数に限りがある。王都の人間の大半は、この儀式を眺めて、また新たな一年の豊食を願う祈りを捧げるのだ。


 メイン会場となる聖堂に移動しようと王族とディノが集まり、厳重な警備の中向かう予定だった。

「リネッタ様、お待ちください。まだ動いては」

「でも、どうしても確認したいの。聖職者であればイベントに乗じてルナーラ王国の聖堂と接触を図る可能性だってあるわ。顔を知っているのは私だけだから」

 ネルソンとリネッタの言い争いにいち早く気づいたシルビオは、アレハンドロ王とルシア王妃に断りを入れてから駆け足で向かい間に入る。

「ネルソンの言う通りだリネッタ。そうやって立っているのも辛いだろう」

 リネッタの足の裏はボロボロだ。クッションがついた厚底のサンダルを履いているが、まだ包帯は取れない。出かけるためのローブを羽織っているが、リネッタはまだ王宮の外を歩けるほど回復しているとは言い難い状況だ。

「この靴のおかげでだいぶ楽だわ。それに会場では座っているから、お願い、様子を見るためにも私を連れて行って」

「許可できない。犯人がその場に現れるとも限らない」

「でも私の存在を確認したらもう一度現れる可能性だってあるわ」

「自ら進んで囮になりたいと言っているのか? その体で?」

「……それは……」


 いつものリネッタであれば、こんなに性急な真似はしない。シルビオに指摘されてリネッタも自分の発言の愚かさに口をつぐむ。

 この数日、リネッタの周りにいる人々は皆ハラハラとした面持ちでリネッタを見守っていた。よく喋るし、笑顔だって浮かべる。けれど、本来はそんなに早く回復するような傷でもない。最初は安心を覚えたが、日数が経つに連れて全員その状況が恐ろしいと思う気持ちに変容していった。

 ディノが折を見てリネッタに休息案を持ち掛けても、難なくあしらわれてしまっていた。リネッタを止められる人間は、シルビオや両陛下くらいなものだ。


「……わかった」

「え」

「俺も残ろう」


 シルビオの提案に、リネッタとネルソンが目を点にした。

 呆気に取られている間にシルビオは踵を返し、両陛下にことの次第を説明して、なんと了承を得てきたのだから、さらには開いた口が塞がらなくなってしまった。

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